【 Page.7 】

「まあ合格だな」


 職員室。対峙しているのは他でもない芽衣ちゃん。俺は約束通り、進路希望表を提出しに来ていた。その紙きれにはただ一言、「作家」と描かれている。そうしておけば学校側に怪しまれないという、霞音からの助言によって半ば強制的に書かされたのだ。まあ、現在も作家ってことになっているのだから、おかしいといえばおかしいけど、宇宙飛行士よりかは何億倍もマシだろう。

「本当にとりあえずでもいいんだな……」

 というか、これは具体的な志望校の名前を書くものではないのだろうか……。

「あったりまえだ。これで学年主任に文句言われないで済むからな」

 だから、この人はそういう話を何故職員室でできるのだろうか。精神図太すぎだろ。

「ほれ、鍵」

 芽衣ちゃんが部室の鍵を俺に手渡してくる。進路希望表を出すついでに部室の鍵をもらってくるように霞音に言いつけられていたので、それをそのまま受け取る。

「どうだ、原稿の方は」

「……まあ、それなりには」

 はっきりと不調ではないと、断言できる時は多分調子はいいほうなのだと思う。順調と断言するのはとても難しいが……。霞音ケツ叩きのせいでもあるし、わりとガチで焦っている。という要素たちもいい方向へ働いているのだろう。

 まあ、この世界には締め切りを厳守どころか、前倒ししまくって編集さんの仕事が追いつかなくて二人体制になる、なんて作家もいるらしいからな。本当に人それぞれだとは思う。

「それはよかった。……私の面子にも関わるからな」

 さすがに後半部分の発言はマズイらしくて、芽衣ちゃんが小声で俺にしゃべりかける。

「大筋と構成はとりあえず簡単にですが、最後までは固まりました」

「それはいいことだ。おそらくそこが一番大変だろうからな」

 それに、と含み笑いを浮かべた芽衣ちゃんが続ける。

「御託を並べるのは君の得意分野であるだろうから、ページを埋めること自体は造作もない事だろう」

 失礼極まりないと思うが、正直否定はできない。霞音といい俺を悪く言わなきゃ気が済まないのかこの2人は。

「まあとにかく、頑張れ」

 そういって芽衣ちゃんは踵を返し自分のデスクに戻ろうとする。

「……あ、あの」

 俺はもう一つ用事があった事を思い出し、芽衣ちゃんを引き止める。

「ん? なんだ?」

「いや……その……」

「……なんだ、らしくもない。何か用件があるのだろう?」

 芽衣ちゃんが珍しく歯切れの悪い俺に、怪奇な目を向ける。

「いやその……、霞音の好きなものってなんですかね……?」

「何故、そんな事を聞く? ……………………ほーぅ?」

 少し考えたのち、何か気づいた様子の芽衣ちゃんがあからさまにニヤける。

 昨日心羽に「そこまで悩むんだったら芽衣子さんに相談したら?」と言われたので不本意であるがこうして訊ねているのだが、その不快極まりない表情を見て凄まじく後悔する。

 俺は悩んでいるわけではなくて、何をあげればいいのか、さっぱり見当もつかないだけだ。心羽に言わせればそれは悩んでいるのと同義であると言われたが。

「どうした? 幼馴染のお前が近所のお姉さんに頼るなんて珍しいじゃないか。どういう風の吹き回しだ?」

 辞書に「嘲笑」という言葉と共に図掲載をしてやりたいほど憎たらしい顔を浮かべてる。やっぱり芽衣ちゃんなんかに頼むんじゃなかった。というか、絶対目的わかってるだろ。

「……いや、そのですね、妹が霞音の誕生日にまともなものをくれてやれって言ってるのですが、まともなものが何なのか検討もつかなくて……」

 いかん、芽衣ちゃんにけしかけられているせいで、まともな敬語をしゃべってしまっている。不覚だ……。

「そうか、そうか。それは由々しき問題だなぁ」

 うっわ。すっげぇムカつく。

「うーむ、しかし、その疑問に答えることは容易ではないな……。読書、といっても納得はいかんだろう?」

「そりゃまあ……わかりきってる事ですからね……」

「去年は何をあげたんだ? まともな、と言ってるからにはまぁ渡してないってことはないだろう?」

「去年は栞をあげましたよ、妹には大ブーイングされましたけど」

「……ほう、あれはそういう事か、通りで」

「え? なんですか」

「なんでもないさ。とにかく大前提として、基本プレゼントならなんでもよろこんでくれるだろう。あの子はそういう子だ。だが今年は、栞よりかはもう少し高価なものをあげてもいいんじゃないか? 贈り物の本分は値段でないが、やはり少しぐらい特別なものあげたほうがいい。あとは、同じような理由で形の残るものがいいだろう」

