第09章 人を治める者たち

Chapter:038

 ギルド・ブレイヴハウンズ殿


 昨年は別地方であるプリモタウンへの人材派遣、心から感謝する。

 依頼主であるルークス・ヴィリディスからの報告、及びプリモタウンの現状から、貴団の貢献のおかげでかの町の安全が保証できるようになった。

 さて、そのような腕の立つ者が所属する貴団に、今回は国家から信託したい案件がある。

 今年は皇女カルモ・アザレアが二十歳の節目を迎える。それにあたり、彼女は城を構えるレリクイアカプトのシャトーフロスから、ヴェルメトロポルに一時的に移動しなければならない。

 しかし近年、イディオと名乗る存在が、皇女に接触を図ろうとしている形跡がある。イディオは非常に危険な存在とされている。本来ならば国家が動くべきことだが、しかしながら、国家にはその存在と対峙できるほどの技量を持つ者が少ない。その点、貴団の実力はこちらとしても信頼できるものであるということは、先の依頼やリッターを通じて報告されている。その功績を以って貴団に依頼したい。当然、相応の報酬を確約する。


 以上により、貴団【ブレイヴハウンズ】に特命を言い渡す。皇女カルモ・アザレアをヴェルメトロポルまで護衛することを任務とする。

 詳細は追ってリッターからの伝令を待つように。


   ***


 この場にいる全員が、その言葉の意味するところを即座にはわからなかった。たっぷり数十秒間の沈黙を経て、全員から揃って出てきた言葉はたった一言だけだった。

「え?」

 それから更に数十秒、或いは数分か、どれくらいの時間が経ったのかわからないくらいに、再び双子が揃って「え?」と首を傾げた。

「え、え? 待って、どういうこと?」

「どうもこうも書いてある通りで……」

「いやちょっと待って? え? そういうのあるの?」

「いやあ無いとは……思う、けど」

 双子の尋問に口ごもるカニス。無いとは思うけど、リッターことリットさんなら頼みかねないということだろう。それはなんだか、少しわかるとイージオは思った。あの豪快で快活で掴めない雰囲気は頼もしいが、だからこそ何をしてくるのかわからないのだ。

「……どうすんだ、これ」

 未だに混乱する空気の中、低く落ち着いた声でデュールが口を開いた。しんと静まり返った部屋の中心で、やがてその言葉を向けられたカニスが真剣な表情で答えた。

「リットさんから話聞かないことにはどうしようもないよ。受けるにしても、断るにしても」

 デュールが目を伏せて頷く。反論しないということは二人とも同じ考えだったのだろう。その様子を見てイージオはほくそ笑んだ。問答無用で無理と断らないあたり、揃いも揃って人が好い。

 だが、その様子を一段と困惑した様子で見ていた者がいた。ゼークトだ。

 イージオとゼークトの目が合う。何がどうなっている、どういうことだ、とゼークトの目が言っていた。イージオはひとつ頷いて手招きをした──その瞬間だった。

 再び呼び出しベルが鳴り響き、全員が固まった。しかし立て続けに二度目ともなれば、硬直はさして長くない。

「また? もう、今度はなあに?」

 誰にでもなくそう言い、もう一度出口へと消えていくカニス。扉の閉まる音がかすかに響くと、脱力した双子から大きなため息が零れた。それに釣られる形で、他のメンバーもなだれ込むように近くのソファーに腰掛ける。ただ、ゼークトは気が抜けても座ろうとはしなかった。

「ゼークトも座れよ、疲れたろ?」

「いやまあ、疲れはしたが……」

 イージオに対して頷くものの、ゼークトは曖昧に返事を濁してその場を動こうとはしない。なら別にいいかと、それ以上は言わなかった。代わりにゼークトが言葉を継ぐ。

「ところでリッター? リット、さん? ってのは」

「あー……あれ、聞いたことない?」

「オルドミニスターか?」

「なんだ知ってんじゃん」

「名前しか知らねえ。何だよ、そんな世界のトップと知り合いなのかよ」

「オレじゃなくて、もとのコネはミルトさんとサーヴァルさんだけどな」

 ちらりと目を向けると、当の本人たちは微笑んで頷いた。

「俺たちがレリクイアカプトに居た頃、お世話になってたんだよ。その名残というか」

「まあ、あとはこのハウンズのことで創設時もお世話になったしね」

「ここを創った時も、すか」

 そうだよ、と頷くミルトとサーヴァル。対してゼークトは感心したように目を瞠る。

 まあ、こんな形で国家とも関わることになるなんて思わないよな。イージオは苦笑した。もともと国家とギルドは暗黙の了解として互いに干渉はしないようにしている。そのはずが、来て早々の大仕事がまさか国家からの依頼になるなんて、イージオさえも予想していなかった。

