Chapter:040
農業と情熱の街。
そう呼ばれるここオトノウルプスは世界五大地方のひとつであり、他のどの地方と比較しても貧富の差が少ないのが大きな特徴だ。中でも首都・コルセバーダの街並みは、その特徴を如実に表している。
「本当に集落が均等に配置されているのですね。どこを歩いても次の十字路までの距離が変わらないなんて」
目を輝かせながら感動を露にするカルモを見て、イージオは「ああ、やっぱりこの街並みは珍しいもんなんだな」と改めて思った。ここまで全体が整備された状態で作られた場所を、少なくともイージオは知らない。
「正方形で仕切られているように思われがちなんですけど、四方の角を面取りした形になっているので、実際は八角形なんですよ。例えば……あ、あそことか」
そう言って一角を指して説明するのはシック。
「あ、本当。反対も同じように作られていますね。……あの、もしかして建物の高さも均等なんでしょうか?」
「そう、ですね。この街並みが広がる場所はほぼ同じですよ」
「だから風通しや日当たりが均等になるんですね」
カルモ御一行がやって来て数日が経過した今日、シックは街を見てみたいというカルモの案内を二つ返事で引き受け、答えられる範囲で知識を提供している。生まれ故郷でもあるここについては、誰よりもシックが知っているからだ。
なるほど、と呟いてあらゆる場所を眺めるカルモは、真剣さと好奇心が全面に出ていた。どことなくエリーみたいだなと思っていると、不意に「陛下」とあまり聞き慣れない綺麗な声がイージオの後ろから飛んで来た。
「あまりまじまじと見ていますと、よそ者だとすぐに知られてしまいますよ」
「ごめんなさい、ラフィネ。でもやっぱり珍しくて……」
「お気持ちはお察ししますから、もう少しだけ落ち着いてくださいね」
困ったように笑いながらカルモに言ったのは、彼女がハウンズの事務所に訪ねて来た時に共にいた白衣の女性だ。ラフィネと呼ばれた彼女は、忠告をしてもやっぱり食い入るように街を見るカルモを見てもう一度苦笑した。
確か、陛下の専属医とかって言ってたような気が、とイージオが思案に
「あ、あの、もう一人いたっすよね? いかにも執事、みたいな恰好の……」
金の髪に燕尾服。特徴を思い出しつつそう言いながら、結構失礼な言い方をしているなと言葉を探していると、ラフィネは頷いた。
「ええ、彼は実際に執事ですよ」
執事の名はモデストというらしい。使用人として完璧に仕事をこなし、誰よりもカルモを第一に考えるまさに執事の鑑だという。しかしそんな彼は今、ここにはいない。
「……良かった、んすかね……そんな人をゼークトの方に回しちまって」
「モデスト本人がお付き合いしますよと言ったのですから、気にする必要はありませんよ」
「なら……いいんすけど」
何とも言えない顔でイージオが唸っていると、隣でミルトが苦笑した。
「これから陛下の護衛になるわけだし、多少は身なりもしっかりしないといけないからね」
「オレはあれでもいいとは思ったけどなあ。まあ、たいちょーとデュールさんにダメ出し喰らったら何とかするしかないよな」
「あの二人、価値観は全然合わないくせに仕事のことになると気が合うからね」
現状、観光案内兼護衛としてカルモに付いているのは、シックとイージオ、ミルト、それからソンブルだ。そこに万が一を考慮して、医者としてラフィネが同席している。
一方、ゼークトの上着探しのためにと別で買い物に向かったのがサーヴァルと双子、それから、何かお役に立てればと言ってついて行ったモデストだ。というのも、ゼークトはノースリーブのシャツにベストと、両肩丸出しがデフォルトなのだ。それに対してカニスとデュールが、もう少し露出を控えろと口を揃えたのである。
しかし、苦言を呈した本人たちは、カルモの方にもゼークトの方にも付いていない。
「あの、僕びっくりしたんですけど……」
「オレも」
「うん」
恐る恐るそう言って割って入って来たソンブルに、イージオとミルトはしきりに頷いた。
