Chapter:029

 彼女は多少目を見開いてはいるものの、俺ほどに驚いている様子ではない。ということは、俺がここに居ることを……いや、今日この車に乗ることを知っていた、のか?

 などと、必要かどうかもわからないことを考えていると、後ろから声が掛かった。

「どうした、はやく乗れよ?」

「あ……はい」

 クレアさんに急かされ慌てて乗り込み、ドアを閉める。座席に座ると、当然ベルナとの距離が近くなる。

「えっ、と……どうしたんだ?」

 ベルナの顔を見ないまま、言葉を探しながら問う。すると彼女は思いの外すぐに口を開いた。

「……手紙を、貰ったのよ」

「手紙?」

 予想外の答えに思わず彼女の方へ振り向くと、彼女は彼女で俺から視線を外して、小さく頷いた。

国家キヴィタスに来ないか、って。克服したその力で、今度は人を守らないか、って……」

「人を……」

 人を守る、か。

「……守りたいって思ったの。救いたいって、思ったの。あたしにそれが、できるのなら」

 確固たる決意──とは違う、何か。期待と不安がい交ぜになった声音。

 忌み子と呼ばれ、その出生故、今までどれだけ彼女が悩み、苦しんできたのかは想像に難くない。だが、そんな彼女を本当に理解するためには、どうしたら良いのかということは想像などできない。きっとそれほど過酷だっただろうと思う。

 だが、ベルナは。彼女は、それを経験してもなお、誰かのためにと動いたということにだ。それがどれだけ勇気の要ることか。

 何年もそれができなかった俺には、痛いほどにわかってしまう。

「……そうか」

 その心の強さを分けてほしいと思いながら、俺は頷いた。しかし彼女は俺を見ることもしないまま、返事らしい返事もせず小さく続ける。

「そ、それに……あ、あんたが居るって……聞いて……」

「え?」

「な、何でもないわよ」

 俺が? 何故? そう思って訊こうとするが、食い気味にそう言われ、そこで会話は途切れてしまった。

「ちゃんと乗ったな?」

 いつの間にか運転席に乗り込んだクレアさんが俺達に訊ねる。ミラー越しに合った眼を見ながら俺は大きく頷いた。

 直後、エンジン音が鳴り響いた。腹まで響く振動と重低音。あまり慣れない感覚に思わず身体が強張る。

 そんな俺のことなどお構いなしに、車は走り出した。

 公用車はシュタットオーダーの外れを北東に抜け、あまり舗装されていない悪路を進んで行く。時折跳んだのではないのかと思う程の浮遊感を味わいながら、変わりゆく景色をぼんやりと眺めていた。

「そういえば君達、揃ってプリモタウンからここに来てもらったんだが、面識はある……んだよな?」

 正面を向いたまま、唐突にクレアさんが言った。

「ええ、まあ……あります」

 小さく頷くだけのベルナに代わり、応える。

「ただ、俺は彼女が……ベルナがここに来ることは知りませんでした」

「おや、そうなのかい」

 彼の背中ではなく、鑑越しにクレアさんの顔をうかがう。彼が一瞥したために再び眼が合うが、その本心は相変わらずわからない。

「まあ一緒に来いとも言わなかったしなぁ。アルには帰って来てほしいと伝えたが、ベルナには来てくれたら助かると添えただけだからな」

「何故昨日教えてくれなかったんですか」

「君が来た時点では、まだベルナが来ることが確定してなかったからさ」

 そこで言葉が切れたが、個人的にはそれだけが理由であるとは思えなかった。するとそれに気付いたのだろうか。クレアさんは言葉を継いだ。

「本人が今朝までにトーレコンシリアに来なければ交渉は決裂、来てくれたら交渉成立ってことなんだよ。君への手紙でも書いてたろ? 受けてくれるなら戻って来てくれ、そうでなければ速やかにこれを破棄してほしい、と」