「で、その、どういう人なんすか、リット……さん? ってのは」

「あーえっと、あの人は……」

 ゼークトの質問にイージオが応えようと口を開いた途端、入り口の奥から珍しく騒ぎ立てるようなカニスの声が聞こえ、イージオは言葉を止めた。直後、勢いよく扉が開け放たれる。

「よーう。元気にしてたかぁ」

 緩い語気と豪快な笑い声とともに現れたのは、藍色と黒をトレードマークにし、その大柄な身の丈と同等の長さの両手剣を背中に担いだ中年の男。

「……誰だ?」

「あれがリットさん」

「は?」

 半ば呆れ気味に答えたイージオにゼークトは素っ頓狂な声を上げる。

「追って伝令っつってたけど早すぎだろ」

 そう、現れた彼はたった今イージオが話そうとしていた人物、リットさんことリッターその人だった。ゼークト同様のことを当然ながらハウンズも思っており、全員が驚きの色を隠せない。だがそんなことなどお構いなしにリッターはカニスの頭をぽんぽんと叩くと、ハウンズの面々を見渡し、最後にゼークトを見つけると歯を見せて笑った。

「お前さんが新入りだな? もしかしたら直接対峙したことあんじゃねーかと思ったが、記憶のかぎりは初めてだな」

「……あんたが治安部最高責任者オルドミニスターのリッター」

「はっはっは、そんな怖い顔しなくていいぞ。もう足は洗ったんだろ? これからは正々堂々人助けすればいい」

 朗らかに笑いながら肩を叩くリッター。一方ゼークトは一応頷きはするものの顔が引き攣っていた。

 その横で、顔には出さないようにしつつイージオも少し動揺した。リッターは核心的なことを名言していないとはいえ、かつてゼークトが何をどういう相手にやっていたのかわかる言い方をしていることに気付いたからだ。しかしそのことについて、イージオはカニスを始めハウンズには伝えていない。盗賊だったことは必要な情報だろうと思い伝えたが、問題は「これからは正々堂々人助けすればいい」という言葉だ。

 ゼークトは確かに盗人ではあったが、狙う相手は悪徳貴族であり、彼らから盗んだものは売り裁いてそんな貴族に虐げられていた人々に金や食料を与えていた。しかしこれでは、正々堂々の人助けとは言えない。リッターは、ハウンズ経由ではない別のところからゼークトの事情を知っているということになる。一体どこから、とイージオは一瞬詮索するがすぐにやめた。何せ相手は国家のお偉い様だ。もしかしたらと思う情報網はいくつかあれど、その真相はイージオの想像の及ぶところではないだろう。

「まあそんなわけで以前なら敵みたいな形で会うかもしれなかったが、今は問題ないだろうし、そんなに警戒しなくてもいいぞ」

 そうは言っても、とゼークトの顔には書いてあったが頷く他になかった。すると、にこにこと笑うリッターの後ろで、カニスは呆れ気味に溜息を吐いた。

「あのねえリットさん、うちらがこの手紙読んだのたった今なんだよね」

「お? なんだ、随分遅い配達じゃないか。それならおれが直接渡しても大差なかったな」

「それはそれで心の準備が……いや、今もできてないけど」

 唸りながら言葉を返すカニスは、しかしそれ以上は会話を続けようとはしなかった。代わりに「取り敢えず話を聞かせてください」と言ってリッターにどこでもいいから座るようにと声をかけた。もったいぶることもなくリッターは適当なソファーに腰掛ける。それを見届けるとシックが立ち上がり、台所の方へと向かって行った。お茶でも出すつもりだろう。残ったメンバーも各々が開いている場所に座るが、ゼークトだけはやはり頑なに座ろうとしなかった。

 やがて、お茶の準備をするシック以外が動かなくなったところで、リッターが本題を切り出した。

「まあ、書いてある通りだ。お前さんたちに皇女の護衛を頼みたい。こいつはおれ個人の頼み事じゃない。皇女が国家に持って来た依頼だ」

「じゃあ、国家への依頼をギルドに回すということ?」

 正面に座ったカニスが尋ねると、リッターは「いいや」と頭を振った。

「確かにこれは国家に来た依頼だが、皇女は護衛にある条件を設けた」

 全員が「条件?」と首を傾げるなか、シックがお茶を置いて回る。リッターはグラスを受け取ると、豪快に飲み干して言った。

「護衛はギルド主体であること、そこに国家の人間も多少なりともついて来て欲しい、だそうだ」

「……え?」

「びっくりだろ? だがこれは、皇女自らのご所望だ」

「そ、それは……なんで……?」

 カッカと笑うリッターに思考が追い付かないながらもカニスが質問をぶつけていく。するとリッターは色を変え、無表情にも似た真剣な面持ちで答えた。

「見識を広げたいんだそうだ。書面にも書いてあったが、今年は皇女が二十歳の節目の年。どうやら歴代の皇女はその年に必ず行うべきことがあるらしい。それには世界を知る必要がある、とかなんとか」

