初陣
吉殿が元服の上、嫁を貰った。織田三郎信長と名乗りを改めるらしいが、俺には今まで通り吉殿で良いと言われた。
加納口の戦いで大敗を喫し、その敗北を必死に挽回を試みた結果である。美濃斎藤家も実は内紛の種があり、尾張との和睦は実は渡りに船であったようだ。
吉殿の嫁に来るのは、帰蝶姫。明智光安の娘、小見の方は絶世の美女と言われ、その血を引く彼女も美濃一の美姫であるという。
まあ、こういうのは景気づけのために大げさに言うことも多く、政略結婚だしなーなどと考えていました。
さすがに他国の人質である俺には婚礼に呼ばれるということはなく、儀式の間の3日間は自室にこもってあーでもない、こうでもないと思案を巡らせている。
そして、式が終わったと思われる翌日、吉殿が嫁を連れて現れた。
「おう竹千代。これなるが我が妻、帰蝶じゃ」
なんですかそのデレデレとした顔は。まあ、気持ちはわかる。きりっとした切れ長の瞳、唇は紅をささずとも赤く艶めき、黒髪は絹のような光沢を放っている。
意志の強さをうかがわせる凛とした表情は、吉殿と誠にお似合いであった。
「はじめまして、松平竹千代にございます」
「おお、そなたが殿の知恵袋かや?」
「……吉殿?」
思わずジト目でにらんでしまう。俺のことがばれたらやばいってあれほど言ったのに。
「帰蝶は我と一心同体じゃ。それゆえ問題ない」
うっわ、最後キリってつきそうなドヤ顔でのろけやがりましたよこの野郎。もげてしまえ。
「まあ、よいでしょう。今日はノロケに参ったのですか?」
「いつ我が惚気たというのじゃ?」
「現れた瞬間からですね。どんだけデレデレなんだよてめえ。リア充め!」
「リア……じゅう?」
「ああ、気にしないでください。帰蝶様」
「はい、わかりましたぞ。それとわらわの事は様を付けずともよい。竹千代殿は殿の身内なのであろ?」
「……承知しました、帰蝶殿」
「それでよい」
ぱあっと花の咲いたような笑顔を浮かべる。これ、吉殿が骨抜きにされるのがわかるわ。
「して、本題に入ろうか」
「……はい」
「初陣が決まった」
「どちらへ?」
「吉良大浜に今川の手勢が集まっておるので、叩けとの事じゃ」
「左様ですか」
「なんぞよい手立てはあるか?」
「平手殿の言うことに従っておれば全く問題はないでしょうに」
「それでは我が目立たぬではないか」
「ならば、一つだけ。細作は何人引き連れてゆきますか?」
「そうじゃな、5人ほどか」
「那古野から吉良大浜まで移動すれば、到着は夕方以降でしょう。というか、近辺の地形はご存知ですよね?」
「無論!」
ドヤ顔で言い放つ吉殿。なんかイラっと来た。
「では、このように。細作を放って陣内に潜入させ、火を放たせます。そこに夜襲を仕掛けましょう」
「ふむ、頃合いを見て退くのじゃな」
「そうです。繰り引きを上手く使ってください」
「槍衾を交互に敷いて敵の追撃をかわすのじゃな」
「で、適当な場所に兵を伏せて、横槍を入れれば敵を撃退できますよね?」
「ふむ、であるか……うむ、これで行こう」
「それともう一つ。論功行賞で、一番手柄を細作としてください。必ず手ずから褒美を与えることもしてくださいね」
「……そういうことか」
「です」
「うむ、では、また来る」
「しくじって首を取られるとか無しですよ?」
「我を誰だと思うておる?」
「嫁に骨抜きになっている三郎信長殿ですね」
「……仕方なかろうが。帰蝶は美しい故な」
「開き直りやがった……」
「ふっ」
ドヤ顔で言い放った吉殿に、おとなしく話を聞いていた帰蝶殿が音もなく近づき、ぶちゅーっといった。
「殿、嬉しゅうございます。わらわの事をそこまで……」
「帰蝶、帰蝶、我のものじゃ。誰にも渡さぬ……」
なんかそのままおっぱじめそうな雰囲気になってきたので咳払いをする。
吉殿は耳まで真っ赤になりながら、帰蝶殿を横抱きにして馬を走らせた。ていうか、懐に手を突っ込んでるんじゃねえ!
