平手政秀と柴田権六

「竹千代殿。すこしよろしいか?」

 吉殿の守役である平手殿に呼び止められた。

「はい、なんでしょうか?」

 なるべく子供っぽくなるように注意して答えた。ここで変な目で見られたら今までの事が水泡に帰すどころか、下手すれば首を討たれる。

「若の事にござる。竹千代殿と過ごすようになってから何やら雰囲気が変わってござる」

「へえ、そうなのですか?」

「左様にて。いままで儂がいかに言葉を尽くしても若の行状は改まりませんでした。しかし、今日若が語ってくれたのです」


 平手殿が言うには、今日もお決まりのお説教をしていたそうだ。普段ならば「うるさい」などと怒鳴って去ってゆく吉殿が神妙に話を聞いている。

 ついにわかってくれたかと、意気込んで話を続けようとしたところ、手で言葉を遮られた。

「爺、貴様は我が何をしているのか、何を考えているのか、それを理解したうえで説教をしているのか?」

「何を? と申されますと?」

「爺、聞くが、弾正忠家の実入りは今年はいかほどじゃ?」

「若、いかな若とてそれはお役目上……」

「では質問を変えようか。中村に百姓は何人いる? 田畑の広さはどれだけじゃ? そこの畑を誰が耕しておる?」

「……?」

「わからぬか。まあ、中村は爺の領土ではないから仕方ないかもしれぬな。では篠木のほうはどうじゃ?」

「若、何をおっしゃりたいので?」

「ふむ。まだ理解が及ばぬか。親父の懐刀とはいえその程度なのじゃな」

「若、儂を愚弄されるか?」

「ふん、足元を見よと言いたいのじゃ」

「足元?」

「先ほどから疑問ばかりじゃな。ちっとはその皴首の上に載っておる頭を使え」

「足元……すなわち根本を見よと言いたいのですか?」

「ほう、耄碌はそれほどではないようじゃな。どこの村に領民が何人おって、男は何人、女は何人、税はどの程度納められるか、そういった事情をもっと見るがよい。爺が見ておるは人ではない、数字よ」

「なっ!?」

「我が百姓どもと話すはそういう意味じゃ。どこそこの家に子供が生まれた。どこそこの作柄は良いのか悪いのか。百姓どもの困りごとを取り除いてやる。そうすることで、奴らも税を納めることに納得するじゃろうが」

「……おっしゃる通りにござります」

「それを貴様らは地下人と交わるなどうつけに違いなしという。どっちがうつけじゃ? 領内を走り回るは地形を知るため。どこを進めばどこに出る。どこの川の深さはこうで、雨が降ったときはこうなる。

 どこそこの村に顔見知りがおる故、いざというときにうわさなどを聞くことができる。百姓どもの噂と言うてもなかなかに侮れぬものでな。思わぬ話を聞くこともできる」

「若……申し訳ござらぬ!」

「爺よ。貴様には恩がある。ここで話しておかねばならぬと思うたゆえ話した。故に、命尽きるまで我を助けよ。頼む」

「若、もったいない。もったいのうござります……」

「ふん、ガキの頃に武士は泣いてはならぬと我をさんざんに叩き伏せた爺が泣いておるわ。おかしいのう」

「若、なれば若のそのお顔は一体なんでござろうか」

「ふん、今日は風が強い故、砂埃が舞ったのじゃ」

「では、爺もそのようにございます」

 そうしてその場には二人の笑い声が響いたのだった。


 という話をされた。なんかもうジジバカ丸出しのにやけ顔で話してくる。これはあれだ。孫がテストでいい点とったときの顔だ。というか、物陰から見ていたので一部始終を知っている。

 平手家は八百近い兵を抱えている。これが、政秀殿が亡くなられた時まとめて離反したそうだ。帰参は桶狭間の後とか言うのだから実に困った話になる。

 吉殿の手勢は多いに越したことはない。これで平手衆が麾下にいることになれば、家督相続後のごたごたも減るだろうし、あれほどの忠臣を死なせたとの悪評も立たずに済む。


「もしやとは思うが、竹千代殿が若を諭してくれたのですかな?」

「吉殿は元々聡いお人です。間もなく元服も控えておりますし、何か心持に変化があったのでしょう」

「そうか、そうじゃな。儂もますます若を支えねば。老いておる場合ではないわ!」


 笑顔で去って行く平手殿。彼を抱き込むことに成功したのならば、織田家の銭が融通されやすくなる……といいな。

 とりあえず、千歯扱きと備中ぐわを作らせよう。後は田植えのやり方だな。正条植も指導せねば。これは適当な農民を雇って代わりに説明させよう。

 今の自分は表立っては何もすることはできない。無力な子供である必要がある。さもなくば、ろくでもないことになりかねないからな。

 そうやっていろいろと考えを巡らせていると、加藤屋敷の前に髭面のごついおっさんと、十歳ほどの少年が立っていた。

「ご免、こちら加藤屋敷に、松平竹千代殿がおられると聞いてまいった」

 髭面のおっさんが慇懃な態度で問いかけてくる。

「俺が竹千代じゃ。してお主らは誰じゃ?」

「拙者柴田権六と申す。これなるは我が主君の織田勘十郎様にござる」

「吉殿の弟君か。して、俺に何用ですかな?」

 そう問いかけると、勘十郎君はズビシッと人を指さし、目をひん剥いて言い放った。

「お前! 生意気なんだよ! われの方が兄上の役に立つのじゃ!」

 なんかよくわからんことを叫んで走り去っていった。

「まことに申し訳ない。この非礼は後日必ず詫び申す」

「は、はあ。承知仕った」

 そう言い残すと、髭のおっさん、柴田権六殿は勘十郎君を追いかけて走り去ったのであった。

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