Chapter:039
その日は思っていたより早くやってきた。実際の日程ではなく感覚的な意味で。
リッターからの追加連絡は、依頼文書とは打って変わって早々にやってきた。伝えられた期日に向けて準備を進めているうちに瞬く間に時間が過ぎ、もう明日かと我に返ったのは昨日のことだ。ひと月ってこんなに短いっけ? とイージオは首を傾げたが、どれだけ疑おうともそれだけの時間が過ぎている事実に変わりはなかった。
そうして来るべき今日。ギルド・ブレイヴハウンズは、来るべき時と来るべき人を事務所で揃って待ち構えていた。約束の時間に差し掛かった瞬間に呼び出しベルが鳴り、カニスが入り口へと向かう。開け放たれた扉の前に佇んでいたのは、艶やかな髪と上品なドレスに鮮やかな紫を湛え、気品をまとった小柄な女性だった。
「ブレイヴハウンズの皆さん、初めまして。私が、この度皆さんに護衛を依頼しました、カルモ・アザレアと申します」
これが、人の象徴。
皇女が何となくそんな存在であることは、あまり教養のないイージオでも知っていた。しかしそれがこんなにも小さく、それでいて御淑やかな人だとは知らなかった。
「お初にお目にかかります、陛下。私はギルド・ブレイヴハウンズの長を務めておりますカニス・ウィリディタースと申します。この度は陛下の護衛という重要な任務を拝命いたしましたこと、誠に光栄の至りでございます」
カルモと自らを名乗った皇女は、ほぼ初期のころからいるはずのイージオでさえ見たこともないほど恭しいカニスに勧められ来客用のソファーに向かう。その後ろにも複数人の人がいることにイージオが気付いたのは、カルモが腰掛けた後だった。
ひとりは手紙とほぼ同時にこの依頼を持ちかけてハウンズを大混乱させたリッター。ひとりはいかにも使用人と言わんばかりの燕尾服に身を包んだ男性。そしてその隣にもう一人白衣を身にまとう女性がいる。医者か何かであろう彼女は、カルモに比べるとより大人のように見えた。恐らくではあるが、この場にいる女性の中で年長だろうとイージオは踏んだ。
彼らを一瞥していると、予てから隣に立っていたゼークトがそっと呟いてきた。
「間違いなくお偉方だな」
「わかんのか」
来客たちに顔を向けたまま、相槌代わりに問う。
「顔は知らねえけど身なりが確かなもんだからな。見た目は落ち着いてて控えめだが、使われている素材はどれも上物だ」
「素材」
「服なら布とか、装飾品なら作り込みの仕方とか宝石とか」
「わかんの……⁉」
思わぬ目利きに堪らずゼークトを仰ぎ見る。イージオは空いたソファーに座っていたのだが、ひと月経ってもゼークトは席が空いていようともやっぱり腰を落とすことはしない。イージオを見下ろすように立つゼークトは口を尖らせて頷いた。
「……悪徳とはいえ貴族相手に盗みやってたんだ。金目の物を取ろうと思えば嫌でも多少はわかるようにならあな」
「へえ……」
それはそれはと息を吐く。盗賊をやめて一年と経たない人間が、偶然とはいえ皇女の護衛をすることになるなんて、世の中どうなるかわかんないな。イージオはほくそ笑み、客人へと向き直った。
言われてみると確かに良い物な気がしなくもない素材で作られたカルモのドレスは、鮮やかな紫に目を惹かれはするものの、ゼークトの言う通りそれ以外は派手なものではない。ゼークトの手伝いで捕まえた悪徳貴族は見るからに金ピカだったが、実はさりげなく裕福な家庭の出だというカニスやデュールも、そういえば見た目だけならさして派手ではないなと思い至る。本当の金持ちやお偉方ってのは、自分の権威をむやみやたらと見せつけたりはしないってことなのか。
新たに知恵を得たイージオが改めてカルモを見ていると、不意に目が合った。髪やドレス同様に鮮やかな紫の瞳は、澄んで透明感があるというのにどれだけ覗こうと底は見えない。しかしイージオが彼女を底知れないと感じたのは、その瞳よりイージオに向けられた微笑みだった。
優しいとか、穏やかとか、御淑やかとか。そんな言葉では片付かない、もっと大きな感情が含まれたものであることをイージオは直感的に悟った。そしてそれは決して悪いものではない。むしろ心地良く、ただ、知恵のないイージオには上手く表現できない慈しみを感じた。エリーだったらなんて言うだろう。それだけのものを、顔を合わせて数分も経たない相手に向けられることに、感心とほんの少しの畏怖を持った。
「今回は護衛を引き受けてくださり、本当にありがとうございます」
皇女は正面に座るカニスに向き直ると、そう言って深々と頭を下げた。カニスはその様子に戸惑っているようだが、カルモは頭を上げると言葉を継いだ。
「まずは、目的地や今回の遠出に関する話の前に、皆さんに直接、私が私自身の話をしなければならないと思い、こちらに伺いました。少し長くなるかと思いますが、どうか聞いていただけますでしょうか」
「……陛下御自身について、ですか?」
辛うじて訊き返したカニスにカルモは「はい」と頷く。
「実はブレイヴハウンズの皆さんについては事前に情報書類を通じて存じ上げておりました。しかし、私は人の象徴と謳われながらも、あまり世間に素性を出してはいません。ですが、皆さんはこれから命を預ける方。こちらの話もしておくのが筋だと思いまして」
カニスが、隣に座るデュールに目配せをする。デュールは何も言わず頷くだけだった。この人が何も言わないのは肯定、或いは一任を意味することをハウンズのみんなは知っていた。反論があれば真っ先に口を開くからだ。その様子を見てカニスも頷き返し、再びカルモに顔を向ける。