 ……そんなことが書いてあったなと思い返す。そうだ、その謳い文句があったから、俺は返事をしたためるでもなくここに来たのだ。結局赴いてもなお意思確認はされたが、それはクレアさんなりに、最後の選択をさせる余地のようなものだったのだろう。もっとも、彼の許へ向かうことを決めた時点で、迷いなどなかったのだが。

「彼女が来たのは、君と別れた後だった。だから君のことは彼女に伝えることができた。それだけの話だ」

 つまりベルナはその言葉に従って来ただけで、要はタイミングの問題であると。

「……そうですか」

「ああそうだ」

 話はそれで終了らしく、クレアさんはそれっきり口を閉ざした。

 車で揺られ続けること数時間。

 舗装だけでなく視界も悪い道が開けたと思ったら、もうそこは人や物資が行き交う、人のために存在する場所だった。

 更に揺られること数分。ようやく車が止まり、俺達は外に出た。

 足元は固められた土ではなく、人の手が施された石畳。周辺を見渡せば、骨組みだけの建物によじ登り、建築を進めようとする人や、明らかに業務用と見える大きな荷物を抱えながら通りを歩いて行く人などが目を引く。いや、むしろ、そういう人しかいない。要は、まだここが人の住む町としての準備段階にあることが見てわかる。

「おーいアル、こっちだ」

 クレアさんの声で、我に返る。どれくらい立ち尽くしていたのだろうか。声のした方を振り返ると、俺に手を振ってくるクレアさんと、ベルナが大分小さくなっていた。俺が追い掛けるように走り出したのを確認すると、二人は再び歩き出した。

 しばらくしてたどり着いたのは、この町のあちこちで見かけた建造途中のものではない、完成された木組みの大きな屋敷だった。クレアさん曰く、どうやらここが、この町における国家キヴィタスの支所になるとのこと。そのまま彼は、二枚の扉が大きな一つの入り口になった部屋の前まで歩いて行き、立ち止まった。コンコン、と扉を叩けば、はい。と、どうぞ。と、それぞれ異なる声音が返ってきた。クレアさんはそれに対し大きく頷いた後、入るぞと言って扉を開けた。

 部屋は執務室らしく、奥の窓際には大きな執務机が設えてあった。が、それ以上に目を引いたのは、その前に立つ人達だった。

 一人は青年──いや、その風貌は俺より少し幼い。緑のナポレオンジャケットと黄緑のズボンに、膝まである黒のロングブーツに身を包んだ彼は、少年と呼んだ方が良いのかもしれない。短く整えられた金髪に、醒めるような瑠璃色の大きな瞳は、何もせずとも不思議と品の良さを物語る。

 もう一人は女性だ。後ろの高い位置で結われているにも関わらず、腰まである髪は金、というよりオレンジも混じっているようだ。だが、目は髪よりもっと明るい黄色。何より驚いたのは身にまとっているクリーム色のカッターシャツ。首元にはしっかり襟があり、袖もきっちり手首まであるのだが、肩から二の腕まではがっつり空いており、本来長袖の洋装ならお目にかかれないはずの肩口の素肌が露になっているのだ。そして黄土色のズボンも、履いている茶色のロングブーツも、総じて身体のラインがわかるもので、エリーやベルナのような、女の子ではない女性としての装いと呼ぶに相応しい。そのなかで、胸元の水色のリボンタイも目を引く。

