現状の把握と改善案
吉法師殿の望みは、尾張を統一することだった。そりゃそうだ。尾張半国のさらに家老の家の嫡男である。信秀殿は津島と熱田を押さえることで、一陪臣ではありえないほどの経済力をもって実力者へとなりあがっている。しかし、実際の身分は守護代家の家老にすぎず、戦奉行として軍権をかなり委ねられてはいる。三河に対してはある程度実績があるが、美濃に攻め入っては負けを繰り返しているのが実情だ。
戦術面ではマムシ殿に敵わないということだろうかと思ったが、それは事実のほんの一面に過ぎない。そもそも、信秀殿に指揮権がない。戦奉行としての取りまとめはしているが、結局どこかの兵が釣りだされて撃破され、そのままなし崩しに敗走するパターンが多いようだ。
故に尾張国内での影響力の増加を図り、守護代を蹴落として取って代わる。このあたりが現実的なプランであろう。
三河方面の小豆坂の戦では、織田信光殿をはじめとする七本槍と呼ばれる勇士が奮戦したとされている。実際に小競り合いはあったようだが、今川方は岡崎を確保したうえで兵を退いた。というのが実情のようである。
そして次の年に控えている第二次小豆坂の戦いについてだ。ここで敗北を喫したがために三河方面での影響力が大きく後退する。その翌年、安祥城を落とされ、城主の身柄と引き換えに竹千代、すなわち俺の事である、が今川へと送られることとなった。
以後は信秀殿死後の弾正忠家の内紛でじりじりと三河から尾張国内へ戦線が後退してゆく。鳴海から少し北上すれば熱田湊はすぐだ。
熱田と津島は織田弾正忠家の生命線の両輪である。おそらく今川の側でも分析をしたのだろう。石高においては大きく劣る織田弾正忠家が今川家と曲がりなりにも渡り合っている、その理由をだ。
御所の修復費用で今川家と張り合えるほどの経済力。その根源は津島と熱田、そして伊勢湾交易の利益を得ていることにある。
故に、尾張の南側から徐々にでも蚕食し、津島、熱田のどちらかを奪えば、そこで詰みである。伊勢湾交易の利権を巡っての抗争。これが桶狭間合戦に至るまでの契機となったのである。
信長と言うと、若いころから天下の事を考え、天下人となるべく日々を過ごしていたと描かれることが多い。しかし、その信長も元服を控えた数えで十四歳である。現代でいえば中二だ。
後世の大英雄であっても、何年も先を見据えて日々を過ごすなど買い被りすぎであろう。無論、家督を継いだ後に自らが当主としてどうあるべきかなどの将来像は持っているだろうが。そもそも、尾張国内の抗争を押さえるために外征を繰り返しているのが弾正忠家の現状であった。
「先ずは何をすべきだと思う?」
吉法師殿の言葉は漠然としていた。後日のエピソードで、彼はものすごく言葉が少なく、その意を汲める者だけが重臣に列したとある。忖度ですねわかります。
「富国強兵を」
聞きなれない言葉に眉を顰める。実はこれでいて教養はすごくあるのだこの人。なんだかんだで書を読むのを好むし、漢籍なども多く修めている。
「それは一体?」
ずずっと寄ってきて耳を傾ける。近いよ。
「国を富ませ、兵を強くすると書きます」
その一言でぽかんとされた。
「当り前のことではないか」
その当たり前ができてないんだよな。そのことをそのまま伝える。
「しかし、実行できている者はおりませぬ。そもそも、尾張国内でも小競り合いを繰り返し、互いの力を削りあっております」
「うむ……」
痛いところを突かれて黙り込む。まあ、これについては吉殿の責任じゃないんだけどな。
「孫子曰く、戦わずして勝つが上策」
これは聞いたことがあったようだ。表情が明るい。
「どうすればよい?」
「戦っても勝てぬと思わせるのが良いでしょうね」
先を話せと目線で告げる。なんだかんだでアイコンタクトで意思疎通ができている。相性がいいのそれとも……?
「であるか。相手が抵抗をあきらめるほどの戦力を整えるということじゃな」
ここは同じ考えだった。そのための具体的な方法に移る。
「然り。まずは塊より始めましょう」
「ふむ?」
疑問を目線に乗せて返してくる。しかし、わずかな言葉で言いたいことが伝わるって楽しいな。
「吉殿の配下よりはじめるということです。那古野で生産力向上の手を打ちます。同時に兵を鍛えるにしても限界があります故、簡単な装備の変更からでいかがでしょうか?」
「聞かせよ」
「先ずは農具の改良によって野良仕事の効率を上げます」
「おぬしの時代の道具か?」
「いえ、そも技術格差がありすぎて再現できませぬ。故に、この時代でも再現可能なものにしましょう。それでもこの時代から50年以上先の道具ですが」
「ほう、楽しみにしておる」
うわ、丸投げする気満々だ。そういえば光秀の謀反はうつ病で自暴自棄になったって説あったな。ブラック企業で自殺する人に近いものがある。まあ、吉殿の家臣に適当に投げよう。
「次に武器を改良します」
「どのようにだ?」
「論より証拠。兵を100名ほど集め、模擬戦を行いましょう」
「もぎ?」
「試し合戦と言えばよいですかな?」
「なるほど。してどうするのじゃ?」
「竹槍で、片方は普通の長さ。もう片方はそれよりも長い槍を持たせます」
「ふむ」
「長尾家で採用されている長槍兵ですね」
「なるほどな。尾張の兵は腰が据わらぬ。不利になるとすぐ逃げだすと評判ゆえな。敵から間合いを離せば兵が怖気付きにくくなるか」
「概ねそういう意図です」
翌日、試しに叩きあいをさせたところ、槍の長いほうが必ず勝利した。吉殿はとても上機嫌で、三間半槍を手配しようとして平手殿に見つかり大目玉を食らったそうである。
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