第08章 犬小屋への帰還

Chapter:035

「こっちこっち!」

 約一年ぶりに帰ってきたオトノウルプスの繁華街を、イージオはゼークトを引っ張りながら駆け抜けていた。

「おま、待てって! 俺には土地勘ねーんだぞ!」

「大丈夫大丈夫、取り敢えずついて来いって」

「大丈夫じゃなさそうだから言ってんだろが」

「あ、ここ右曲がるぞ」

「聞けよ人の話!」

 宣言通りイージオは右折し、再び速度を上げる。今まで走ってきたのが大通りだったことと、そこから脇道に逸れたこともあり、一瞬で閑散とした。その静けささえも振り切って、二人はひた走る。不穏な気配はまだない。

「なあ」

 ゼークトの声が後ろから聞こえた。イージオは前を見たまま「なに」と返す。

「こういうのってよくあることなのか」

「こういうのって?」

「だから、どっか行く途中に突然仕事頼まれることだっての! しかもなんかこう、手順とかも踏まずにいきなり……」

「あー、あるある。オレらにとっちゃよくある話だ」

 けらけらとイージオが笑うと、ゼークトは唖然としていた。言葉をなくしたゼークトに、イージオは「まあそのうち慣れるから」と笑う。

 この感覚も懐かしいなあ。イージオはひとりほくそ笑んだ。これがイージオの所属するギルドの風潮だ。

 助けを求めている人がいたら、まずは取り敢えず助ける。報酬は二の次。もちろん段階を踏んで依頼を持ってくる人も大勢いるが、それだけではまかり通らない。手が貸せるならまずは行動。それがうちのギルドのスタンスだ。

「ってか、結局何すりゃいいわけだよ。よくわかんねーまま走ってきてるけど」

 再びゼークトが後ろでぼやく。色々言う割には足を止めないあたり、真面目な奴だとイージオは思った。

「多分魔物かアンデッドの討伐だろ、あの様子じゃあ多少なりとも被害は出ちまってるのかも。オレもよくわかってねーけどさ」

「そりゃあ、あんだけの会話でお前が走り出したらな! 相手の規模も何も訊かずによ……」

「いやあ、ゼークトもいるし、他の仲間にも伝えてるっぽいし大丈夫かなって」

「にしても無計画すぎんだろ」

「貴族の館でいきなり飛び出したお前には言われたくねーなあ」

「ぐ、てんめ……」

 振り返ることをしなくとも、声音でゼークトの顔が引き攣ったのがわかった。これは怒らせたかなとイージオは言葉を探したが、すぐにそれを辞めた。誰かに呼ばれた気がしたのだ。慌てて立ち止まる。

「お、おい、急に止まるな」

「今、誰かが……」

「え」

「しっ」

 手を出し、ゼークトが喋ることを止める。自分たち以外の気配を探る。

「イージオ!」

 直後にすぐさま、今度こそはっきりと聞こえた。背後、ゼークトよりも遠くから聞こえたその声に振り返ると、視界に飛び込んできたのはイージオにとっては懐かしく見慣れた青年だった。

「ミルトさん!」

 青とも紫ともいえる髪が太陽の光を受けて光る。ひと際高いその身長は、しかし圧迫感などなく頼もしい。ゼークトは表情を硬くしたが、イージオは懐かしさと安堵で胸を撫でおろした。

 名を呼ばれた青年、ミルトは人の好さそうな顔で微笑む。

「おかえり、来てくれてありがとう」

「ただいま。他のみんなは?」

「現地集合かな。あ、でも後ろからサーヴァルも来てる」

 後ろ、と呟いてイージオは身体をずらしてミルトの背後を見ようとする。イージオもそれなりに身長も体格もいい方だが、ミルトはそれ以上にある。それに気付いたらしいミルトは、小さく微笑んでイージオの邪魔にならない場所に身を引いた。すると、もう一人こちらに向かってくる人物が見えた。間違いない。ミルトが言った通り、やってきたのはサーヴァルという青年だった。

 おーいと手を振るサーヴァルは、ミルトに比べるとわずかに小柄だ。とはいえ結局イージオやゼークトと身長はほぼ同じだ。黒い前髪を目が隠れてもなお伸ばし、そのセンターから頂点を越え、後頭部までという頭の真ん中のみ金色に染めるという一風変わった髪型だ。だがそれが彼の証明に他ならない。

