Chapter:036
鞘から剣を抜き放ち、群集めがけて駆けだす。近付くにつれ頬に強い穢れが突き刺さる感覚がするが、今はそれさえ心地いい。走りながらいくつもの足音が重なる。その中で、ぱちりと何かが耳もとで弾けた。
「おっさきー!」
直後、そう言って先陣を切ったのは双子の片割れ。弾けた何かは、彼が持つ短剣が帯びたかすかな電流だった。それを追いかけるように双子のもう一人も駆け抜けていく。イージオには真っ先に突き進んでいったのがどちらか、やっぱりよくわからなかった。
おっさきーって言ったのどっちだよ、微妙にしか違わないから戦闘時なんて本気で見分けつかねーって。
やれやれと息を吐くも立ち止まることはしない。ギルドきっての切り込み隊長である双子がもう向かって行ったのだ。近接戦闘が得意分野のイージオとしては遠巻きの援護などできないに等しい。重力など関係ないかのように身を翻す双子が仕留め損ねた残骸を、ひとつまたひとつと斃していく。時には遠心力を使って片手で剣を薙ぎ払い、時には細剣のように突き刺し、時には正統な型で一刀両断する。
そうだ、そうそう。楽しいんだよ、戦うってのは。
敵を倒した確かな手応えを感じながらイージオはひとりそんなことを思う。プリモタウンにいた時もそうだった。というか、そもそもプリモタウンへの個人遠征も同じことだ。
イージオは戦いたかった。もちろん戦闘以外での人助けが嫌だなんてことを感じたことはない。人を助ける仕事自体はどちらかと言えば好きな方だし、それで誰かを助けられるのなら身体を張ることだって厭わない。逆に言えば、身体を張ることを厭わないからイージオは戦いたかった。命のやり取りと言えばどうにも大袈裟な気がするが、そういうものを通じてイージオは刺激が欲しかった。欲しかったのかもしれない。
だって、とイージオは思う。だってせっかく剣買ってもらって、意気揚々と家を飛び出して、魔物討伐もやるっていうギルドに入ったんだぜ。戦わなきゃ損だろ。
双子のおこぼれではなく、別でアンデッドの群れに突っ込んでいったイージオは、次から次へとアンデッドを昇華していく。目に見えて頭数が減っていくため、穢れで淀んでいた空気も昇華に合わせて浄化されていく。
もちろんそれなりのリスクがあるのはわかってるし、今はまだ援護に来てないデュールさんにだってこっぴどく怒られたこともある。それに、プリモタウンでのケガは結構な痛手だったし、アルにもエリーにもルーさんにも迷惑かけたしな。だからもうあんなことにならないようにってゼークトとも模擬戦やったし、エリーにもいろいろ教えてもらったし。
などと、ぼんやりとそんなことを考えてしまっていたせいか、イージオは向かい来る攻撃に気付くのにほんの少し遅れてしまった。間一髪のところで回避できたものの追撃は止まらない。二撃、三撃と続く連撃に、イージオは遂に足をもつれさせた。
嫌な浮遊感。くそ、と毒吐く暇もなく、倒れかかる隙を狙ってアンデッドが禍々しい己の身体を武器として襲いかかってくる。油断した。イージオがそう唇を噛んだその瞬間だった。
地面に背中から倒れるはずだった身体が、落ちることなく宙で止まった。そしてイージオは動けなかったというのに、目の前に迫っていたアンデッドが数体昇華した。結晶と化して砕け散り、命だったものが降り注ぐ地面には、まるでイージオを守るかのように突き刺さった投擲用のナイフ。
「大丈夫?」
その声は少し遠くから聞こえた。サーヴァルの声だった。イージオは返事の代わりにひらひらと左手を振る。サーヴァルがナイフを投げてアンデッドを昇華させたのだ。それともうひとり。
「集中しなよ」
今度は耳もとで言われた。ギルドの面々のなかでもイージオを支えることができる仲間は、それこそイージオより体格のいい人になる。そんな人は、ここにいる面子ともなればひとりしかいない。
「へへ、ごめん、ミルトさん」
力なくイージオが笑うと、ミルトは一瞬柔らかく微笑み、未だに蠢くアンデッドを睨み付けた。
「油断大敵だよ」
「うん」