 って事はウエハースはだめなのか、喜びそうなのに。

「だから、お菓子をあげるなんてヘマはするなよ」

 心の中を見透かしたように釘を刺される。エスパーかよ。

「あとそうだな。霞音は猫が好きだぞ。残念ながら霞音自身がアレルギーだから飼ってはいないけどな」

 霞音の処女作を思い出す。あれは好きな動物を題材にしたものだったのか。というか猫アレルギーだなんてことも初めて知った。そういえば狙ったわけではないけど、去年あげた栞も猫モチーフだった気がする。あんまり使っているところを見た事はないが。もっと昔は何をあげてたっけな、あまり思い出せない。すごく小さい頃は親と一緒に選んでた気がするけれど。

「そうだ。何か小説の執筆に役立つものを考えて見たらどうだ? あいつは最近そればっかりだからな」

「あー、なるほど」

「あと、プレゼントをあげるだけではなくて…………おっと」

 芽衣ちゃんがいきなり口をつぐむ。

「どうしたんですか?」


「……どうしたは、こっちのセリフなんだけど」


 背後から突如聞き覚えのある声が響く。

「遅い、何してんの」

 ……ああ、そういえば、霞音を待たせていたようなー……、振り返ると予想通り、大変ご立腹な様子の霞音が立っていた。すげー怒ってるぅ……。

「いつまでたっても部室が開かないから来てみれば、こんな暖房がバッチリ効いたところでおしゃべりなんていいご身分ね。廊下、めっちゃ寒いんだけど」

 うわー。どうしよう……。

「あー、……。いやー……」

「すまないな霞音。こいつは悪くない、私がクラスの用事でこいつを引き止めていたんだ。もう話は終わったから鍵と一緒にこいつも持ってってくれ」

 【悲報】夜見河尋翼氏、鍵と同一に物扱いされる。

「ふーん…………まあ、それなら、しょうがないか……」

 芽衣ちゃんのおかげで霞音は渋々納得してくれたようだ……。不機嫌になると原稿の進み具合によっては家に帰してくれなくなるからな……。助かった。芽衣ちゃんナイス。

「じゃあさっさといくよ。わたしの原稿終わってあとはとりあえず君だけなんだから」

「仰せのままに……」

 原稿もそうだが、もうあまり20日まで時間がない。早く考えないとまた心羽にどやされてしまう。


「部室、寒……。ストーブーストーブー。」

 部室を開けると調子外れの歌を歌いながらたちまちストーブへ向かう霞音。

「あ……」

「……どうした?」

「昨日、灯油切れたんだった……」

 そういえばそうだった。もう部活も終わる頃に切れたから明日でいいか、とすぐ帰ってしまったのだ。っていうか校舎がこんなに新しいのに何で未だに石油式ストーブなんだよ。エアコンにしろよ……。いや普通の教室はエアコンだが。

 芽衣ちゃんによると部室など小さい部屋にはもったいないから昔使ってたストーブが再利用されているらしい。ちくしょう、学内事業仕分けかよ。

「最悪……」

 これは、俺が取りに行くんだろうな……。

「ねえ」

「わかったわかった、取り行ってくるよ」

「いや、その間ずっとこの氷河期みたいな部室で待たせる気?」

「それはしょうがないだろ……俺にはどうしようもない」

「そんなことはない」

「どういうことだ……?」

「コート」


 コート?


「君が着てるそのコート。取ってくる間貸して」

 ……は?