後日、吉良大浜の戦いの様が漏れ聞こえてきた。というか、その大将がドヤ顔で武勇伝を自慢げに語り始めたのだ。非常にウザかった。
論功行賞は那古野城にて行われた。戦に参陣した主だったものが集められている。俺? 吉殿の後ろで小姓に化けて控えているんだよ。
「皆のもの大義!」
「「「はは!」」」
「では一番手柄じゃ。名を呼ばれた者は前へ」
「「「はっ!」」」
俺だ、いや我だ、いやそれがしじゃと、互いに目配せを送りけん制しあう。ある意味健康的だね。わかりやすいし。
「細作の孫六! 前へ」
一番後ろになぜか呼ばれて控えていた細作たちがいた。その頭が呼ばれる。
「へ? 俺? いや、それがしにございますか?」
「そうじゃ、早く前へ来ぬか!」
「は、ははっ!」
「孫六、貴様の働き見事なり。貴様が命がけで敵陣に潜入し、火を放って敵を混乱させたこと、一番槍、一番首に優る大功である。よって、この感状と褒美の銭を授ける。銭は5人分ゆえ、お主の差配にて分けよ」
「ありがたき、ありがたき幸せにて……」
細作頭の孫六はもはや言葉にならない。別の意味で言葉にならないのが配下の武士の皆さんである。中には怒りに顔を真っ赤にして口をパクパクさせている者もいた。血管切れるぞ?
「若! 納得いきませぬ!」
「なにがだ?」
「このような卑しき者が一番手柄など、当家の恥にございますぞ?」
「何が恥じゃ、この慮外者が! そこまで大口を叩くならば、次の戦は貴様が敵陣に忍び込むがよい。手柄を期待しておるぞ?」
「そのような卑怯な真似はでき申さぬ!」
「タワケ。守りを固める敵陣に真っ向から挑みかかってどうするのじゃ? 孫子にも敵の弱きを突くが兵法の常道と書かれておるじゃろうが。貴様弾正忠家の武士として、まさか孫子を知らぬとか言わぬよな? そのようなタワケが家臣におることの方が恥じゃ!」
「ぐぬ、ぬぬぬ……」
「孫子ではこう言うておる。密偵、細作を最も重視せよとな。貴様は目隠しをして戦いに勝てるか? こやつらはのう、命を顧みず敵陣に潜み敵情を探ってくる。此度のように敵を崩す役割も果たす。そのことで、我は貴様のような勇士を失わずに済んでおる。ということじゃ」
「は、はは……」
「死を恐れずに戦うことと犬死は別物ぞ。細作の皆が命を懸けてくれることで、貴様らを生かすことができておる。いくら戦に勝ったとしてもそのたびに貴様らのような勇敢な者どもを失っておっては算盤が合わぬのだ。そこを理解してくれ」
「はっ!」
よく見ると、平手の爺様をはじめとして感涙に̥むせいでいる。実にむさくるしい光景だ。
吉殿は、戦働きをする武士以外でも、こういった軍を支援する者を大事にせよと言い出した。敵の強気を挫き、弱きを探り出す。効率の良い戦い方が出来るようになると良いな。
そういえば、先日の勘十郎殿が、吉殿の横で熱心に話を聞いていた。横にくっついている権六殿が必死に筆を走らせている。
会議にメモを取るとは実に関心だな。などとのんきに構えておりました。
翌日、吉殿が父上である信秀殿に呼び出されたのであった。そして俺もいやがおうにも表舞台に立つことになるのである。
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