槍の又左と趙子龍
吉殿は何とか平手殿を納得させたらしい。吉殿の直属の兵50名に長槍を配備させることができた。そして長槍の最大の欠点は取り回しの悪さと重量である。
はじめは新装備を喜んでいた兵たちも、その過酷な訓練に音を上げる羽目になったが、吉殿が笑顔で訓練の指揮を執っていた。そもそも主君が同じように槍を振るっているのである。
兵たちも否やとはいえず、汗を振り絞って槍の上げ下げを行っていた。
ちなみに、この当時の槍隊の戦い方はこうである。
槍を垂直にする。のち、敵に向かって穂先を落とす。要するに突き合いではなく叩き合いである。ゆえに槍の柄が長いほうが有利に働いていた。
その中でも出色の武者がいた。吉殿が常日頃から目をかけている若武者である。というか、このころ数えで一二歳ほどのはずであった。犬と呼んで常に傍に置く前田孫四郎(のちの利家)であった。年子の弟である藤八も体が大きく、二人いれば周りの兵を圧倒するほどの偉丈夫である。
「前田の孫四郎はいまだ骨も固まらざる歳なるに、腹も据わり良き武者にてあらあず」
大人に混じって組打ちの訓練をしてもまったく引けを取らないどころか、逆に組伏せてしまうのである。しかし、若さというか幼さもあって、非常にそのことを鼻にかけ、周囲を見下す節があった。
そのことがのちに信長から勘気を被る遠因となったのだろうなと考えた。
よって俺は吉殿に三国志のとある英雄の話をしたのだ。
後日、組打ち稽古で見事十人抜きを果たした前田孫四郎
「おう、犬よ。本日の稽古の手並み、見事なり。よってこれをつかわす」
吉殿から脇差を与えられ、喜色満面の孫四郎。そして周囲の同胞は、また高慢の鼻が高くなるとため息を漏らした。
「はは、ありがたき幸せにございまするに!」
得意げに褒美を受け取り、さっそく腰に結わえ付ける。こしらえも見事で、関の鍛冶師の作による業物であった。
「うむ、ところでじゃ。犬よ。貴様は趙子龍を存じおるか?」
「存じ上げませぬ。どのようなお方でござるか?」
「うむ、三国志は知っておるか?」
「はい、唐の国の話にござるな」
「左様。その三国の主の一人、劉玄徳に仕えた猛将じゃ。槍を取って一度も敗れたことのない豪傑という。どうじゃ、我の前におるはその趙子龍の再来であろうが」
「拙者ごときをそのように……もったいないお言葉にございます!」
主君からの高い評価に目を潤ませる孫四郎。
「趙子龍はな、何度も主君の危機を救った忠義の武士よ」
「左様にございまするか。なれば拙者これより趙子龍殿を師として見習いとうござる!」
自らの理想像を見つけたとばかりに、頬を紅潮させ興奮気味に返す。
「うむ、またも良き言葉を聞いた。なればさらに付け加えようか。「子龍は一身之胆なり」と言われる故事がある。主君の危機を救うため殿に立った子龍はの、空城の計を用いて敵軍を逆に打ち破ったのじゃ」
「それはどのような計にございますか?」
軍談となれば、ほかの小姓衆も前のめりになって話に耳を傾ける。
「うむ、敵を食い止めるために劉玄徳は砦に逃げ込んだ。そして子龍は門を開け放ち、単騎で門の前に立ちふさがったのじゃ。その様子を訝しんだ敵軍の足が止まる。そこを伏せ勢を用いて敵を散らしたという」
「なんと見事な! 拙者もそのような働きがしたいものにございます!」
古の英雄の武勇伝にあこがれを隠さず、目を輝かせる。そうしてれば可愛いガキんちょなんだがな、と下手すれば幼児の見掛けである俺が言うのも変な話であるが。
「なれば、ちと厳しいことを言うぞ?」
「は、はっ!」
居住まいを正す。主君を信頼し、自分のためになる話であると感じたようだ。
「そなたが武勇は古の趙子龍にも匹敵しよう。しかし、そのままではただの猪武者じゃ。趙子龍がなぜ英雄となれたか。それは冷静沈着な目を持っていたからじゃ。そして軍略にも明るかった。故にとっさの判断で絶体絶命の危機を乗り越えたのじゃ」
