第3話 蒼井サイクル兼業を始める

 鈍子とブーミンは頭をつき合わせていた。


 「これが宝の地図だったらいいのに」

 「宝の地図だろ、どう見ても」

 「ブーミンにとってはね。私にはボツになった論文に見えるよ」


2人は正蔵の遺言書を覗き込んでいた。

 「ブーミンと一緒に暮らしてねって書いてあるよ、ドンコ」

 ブーミンが文書を指差す。 

 「うそ。勝手なこといわないでよ…本当だ」


 ブーミンは満足そうに鈍子の顔を見上げる。

「もうひとつ、店のことはブーミンを顧問にするって……

               なにこれブーミン。

             ブーミン、何か知ってるんでしょ」


 ブーミンは鈍子の戸惑いをどこ吹く風と、蒼井家の中を物珍し

                     そうに見回し始めた。


  蒼井家は昭和のレトロな作りで、1階の居間には大きな柱時計と

 四角い火鉢があった。

  木製の階段の下には民芸調の階段簞笥が奇麗に収まっていた。


 まるでドラマにでてくる『芸者の置屋の母さんの部屋』の様だと、

            子供の頃から訳もなく鈍子は思っていたものだ。

 おじいは何でこんなレトロな家を自転車屋を始めようと思ったのだろう。

  「2階は?」

 階段の板を軋ませて2階に上がるブーミン。


   急に辺りが静けさに包まれた。


  「ブー?ブーミン?」

 返事がない。

  不安を覚えた鈍子も階段をかけ上がった。

 2階の4部屋を繋ぐ板張りの廊下を、各部屋を覗き込み、

                鈍子はブーミンを探した。


  一番奥の十畳の畳部屋の真ん中にブーミンは

             大の字になって横たわっていた。

 「昼寝って子供か?」

 鈍子は吹き出してブーミンの頬を突つく。

 「失敬な。瞑想している」

 大真面目に答えるブーミン。


  その姿は中華料理の厨房で丸焼きになるのを待っている

            まるまると肥えた子豚のようだった。


 「自転車の修理は当面オレがやるとして」

ブーミンは勝手に宣言した。

 「それだけでは立ち行かない。兼業を考える」

 鈍子は仁王立ちしてブーミンを見下ろすが

              だんだん心配になってきた。

 ゆっくりブーミンの顔を覗き込むと恐る恐る鈍子は尋ねた。

  「本当に住みつく気?」

 ブーミンは鈍子の問いをスルーして問い返した。

  「お前、何か得意なことはあるのか?」

 鈍子は自分の学生時代を振り返る。

  球技は…苦手な子供だった。

 大体が団体競技は性に合わない。

  私は何をしてきたっけ……


 鈍子は幼い頃母を亡くして、おじいに育てられた。

  母は、シングルマザーで鈍子を産んだが、

    父親が誰だか母本人以外、誰も知らなかった。

 エキゾチックな顔立ちの鈍子は性格がボーッとしているので、

      そのことも特に気にしないで生きてきた。

 ロシア人に似ているんじゃない?と中学時代には噂になった。

   しかし鈍子も父親を知らないのだから答え様がなかった。


 モテモテのおじいは、孫を放任主義で育てた。

 そのせいか、ちょと浮世離れして育った鈍子は

         同世代の友達と足並みを揃えられなかった。

 クラスでも目立たない方だった。

 唯一、留学生達とはもとから異文化だから、

           波長が合ったのか直ぐに仲良くなった。


 学生時代は理学部で100人のクラスに女子は鈍子だけだった。

  休み時間に男の子たちと雀荘に行った。

 カフェに行ったりする、女子っぽい生活はしたことがなかった。

  実験していた時も、鈍子はよく失敗をして遠心分離機を壊したものだ。

 遠心分離機は洗濯機よりも大きかったので、

          壊した時は飛行機が墜落した様な爆音だった。

 普段、教授室からお出ましにならない教授が、

       血相を変えて飛び出してくるのを初めて見たな

             ……とつらつら鈍子は思い出していた。


 鈍子は驚いた様にブーミンを見る。

 「ホントだ、私、何にも得意なことないよ。

                留学生と仲良くなることくらい」

 「留学生と?」

 「私、日本人だけど、皆と同じが出来ないんだよね」

 「鈍子は自己中なのか?」

鈍子が呆れ顔で眼をむく。

 「ブーミンに言われたくない」

ブーミンが不意に眼を開け指を鳴らした。

 鈍子はビクッとする。

「怒ったの?」

「それだ。2階で民泊をしよう」

 真の自己中ブーミンは鈍子の心の動きなどには全く無関心のようだ。

 

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