第3話 『食欲に負けて』

 事件が発生したのは、つい今し方。

 先に牛丼を確保し、間髪入れずに相方の味噌ラーメンを手に取ろうとして。


「あっ……」


 目の前で、私の味噌ラーメンが奪われた。

 私よりも早くその商品を手に取ったのは、若い男の人。

 思わず声が出てしまった。

 それもその筈、味噌ラーメンは残り一個。

 最後のひとつを、取られてしまったのだ。


 すると、その男の人は首を傾げて。


「なにか?」


 そう聞かれて、私は慌てて首を振りつつ、俯いて。


「な、なんでもない、です……」


 悔しいが、引き下がるしかなかった。

 なにせ私の片手には既に牛丼が握られている。

 それを持ったまま、味噌ラーメンまでもを求める自分が、あまりに浅ましく思えた。

 こみ上げる羞恥に耐える私を、彼は怪訝な視線で暫し眺めた後、レジに向かった。


 私もその後ろに並び、彼の後で会計を終え、とぼとぼ店を出る。


「はぁ……」


 ついてないな。

 この日の為に、一週間仕事頑張ったのに。

 しょんぼりと肩を落として、ため息を吐くと。


「もしかして、これが食べたかったのか?」

「へっ? あ、いや、その……」


 店の入り口に、さっきの若い男が立っていた。

 温まった味噌ラーメンの入った袋を掲げて、食べたいのかと聞いてくる。

 私は即座に否定しようとしたが、袋からただよってくるスープの香りに、負けた。


「……食べたい、です」

「なら、ついて来いよ」


 食欲に負けた私は促されるまま、彼に付き従う。

 そして、駐車場の端まで来たところで、彼が手に持っていた車のキーを操作。

 私の車の隣で、ウェルカムハザードが点灯した。


「乗れ」


 ドアを開けて、車に乗れと言う。

 しかし、これは如何なものか。

 知らない人である上、男の人の車に乗るのは流石に怖い。

 さすがに、不味いのではないか。

 ちょっとした身の危険を感じて尻込みする私に、彼はまたレジ袋を見せつけて。


「早くしないと、ラーメンが冷めるぞ」


 その脅迫に、私は屈服。

 完全に言いなりとなって、座席に座った。

 彼も乗り込んで、隣に座り、レジ袋から商品を取り出す。

 私も牛丼のふたを開けると、美味しそうな香りが車内に充満した。


「先にラーメンから食べるか?」

「……いい。牛丼から食べる」

「なら、食べたくなったら言え」


 良い匂いで幾分か気持ちが落ち着いて、おっかなびっくりやり取りを交わした。

 何口か牛丼を味わい、すぐにラーメンが食べたくなる。

 しかし、なかなか言い出せずにいると、彼はそれを察して。


「食べたいのか?」

「……うん」

「じゃあ、交換しよう」


 そう言って、私にラーメンを押しつけ、膝の上に置いていた牛丼を攫う彼。

 とはいえ、文句はない。

 ラーメンを食べさせて貰う以上、その代償として牛丼を差し出すのは覚悟の上だ。

 むしろ、こちらだけ施しを受けるのは、心苦しいとも言える。

 だから、交換したことで気兼ねなく、私はラーメンに舌鼓を打てた。


 うん、やっぱり美味しい。


 コンビニの味噌ラーメンに満足して、ふと疑問が浮かんだ。

 あれ? このお箸は誰の物だろう?

 私のお箸は牛丼に添えたまま、彼に取られてしまった。

 すると、この箸は、恐らく。


「げっふぉっ!? ごっふぉっ!?」

「ど、どうしたんだ!? 大丈夫か!?」


 衝撃的な事実に気づいて、盛大にむせると、彼が水を差しだした。


「とりあえず、これを飲んで落ち着け」

「あ、ありがと……」


 恐縮しつつ、水を飲んで、また気づく。

 あれ? このお水、飲み口が開いている。

 ということは、つまり。


「ぶっふぉっ!? がっふぉっ!?」

「今度はどうした!?」


 同じ過ちを二度重ねて、危うく鼻から麺が飛び出すところだった。

 もうこの際だから、気にしないことにする。

 彼だって全然気にしてないようだし、私だけ狼狽えるのは不公平だ。

 そう思って、ぐびぐびお水を飲んだ。

 

 それが間接キスであると自覚しながら、私は開き直ることにしたのだ。


「……ご馳走様でした」

「もういいのか?」

「うん……ありがとう」


 その後、手早く食事を終えて、車を降りる。

 一応、感謝の言葉を口にすると、彼は柔らかに笑って、手を振ってきた。

 私もそれにつられて手を振り返して、走り去る彼を車を見送る。


 また、会えたらいいなと、思った。

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