ものごとの表裏
「初めまして。兄上」
そうして手を差し出してくる。この時代に握手の習慣はあっただろうか?
俺は反射的にその手を握った。すると……イメージが流れ込んでくる。いつぞやの家康の人生を追体験したかのように、今世の竹千代の人生をたどった。といってもわずか数年のことではあるが、それだけに強烈だった。
今の俺たちは三人の記憶や経験が入り混じっている。未来知識がある俺と、戦国の世を生き抜いた家康と、そして生まれながらに天下人の器量を持って生まれた竹千代。最後の竹千代の部分は結果論に過ぎないが、環境と経験と、そして資質があの天下人家康を形作っていたのだ。
そして、わずか6年の生涯は畜生腹の子とさげすまれていた。かばってくれたのは母のみ。伯父である水野信元も直接的には何の手も差し伸べてはくれなかった。
母の愛だけが次郎三郎と呼ばれた少年の救いだったのだ。まあ、こっちも六歳になるや否や人質に出され、さらに身内の裏切りで織田に売り飛ばされるという波乱を味わっている。吉殿との出会いは望外の幸運であったろう。
そして、このまま史実通りに進めば、俺は今川の人質となり辛苦を舐めることになる、はずだった。
「兄上、我らは双子です。だから心で呼びかけています」
「いや待て、普通双子でもできないだろこんなこと」
「われらは特殊ゆえに。一人の身体に三人の魂という成り立ちから、ですね」
「なるほどな。理解した」
「今川には私が参りましょう。兄上は織田についてください」
「それでいいのか?」
「家康殿、自分の事を殿付けで呼ぶのも変ですが、その記憶はあります。相当につらい目に合うでしょうね」
「そうだ、だからお前もこっちにこい!」
「確かに、家康殿の記憶とはいろいろと違っておりますが、そうなれば都合のいいことばかり起きないでしょうに」
「どういうことだ?」
「織田の勃興で今川が危機感を持ったら? 桶狭間の戦が早くなったら?」
「なっ!?」
「物事には両面があります。良き面と悪い面が。今都合いい方に事態が動いていますが、それが悪い方に傾くことも想定すべきです」
「来年の小豆坂の戦か」
「そう。想定より多くの軍を今川が動かしたら? 松平にも駿府に伝手があります。そこから、北条、武田との和睦の情報が来ております。むろん同盟が結ばれたとして、全力で兵を動かすことはあり得ませんが、今川の動員力は群を抜いております」
「そして尾張はまだ安定していない、か」
「そう。なれば今のうちに突けば弾正忠の勢力を崩すこともできる。そう考える者もいるのです」
「それで、松平がその戦法に立って織田を抑える、そう仕向けるというのか」
「だとして、織田と松平の間に戦端が開かれる。それでもいいのか?」
「もう一つの側面がありますので」
「……そうか、松平は織田と今川の両天秤か」
「三郎殿が勝つとはまだ言えませぬ。弾正忠殿が倒れたら尾張はまた乱れましょう」
「今川の大攻勢までの間に尾張を吉殿の下でまとめて見せよ。そう言いたいのだな?」
「さすが、といっても貴方も私ですからね。話が早くて当然ですか」
「まあ、そうだな。話は分かった。まずは小豆坂の戦を生き残ろう」
「その後は松平と小競り合いをしながら、尾張の支配を」
「ああ、何とかするさ。あの魔王信長がいるんだぞ?」
「そんな信長公も今はただの小童、それがわかるでしょうに」
「そうだな。経験不足は否めない。そこを俺の中の家康の知識で補えばいいか」
「もちろんこちらも今川家中で力を発揮します。さもなくば松平が獲りつぶされかねないですし、来るべき戦で私自身が兵を任せられない可能性が出てくるのでね」
「ふん、せいぜい雪斎を驚かすがいい」
「老境の家康殿の知識があれば、雪斎禅師とて遥かな高みとは言えないのでしょうかねえ」
「なんとも、だな。ちなみに、この会話ってのは距離がどこまでなら使えるのかね?」
「さあ、試したことはないです。駿府へ向かう途中、定期的にやってみますよ。そうすれば限界地点がわかるでしょう」
「そうだな。ところで、俺はお前を何と呼べばいい?」
「竹千代でいいですよ。葵兄上」
「そうか、俺も葵では名乗りとしてあれだし、何か考えるか」
「世良田では?」
「家康の影武者か?」
「ええ、実際に暗殺はされていませんが、存在はしたのでね」
「いいだろう。では俺は世良田元信と名乗ろう」
「私は松平元信ですね。あとは、元康、家康ですか」
「こちらはそのまま名乗りは変えないと思う。吉殿の偏諱になるしな」
「いいと思います。あとは頃合いを測って松平の一門であるということで迎えましょう」
「こちらも万が一の時は迎えられるようにしておく」
「ええ、お願いしますね」
結構長いこと話していたようだが、それこそ瞬き一つほどの時間だったようだ。いったん休憩をはさむと称して、吉殿と改めて話をしておく。
松平は将来的に吉殿の味方になると。転生した家康の記憶と意識は葵と竹千代の中にある。そしてその原体験は、吉殿との出会いだ。よって俺たちは吉殿の味方であると。
「いまさらだな。我は竹千代をこの世の誰よりも信じておる。決して揺るがぬよ」
あっけらかんと言う吉殿に毒気を抜かれた。そしてこのセリフは向こうの竹千代も聞いているはずだ。意識や感覚を同調できるからな。
「俺は松平竹千代の替え玉、遠縁の子の世良田国松です。ということでよろしく」
「竹千代は水野と松平の策謀で奪還された。そのことを気づかせないためにお前が織田に送り込まれた。そういうことじゃろ?」
「です。まあ、今となってはどっちがどっちかは些細なことかもしれませんが。どちらも本物ですし」
「たしかに。……まあ良い、我はまず尾張をまとめる。まずはそれからだ。天下だなんだとその先にあるものだからな」
「上を見て足元をおろそかにすると転びますからな」
「親父が死ぬまであと4年か。それまでに俺を跡継ぎと認めさせねばならん。手っ取り早いのは武功だな」
「されば来年、今川との戦で結果を出すしかありませんな」
「それよ。戦場は安城なれば、桶狭間の地形は使えぬ。真っ向からの平地戦なれば、数が多いほうが有利」
「隠れる場所がなければ数の利を覆すことも難しいですか」
「お世辞にも兵の質でも勝っているとは言えぬからな」
「数の差を埋める方策ですか、奇襲以外にはなかなか」
とりあえず一度考えることをやめ、会談に戻った。
話はまとまり、竹千代は返還されたものとして松平に戻る。於大の方はなんと、織田の人質とされた。俺のため、というのはうがちすぎだろうか? 彼女を一体どうすべきか、というか、父、松平広忠に暗殺の危険が迫っていることを伝えるべきなのか。そもそも原因は何なのか、いろいろと問題が出そうだ。史実を知ることは必ずしもアドバンテージとなりえない。そこを頭に置いておかないと、裏目に出ることがありそうだ。そう、今まさにそうなりつつあることを気づかされたのだった。
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