「一番大事なところ……」

「まあその辺は本人に聞いてくれや。おれにゃあわからん」

「本人?」

 瞬きを繰り返すカニスに、リッターは「ああ」と頷く。

「護衛してくれるギルドが見つかれば、まずはその拠点に足を運ぶとのことだ。自分を守ってくれる人たちを自分の目で見て確かめたいとさ」

「それってつまり、俺たちも試されるってことだよね」

 押し黙るカニスに代わり、元より知り合いであるミルトが訊き返す。リッターはまた頷いた。

「そうだ。だからこの依頼を受けるかどうかは、皇女本人と話をしたうえで決めてほしい。そして同時に、依頼の主導権はあくまでも依頼主にあるってこったな」

 じゃあ、と再びカニスが口を開く。

「仮にこっちが承諾しても、皇女様がやっぱりいいですってなれば、そもそも話はなかったことになるんだね?」

「そういうこった」

 リッターはそこで言葉を切り、カニスを見据える。しばらく口元に手を当て、情報を整理したのであろうカニスは、やがて何度か頷いた後、しっかりとリッターの目を見て一段と大きく頷いた。

「護衛については何となくわかったけど、外の世界ってどういうこと?」

 するとリッターはバツが悪そうな顔をして頭を掻いた。

「一応世界の象徴的存在だからなあ。あまり外には行けないんだよ。顔がバレると結構めんどいんでな」

 ほう、とイージオは思う。そういえば確かに顔は見たことがないかもしれない。もともと興味がなかったから気にしていなかったと言えばそこまでだが、それでも見た記憶はない。公務という形で、何かの放送を通じてラジオで声は聴いたことがあった気がしても、国家の大統領と異なり新聞などには一切出てこない。

 そうだ。イージオは誰にでもなく頷いた。皇女のことをどうにも遠い存在だと思う理由はこれだったのか。事実、これだけの話を聞いても皇女を護るという実感は全く湧いてこない。

 リッターは続けた。

「今まではどこ行くにしても国家の人間が……まあ主におれが護衛についてたんだが、何せ今回みたいな遠出は初めてだからな。これを機に外の世界を知るってのはちょうどいいとおれも思ってたところだ。それにイディオっていう存在についても詳細はよくわかってないし、護衛はいるに越したこたあない」

「リットさんも来てくれるの?」

 不安そうに訊くカニスに、リッターは安心させるように頷いた。

「まあ何せ依頼主が世界的な存在だからな。お前さんたちに頼もうと他だろうと、ついて行かないわけにはいかん」

 カニスがほっと息を吐く。何を考えているのかわからないとはいえ、人を治める管轄のトップにいるのがリッターだ。そんな人がいるのはとても心強い。

「さて、伝えるべきことは大体伝えたかねぇ」

 そう言うと、リッターが唐突に立ち上がった。全員が呆然とするなか、リッターはそそくさとへやの入り口に向かう。

「そんじゃ、次は皇女さまと一緒に邪魔すんよ」

「え、え? 終わり?」

 マイペースを貫き通すリッターにカニスが思わず立ち上がる。他のものは完全に置いてけぼりだった。

「おうよ。おれにもまだ今回の件についてはあまり知らされてなくてなあ。ついでに次来るまでにそれなりの情報も持ってくっから待っててくれ」

「え、ちょ……え? つ、次っていつ……」

「あー……ひと月後だな。日程決まったら今度は電話で連絡する」

「か、かけてくるなら朝一か夕方にしてね、お昼はいないこと多いから……」

「ほいほいわかった、じゃあまたな」

 さきほどまでの厳かな話などまるでなかったかのように、リッターは軽い返事を残して笑いながら出て行く。立て続けに入ってきた衝撃の情報に、話にだけは何とかついて行っていたカニスもついぞ動けなかった。

 そうして扉の閉まる音が消えても、ブレイヴハウンズのみんなから驚愕と唖然が消えることはしばらくなかった。

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