「ごめん、遅れて。おかえり」

「ただいま。いや、オレたちも今着いたから」

 ミルトとサーヴァル、そしてイージオが顔を突き合わせて朗らかに笑う。そんな様子を、気持ち程度離れた場所でゼークトが複雑な表情で見ていることにイージオは気付いた。

「あ、わりわり。紹介するぜ」

「んなことより仕事優先だろ。こっからはどうすんだ」

 てっきり仲間外れのような感じになってしまっていることに微妙な感覚を覚えていると思っていたイージオは、ゼークトのその言葉に目を丸くする。しかし考えずともその通りだった。ミルト、サーヴァル、イージオは互いの顔を見合わせ頷き、再び走り出す。その後ろをゼークトも無言のまま追いかけて来た。

「ごめんね、まともな自己紹介も後回しで」

 成り行きでゼークトの横を走ることになったサーヴァルが、依然として硬い表情のゼークトに声をかける。ゼークトは驚いたようで、単語として成立しない言葉を繰り返す。

「え、あ、いや……えと……」

「落ち着いたらちゃんとするから今は名前だけ。俺はサーヴァル。即戦力だってイージオから聞いてるよ。よろしくね」

「俺はミルト。よろしくね」

 さり気なく会話に入っていったミルトに驚く余裕もないのだろうか、ゼークトはノーリアクションのまま小さく頭を下げた。

「ど、ども……ゼークト、です」

 しどろもどろになりながら言葉を探すゼークトの声を聞いて、イージオは思わず走りながら笑ってしまった。

「ははっ、お前が敬語なんて慣れねー」

「う、うっせ! さっさと前見て走れ!」

「はいはい」

 イージオ自身、場所の見当は大体ついているが、細かな指示を途中でミルトが出す。それに従って右へ左へと路地を曲がって走り抜ける。道中、イージオが並走するミルトに訊ねる。

「状況とかってわかる?」

「普通、訊いてから動くもんだけどね」

「う、ご、ごめん」

「まあそこがイージオらしいというか」

 ふふ、と顔を綻ばせるミルトだったが、すぐに真剣さに色を変えて言葉を継ぐ。

「ちょっと厄介なアンデッドがいるみたい。スクレットがいるとか」

「マジで!?」

 イージオと、後ろのゼークトも思わず声を荒げる。サーヴァルがほんの少しだけ身を震わせた。

「ここにもいるのかよ」

「ここにも?」

 ゼークトの呟きに、ミルトとサーヴァルが揃って訊き返す。言葉を継いだのはイージオ。

「プリモタウンにも一体だけ現れたんだよ。原因はよくわかってないけど」

「あれって穢れが極端に多くないと生まれないとか、そういう存在だよな」

「えっと多分そんな感じじゃね? オレよくわかんねーや」

「そうだ、お前に聞いても意味ねーわ」

「うぐぅ」

「まあ、そういうものだよ」

 半ば不毛なやり取りをしていると、サーヴァルが割って入る。

「アンデッドは時間経過で穢れが強くなるんだ。それによって形態と種類が変わってくる。単純にアンデッド化してからの時間が長くなればなるほど、保持した穢れの濃度が高くなるから、形態変化に伴って殺戮衝動や攻撃力もあがる」

 へえ、とゼークトが声を零す。イージオもイージオで、さすが本の虫と心内で笑った。

「でも、スクレットほどとなると、むしろ今まで討伐されなかったのが不思議なくらいだ。あれはアンデッドの最終形態だし、あれに成り果てるまでには数年単位の時間が必要になるはず」

 そこまで言って、サーヴァルは少し考え込むように口を閉ざしたが、そう間を空けることもなく言葉を継ぐ。

「いくら郊外と言えど、五大地方の都市だ。そう簡単に穢れの濃い存在が隠れ続けられるような場所じゃあない」

 訝しむ声に、イージオもうーんと唸った。確かにスクレットという存在自体、プリモタウンで初めて見かけたレベルだった。最初に対峙した時は斃す余裕など全くないままに、アルを庇うことに必死だった。最終的にあれがアルの母親だったことには大そう驚いたが、問題はあのスクレットがどれくらいの間アンデットだったのか、ということだ。

 アルの母親だったというスクレット。アルが母親を死なせてしまったと言った時期が今から約十年前。死んでしまった存在が昇華されず、穢れをまとい、アンデット化してしまったというのなら、最長でアルの母親は十年もの間アンデッドとして存在していたということになる。

 あれ……?

