文字統一と試し戦

「なんじゃこれは?」

 俺の差し出した表を見て吉殿が怪訝な顔をした。

「平仮名の一覧です」

「ふむ?」

「流民の子供に字を教えていますが、教える者によって字の書き方が違いすぎます」

「……そうか。字を統一すれば」

「そう、読み書きの習得が簡単になります」

「その利点は?」

「単純な話ですが、文官を増やしやすくなります。元は流民ゆえに仕事を与えれば不満を持たずに働くでしょう」

「戦うことが本業だと思う輩はそういう仕事を軽視しておるからな」

「知恵も勇気もいくらでも湧いて出ますが、金と兵糧はそうはいかんのです。偉そうな人はそれをわかっておらんのです」

「ふん、根拠のない誇りとやらをよりどころにしておる連中だな。この下克上の世に悠長なことよ」

「まあ、適材適所ということで、そういう仕事を任せられる者を集めておけば、将来必ずや役に立つでしょう」

「ふむ」

「平手殿や村井殿がいなかったら?」

「やめてくれ、想像したくない……」

「農民とかからも使える者が出るかもしれません。そっちにも手を広げましょうか」

「いいだろう。何か考えというかめどがあるようだしな」


 こうして中村にいた日吉と小竹という兄弟を確保した。村井殿に預けた。ふふふ、あの小牧の戦からの忍従の日々、意趣返しなどはしませんよ? 多分、な。

 そこでふと自覚した。今の思考は俺のものではない。死した家康のものだ。時折こうして自分の経験いsていないことを思いついたり、なんというか、方策を最適化してくれることがある。

 この時代でできること、できないことがなぜかわかるといった具合か。家康の経験値が俺に流れ込んでいるかのようだった。しかし、あの夢以降家康の意識は眠っているままだし、竹千代の意識も出て来ない。

 それこそ多重人格のように俺と竹千代、家康が切り替わっているのではないかとも思うが、記憶の連続性に不整合もない。俺(葵)の人格が主人格になっているのはなぜか。そして時折抑えきれないような感情が湧き上がることがある。これこそが眠っている人格の存在を示すものなのか。

 今はわからない。わからないことに思考を割くのも無駄だろう。そうして俺は市時その問題を棚上げしたのだった。


「ふむ、弩の訓練は順調だな」

「ですね。個別に的に当てるのはともかく、討つ方向を示し、そちらに合図で一斉に放つ訓練はできています」

「狙いを付けずとも良いのか?」

「そこまで求めるには時間が足りません。もともと面を制圧することが目的ですので」

 けげんな顔をされたので図を描いて説明する。陣取り的に敵が入り込めないか、入ってきたら殲滅できる地域を設定することで、敵の動きを食い止めるためだ。

 もともと野戦よりも防衛戦で力を発揮する武器だ。狙い撃ちもできなくはないが、それは選抜した精鋭を用意して指揮官を狙うなどで活躍してもらおう。


「なれば試し合戦を行うか」

「ですね。信秀様に相手を選んでいただくのが良いかと」

 こうして使者を出してお伺いを立てたところ、事態は急展開した。

 大将は勘十郎君。副将は柴田権六殿と介添えに織田信光殿。弾正忠家の最精鋭ではないか。

 数は二千余り。こちらは那古野衆旗本五百。平手衆八百。そして流民より選抜した兵千。数はこちらがやや多い。しかし、形勢が悪くなれば四分五裂は保証されている。

 那古野衆旗本には介添えとして佐久間右衛門尉信盛殿が入ってくれた。かかれ柴田に退き佐久間の対戦となるわけである。

 なんかある意味一大イベントになってしまい、武衛様が見物に来る騒ぎになった。


「良いか、武衛様に弾正忠家の精鋭を見てもらい、尾張を安泰にするのじゃ!」

 信秀様の檄が飛ぶ。なんか同時に弾正忠家の嫡子を決めるとか言い出したやつがいるそうで、この戦に勝った方が嫡子だとかなんとか。

 確かに勘十郎君は出来がいい。武芸もこなすし勉強もできる。末森の城をきっちりと治めているそうだ。しかしそれは常識の範囲の中でだ。吉殿のような誰も考えつかないようなことをするわけではない。

 おそらく現状の織田一族の末席として、家老職の弾正忠家であれば十分に跡を継げる。しかし、尾張を統一し天下に打って出る器ではない。

 そして、勘十郎君も実は織田の家督を望んではいない。吉殿の才に気付いている。しかし自分を盛り立てる家臣たちの期待に応えようとしているのだ。


 実際に陣を敷くと、相手の数が三千近い。どういうことだと確認すると、林佐渡の手勢が加わっているとのこと。謀られたか。事前に聞いている数と違うとクレームを付けたが、戦場では通用したいと言われた。そりゃそうだ。実際に対陣すると相手の数が想定以上に多いなんてことはよくある。

 だから流民兵を追加することを認めさせた。まともな武具も身に付けていない彼らに嘲笑が浴びせられるが、動揺はない。そうだ、那古野黒鋤衆の実力、見せてやれ。


「よい、佐渡ずれに後れを取るようで尾張が獲れるか!」

 吉殿は威勢のいいこと言っているが状況悪いよ? 佐渡の弟の美作は剛勇の士として知られている。頼りは佐久間殿の防戦の手腕と、こっちの伏兵、滝川左近殿の手腕だな。

 平手衆を先陣に立てた。本陣は吉殿と佐久間殿が指揮を執る。両翼に流民兵を配置。追加で参加した兵は後方にいる。

 双方合わせて5000以上の兵が向き合うのだ。普段小競り合いしかしていないし、これほどの兵が動員されたのは先年の美濃討ち入りの時以来だ。ぼろ負けしたやつな。


 横一線に陣立てを組み、向き合った。武衛様が見物用のやぐらの上から手を振り下ろす。それを合図に鏑矢が放たれ、合戦の開始を告げたのだった。

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