Chapter:030

 ほんの数分だけ出るのに遅れたはずなのに、クレアさんの背中を見付けたのは現場に辿り着いてからだった。

 別に道に迷った訳ではない。向かう道中、俺以外の二人が、とあるタイミングから道を指示し始めたのだ。曰く、電話がなくとも、ある程度の距離なら意思疎通ができる人工的な属性の聖星術が存在するらしい。導かれるままに向かうと、既に魔物やアンデッドと応戦するクレアさんとベルナの姿があった。

 前衛のリュゼさん、オネストは、空っぽだった右手にいつの間にかそれぞれの武器を携えていた。先に戦闘している二人を見つけるや否や、速度を上げて突っ込む。

 先に獲物を捕らえたのはリュゼさんだった。

「清めて祓え──」

 右手に逆手で構えるのは短剣。短い詠唱句を唱えながら、迫り来る魔物に臆することなく向かって行く。その間、短剣には水色の光が宿り、やがてその光が意思を持った水へと変わる。

「アクアプルース!」

 鋭い声で術の名を叫ぶと同時に、彼女は目の前に襲い来る魔物へ、水で覆われた短剣を深々と突き刺す。激しい動きに、結われた髪が荒々しく揺れる。時折露になるきれいな背中は、不思議と隙を感じない。

 血液より先に彼女の聖星術により生み出された水が魔物から溢れ、魔物を覆い──刹那、形を保つことも許されなかったそれは、穢れを浄化され結晶と化し、砕け散った。

 のも、束の間。

 いつ現れたのか、彼女の背後に新たに、今度はアンデッドが現れていた。咄嗟に弓を構えようとするが、しかし間に合わない。

 いや、構える必要がなかった。

 俺が行動を起こす前に、リュゼさん自身が対処したのだ。振り向き様に派手に一発蹴りを入れ、身動きが取れなくなったところに容赦のない一突き。こちらも直後に昇華され、瞬く間にその歪な命が終わりを迎えた。

 そのすぐ隣に、第三波が──というのも、俺がなにかをする間もなく砕けた。

 見ればそこには、少し大ぶりな片手剣を振り下ろしたオネストが居た。

「あら、やるわね」

「オレだって、あなたと同じクレアさんの部下ですから」

 意気揚々と答えるオネストは、直後踵を返して剣を一閃。それを見てリュゼさんは「へえ」と笑った。

「じゃあ背中は任せるわよ」

「その言葉、そのままお返しします」

「当然よ、誰に物言ってんのよ」

「その言葉も」

「ふ、おませさんね」

「知ってます」

 会話の間に囲まれたというのに怯みもせず、むしろ楽しそうに笑っていた。直後、襲い掛かってくる魔物やアンデッド相手に、二人は果敢に各々の剣を振り回して向かって行った。それこそ言葉の通り、互いの背中を守りながら。あの二人に援護は不要だろう。そう思った俺は、周囲を見渡す。

 クレアさんにはベルナが居る。といってもよく見ればあっちはあっちでほとんどクレアさんが単独で敵陣を一掃していて、ベルナは申し訳程度にその周りの魔物を焼いているだけのようだ。援護とは何だったろうかと心内で呟き、視線を外す。

 すると、視界の端で横転した黒塗りの車を見つけた。報せに来た男が言っていた行政部の公用車なのだろう。よく見てみれば、公用車のすぐ近くに、人が数人座り込んでいた。

「大丈夫……ですか」

 駆け寄り、問い掛ける。誰でもいいから反応してくれと願っていると、やがて一人が小さく呻き、ゆっくり顔を上げた。

「あ……貴方は……?」

 顔を上げたのは、真っ白な青年だった。髪も、目も、身に纏う服も、驚くほどに白い。アクセントのように胸元のリボンと肩紐は紅色で、状況が状況なだけに血を彷彿とさせ、身体が強張ったが、そうではないと気付き小さく息を吐く。