「カニスはまだわからなくもないけど、まさかデュールまで片腕で抱きかかえて消えていくんだから」
「重くね?」
「大丈夫だったんだろうね」
「僕なんかもっとあっさり持っていかれますよね」
「そりゃあ片手でもうひょいっと」
「目に浮かぶわあ」
カニスとデュールは、カルモの旅の目的地までのルートなどを話し合うためにリッターに連行された。それはもう文字通り、二人を脇に抱えて。あまりに愉快な光景に今になっても頬が緩んでしまう。
「さあ、着きましたよ」
前を歩いていたシックが振り返ってそう言った。
「これが、メルカードですか……!」
眼前に広がる光景に、カルモが一層目を輝かせて呟いた。
メルカードというのはコルセバーダを中心にオトノウルプスに点在する市場のことだ。今、目の前に並んでいるのは軒並み食材関係の店ばかりだが、場所が変われば扱うものもがらりと変わる。その豊富な品揃えと価格、更にはこの地方の温厚で快活な人柄が他地方でも評判になり、現在では世界的な名所にまでなった。
そんな有名どころにやって来たことで舞い上がっているのだろうか。カルモは足早にメルカードの中へと入っていった。見失わまいと、ハウンズも慌てて後を追う。ところがカルモは少し先で立ち止まっており、先に進む気配はない。
「どうかなさいましたか」
「何かお身体に障りましたか」
シックとラフィネが近寄ってそう言うと、カルモは首を振った。
「いいえ、何も。大丈夫です。そうではなくて」
そこで言葉を切るとカルモは振り返り、すぐ後ろに立つイージオ、ソンブル、ミルトを見て言った。
「あの、皆さんのおすすめがあれば教えて頂きたのですが、よろしいでしょうか」
「え、オレたち?」
「はい」
微笑むカルモに、男たちは顔を見合わせる。
「えっと、どうしよっか。俺のおすすめってなるとこの辺りなら食材の方になるから料理とかじゃないんだよね」
「……あ、じゃあ僕からでいいですか? この辺りに美味しいドリンクが売ってある場所知ってるので」
「へえいいじゃん、決まり! オレも気になる」
「わかりました」
そう言うとソンブルは顔を上げてカルモに向き直った。
「じゃああの……僭越ながら僕のおすすめから案内しますね」
「はい、ぜひ」
微笑むカルモに歩み寄るソンブルを見て、イージオは少し不思議な感じがした。結構な人見知りのはずなのに、皇女様なんて仰々しい人を相手にしても普段と変わらないのだ。いや、もしかしたらこの間初めて会ったゼークトより上手く対応できているような気さえする。何がそうさせるのかと考え、割とすぐにその答えは出てきた。
カルモがやってきたその日か、その次の日だっただろうか。忌み子という共通点があるカルモとソンブルが二人で何かを話していたのを偶然見かけたのだ。どんな内容かまでは距離が遠くて聞こえなかったが、それでも少しだけ嬉しそうにしていたソンブルの顔を思い出した。何か、忌み子関係の吉報でもあったのだろう。
そういえばとついでに思い出す。ベルナのことを知るためにとルークスから忌み子の話を聞いた時、呪いを解く方法は「愛される喜びを知る」ことだと言っていた。ソンブルが持った忌み子の呪いが何なのかは、実はよく知らない。知らなくても差し障りはないし、何よりソンブルがその話をほとんどしない。なら、無理に訊くようなことでもないと思って何も聞かないでいた。
だけど、と思う。知っていた方が良いこともあったのかもな。
先導していくソンブルと、後について行く女性陣三人を、イージオは眩しい思いで眺めていた。この間顔を合わせた時は少し怖いとさえ感じていたのに、今はそれさえもない。それは、皇女ではないカルモ・アザレアその人の人柄故だろうか。
隣に立つミルトは、あの皇女のことをどう思っているのだろう。そんなことを思って横顔を見上げる。そうして「なあ」と呼びかけようとして、イージオは目を瞠った。
いつだって笑顔のミルトが、一切の表情を見せずただじっとカルモを見ていたのだ。そして、ぽつりと。