ミルトの肩を借り、体制を立て直す。その間も遠方からサーヴァルが投擲ナイフで援護してくれていた。が、イージオが動けるとわかった瞬間、サーヴァルから声が飛んだ。
「後、任せるよ」
「おうよ」
「ああ」
二人が揃って応えると、サーヴァルは了解の返事代わりに最後の一擲で派手にアンデッドを昇華させ、イージオたちの戦線から離脱した。残るアンデッドは五十もいない。
イージオが再び剣を構えると、隣に立つミルトも武器を構えた。左右で形の異なる片手剣を持って静かに構えるその姿は、大きな身体も相俟って一層威圧感がある。おかしいなとイージオは苦笑した。さっき路地で会った時は、これっぽっちも怖いと思わなかったのに。ミルトさんのこういうところが頼もしいんだけど怖いんだよな。
しかし、その殺気に似た気配はアンデッドに向けたものだ。臆する理由はない。むしろ好機。イージオは地面を蹴り、再び群集に突撃していった。すぐにミルトも続き、両者ともに舞い踊るかのように剣を振る。アンデッドがすべて昇華されるまで、さほど時間はかからなかった。
昇華した結晶が舞い散る中で、イージオはひと心地ついた。やれやれ、なんて思いながら、他の戦線に目をやる。
双子は既に最初に突っ込んでいった群集を片付け、少し離れた場所で戦う後方支援組の前線にいるようだった。いや、よく見ればそこが一番アンデッドの数が多いようだ。現在ここに集まっているのは、帰還したイージオとゼークト含めて八人。そのなかでイージオとミルトが別で戦っていたのだが、いつの間にかそれ以外の仲間たちは全員がひとつの群集を相手にしているようだった。
とは言ったものの、さすがに六人もいればほぼ一撃で斃せるアンデッドなどすぐに片が付くらしい。状況を把握しようとしていたつもりが、結果的に戦線を見守っているだけになってしまった。
ゼークトもさらっと前衛として戦ってたっぽいし、打ち解けるのも早いかな。ゼークトそっちのけで戦いに挑んでしまったことから意識を外し、既に双子に絡まれつつある新参者を、イージオは微笑ましく見つめる。あれだけいたアンデッドも全部昇華できたみたいだし、聞いてたほど状況も厄介なもんでもなかったし。
「……ん?」
聞いていた状況?
「あの、さ……」
イージオはみんなのもとへ向かおうとしていたミルトを呼び止めた。振り返り、微笑んで首を傾げるミルトに、イージオは問いかけた。
「……スクレットっていたっけ?」
ミルトの顔から微笑みが消える。
「……いや、見てないね。俺たちの方にはいなかったよ」
「だよな」
ゼークトの奥から現れたアンデッドの群れ。確かに禍々しい穢れを帯びてはいたが、それはあくまで人と比べればという話だ。例えアンデッドになりたての存在である、レムレースであろうと、穢れの濃度は文字通り常人離れしている。穢れに呑まれた結果、生命が歪んでしまったのだから当然だ。
だがスクレットはそれ以上なのだ。アンデッド全体の穢れは確かにとてつもないが、スクレットともなると桁違いになる。それだけの穢れに侵食され、死ぬことを許されなかったのだから。そんな存在が今回、人里を襲ったと言われて、イージオたちはここに来たのだ。しかし、スクレットの特徴である真っ黒な骨だけの姿をしたアンデッドを、その強烈な穢れの気配を、イージオは見ていないし感じていない。
「でも、向こうの群集にひと際強い穢れの気配とかなかったよな」
他の面々が戦っていた場所を見ながらミルトに訊ねるが、ミルトは少しの間顎に手を添えて首を振った。
「なかった、ね」
「なら」
またこのパターンかよ。イージオは歯噛みした。いるはずのスクレットがいない。ということは、まだどこかにスクレットがいるはずだ。それにしても穢れの気配が消せるなんて、アルの母親もそうだけどスクレットってのは気配が消せるのか? いや、何かが違う気がする。
「イージオ?」
周囲を警戒するイージオに、ミルトが心配そうに声をかける。「大丈夫」と返すものの、ミルトは引き下がらない。しかし、イージオにの邪魔はしないようにと、それ以上は何も言わなかった。