国家キヴィタスの傭兵です。大丈夫ですか」

 改めて訊くと、青年は小さく、しかし確実に頷いた。

「……はい、大丈夫です。僕も、公用車に乗っていた方々も、皆」

「そうですか。なら良かった」

 俺の言葉に、彼は力なく首を横に振り再び俯いた。

「いいえ、僕は……僕達は戦う術を持ちません。足手まといになってしまうことを、どうやって詫びるべきか……」

 思わず目を瞠る。戦闘技術を持たないことにではない。技術を持たないことに対して罪悪感を持つことに驚いたのだ。それこそ、敵と戦う役目を持つのはクレアさん率いる防衛部と、秩序を正す治安部の役割である。言ってしまえば、戦闘に於いてはそれ以外の管轄の出る幕はない、はずだ。できないことまで担う必要はない。それを、詫びようとするなどと──

「大丈夫です」

 はっきりとした声で応えると、彼は「え……」と声を零して顔を上げた。その、俺とは異なる白と灰色の境界のような目を見て、続ける。

「詫びる必要は、ありません。ただここでじっとしていてください。俺達が必ず、皆さんを守ります」

 そう言い切り、引き千切る勢いで首に掛けているペンダントを右手で掴む。右手に弓を作り、左手に氷の矢を生み出す。勢いそのままに、俺は背後へ振り返る。目に映ったのは、俺を喰らおうと大きく口を開け飛び掛かってきている、腐臭を放つ肉塊のアンデッド・モミア。

 ゼロ距離──!

 どう間違っても矢が当たる距離にまで迫って来ていたモミアに、一切の躊躇いもなく矢を放つ。当然避けることなどできず、開けていた口に吸い込まれるように矢が突き刺さる。貫いた矢は役目を終え、瞬く間に溶けて消えた。そして貫かれたモミアは須臾のうちに全身が氷に包まれ、生の終わりを迎え……。

 そこで俺は、眉をしかめた。

 襲い掛かろうとしていたモミアは、確かにその生命力を俺の矢によって根こそぎ持っていかれた。実際、肉塊とはいえど曲がりなりにも人の形を保っていたが、矢を受けた直後に氷漬けになり──

 ──そして、透明な結晶ではなく、消し炭のように真っ黒になって砕けた。

「…………どういうことだ」

 見たことのない事象を目の当たりにし、誰にでもなく呟く。当然返事はない。

 どういうことだ。アンデッドは、穢れに侵され自我を失った存在は、自らの意思で死ぬことを許されない。だが、他者に引導を渡してもらえば、穢れは浄化され、肉体を結晶化させ、昇華することで救済が叶う。

 しかし今のは。

「無事か」

 突然降って来た声に思考が止まる。いつの間にか俯いていた顔を上げれば、立っていたのはクレアさんだった。

「あ……す、済みません、ぼーっとしてて」

 どれくらい呆けていたのだろうか。それすらわからず頭を下げる。

「いや、無事ならそれでいい。というか、仕留め損ねた奴を君が討伐してくれたんだ。謝る必要もない。むしろ助かったよ、礼を言う」

 朗らかに笑う彼は、左手に握っていた細剣を消し、その左手を差し出して来た。それが握手の意であること察し、俺も左手を出す。力強く握られた手は、陽だまりのような安心感を俺に与え、今しがたの違和感すら頭の隅に追いやるほどだった。



「先程は助けてくださり、本当にありがとうございました。僕はピュール・マルゲリートゥムと申します。バッカス大統領の命により、この町の統治者としてここに派遣されました。戦いは出来ませんが、それ以外のできることには全力を尽くします。どうぞよろしくお願いします」

 丁寧な言葉と所作で、真っ白い青年は言った。

 支所に戻り、手当てやら何やらを終えた俺達は、再び執務室に戻った。

 ピュールと名乗った青年は、俺やクレアさんより高い身長の割に、どうにも身体は細い。というか薄い。本当に戦う技術は持たないのだろう。しかしそれ以上に、凛とした振る舞いが、彼の物理的ではない強さを引き立てる。この人が、人の上に立つに相応しいと思わせる。

