三河の謀略戦

 さて、今川をおびき出すにあたって、伯父上に連絡を取ることにした。背後を脅かされている体を取れば、さらに攻め込みやすく考えるだろう。理由付けは……金をだまし取られたため重税を課されたとでもしておくか。


「それでよいかと。奴らもうまくいっていると思えば深く考えないでしょう」

「お主が言うと説得力があるのう」

「それはどういう意味ですかな?」

「知略を認めておるということじゃ。弥八郎よ」

「であればよろしいのですが、何やら言い知れぬものを感じましたゆえ」

「はっはっは、気のせいじゃ」


 なにやら黒い会話が終わる。弥八郎をそのまま使者として伯父上、水野信元のもとに派遣し、事情と策を説明する。

 伯父上は弥八郎の策と思ったようだがこれはこれで好都合。あまり派手にやりすぎても良くないからな。とか思っていると喜六郎の目線がやたら突き刺さった。


「なんだ?」

「いや、派手に云々はすでに手遅れかと」

「なんだって!?」

「だって……ねえ?」

「うぬぬ、気のせいじゃ!」

 喜六郎のあからさまなため息が全てを表現していた気がするが、とりあえず人畜無害な子供のふりをする。というか、ふりって時点で手遅れじゃないか……。


 水野が今川に内通した。刈谷が敵に回れば織田との連絡線が途絶える。よく考えなくてもまずい状況だ。そんなうわさが流れ、家中が徐々に浮足立ってきている。とりあえず、本多、酒井、石川あたりには事情を話してあるが、あまりに泰然としていると策を疑われるので、それなりにそわそわしておけと命じたときの連中の顔は見ものだった。非常に情けない顔は写真にとって残したいとすら思った。

 さて、不平分子も活発に動き出している。平八郎が非常に複雑な表情で俺のもとを訪れ、連中の血迷った未来絵図を聞いたときは必死に笑いをこらえる羽目になったと苦情を言われた。

 三河守護代を何人にばらまくつもりなのやら、いっそ興味がある。

 そもそも守護の吉良家を取り込んでないしな。むしろ連中が三河の覇権を取り戻すとヘンテコな夢を見ているさまはいっそ滑稽ですらあった。


 そうして決起の時はやってくる。俺は後方を警戒するふりをして、動員を調整した。岡崎周辺の松平家としての手勢しか招集できていない……ふりだ。石川、酒井あたりも日和見モードを取るように伝えてある。

 そして吉田を発った今川勢は二千近い大軍。こっちはいいところ八百だ。勝敗はもはや明らかで、松平宗家存亡の時と言ってよかった。

 俺は必死に頭を下げ、不平分子どもの兵を出させる。まあ奴らの顔と言ったら非常に醜かった。地獄にまとめて放り込んでも一切良心の呵責を覚えなくて済むのはありがたいけどな。


 そうして、岡崎の少し東で迎撃の陣を張る。ここは先日朝比奈を打ち破った場所で、験がいいからここにしたということにした。

 そして策の第一段階。読んでもいない叔父上の手勢四百余が着陣する。これにより兵力は一気に増大し、味方の士気も上がる。ふつうならばな。

 今回は事前に流している、刈谷が今川に寝返ったといううわさが状況を微妙にさせていた。俺も敢えて刈谷勢には先陣を申しつける。こうすることで、彼らが寝返ってもいいように仕向けているわけだ。

 そしてこれ自体も今川側にはあえて情報を漏らしている。疑心にかられた竹千代は刈谷勢を先陣に回すに違いなしと。そうして兵力をすり潰すつもりであると。

 実際裏切りの疑惑がかけられた豪族にはよくある話で、誰も違和感を覚えていなかった。

 今回、本隊の先鋒は新参の本多正重に任せ、平八郎は旗本を率いてもらっている。これには、平八郎からすごい勢いで苦情が上がったが、「最も信頼する者を手元に置いておき、最も重要な場面で活躍してもらう」と伝えたらやたら上機嫌だった。実にちょろい男である。


 例の不平分子どもは半数ごとに分けて伏兵にした。もちろん今川には彼らの場所は通報済みである。本陣にも裏切り者が混じっていると奴らは今頃上機嫌だろう。

 必殺の伏兵が場所は割れてるはすでに寝返っているわで、もう四面楚歌だな。

 しかも兵力の半数以上は本拠を守っている。鎧袖一触に蹴散らして、一気に岡崎を落とすと意気軒昂だろう。


 策をもって相手を嵌めるとき、相手の望む通りに状況を動かしてやる。そして最も相手が欲しがるものを提示して見せ、そこに落とし穴を仕掛ける。

 今回は、岡崎城と俺の首だ。それをあえて取りやすい状況を作る。裏切り者がいて野戦では勝ち目がない。さらに城内にすでに内通者がいる。

 考えれば考えるほど楽な戦である。少しは怪しいと思ってもらいたいものである。


 きっかけは今川が仕掛けてきた謀略戦で、そこに大湊の会合衆が乗ったことだろう。末端の商人を使って不利な取引を仕掛けたりすることで、松平の資金力を失わせる。そうやって弱体化を狙ったら、予想以上の効果が出て、資金難に陥った挙句家臣に重税をかけ内部崩壊している。

 ここまで効果が出るとは、と思えばそもそもここに出張ってきていない。自らの策が予想以上の成功をおさめ、敵を撃滅する機会にしか見えていないはずである。


 さて、状況は作った。あとは仕上げるだけだ。傍らの弥八郎と平八郎、二人がこちらの目線に気付いて無言で頷く。

 俺は敵に攻撃命令を出すために采を振るった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る