「お待ちしてました」

「済まん、遅れたつもりはないんだが」

「いえ、時間的には問題ありませんよ? それより……」

 ちらりと女性が俺とベルナに目を向けた。それに従って少年もこちらを向く。

「ああ、そうだ。昨日伝えた新しい仲間だ。紹介しよう」

 そう言ってクレアさんも踵を返す。

「こっちの青年がアル。そんでこっちの少女がベルナだ。二人とも国家キヴィタスの人間じゃあないが、戦力は申し分ない。何より二人とも中遠距離型だ。特にベルナはな」

 途端、二人の目が嬉々として輝いた。

「ほんとですか! それならオレ達も今までより安心して戦えますね!」

「それは助かるわ! 何せあたしたち全員至近距離特化だもの。後方支援が欲しいってずっと思ってたのよね」

 一言も発さないままに歓迎モードな空気に、俺とベルナは瞬きばかり繰り返して固まる。何も言えないでいると、クレアさんが二人を指して言った。

「こいつらが俺の部下だ。直属のな」

 その言葉に、二人は誇らしげな表情で頷く。

「あたしはリュゼ。よろしく頼むわね」

 リュゼと名乗った彼女は、最後に俺にウインクをしてきたのだが、如何せん恰好が恰好なだけに直視できない。

「よ、よろしくおねがいします……」

「お前、アルが困惑してんだろ」

「初見の年頃の男の子はみんなこんなものですよー、うふふ」

 けらけらと笑いながら言うクレアさんに対し、彼女は楽しそうに応える。ああ、どうやらそれを狙ってのことなのだろう。これには慣れるしかない。

「じゃあ次はオレですね!」

 目を逸らしていた俺は、その言葉に再び新たな仲間となる人達に向き直る。口火を切った少年は、先程以上ににこにこしていた。

「オレはオネストと言います。よろしくお願いします!」

 はっきりした感じと言い、明るさと言い、どこかイージオを思い出す。あいつの育ちが良かったら、もしかしたらこういう風になっていたかもしれないと思う。俺達が揃ってよろしくお願いしますと言うと、間に立つクレアさんが口を開いた。

「リュゼは君らより年上だが、オネストはまだ十五歳だ」

「えっ」

 思わず声が出た。いや、確かに幼いとは思ったが、まさか本当に年下とは。

「驚いたろ? そんくらい優秀なんだよ」

「あ、で、でも、オレそんな偉いわけでも何でもないんで、あの、全然普通でいいですよ」

 オネストという少年はそう言って笑う。

「そういうお前は敬語なのか」

「と、年上は、敬わないと……ですから」

「ここ、年功序列じゃないんだぞ」

「……えーと、それはもう、その……く、癖なんで……」

「はは、それなら仕方ない」

 苦笑する少年に朗らかに笑うクレアさん。

「だそうだ。呼び捨てついでに敬語は要らんとさ」

「え、でも……」

「要らないです! っていうかむしろその方が良いです!」

 俺達に向けて言ったクレアさんに、俺が言いよどむと、食い入るように少年が言った。

 反射的に彼と目が合い、しばらくそのままお互いが黙り込む。俺は返事を探すためだが、少年は無言の圧力という奴だろう。耐えかねた俺は、ややあって目を逸らしつつ小さく頷いた。

「わ、わかった……よろしく頼む、オネスト」

 同時にベルナにも圧をかけていたらしく、彼女も同様に返した。その様子を見ていたリュゼという女性は、オネストに「やるわねぇ、あんた」とくつくつと笑いながら言った。

「あたしのことは、さん付け敬語で構わないわよ」

「じゃあ、お言葉に甘えます」

 この人にまでオネストの同じことを言われたらどうしようと思っていた俺は、即座にそう答えた。

 と、一連の流れを微笑ましそうに眺めていたクレアさんが、思い出したかのように「そうだ」と口にした。

「あともう一人居るんだが……」

 そう言って入り口を見る。追って全員がそちらを向くが、誰も居ない。

「連絡は?」

「クレアさんとほぼ同時期に、トーレコンシリアは出たと聞いてますが」

 クレアさんに対しリュゼさんが応える。彼は了解と頷くと、俺達に向かって言葉を継いだ。

「俺の部下とは別に、最終的にこの町の統治者になる奴が行政部から来るんだ。別でやって来るって話だったが、到着するタイミングは俺達と大して変わらないはずなんだがな」

 来ないことには始まらない、と。クレアさんが言った直後だった。

 文字通り拳を叩きつけるようなノックと共に、勢いよく執務室の扉が開け放たれたのは。

「失礼致します!」

 息を切らして立つのは、見たことのない男。着ている服が正装に近いものであるため、ほぼ間違いなく国家キヴィタスの人間なのだろう。俺とベルナは唐突のことに身を固くすることしかできないが、心なしかリュゼさんとオネストもどこか戸惑っているように見える。しかしその中で、クレアさんだけは至って冷静だった。