全神経をスクレットを見つけるために集中させる。いつかの二の舞なんて真っ平だ。呼応するように、去年の春、あのスクレットにえぐられた左腕が疼く。怪我も痛みもとうに消えたはずだが、ちくちくとした痛みが確かに走る。
刹那、殺意を感じた。先にいたのはゼークト。その、更に先。茂みの先に見つけたのだ。どうやったらそんな禍々しいそれを隠すことができるのかと思えるほど強大な穢れをまとった、人の形をした骨だけの存在を。
イージオの脳裏にあの日がよみがえる。悲鳴にも似た自分の声、立ち尽くすアル。そんなアルに向かって剥き出しの殺意を突き刺そうとするスクレット。間に合うか。間に合わなければ二の舞以上の失態だ。間に合うか、間に合え。
血相を変えて向かってくるイージオに気付き、ゼークトも同じタイミングでスクレットに気付いたようだった。しかし、意表を突かれたようで動くことはできない。スクレットの矛先は、ゼークトの心臓。
「ああ、くそ!」
堪らずイージオが毒吐いた、その瞬間。
目前に迫っていたスクレットとゼークトの間に、突如として茶色い壁のようなものがせり上がってきた。道を阻まれたスクレットは勢いそのままに骨を壁に突き刺すが、それなりの厚みがあるらしく貫通はしない。肩辺りまでせり上がった壁が、間一髪のところでゼークトを救ったのだ。
と、直後。
重たい風切り音が響いたかと思えば、イージオの身の丈にも近しいほど大きな剣によってスクレットが粉砕された。あまりの衝撃にゼークトが「うおっ」と小さく声を上げて身を引く。アンデッドを斬るというより、アンデッドごと地面を砕くように振り下ろされたその大剣は、せり上がってきた壁さえも叩き斬った。結果、他は形を保っているが、ゼークトがいる場所だけは壁そのものが消えてしまっていた。
イージオは目を凝らす。よく見れば壁は土の塊だった。ということは、と大剣の刃から柄の方に目をやる。これを作ったのは、文字通り助太刀にやってきたこの人だ。
「はは、デュールさんかっけー……」
思わずそんな感想がイージオの口からこぼれるほど、大剣の主、デュールの登場は勇ましかった。しゃがみ込むように着地したデュールがゆっくりと身体を起こす。途中、イージオを見上げるその目には芯の強さを表すかのように深い青が刻まれていた。そしてそれを隠さんとばかりに伸びる髪は少し重たい茶色。ああ、相変わらずだなとイージオは頬を緩めた。
一方でゼークトはどうやら目を丸くしているようだった。そりゃあそうだよなあ。イージオはかすかに喉を鳴らした。あんなに大きな剣を振り回してがたいもいいし、いかにもかっこいい男って感じなのに。
「ちっちぇえ……」
ゼークトがこぼした感想に、イージオは堪らず吹きだす。途端、大剣の主がものすごい形相で吠えかかってきた。
「イージオ!」
「えっオレ⁉」
「吹いたのはお前だろうが!」
「オレは無実だってデュールさん!」
「いや、俺は聞いたぞ。お前が吹きだす音」
身の丈以上の大剣を引き摺ることなく持ちながらずかずかと歩いてくるデュールに対し、イージオは慌てて後退る。
「だってゼークトがちっちゃいとか言うから……」
そう言って怒られる原因を作った新参者に文句を言おうとして、イージオの口は止まった。ゼークトを見ようとして、砕け散ったアンデッドは瞬く間に透明なクリスタルに――ならず、なぜかぼろ炭のように真っ黒いまま風にさらされ消えていった瞬間を見たからだ。
昇華、してない?
怒られていることさえも頭から抜け、イージオが首を傾げたその瞬間。
「あー!」
と、ラッパを鳴らしたような遠く伸びる声が後ろから聞こえた。その場にいた全員が一斉にイージオの後ろに目をやる。立っていたのは、目の冴えるような明るいオレンジの髪をボブカットで切り揃え、性格を表したかのように明るく輝く緑色の瞳をした女性。ああ、とイージオは安堵の息を吐いた。これで全員お揃いだ。オレのギルド、ブレイヴハウンズの面々がここに揃ったんだ。
「もう全部片付いてるし!」
驚愕とショックをない交ぜに叫ぶ彼女にイージオは笑った。
「遅いよ、たいちょー」
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