「はは!」
「であれば、何が言いたいかわかるな?」
「はっ! これより身を慎み、勉学にも身を入れまする!」
「うむ、期待しておる。しかし、そなたが趙子龍なれば、我は劉玄徳にならねばならぬな」
「拙者、殿を尾張一の弓取りになるべき方と存じ上げ、お仕えしておりまする!」
「小さい」
「は、は?」
自らの言葉を一刀両断され戸惑いの色が浮かぶ。
「天下の主にならんと励んで初めて一国の統一が成るのじゃ。天下を三分した英雄を目指すのであれば、我が目指すべきはどこじゃ?」
主君の壮大な気概に小姓衆は居住まいを正す。
「天下の主にございます!」
「うむ、貴様らも励むがよい!」
世間ではうつけと呼ばれている吉法師だが、その自己に課す鍛錬は誰よりも厳しいものであることを、彼らは知っている。
夜分遅くまで書を読み、知識を蓄えていること。日々領内を巡って地形を把握していること。領民の言葉に耳を傾けていることを知っている。
地下人とも気軽に言葉を交わす吉殿を、なにも理解していない、いわゆる「行儀の良い武士」が、勝手に見下しているのである。
そして、うつけの評判すら敵の油断を誘えると利用せんと考えている。朝倉宗適はこういった。「犬畜生と呼ばれようが勝つが武士の務めである」と。その言葉に従うのであれば、吉殿は頭のてっぺんからつま先まで武士であった。
さて、ここで立派なことを言わせたのは一応理由がある。うつけの評判について、信頼する部下からは取り払おうということだ。愚かな主君に仕えたがる者はいない。様々な義理やしがらみで使えている者もいる。そういった者をしっかりと吉殿の配下として取り込むのが目的だ。
むろん、近臣に討たれて死んだ武将もいる。かく言う自分の祖父がそうだし、2年後には父もそうなることを知っている。
吉殿には信秀殿が明日亡くなっても、弾正忠家をまとめられるほどの器量を認めさせねばならないと伝えていた。今川と渡り合えているのは尾張の虎の名声であること。そして吉殿は、その名声、評判という意味では、マイナスであることだ。
人は理解できない者を恐れる。畏れを持たれることは君主として必要だが、家臣の心を集めることができねば、尾張統一どころか勢力の維持すら危うい。
吉殿の意識改革。同時に配下の掌握。そうすることで吉殿個人の地盤の強化を行うことで、弾正忠家の勢力を底上げする。
桶狭間が起きるかは今の時点では不明だ。織田家の勢力は三河に及んでいる。しかしながら、小豆坂の大敗は再来年に迫っているのだ。
そこを何とか引き分けに持っていき、尾張への蚕食を食い止めることが出来れば、俺を旗印にして三河に攻め入ることもかなうだろう。
すでに自分の行動で、なにがしかの歴史が変わっていることだろう。であれば、まずは織田のために動く。それが竹千代自身の望みに繋がると信じて、方策を練り続けるのだった。
補足
正史に置いて趙雲は劉備の親衛隊長ほどの役職でした。魏でいう許チョ。呉でいう周泰といったあたりです。
個人的武勇のエピソードは多く、演義ではかなり派手に描かれていますが、正史では大軍を率いて戦ったという記述は実はありません。漢中王即位時に前後左右の正式な役名を関羽らがもらっていた時に、趙雲の称号は翊軍将軍でした。これは雑号将軍と呼ばれるもので、正式な冠名からはランクが下がります。
正史に名前が残る優れた人物であったことを否定するものではなく、個人的にも好きな武将です。
槍の名手というあたりで利家と結び付けたこじつけであることをご理解いただければ幸いです。
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