「どうした」

 そう言って男の前に立つ。

「トーレコンシリアからこちらに向かっていた行政部の公用車が、道中で魔物と遭遇した模様です! 詳細は不明、大至急救援を要すると!」

 刹那、部屋の空気が一気に張り詰めた。

「わかった。連絡を受けた時間は?」

 さっきとまるで変わらない様子で、男に再びクレアさんが問う。男もその冷静さに影響されたのか呼吸を整え、少しずつ落ち着きを取り戻したようだ。

「はい……皆さんを探しに来る直前になりますので…………五分ほど前になります」

 途中、左腕に着けている腕時計に目を落とし男が応えると、クレアさんは頷いた。

「了解した。現場のことは俺達に任せてくれ」

「はい!」

 自信と強さをたたえたその微笑みに、男は力いっぱい、そして安堵の表情を浮かべた。

 クレアさんはそれに対し満足そうに首を縦に振り、俺達に踵を返した──と思いきや、すぐまた入口に向き直る。

「そうだ。慌てて駆けつけてくれたところ悪いが、俺からも頼み事して良いか」

「な、なんでしょうか?」

 男の表情が再び緊張のそれに変わる。

「医者の手配を頼みたい。場所は……そうだな、ここで構わない。この建物に医者を呼んでおいてくれ」

 頼めるかい。という念押しに、迷うこともなく「かしこまりました!」と答え、男は飛び出していった。クレアさんは、今度こそ俺達の方へ身体を向けた。

「という訳だ。休む間もなくて非常に申し訳ないが、手伝ってくれるかい」

 俺とベルナに向けられた言葉に、揃って頷く。

「ありがとう、助かるよ。じゃあ俺は先に──」

 と、不意にクレアさんが言葉を切った。次いでベルナに目をやる。

「君、不躾なこと訊くが、足は速い方かい?」

「え、い……いえ、運動は苦手で……」

「ふむ。……アルは?」

「人並かと」

「ふむ。じゃあ……失礼」

 言葉の意図が掴めず、その場にいる全員が固まる。しかしクレアさんはそれもお構いなしに唐突に屈み込むと、ベルナに向かって行き──

「えっ……ええっ!?」

 困惑と驚愕が一緒くたになった声を上げるベルナを軽々と俵担ぎすると、そのまま扉へ向かい、言った。

「じゃあ俺はこの娘と先に行くから。援護よろしく」

「え……?」

 戸惑っている俺をよそに彼はニッと笑うと、ドアを開け放ち出て行った。きゃああああ──と、かすかなベルナの叫び声も瞬く間に消え、いつの間にか静寂が辺りを包む。

「端から見たら誘拐よね」

「あの有無を言わせないところ、何とかなりませんかね」

「あたしに言わないでよ」

「え、あの……」

 突然のことと、二人の冷静っぷりに思わず声が漏れる。するとリュゼさんが微笑んで言った。

「大丈夫よ。一番の後方支援を一足早く現場に連れてっただけだから」

「……はあ」

 返す言葉もないまま立ち尽くしていると、今度はいつの間にか背後にいたオネストが、そっと背中を押してきた。

「オレ達も行きましょう!」

 にこにこと笑う少年は、そう言って開けっ放しの部屋の出入り口に向かう。リュゼさんもそれに続く。

「行くわよ」

 振り返り、彼女も俺に言う。

 返事も待たず先に行くその姿に、ふと俺は思った。

 ああ、この人達にとって、俺はもう仲間なのか。

 この一年で、仲間という存在がどれほど大きく、強いものかを知った。それと認めてくれた安堵も、それを失うかもしれないという恐怖も、それと別れる寂しさも。そして、それを教えてくれた人達は、今はそれぞれ違うところで自分のやるべきことを、やりたいことをやっている。ならば俺も、同じ。

 俺は、新しい仲間のもとへ走り出した。

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