「……あれも、所詮はただの人間か」
うわごと、と言えばそれに尽きる。ただイージオとしては、あらゆる意味でミルトからそんな言葉が出るとは思わなかった。
あまりのことに「え」と驚愕が吐息となってイージオの口から滑り落ちると、それでミルトは我に返ったのだろう。驚いた顔でこちら見てきたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「あ、いや。皇女様って肩書に対して身構えすぎてたなって思ってね」
そうしてイージオと同じように目を細め、ミルトは歩き出した。楽しげにはしゃぐ四人のもとへと向かい、どうやら今度は自分が案内すると言ったようだ。
「行くよ、イージオ」
忘れられることもなく呼ばれ、イージオも「おう」と頷いて駆けだした。合流し、改めて六人で歩き出す。そうしてミルトのおすすめ、イージオのおすすめの店を回り、その後は気になった場所を見つけては回るというのを繰り返していった。
やがてメルカードの切りのいい場所までたどり着き、カフェエリアで休憩がてらお茶をしている時だった。
「あれ、陛下御一行じゃん」
「休憩中?」
そろそろ帰ろうかと全員が立ち上がったその時、通りから見知った瓜二つの顔が飛び出してきた。
「ウンシュ、ルディヒ」
「二人がいるってことは、もしかして」
「そ。ゼークトのジャケット選びが終わったから、モデストさんの観光ついでに休憩」
ミルトが訊くと双子は頷いて振り返った。
「あ、こっちこっち! おーい!」
双子が大きく手を振ると、人混みの中からサーヴァルとゼークト、そして燕尾服の執事モデストが若干疲弊した顔で駆け寄ってきた。
「あ、あのねえ二人とも、ゼークトとモデストさんは慣れてないんだからもう少しペース考えなよね」
息を切らすサーヴァルに、双子は笑いながら「ごめんごめん」と返す。あんまり悪びれてる様子はなさそうだなとイージオが苦笑していると、サーヴァルの後ろからゼークトがやってきた。
「あれ、買ってねーの?」
「買った」
いたずらっぽく訊ねると、ゼークトは紙袋を掲げて答えた。
「じゃあ着ねーの?」
「着るのは護衛始まってからだ」
「ちぇー、お披露目してくれんのかと思ったのに」
イージオが口を尖らせてもゼークトは「知るかよ」と意に介さない。そのままイージオの隣に座り、他の面々をぼんやりと眺める。
「まあ、お疲れさん」
「ああ。疲れた」
机に突っ伏すゼークトの背中を撫でるように叩く。ここまで疲れているゼークトは、ギルドに帰って来る時にも見たが、逆に言えばその時と今ぐらいしかない。慣れない環境というのはそれだけで大変だろう。後でミルトさんに何か作ってもらうかと前を向くと、ミルト以前にカルモと、いつの間にかその側に立つモデストに目が行った。何かを話し込んでいる様子だったがそれもすぐ終わり、カルモはそのままハウンズへと向き直った。
「皆さん、今日は本当にありがとうございました。おかげで色んなことを知ることができました。この都市のことも、皆さんのことも」
なので。とカルモは笑みを湛えた。
「皆さん、これからどうぞよろしくお願いします」
その言葉と顔を見た瞬間、イージオは気付いた。今日一日、いや、彼女たちがやって来てから今日までの間、オレたちは値踏みされていたんだ。本当に信用に足るのか。命を預けても大丈夫か。
何故なら皇女は今日この瞬間まで、ただの一度も「よろしくお願いします」とは言わなかったのだから。
「そういうことか」
小さく呟いたイージオの脳裏で、あの時の、リッターとミルトのやり取りがよみがえる。
――自分を守ってくれる人たちを自分の目で見て確かめたいとさ。
――それってつまり、俺たちも試されるってことだよね。
その結果がこれなのだと気付いて、イージオは言い放った。
「こちらこそよろしくお願いします。陛下」
カルモは穏やかに笑っていた。
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