「はー。噂に聞く以上に生真面目だな、君」

 口角を上げて、クレアさんが言う。噂とは、青年を寄越した大統領からだろうか。

「それが僕の取柄なので」

 ピュールさんがにこりと微笑んで返すと、クレアさんは「そうかい」と目を伏せた。

「ま、これでこの町に必要な人間は揃った訳だ。これから忙しくなるぞ」

 どこか嬉しそうにクレアさんが言うと、雇われの身である俺とベルナ以外も、同じようにどこか嬉々とした表情で頷いた。すると、国家キヴィタスの人間とは様子が異なる俺達に気付いたのか、クレアさんは俺達に身体を向けた。

「町を開拓、その後統治するってのは、国家キヴィタスでもなかなかない仕事でね。そもそも今の時代、開拓する場所すらあまりないんだ。そんな中、ウィンタルースの新しい、しかも主要都市にするという計画に全面的に携わることが出来る。俺含めて、今回のことはかなり誉高い仕事だと思ってるんだ」

 隣でベルナがへえ、と感嘆の息を零す。俺も声にはならなかったが、全く同じことを思った。

「そんな重要、というか誉高い仕事に俺達も含まれていて大丈夫なんですか」

「大丈夫も何も、面子決めたのは俺だからな。行政部の采配は別として」

 クレアさんの言葉の真意が読めない雇われ者の俺達は、揃って首を傾げる。彼は続けた。

「だって君達、力を克服したんだろう? 常人には扱えない、或いは持つことすら許されない力を」

 刹那、俺もベルナも息を呑んだ。そして、この場に集う今回の計画に携わる、クレアさん以外の全員が驚愕の色に染まる。

 当然だ。俺はともかく、ベルナの力は忌み子のそれだ。克服したとはいえ、もう忌み嫌われることがないとはいえ、そう簡単に割り切れるものではない。

 今までクレアさんと話す中で、何度か俺達の【特別な力】についての話題が出たことはある。しかしそれは、それを認知そている者しかいなかった時のみだ。それを、いきなりここで話題に出すなんて。

 思わず睨み付ける。しかし彼はそれに対して困惑するどころか、むしろ好戦的な笑みを浮かべてきた。

「安心しなよ。ここに居る連中は全員理解がある。それはピュールだって含まれる」

 なあ? と青年に問えば、彼は間髪入れずに頷いた。

「口でなら何とでも言えます」

 つい言葉が溢れる。隣に立つベルナが、不安そうにこちらを見ているのがわかった。だが俺は、それでもクレアさんを睨み続けた。しかし彼は、いや、やはり彼は怯まない。

「まあ確かに」

 くつくつと笑うクレアさんに、俺は歯噛みした。馬鹿にしている、というより、試されている感じがこの上なく嫌だった。何が目的なのかわからない。

 が、直後に続いた言葉に、俺はたじろいだ。

「それなら、俺からひとつ機密情報を教えよう」

「……機密情報?」

 訝し気に言葉を反芻した俺に、彼は「ああ」と頷く。

「つっても、ここに居る国家キヴィタスの人間は知ってることだから、さして機密とも言えないがな」

 その顔から表情が消え、すう、と息を吸う音が聞こえ、紡がれた言葉はこうだった。


「俺もかつては忌み子だった。それも、力の暴走で町ひとつ分の人間を殺した、な」


 息を、呑むことすらできない、静寂。

 しばらくして、沈黙を破ったのはベルナだった。

「そんな……」

 彼女は両手で口を覆い、吐息と共にそれだけを漏らした。

「驚いたかい?」

 再び笑い、クレアさんは首を傾げた。

 それに対して、俺は何も言えなかった。

 いや、驚いたのは驚いた。しかし、今までどうにも合点がいかなかったことが、この言葉が事実であるなら辻褄が合う。

 俺は忌み子ではない。だが普通でもない。本来忌み子しか扱えないはずの昇華詠唱術が扱える。忌み子でないと言い切れるのは、両親は俺を認めていたから。愛していたから。それは自覚していたし、そうという事実も、あの凍てつくような晴れの日、俺の誕生日に改めて知った。だが忌み子は親に愛されない。ベルナがそうであったように。

 要は、ベルナや俺のような【普通ではない】存在を、あっさりと認め、仲間にしたことが腑に落ちなかった。

 俺達は本来なら疎外される存在。いや、もうベルナは関係ないか。しかし俺は──あの日のことで力を克服できていたとしても、忌み子のように明確なものではないはずだ。何せ前例がないのだから。そんなよくわからない、言ってしまえば得体の知れない存在を、自らの許へ招いたのだ。