 補給する場所……。校舎の外なんですが……。

「いいじゃん、今までエアコン効いてる職員室にいたんだから、平気でしょ」

 声に出さずとも俺の文句はお見通しのようで先回りされた。……せっかく芽衣ちゃんの気遣いで機嫌直してくれたのにここで損ねてしまうわけにもいかず、俺は着ていたコートを霞音に渡してポリタンクを携え部室から出る。うわ……、やっぱさみぃ……。さっさと行って帰ってこよう。

 階段を下って一階にたどり着くと図書室が見える。

「あ、夜見河くん」

 声をした方に振り返るとその主は佐々木さん(よし、ちゃんと覚えてた)だった。

「どうも」

「あの本、返しにこないけど読めてる?」

「あー、いや、忙しくてまだ。期限までには絶対」

「忙しいの? バイトかなにか? あんまり無理しないようにね」

 佐々木さん(覚え……いい加減クドイ、やめよう)が心配してくれる。久々に人の優しさに触れた気がする……。

「部活ですよ。文芸部で色々あって新人賞に送る原稿を書いてて……」

「へえ! それは初耳! 昼陽中さんも?」

 やけに強く食いついてくる。司書さんだからだろうか。

「……まぁ、そんなとこです」

「素敵! 完成したら見せてよ!」

「まあ……恥ずかしい出来じゃなければ」

「この世に恥ずかしくない創作物なんてないよ。そういう物は人に見せて評価をもらって初めて意味を持つものなんだから、それに私、これでも司書さんなんだから適切なアドバイスだってできるかもよ?」

「はぁ……」

「らしくないこと言っちゃったかな? とにかくがんばれっ。応援してるよ」

 そう言って図書室の中へ消えていく佐々木さん。…………いかんいかん、早く部室に戻らなければまた霞音の機嫌を損ねてしまう。俺は立ち話をしてしまった時間を取り戻すように少し小走りで給油庫へ急ぐ。



「…………」

 部室へ戻ると自分と俺のコートで身体を包み、寝息を立てている霞音がいた。

「人に極寒地獄を味わせておいて、ぬくぬくお休みかよ」

 自分を激しく棚に上げた瞬間、テーブルの上に置いてある茶封筒の存在に気づく。中にはかなり分厚いA4サイズの紙の束。その紙束の一番上にはシンプルなフォントで『きみの血はなに色か。 第一稿』と書かれている。

 そういえば、職員室で霞音は原稿が完成した。と言っていた。昨日の時点ではまだ完成していなかったはずだ。もうすぐ完成しそうとは聞いていたが、本当に完成したとは驚いた。てっきり宇宙人とクリームパンがタイトルなのかと思ったらそうじゃないらしい。

 というか全部プリントするとこれほどの厚さになるのか……、すごいな。よく見るとその横に小さい紙でメモがしてあった。

『完成原稿。今読んでもいいし、帰ってから読んでもいいし、好きにして。感想よろしく。少し寝させて』

 珍しく爆睡していると思ったら、昨日これを完成させるために徹夜だったのか。当然幼馴染は労ってやるものというのが自分の中の掟なので、(我ながら適当なことを言っている)そのまま静かに寝させていてやる。問題は——、


 今一度、その原稿に目を向ける。


 ……これ、いつ読もう。きっとこの分量だといくら俺が本を読むのが早いといっても部活終了までに読み終わる自信が無いな。少し悔しいが、中途半端になるのは嫌なのでこれは持って帰って読むことにしよう。

 そう決めて、定位置に座り執筆を始めたが、なかなか調子が乗らない。うーむ、今から切り替えて霞音の原稿読むのも微妙だしな……。




「……わからん」

 30分ほどスマホを使い通販サイトを使って霞音にあげる誕生日プレゼントを色々探し回ってみたが、納得いくものは見つからなかった。

 思えばこいつが好きなものなんてあんまり知らないんだな。好きなアニメとかキャラとかならわかるけれど。……そういうことでもないんだよな。

 うーむ、芽衣ちゃんは執筆に役に立つものと言っていたが、あまり思いつかない。


 まあ、息抜きにもなったし、原稿に戻るか。俺も早く完成させないと。

 インターネットを閉じ、テキストソフトを起動させる。


 彼女を追いかけるように、俺は言葉を紡ぎ続ける。

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