 そこまで考えて、イージオはある疑問にたどり着いた。

 じゃあ、なんでアルの母親だったスクレットはプリモタウンにいたんだ? アルが昇華詠唱術を暴発させたのは、故郷のウィンタルース地方の辺境だったはず。プリモタウンがあるレリクイアカプト地方じゃない。それがどうして世界の中心に、しかもわざわざアルが依頼を受けてやってきた年に。それとも元々プリモタウンにいたのか? いや、いたとしてもなんで今まで討伐されなかったんだ? それに、なんで今年は隠れるんじゃなくて堂々と前に出てきたんだ?

「なあ」

「いた、あそこ!」

 振り返り、イージオがサーヴァルに浮かび上がった疑問をぶつけようとした瞬間、隣のミルトが声を上げた。やむを得ずイージオは意識を現実に引き戻し、腰に帯びた愛剣に手を添える。

 路地の先に見えたのは、アンデッドの群れらしきなにかと戦闘中らしきギルドの仲間たちだった。真っ先に視界に入ったのは明るい緑の男二人組。黄緑ではなく蛍光色の緑だ。獰猛な顔で短剣を腕いっぱいに振り回し、二人揃って縦横無尽に駆け抜ける。しかし決して互いの進路を邪魔することなく、むしろコンビネーションともいえるくらい滑らかにひとつ、またひとつとアンデッドを昇華していった。

 二人組の連撃が一段落といったところで、今度は別の剣がアンデッドを屠る。イージオが持つ片手剣よりは少し大ぶりな、両手で持つべき剣を握るのは小柄な少年。

「ウンシュ! ルディヒ! ソンブル!」

 それぞれの名を呼び、彼らのもとに走り寄る。薄暗い路地を抜け、わずかとはいえ日が差す開けた場所に出たことで、一瞬だけ目が眩しさに負けるが構ってなどいられない。

「イージオ! おかえり!」

 緑の二人組であるウンシュとルディヒが揃って叫ぶ。

「おう、ただいま!」

 イージオはどっちも目に入る場所に向かって叫んだ。服装も顔も声もまるで同じ双子なこともあり、正直久々に再会した今は、どっちがどっちかわからない。が、そんなことはどうでもいい。

「他は」

 誰ともいわず訊ねる。答えたのは双子ではない三人目の小柄な少年、ソンブルだった。

「おかえりなさい。向こうにシックさんが。イージオさんたちとミルトさん、サーヴァルさんが来てくれたので、後は隊長とデュールさんだけです」

「ただいま、わかった」

 こんなときでもみんなおかえりって言うんだなあ、と小さく笑みながら踵を返すと、そこにはもう一人、薄紫のポニーテールをなびかせた、イージオもシックさんと呼ぶ女性がいた。どうやら敵は男たちが集まっている場所に多かったようで、彼女の周りにはさほど数はいない。

 しかもそれさえも、彼女がこの一瞬で蹴散らした。柄しかない剣から猛々しい風が奮い立ち、薙ぎ払うように振れば、たちまちアンデッドたちは昇華していった。辺りでは、アンデッドだった存在の成れの果てである、砕けた透明な結晶が、風に煽られ消えていくだけ。それらを見届けたシックは、イージオたちに合流する。

「おかえり」

「ただいま。隊長たちは?」

「今日は別で仕事してたからよくは……わたしたちは偶然この辺りだったからすぐ駆けつけることができて……」

「そっか。一般人の避難とかは」

「大丈夫、全部終わってる」

 それを聞いてイージオは一息吐いた。確かに周辺を見てみても人はいない。取り敢えずは終わったということだろう。不穏な気配が消えて安心したのか、隣に立つシックも安堵の表情を浮かべていた。でもこうなると。イージオは複雑な顔で頬を掻いた。

「……なあ、オレたち来る意味あった?」

 などと、拍子抜けにイージオが言った直後だった。

「おい構えろ!」

 張り詰めたゼークトの声に一同は身を固めた。同時に、シックがさっきまで居た場所のさらに奥の茂みから明らかに強い穢れを感じた。それも単体ではない。

 揺れ動く茂みが妙におぞましく見えた。それもそのはず。あまりの穢れに植物が耐えきれなかったのか、瘴気を纏いながら枯れていったのだ。

 その先から進軍してきたのは禍々しい気配を穢れに乗せた、おびただしいアンデッドの群れだった。その場にいた全員が、表情を引き締めて各々の武器を構える。

 そんななか、イージオは群集を見てにやりと笑った。

「へえ」

 愛剣が、日の光を受けて勇ましく藍色に輝く。

「第二ラウンドってか……面白れーじゃん」

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