好事魔多し

 さて、そろそろか……。俺の打った手が効果を現しだす。それは今川勢の破滅を意味していた。

 正重は打って出て今川勢に突っかけた。これによって小勢り合いを演出する。先日の手をまた使おうとしておるわと、退いても追撃は来ない。それでもあきらめきれずに攻撃を行い、再び撃退される。それを繰り返していた。

 敵を伏兵網に誘い込むのが目的で、それを見破っているうえに伏兵の配置まで知っているのだ。絶対に罠にはまることはない。そう思っているんだろうなあ……ククク。


***今川軍本陣、鵜殿長照***

「敵兵退いてゆきます!」

「ふん、口ほどにもない」

 増援の水野勢は、最初の芝居のような戦で被害甚大と称して撤収した。と言っても松平勢の背後に布陣してる。我らの合図で寝返って竹千代めは袋の鼠じゃ。

 そして無駄と理解しておらぬのか、再び松平本隊から兵を出して攻撃を加えてくる。しかし士気は上がらず攻撃もおざなり、同じ手が通用すると思っておるあたりまだまだガキよの。

 ここで朝比奈勢の敵を討てば、わが鵜殿家の今川家中における地位も上がると言うもの。笑いが止まらぬな。

「申し上げます!」

「うむ、なんじゃ?」

「田原に織田大隅の手勢が上陸し、吉田城を取り巻こうとしております!」

「なんじゃと!?」

 まずい、このままでは後方を遮断される! 我が所領の背後が織田の手に落ちれば詰みじゃ!

 慌てて軍を返そうとした。しかしそこに再び松平の手勢が襲い来る。事ここに及んで気づかされた。すべてはあ奴の掌の中であったと。

「竹千代め! 奴は悪鬼羅刹か!」

 儂の叫びは陣中に響き渡った。そのことで動揺が知れ渡り士気を落とすことになったのを後ほど気づいたが、その教訓を生かす機会はこの後訪れることはなかったのである。


***松平本陣***

「申し上げます! 安祥の手勢が敵の後方を遮断! 鵜殿勢は浮足立っております!」

 伝令が吉報をもたらした。これによって今市上がらなかった士気が盛り上がる。

「頃合いじゃ。伯父上にも攻撃の要請を。あと、鏑矢を上げよ」

「はっ!」

 近習は俺の指示を伝えるため走り去る。あとに残ったのは弥八郎であった。

「殿、見事に敵は嵌ってくれましたな」

「ふん、安祥の兵は偽兵よ。後方を遮断されると思ったのであれば、それこそなりふりかまわず撤退するだろう。であれば……」

「合図の鏑矢で手はず通りに動き出したかと」

 酒井、石川の兵はここにはいない。鵜殿勢の退路に伏せている。そして裏切り者どもの兵は鵜殿勢の捨て石にされた。

 三河守護代だなんだとおだてられても、いざとなれば即捨て石として見捨てられる。あ奴らもいろいろと骨身に堪えただろう。

「念のためじゃ。鵜殿勢を追撃するよう下知を出せ。従うならばお主らは松平の被官である事を認めると言ってよい」

「裏切り者の処置にしては甘い」

「ふむ、この戦の目的は内部統制の強化であったがな。誰彼かまわず根切りにしていればいずれ国から人が枯渇する。故に一度は許す」

「二度目はないのですな。なればよいでしょう。殿の恩徳をお見せすることで、あ奴らは殿を仏でもあるかのように崇め奉るように仕立て上げましょうぞ」

 俺其処まで黒いこと考えてなかったんだけどな。まあいいや。黒い部分はこいつに任せよう。腹黒ダヌキは卒業するんだ!

「手遅れです」

「弥八郎、なにがだ?」

「殿が一番お判りでしょうに」

「やかましいわ!」

 前線では平八郎が大音声を上げて裏切り者どもに俺の恩情を伝えているようだ。二度目があらば殿が許されようとてこの蜻蛉切の錆にしてくれると、言いってくれた。そこまでの忠義を捧げる彼に俺は何を返せるのか。太平の世を彼に見せてあげることができれば何よりの報いとなるだろうが。

 ちと思考がそれた。奴らが再び裏切るのならそれこそ根切りだ。それを許していたら俺の威が失われるしな。

 おお、平八郎の激で裏切り者どもが再び掌を返して今川勢に襲い掛かっていく。くるくるとまあ、素晴らしい回転率だ。しかも後がないそれだけに勢いはすさまじい。そして今川勢はすでに死に体だ。一方的に討たれていく様はいっそ哀れですらあった。

 しかし、これが戦国の現実だと割り切る。生きるために必死なだけなのだ。俺も、彼らも。

 そうこうしているうちに伏兵が今川勢を横合いから叩く。行く手を遮れば奴らも必死になる。窮鼠とするのは避けるべきだ。さすがは酒井、見事な采配である。


 こうして鵜殿勢は大打撃を被った。そして、今川勢を手玉にとったことでさらに当家は名を上げた。さらに裏切りすら計算に入れて策を組み上げ、全てを盤上の駒として動かした知者、本多弥八郎正信の名も大いに上げることとなったのだ。


「殿、なんで私が全部おぜん立てしたことになってるんですか?」

「家臣の名声は主君の面目。いいじゃん、別に」

「よくありませぬ! あれ以降家中の私を見る目つきが、目つきが……」

「鷹匠風情がって言われてて歯ぎしりしてたじゃん。名を上げたんだからよくね?」

「確かに槍働きは苦手ですがああああ!!」

「じゃあ、いいでしょ。適材適所ってことで。俺はお主に誰でもできる雑兵の仕事は期待しておらぬ。お主にしかできぬ、その知略こそ俺の望みじゃ」

「殿……いいこと言ったふりでごまかしましたね?」

「ぐぬ、なぜわかった!?」

「ふん、単純な三河者ならそれで丸め込めましょうがそうはいきませぬぞ!」

 ギャアギャアと言い合う俺たちを見て、正重と喜六郎が目を見合わせて肩をすくめていた。喜六郎、なんだその「やれやれ」って顔は。

 まあなんだ。危機は乗り切り家中もまとまった。そうそう、伝え聞くところによると今川の借書をかき集めていたどっかの商家が没落したそうだ。自業自得だよな。

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