第2話 神楽坂の白いバラ

  「でっ。おじいにはいつ会える?」

ブーミンは当然の様に土間にあぐらをかいて鈍子に尋ねた。

 鈍子は無言でブーミンを引っ張って家の奥へ連れて行き、

 仏壇の前に座らせた。

 おじいの遺影を見て少し驚いたブーミン。

  辺りを見回していたが鈍子が遺影に手を合わせるのを見て

                  まねをして手を合わせる。


  「おじい……」深く溜息をついたブーミンは鈍子に向き直ると

 リュックのポケットから小さく折り畳んだ紙を取り出した。

  「これ、戸籍謄本」

 見せられて鈍子もその紙を覗き込む。

  「じゃあ本当なんだ。ママは?」

  「結婚したの。中国人の金持ちと。おじいに面倒かけちゃ悪いから」

 大きく頷く鈍子を不思議そうに見るブーミン。

  「だって、ブーミン、中国の富裕層の子供にいそうだもん」

 ブーミンは立ち上がって抗議した。

  「ひどい。デブっていうな」

   まだ言っていないと小声で鈍子は言った。


  「オレはおじいの方が好きだったから、こっちに来ちゃった」

 澄ました顔でスーツケースから羊羹を取り出し居間に座って食べ

         始めたブーミンは手真似で鈍子にお茶を要求した。

  「あんたさあ。自転車屋やっていけんの?」

 ムッとする鈍子。大きなお世話。

  「オレが修理担当してあげるから続けなよ」

 完全にブーミンのペースにはまっている。


頭を冷やそうと台所にお茶を入れに言った鈍子は大きく深呼吸をしていた。

 ブーミンが勝手に蒼井家の黒電話を使う。

  「アロ。ジュマペール、ブーミン。ウィウィ。おじいの替わりにいくよ」

 お茶を入れて居間に戻った鈍子に、羊羹をちぎって渡すブーミン。

  「車はあるんだろ、これ食べたら行くよ。営業しておいたから」

  「何の話?何処に行くの?」

  「神楽坂に決まってるだろ、アランの自転車のブレーキ交換がどうも上手く                    できないって相談されていたんだ」

  アラン?誰?

 軽トラックの荷台に修理用具一式乗せると、

  鈍子はブーミンを振り返った。

 ブーミンは澄まして助手席によじ登った。

  車は危なっかしく動き出す。

 鈍子は運転しながらブーミンを盗み見る。

  「ママとおじいはどこで知り合ったの?」

  「錦糸町のフィリピンパブ」

  「ブーミンのママはフィリピン人なの?」

 ブーミンは頷く替わりに自分の顔を鈍子に向けた。

  「いやーどうみても中国の子供だわ」

 鈍子の感嘆を無視してブーミンはおじいと一緒に写っている

                    写真を取り出した。

  「おじいはよく鈍子の話してくれたよ」

 驚いたことに、おじいはブーミンとディズニーランドによく

                    行っていたらしい。

  「お揃いで年パスなんか持っちゃって」

 写真を見て不満そうに口を尖らせる鈍子。

  「集中して運転してよ、あんた」

 車は大久保通りの急な坂を登り、簞笥町の方へ緩やかに下る。

 ここ?鈍子は大きな門の前で車を止めた。

  レオンに出てきそうな、影があるちょい悪オヤジのアランは、

 大きな身振りで鈍子にハグをした。

  「ショーゾーのお孫さんだね。美しい」

  「本気にすんなよ、ドンコ。フランス人が女を褒めるのは挨拶

                   みたいなもんだから」

  毒づくブーミンにアランが続ける。

  「ブーミンもソーキュート」

  ブーミンの髪を撫でるアラン。

 照れたブーミンは挨拶もそこそこにアランの自転車を点検し始めた。

  「あっ、ここ。ブレーキシューの左右が違う」

  「あー。本当だ。ブーミンは腕がいいね」

 アランとブーミンはフランス語で会話し始めた。

 チンプンカンプンの鈍子は、ブレーキをつけるブーミンの手元を熱心に見る。

  「ショーゾーはフランス人より情熱的だった。亡くなったなんて残念だよ」

 アランは大げさに哀しみをあらわにし、1本の白いバラとともに

                       鈍子に一通の手紙を渡した。

  「これは?」

  「ショーゾーから託されていた、彼の遺言状だよ。

           ショーゾーはドンコのことを本当に気にかけていたよ」

 おじい。神楽坂にかかる夕日が眩しいふりをして、

 鈍子は何度も瞬きをして涙を飛ばした。

  帰り道、助手席でうとうとするブーミンに微笑む鈍子。

  「分かったよ、とりあえず今夜はうちに泊まっていきなよ」

 思わず鈍子が呟くと、眠っていたはずのブーミンが、目を瞑ったまま答えた。

 「当然だろ。あと、途中でモーターバックスに寄ってチャイルドシート

                             つけといてね」

 あっけにとられる鈍子を横目にブーミンが眼を開け、にやりと笑う。

 「オレ、こう見えて140センチないからあぶないじゃん」

 「全然可愛くない〜」

 ハンドルを握りしめ荒々しく急カーブを切る鈍子だった。

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