松平葵と竹千代

 俺の名前は松平葵まつひらあおい。かの徳川家康の末裔の一人、らしい。本当の意味で戦国時代を終わらせた日本史上最大級の英雄だ。記憶が確かではないが、俺はいきなり家康の幼少期、竹千代になっていた。かと思えば急に意識が遠ざかり、竹千代の記憶を追体験した。そのまま宿所である加藤屋敷にて眠りについたはずが……

 俺は家康の人生を追体験していた。そう、この体に憑依するところまでをだ。夜半に目が覚めた。ということはだ、今お追体験も含めて夢ではないということだろう。まず、今意識が前面に出ているのは俺、松平葵だ。では家康の意識は? そもそも、おおもとの竹千代はどこに行ったのだ? 疑問は尽きなかったら誰も答える者はいなかった。


 そのまま数日が過ぎた。俺は連日のように吉法師殿に呼び出され、やれ遠乗りじゃ、やれ水練じゃ、相撲じゃと引きずり回された。彼は俺を弟のように扱い、俺の中の竹千代も彼を兄のように慕っていた。

 とりあえず日常を送るうえで、必要なことは竹千代の知識がその都度俺の脳裏に浮かび上がる。しかしたまに竹千代のものとは思えない高度な知識が現れることもあった。

 それはこの当時の尾張の勢力であったり、政治、戦術など、六歳の子供が語るにはいささか高度過ぎる内容であった。

 葵にもそのような知識はない。現代知識に基づいての知識はあるが、土豪の手懐け方などはさすがに口にするには問題があった。

 それでもぽろっと口から出ることもあったし、吉法師と話しているうちに本人が気づかないところでかなり致命的なことも口にしていたのだった。


 そしてさらに数日が過ぎた夜。加藤屋敷に吉法師が泊まると言い出した。

「平手の爺の顔が見たくないのじゃ。今宵一晩で良い」

 彼がこう言いだすともはや止めようがない。そのまま竹千代の部屋で並んで寝ることとなった。そして深更、吉法師の呼び声で目を覚ますことになった。

「すまぬな、竹千代よ」

「いったい何事ですか吉法師殿?」

「まず聞きたいのだが、お主は何者だ?」

「えっ!?」

「まず、竹千代は我の事を吉法師殿とは呼ばぬ。吉殿と呼んでいた。それに、負けず嫌いで、すぐ熱くなるたちでな。先日の相撲でお主が昏倒したのもそれが原因じゃな」

「……」

「なにも言う気はないか。我は初めてできた友を失いたくはないのだがな?」

 吉法師の静かな声色にはいろんな感情が秘められている気がした。疑念、恐怖、そして興味だ。

「礼法を学んだゆえという答えはいかがです?」

「ふん、我がここ数日ただ遊び歩いていると思うたか?」

「ええ」

「ぬっ!? お主、本当に遠慮がないのう。そのあたりは竹千代と同じじゃな」

「俺が別人だと?」

「ふん、語るに落ちたな。竹千代は自分の事を「儂」と言うておったわ」

「ふむ、では、ご理解いただけるかはわかりませぬが……」

「であるか、構わぬ、言うてみよ。まずそこを聞かねば判断のしようもないゆえにな」

 興味の色が強く出ている。仕方ない、今わかっている範囲で語るとしようか。

「まず、俺は竹千代であって、同時にそうではない。松平葵というものが入り込んでいる」

「その松平とやらは何者か?」

 平然と問い返してくる。ふつうなら物の怪の類かとかなるところじゃないのかね?

「未来より来たものと思われる。平成という元号をご存じか?」

「すべて覚えているとはさすがに言えぬが、聞いたことがないな。唐にもあるまい?」

「いまより四百年ほどの地の世の元号だ」

「ほう、それほど先まで帝の世は続くのか。日ノ本の民として喜ばしいことであるな」

「ってなんで平然と信じている?」

 さすがにこちらが驚いた。少しは驚くとかあってもよさそうなものだろう?

「竹千代が言うからだ。友の言うことを信じるにそれ以外の理由がいるのか?」

「……なんということだ」

「まあ、いろいろと聞きたいことはあるぞ。我が疑問に思ってすぐに問いかけられなんだはな、そなたの中にしっかりと竹千代がいるからだ」

「それはどういう?」

「そなたの立ち居振る舞いじゃな。仮に別人が化けたり影武者であったとして、まるきり同じというわけにはいくまいよ」

 そこまで観察していたか。そういえば普段から家臣のふるまいを観察していて、手柄をたてた者の名前を言い当てたとかいうエピソードがあったな。

「おっしゃる通り、時折自分以外の意識で身体が動いたり、話しているような感覚になることがあります」

「ふむ、であるか。おぬしが竹千代であると間違いないということはようわかった」

 物分かりが良すぎる吉法師に面食らいっぱなしだ。もっと騒ぎになると思ったんだけどな。

「して、俺をどうされるおつもりで?」

「そこよ。どうしてほしい?」

 まさか問い返されるとは思わなかった。

「ふふ、いつもお主に意表を突かれまくっておったからな。意趣返しができたというものよ」

「お人が悪い……」

「ふてくされた顔はそのまま竹千代じゃな」

 話が脱線しすぎている。とりあえず戻すとしよう。

「どうやって見破られました?」

「ふん、わからぬか。お主が尾張に来て日が浅い。それで犬の素性を言い当てるとか最初は魂消たわ」

「犬……? ああ、前田殿の事で?」

「よほど気の利いた密偵でも囲うておると思ったが、人の出入りも見られぬし、加藤に聞いても知らぬという」

「なるほど。うかつでしたな」

「まことじゃ。ちなみにな、そのときだけではないぞ?」

「なんですと?!」

「では聞かせて進ぜよう」

 その夜の話は明け方まで続いた。

 とりあえず理解したことは、しばらくうかつに口を開くのはやめようということだ。片手の数ではきかない失言の数々にそう思わされた。

 そして吉法師殿はドSだと確信した。

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