下町こんしぇる

凧原 規容子

第1話 ブーミンとは

おじいが死んだ。

 日が短くなくなった2月の寒い日、日暮里から谷中銀座に降りる

夕焼け段々が橙色に染まる夕暮れ時だった。

 祖父の蒼井正蔵、通称おじい。

永遠の女たらしはその死に方も、らしかった。

 20歳も年下の老人会の仲間とバレンタインチョコの数を張り合った。

 もらったチョコ食べ過ぎて鼻血が止まらなくてそのまま大往生。

 身内としては、恥ずかしいにも程がある。

蒼井鈍子は仏壇に手を合わせながらそんなことを思っていた。


 「ドンコ、これからどうするですか」

お隣に住むタイ人のアリャは気のいいおせっかいニューハーフだ。

 「どうするって」

 「おじいの自転車屋続けるの無理。チョー不器用なドンコでは。

  また髪を引っ張るか」

 鈍子は自分の髪の毛を思いっきり上に引っ張っていた。

 困ったとき髪の毛を引っ張るのは鈍子の悪い癖だ。

 ハゲ散らかしていたおじいに、しょっちゅう「粗末にするな」

 と笑われていたっけ。


 女にめったやたらにモテた80年のおじいの人生で彼が一番

 愛したのは自転車だった。

  鈍子にはここ鴬谷の『あおいさいくる』の店舗兼自宅だけが残された。


 「就活終わっていないのに来月卒業でしょ。

   まさか、おじいの脛を食べるつもりでしたか」

 「脛をカジルつもりだったけど、そうも行かなくなったね。

   ここを売るか、ママチャリを売って暮せるか、どうしよう」

 「おじい、修理名人だったからね」

  アリャも一緒になって自分の金髪を引っ張る。


 「シュールな画だね」

一輪車を抱えた小木曽まほろが、丸々太ったアジア顔の子供を連れて

店頭に立っていた。


 「ほらドンコ、お客さんよ。いらっしゃいませ。

               お子さんの自転車をお探しですか」

 「あー。ちょっとアリャ!勝手にお客を受けないでよ」

 口では文句を言いながら、鈍子も思わず。小木曽に駆け寄る。

  小木曽は9:1分けの前髪にデニムベストに短パン姿の小柄な男で、

 一輪車が凄く大きく見えた。

 「これはお子さんでも何でもないし、ワシは自転車買いに来たわけで

  もない。名人は?」

 アリャと鈍子は顔を見合わせ黙り込む。


「えっ病気かよ。何処の病院?」

いきなり子供が日本語で会話に参加してきて鈍子はギョッとして子供を見る。

 「えーと?僕は一人?お母さんは?」

「おじいは何処に入院してるんだい?」

 アリャが、子供が嫌がるのもお構いなしに髪をくしゃくしゃに撫でる。

 「可愛い〜小学生デスね」

小木曽が近くの電柱を指差した。

  「ワシが来る前からあそこに居たんだ。あんた達が髪の毛引っ張ってて

   変な人だから入れなかったんだろうよ」

   アリャが小木曽の口ひげを引っ張る。

  「悲しいです。ユーに言われたくない。ダリみたいな髭をしてあなたこそ

   変ですよ」

  「ダリって?」

  「オー。ドンコは教養がない?日本の大学、理学部では教えないですか?」

 小木曽も口を尖らせて抗議する。

  「ダリ先生を知らない人間がいるとは」

  「おっさん、その奇天烈な恰好から察するに芸大の関係者だろう」

 子供はいやに大人びた物言いをした。

  「なに、この子。おっさん?」

  「いやだ、ゲイ?お仲間?」

 鈍子とアリャがほぼ同時に叫んだ。

 小木曽に抱きつこうとするアリャを鈍子は引っ張って押さえる。


  アリャと鈍子を一瞥した子供は、小木曽に顎をしゃくり一輪車を

 受け取ると勝手に道具を使いパンクを直し始める。

 3人の大人が恥ずかしそうに静かに子供の作業を見守る。

  「ほう、うまいもんだ」

 小木曽が口ひげを整えながら感嘆する。

  「おじいに教わったからね」

  子供は直し終わった一輪車を小木曽に返しながら「千円ね」と手を出す。

 小木曽は口を開きかけるが、言葉を飲み込んでお金を渡し、一輪車で坂

 を登って行った。


  「今日からここで暮すから」

 子供は高らかに宣言した。

      は?ドッキリかなんかだろうか?

 鈍子は髪を引っ張り過ぎて、顔をしかめる。

  「僕、何処から来たの?お母さん心配してるでしょ」

 アリャが子供の肩に手を掛ける。

  「おっさんさあ、さっきから僕僕って言うけど、オレは女なんだよね」

 アリャが悲鳴を上げた。

  「ドンコ、私おっさんなんて言われて生きていけない」

 ドンコは優しくアリャの髪を撫でた。

  「大丈夫。見かけは女だよ。パスポートが男なのはしかたないじゃん。

                 それよりこの子が女の子?名前は?」

  「ブーミン。ラミラン・蒼井・ブーミン」

  「で?なんでここに住むとか意味の分かんないこというの?」

  「オレはおじいの子供だから」

 顔を見合わせる鈍子とアリャ。

 アリャが吹き出す。

  「おじい、モテてましたからね、有りです」

 泣きそうな鈍子。

  「ちょっと待って、ホントか嘘か、おじいの息子ってことはおじさん?」

  「おばさん!」ブーミンが主張する。

  「どっちも嫌だな。でもまあそういうこと」


 ブーミンは何処においてあったかスーツケースを取り出し、

                     土間に中身を開け始める。

 

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