「……俺達を呼んだのは、自分も同じだったから……?」

 長考の末、出てきた言葉は疑問だった。

 対する元忌み子の答えは首肯だった。それも、今までとは違う優しい微笑みでゆっくりと、力強く頷いた。

「忌み子なんてのはそう居ないからな。まして、克服した存在なんかもっと居ない。俺は特別たる君達に、別の意味で特別な仕事をしてもらおうと思ったんだよ。元特別な俺と、その仲間と一緒に」

 ふと、周りを見れば、オネストも、リュゼさんも、ピュールさんも笑みを浮かべていた。嘲笑のそれではなく、優しさと温かさを含んだ笑みを。

 ああ、そうか。彼はそれを知ったうえで、自身と同じ、或いは似たものだと理解したうえで俺達を呼んだのだ。そして、彼の素性を知ったうえで、彼を慕う部下が居るからこそ、きっと俺達をここへ呼んだのだ。

「改めてようこそ、国家キヴィタスへ」

 笑顔を湛えたままクレアさんが言った。

 その瞬間、気付いた。この人は、俺達に居場所を与えてくれたのだ。俺とベルナに、新しい居場所を。誰かにとっての何かではなく、社会的な居場所を。

 俺達は既に、イージオやエリー、ゼークトにとっての仲間、友人という居場所は持っている。しかし今まで人と関わることを避けてきた、或いは、大きな世界を知ることが赦されなかった者達が次に必要になるのは、社会的な存在意義になる。かつて忌み子だというのなら、彼とて同じだったのだろう。

 ベルナがその意図に気付いたかどうかはわからない。もしかしたら、俺の思い込みかも知れない。だが俺は、ようこそと言ってきた言葉を、凄味なく向けられた優しい笑顔を、拒むことはできなかった。

 何か返事をする代わりに、俺は深く頭を下げた。非礼とも取れそうな態度への謝罪と、その寛大さに敬意を表して。

「おいおい、そんなかしこまるなよ」

 行動が予想外だったのか、クレアさんの困惑した声が降ってくる。驚いて顔を上げると、彼は苦笑していた。だがそれもほんの一瞬で、すぐまた人の好さそうな顔になり、小さく「よろしく」と言った。俺も「はい」と小さく答える。

 やり取りが終わった途端、オネストが飛び跳ね、俺のもとにやって来た。

「改めてよろしくお願いします、アルさん」

 やはりというか、オネストは先程同様に、一切態度を変えない。きっとこの少年には関係ないのだろう。そういうところに無頓着なのは本当にイージオに似ている。今度あいつと会うことになったらすぐに話してやろう。

「ああ、よろしく」

 一方、ベルナはベルナでリュゼさんと話し込んでいる。声が小さくて何を話しているのかわからないが……と思っていたら、突然ベルナが声を張り上げた。

「なっ何の話ですかぁ!」

 あまりの動揺っぷりに、当の本人でもなく、会話の相手でもないオネストが一番目を丸くした。が、その話を掘り返す暇もなく、クレアさんが口を開く。

「そういやピュール、君、この町もとい新都市の名前決めたか?」

「名前?」

 答えが出るより先に、ベルナが言った。すると、問われた本人であるピュールさんが、はいと言って続けた。

「新たな土地を国家キヴィタスが開拓する場合、最初に統治することになった者が町の名前を決めるんです。今回は僕がそれになるので、決定権は僕にあります」

 へえ、と、俺とベルナが口を揃える。

「決めてますよ、名前」

 彼はクレアさんに向き直ると、微笑んで頷いた。

「ほう、じゃあ発表してもらおうか」

「わかりました」

 全員がピュールさんを見据える。その眼差しに応える如く、初代統治者は凛とした声で言った。


「堅実都市クレンペール──それが、僕が統べる都の名です」


 かくして俺の新しい一年は、新しい仲間と共に、新しい場所で始まった。

 後に襲い来る出来事など、露ほども知らないままに。

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