Chapter:034
その手に日の光を浴び、輝くレイピアを携えたクレアさんは、動けない俺の前に立ち、未知の黒い光で俺に斬りかかろうとしていた男の剣を勇猛果敢に薙ぎ払った。
その姿に俺は安堵から腰が抜け、力なく地に膝を着ける。
「ありゃあ」
「俺の大事な部下に何してくれてんだ?」
「あんたが来ちゃったんじゃあ、これ以上は無理ですね」
「ほう」
「いやいや本当ですよ? いくらオレでもあんたの相手は骨が折れますもん。
にやりと笑って言い放った男に、クレアさんは眉間にしわを寄せる。しかし、動こうとはしない。
「さてな。生憎、人間相手の通り名なんて覚えていない。で、どうする」
「素直に逃がしてくれるんですか?」
「お前が素直に逃げるだけならな」
「本当に?」
「人命最優先だ」
「は、目で人を殺せる者が笑わせる」
唐突に気配を変え、男は蔑みを含んだ低い声音で吐き捨てた。俺が動けるのなら斬りかかっているところだが、クレアさんは依然として冷静なままだった。何も言わず、男の次のアクションを待っていっるようだ。
「…………しょうがねーなあ」
再び気配を変えた男はやれやれというように呟くと、挙げていた両手を目の前で叩いた。
「潔く帰りますよ。さっきも言いましたけど、あんたを相手にするのは面倒ですからね。ここは従っておきましょ」
「は!?」
あっさりとクレアさんの言葉に従った男に、俺は動揺を隠せなかった。あれだけ俺たちをなぶったというのに、ここにきてこうも簡単に踵を返すなんて。
「ふざけんな!」
太刀打ちできなかった悔しささえ忘れ、俺は男に吼えた。クレアさんがそんな俺を制止するように「おい」と小さく言うが、構ってなどいられなかった。
「命拾いしたんですから越したことはないでしょ。大丈夫ですよー、嫌でもまた会いますから」
できることなら二度と会いたくない。しかしその思いを口にはせず、代わりに睨み付ける。
「お前は一体何なんだ」
すると男は振り返り、その不気味な濁った青と緑の目で俺を数秒見た後、まるで面白い玩具でも見つけたような表情で言った。
「オレたちは【イディオ】──愚かしきもの、です」
イディオ。聞き慣れないその単語を頭で咀嚼しているうちに、男は俺たちに背を向けた。そのままひらひらと片手を挙げる。
「それじゃあ、また」
軽妙で、どこか下卑た笑い声を最後に男は姿を消した。
途端、張り詰めていた空気が消え、クレアさんが剣を下ろす。
「大丈夫か」
「……はい」
俺は掠れた声で返事をし、クレアさんを見上げようと顔を上げようとして──
そこから先は覚えていない。
気が付いたら真っ白い壁と天井に囲まれ、真っ白い布団の中にいた。かすかな消毒液の匂いがツンと鼻につく。意識がはっきりとしたところで、ここが病院であることを理解した。俺はあの後すぐに気を失ったらしい。
しばらくして病室に来たベルナとピュールさんの話によれば、例の男と先に交戦していたリュゼさんとオネストは、当時こそ意識はなかったものの、目立った外傷も後遺症もなかったそうだ。俺より先に意識を取り戻し、経過も順調とのこと。
むしろ問題は俺の方で、利き手ではないにしろ片腕丸ごと持っていかれそうなほど斬られながら、氷で止血という荒療治とさえ言えないことをしたため、腕を使うにはしばらくリハビリが必要だそうだ。聖星術で治療したとはいえ、感覚を取り戻すことは怪我をした本人がどう頑張るか次第だと。
しかし、今回の件についてはまだ何も終わっていない。
ラドロと名乗ったあの男は一体何なのか。イディオとは何なのか。奴は何故現れ、俺に手合わせと称して喧嘩をふっかけてきたのか。
何より、何故俺が剣士であることを知っていたのか。
イディオという存在については、どうやら
「あれについては、本当にその事実しかわかっていないんだがな」
クレアさんはそう前振りをしたうえで、こう切り出した。
聖星術の発動後に光が変化して特定の色から黒になったのは、穢れによる無理な聖星術の増強から来るものなのだという。本来は穢れを浄化するはずの力を、穢れで強化するなどとは、なんとまあ歪なことか。端的に言えば、聖星術の役割を果たしていない。その代わり、圧倒的な力を使役することができるため、戦闘には向いているということになるが、それも一概に言えることではない。
穢れを伴うということは己の命を削ることに直結する。俺たち人間は、自身の上限以上の穢れを保有してしまえばいとも簡単にアンデッドになり得てしまうからだ。去年一年間、ひたすら討伐してきたあの存在に。
だが、今回はアンデッド以上の化け物と遭遇してしまったと思った方が良い。
今までアンデッドや魔物といった「人間以外」の存在ばかりと戦ってきた。当然といえば当然だ。プリモタウンでも、このクレンペールでも、俺は「人間を守る」ために戦ってきたのだから。
しかし今回は人だ。人と戦い、太刀打ちすら敵わず惨敗し、死を覚悟した。
クレアさんも、リュゼさんも、オネストも、相手が悪かったと口を揃えて言った。あんな人間そうそういない。あんな奴ばかりではないと。それでも俺は「そうですね」とは返せなかった。
あいつは俺を狙って現れたのだ。他の誰でもない俺を。俺がここにいなければ、誰も傷付くことはなかった。何より、俺がもっと強ければこんなことにはならなかった。そして奴は、嫌でもまた会うと言った。ということは、このままでは駄目だ。俺は強くならないといけない。
俺は人と戦う術を知らなければならない。
同時にごまかしも辞めなければならない。
俺はある日クレアさんのもとを訪れた。この町で最も強い人は、この人をおいて他にはいない。俺は決意を伝え、彼に教えを乞うた。人との戦い方を、剣での戦い方を。
クレアさんは少しだけ驚いたが快諾してくれた。俺にできることはやろう。教えられることは教えよう。そう言って、どんなに間隔が空いても週に一度は手合わせをしてくれた。それにここには近距離戦を得意とする者ばかりが集う。戦い方を心得るには充分だった。
人と関わることを恐れたツケが、様々なところで回ってきているのを感じたが、臆している暇などない。俺は強くならなければいけない。やっとできた仲間を守るために。もう誰も失わないために。もう誰も殺さないために。俺は、人を守るために戦ってきたのだから。
あのラドロという男と対峙してから、どうにも拭えない不安が静かに身を侵す感覚がしたが、それでも俺は強くならなければと言い聞かせた。
言い聞かせなければ、挫けてしまいそうだった。
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