「わかりました。確かにこちらとしても陛下についてはほとんど何も存じ上げないので、お話しいただけるのならとても有難いことでございます」
なおもあまりに恭しいその態度を続けるカニスに、イージオは思わず訝しむ。そこまでする必要がある気がしないのだ。カニスはそれなりにいい所の出で、貴族や御役どころに対する態度も知っている。そして相手は世に生きるあらゆる人の象徴であるが故か確かに底知れない存在だが、腰が低いのは相手も同じなのだ。なのに、という気持ちがどうにも湧き上がってくるが、イージオはそれをぐっと飲み込み続きを待った。
「ではまず。私は、皆さんが周知されているとおり、人の象徴であり、人の祖の末裔にあたります。私の一族アザレアの始祖が、
そう言って、カルモはハウンズの端に小さく座るソンブルに目を向けた。
「ソンブルさん。あなたは
身を震わせ頷くソンブルと、迷いのないカルモの様子を見てイージオは察した。本当にオレたちのこと調べてきてるんだ。どこまで知っているのかはわからないけど、オレたちの情報を渡したのがリットさんだとするなら、少なくともリットさんが知り得ていることはきっと全部向こうに伝わってる。
「忌み子という名称も、本来なら無くさなければならないのですが私の力では及ばず……本当に申し訳ありません」
再び深く頭を下げるカルモに、ソンブルは慌てて「い、いえ、そんなこと」と零すが、それ以上は何も言えないらしい。押し黙るソンブルに、カルモは申し訳なさそうに笑みを返して続けた。
「忌み子と称される方々が持つ呪いの原因はすべてアザレアの一族にあります。しかし現状、このアビィサトランティスに生きるほぼすべての【人】は、どれだけ薄かろうとアザレアの血が入っているのです。故に、誰にでも呪いが発動する可能性があります。ただ一族の血を最も強く受け継いできたのが私の家系というだけなのです」
忌み子については半年前くらいにプリモタウンで聞いたなあとイージオは思い出す。女神の呪いを持って生まれてくる人間。呪いは厄災を招くとされているが、呪いが解ければ強い力を手にすることができる。たしかそんな話だった。そういえばベルナは元気かな。
「あの、ひとつよろしいですか」
不意に手を挙げ、そう問いかけたのはサーヴァルだった。カルモはどうぞと先を促した。
「血を強く受け継いだだけ、というのでしたら、アビィサトランティスで生まれたものは誰しも人の象徴である
「いいえ」
カルモの返答は簡素だった。そして、サーヴァルが「何故」と口火を切る前に続けた。
「便宜上、皇の家系をアザレアと言いますが、アザレアには、他の忌み子にはない別の呪いが必ずついて来るのです」
その言葉にほんの少しだけサーヴァルは考えるように黙り込み、その後納得したように「ああ」と呟いた。もしかしたら、とイージオは勘ぐる。もしかしたらサーヴァルさんは「別の呪い」を既に知ってるってことか。するとその通りだったらしく、サーヴァルは独り言のように言った。
「短命」
「ええ、そうです。なので私は、正直……もう、いつ死んでもおかしくないのです」
あまりにも穏やかに紡がれた衝撃的な言葉に、この場にいるほとんどが息を呑んだ。だがカルモは言葉と共に憂いを吐ききった後は、変わらず気丈だった。イージオは思う。いつ終わるとも知らない今日を、来るかどうかもわからない明日を生きようとする意志が、彼女に前を向かせているのだろうか。
しかしそんな空気など気にも止めずカルモは意外そうな顔でサーヴァルに首を傾げた。
「ところで、驚きました。まさか短命の呪いをご存知の方がいらっしゃるなんて」
「あーいや、昔に央都の大図書館でちょっと……」
「そうなのですね。今は一般の方は閲覧できない場所に保管しているとのことなので、ご存じの方はそうそういないと思っていたのですが……」
そう言うと、カルモは小さく笑った。
「ふふっ、不思議ですね。私のことを知っている方がいらっしゃったと気付いたら、なんだか少し安心してしまいました」
あまりに可愛らしい声に、ハウンズは揃って意表を突かれた。確か彼女は今年二十歳と言っていたが、ああ、こんな年相応な反応もするのか。イージオは少しホッとした。
目を丸くするカニスに対して、当のカルモも目を丸くした。瞬きを繰り返し、首を傾げる。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いえ……その、案外普通な感じがして……」
するとカルモは再びふふっと微笑んだ。
「いくら皇女と言いましたところで、実際の私はもうすぐ節目を迎えるというだけのただの女です。そう身構える必要は全くありませんよ」
柔らかい笑みを浮かべ、カルモはひとつ頷いて「ですので」と続けた。
「普通に、は難しいかもしれませんが、あまり気負いせずお話していただければ幸いです」
ね。とカルモは言葉の最後に再びイージオに微笑みかけた。再び目が合った瞬間、まさか、とイージオは顔を引き攣らせた。まさか、あまりに大袈裟な態度の隊長のことを変だなと思ってたこと、見透かされたんじゃないだろうな。
前言撤回、やっぱりただ者じゃない。本人としては慈しみだけであろう笑顔を向けてくる皇女様に対して、イージオは目を逸らすことしかできなかった。
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