第5話 大丈夫、マンペンライです。

 鈍子は悩んでいた。


 またもやその種を蒔いたのはブーミンだ。

突然民泊を始めると宣言したブーミンが

   必要書類の提出を鈍子に命令し、HPを作った。

  「モニターとしてホームステイを2組受け入れることにした」

 鈍子が驚く暇も与えないまま、

      ブーミンが出した広告に早速応募があったそうだ。

  

 ブーミンは何処で調達してきたのか日付入りのホワイトボードを

                    自転車部屋に置いた。

  「なにこれ、来週、馬さんと王さんって」

        さすがに鈍い鈍子でも気がついた。

  「決まっているだろう。明日、池袋にいくぞ」

 ブーミンは時々、話の繋がらないことを言い出す。

  悲しいかな順応性の高い鈍子は数日でそのペースに慣らされていた。


  でもさすがに今日のは理解不能だ。

  「お前は馬鹿か。中国人がくるんだぞ、その前に中国人街に顔が利く

          雪梅(シュエメイ)に引き合わせると言ってるんだ」

 それで、今日もまた鈍子が口を尖らせて抗議することになっていた。

  「そんなのさっきからの流れで分かるわけないじゃん。

                     だいたいブーミン勝手だよ」

 ブーミンは不思議そうに鈍子を振り返る。

  「鈍子が主張しなさ過ぎだ。オレは中国人にも自己中と言われたが、

                 どういう意味だかさっぱりわからん」

 鈍子もとうとう頭に来た。

  ドアを開けてブーミンのスーツケースを放り出す。

  「出てってよ、もう。おじいの頼みだって無理だよ」

 ブーミンは驚いた風でもなく、自分のリュックを持ち、

               スーツケースを転がして、出て行った。

 鈍子はおじいの遺影に話しかけた。

  「おじい、ごめんね、私は変われないや。いくら愛想を尽かしたって

          言ったって十歳の子供を寒空に追い出しちゃった……」

 おじいの遺言書をじっと見つめて物思いにふける鈍子。

 

   コンコン

 開けっ放しの扉をノックする音が聞こえた。

  開いた扉に寄りかかって、腕組みをしたアリャが立っていた。

 「空気の入れ替えですね、ドンコ」

 鈍子は今にも泣きそうな顔でアリャを見た。

 「あらまあ。マンペンライよ」

アリャは鈍子の髪を撫でる。

 「マンペンライ?」

 「そう、私達の国タイでは、いいことも悪いこともマンペンライ。

                    問題ないって意味デス」

鈍子がアリャに手を合わせた。

 「マンペンライ……いい言葉ね」

 「鈍子、今日夕飯食べに行かない?」

パクチーが苦手な鈍子は黙ってしまった。

  アリャとご飯を食べに行くと必ず入っているお店だから。


アリャも毎度の鈍子からの苦情で学習したようだ。

 「大丈夫、パクチー入っていないから」と、

             聞く前から教えてくれた。

 「うーん。今日は、家にいた方が」

 「そんなの何とかなるって、五時半に迎えにくるから車出してね」

来た時と同じ様にアリャは唐突に帰った。

「んもう、やっぱり主張しないと損する」

 鈍子は土間を片付け始めた。


夕日が店の中に入ってきたかと思うと、ストンといきなり日が落ちた。


 鈍子は軽トラを通りに出して路駐し、

     アリャのアパートの薄いドアをノックした。

 アリャのうちはアパートの1階の階段の影に入口があった。

 「入ってください」

扉を開けた鈍子は一瞬ひるんで固まる。


 部屋の真ん中の見覚えのある饅頭の様な影が胡あぐらを書いて座っていた。

 

鈍子をみると、座ったままのブーミンが、

          何ごともなかった様に鈍子に右手を挙げてみせた。

 「言ったろ、雪梅に会いに行くよ」

口を開きかけて鈍子は黙り、抗議の顔をアリャに向ける。

 アリャは鈍子の肩をポンポンと叩く。

 「どうしても呼んで欲しいとブーミンさんに頼まれましたです。

   それにブーミンさんは住んでいなくてもドンコの家で

                       民泊を始める気ですね」


鈍子は呆れ顔でブーミンを軽く睨んだ。

 「やるんなら、責任を持ってうちに住みなさいよ」

                とブーミンに仁王立ちしてみせる。

ブーミンは肩をすくめた。

 「やれやれ、コロコロ変わって勝手な女だ」

言ってやったつもりがブーミンに自己中呼ばわりされて鈍子が目を剥く。

 ブーミンはそれも意に介するわけでもない。

 「さあ、予定通り池袋に行こう」

 「私も、ゴッドマザーに会っていいの?」

アリャがウキウキしてさらに厚化粧をした。

 「誰?」

 「ドンコ何も知らないのね、雪梅は中国人街のドンですよ」

 「ドンにドンコを会わせる」

ブーミンの呟きに大ウケするアリャ。

 「ブーミンさん、オヤジギャグ上手です」

 「行きゃあいいんでしょ、行きゃあ」

軽トラックの鍵を出すドンコは大きくため息をつく。ドンコの運転する軽トラックは助手席にギュウギュウにビーミンとアリャを乗せ、静かに動き出した。 

 「ちょっと怖い」

前を見て運転しながらドンコが呟いた。

アリャがしたり顔で頷く。

「大丈夫、大丈夫、マンペンライです」

 そとはとっぷり日が暮れていた。


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