Chapter:028

 国家キヴィタス──この世界、アビィサトランティスの【人】を総べる組織。

 もとはこの世界は、アザレアという女性が【人】を総べていた。というのも、この地に降り立った者達は、皆彼女を慕っていた、或いは、彼女に付き従っていたのだ。故に世界は、一人の女性が統治していた。しかし時は経ち、彼女は死に、人は新たな統治者を求めた。

 それから幾程が経った時、人の秩序は、遂にアザレアではなくなった。

 以降、アザレアの血筋ではない別の者が、世界を導く者として人々より選ばれるようになった。

「……とまあ、ざっくり言えば、世界そのものの平和は、皇族であるアザレア家が守り、世界で生きる人間の平和は国家キヴィタスが守るって感じだな」

 まだ少し中身が入ったカップを左手で回しながら、クレアさんはそう言った。

「人の平和ってのを守るため、或いは維持するために、と、国家キヴィタスには大きく分けて四つの管轄がある」

 彼はカップを置き、緩く握った拳を顔の横まで上げる。

「行政、治安、防衛、そして聖星術。各管轄の細かいことまでいちいち説明してたら、大事な情報がすっぽ抜けそうだから割愛するが、その中で俺が所属するのは【防衛】管轄だ」

「防衛……」

 名称ごとに一本ずつ指を出し、あっという間に手のひらが見えるようになった手を眺めながら、俺は首を傾げた。

「治安と防衛って何が違うんですか。人を守る組織ということは、名称的に敵対する存在と……戦うんですよね、この二つは」

「ああ、その通りだ。だが、治安と防衛では戦う相手が異なる」

 紅い瞳越しに、己の顔が見える。

「治安部は人と戦う。文字通り人の秩序を守るために、悪党なんかと戦う。だが防衛は違う。俺達防衛部は、人間全体を守るために、人以外と戦うんだ。アンデッドや蛮族と言った存在とな」

 ふ、とクレアさんは笑った。

「君にはおあつらえ向きだろ?」

 何故だか彼の微笑みが妙に怖いと一瞬感じた俺は、引き攣った顔で答える。

「…………そう、ですね」

 クレアさんには、プリモタウンに行く前に、俺自身の過去について簡単にだが話した。だからこそ、それを知っているからこそ、【人】ではない存在と戦うことが主となるこの管轄に呼んでくれたのだろう。偶然なのか、気遣いなのか。その采配の真意は掴めないが、それ故に人の好さそうな笑顔がどうにも背筋を寒くした。

 だが、クレアさんはそれについては言及せず、じゃあ、と続けた。

「じゃあ、今度はオルドミニスターについてだな」

国家キヴィタスの幹部の総称と伺っていますが……」

 俺がそう言うと、クレアさんは意を得たりと頷く。

「そうだ。で、簡単に言うとオルドミニスターってのは、さっき言った四つの管轄の責任者を指す。つまり俺は防衛部の責任者、総括ってことだな」

 オルドミニスターが各管轄の責任者であるということは、この一年のうちにルークスさんから聞いた。当時は思わず目を瞠った。クレアーレという人がお偉方であることは、辺境に住む子供である俺の耳にすら、その名が知れ渡っていることで薄々は察していたが、よもや巨大組織の、四つのうち、ひとつの管轄を総べる者であるとは、と。

「まあ、人以外と戦うっていう管轄の特性上、あまり表立って人前に出るもんじゃないからな、むしろ魔物やら何やらと縁が多い辺境の方が、俺の名は知れているのかも知れん」

「実際、最北端の町に住む俺は、あなたの名前を知っていましたからね」

 頷いてそう答えると、彼は「そりゃ光栄だ」と微笑んだ。

「余談だが行政部の総括は、現大統領のバッカスだ。彼は国家キヴィタス全体を治めながら行政に関する仕事も行ってる」

「あの人、統括もやってるんですか」

「どうせ最後に自分が決定権を持つなら、最初から最後まで指示した方がやりやすいんだと」

 若干苦笑しつつ、どこか呆れた口調で言うクレアさん。そこまで話すと、彼は再びカップを手に取った。

「それじゃあ前置きはここまでにして、これからのことをもう少し詳しく伝えよう」

 中身を飲み干したらしいそれをまた皿に置き、言葉を継ぐ。

「今回、国家キヴィタスは、ウィンタルースに在る未開拓地を新たな主要都市にするという計画を立てた。近辺には資源確保が可能な鉱山があることも確認している。ここを拓けば、ウィンタルースもより豊かになると考えたんだ。何せ五大地方の中で、最も発展が遅れているからな。君もそれは身をもって実感しているのでは?」

 ややあって、俺は頷いた。

 俺はウィンタルースの辺境、しかも最果てで暮らしていたため、他がどうなっているのかなど皆目見当がつかなかった。しかし、レリクイアカプトに向かうため、ウィンタルースを横断し、実際に世界の中心地までやって来ると、その発展の差に素直に驚いたと同時に、どこか落胆した。ここまでの文化があるにもかかわらず、それが世界全土に行き渡らないということに。

「それに、せっかくの職人の町だ。資源をきちんと確保できれば、腕に覚えのある職人がきっとウィンタルースに集うだろう。そうなれば、経済的にも潤ってくる。だから今回、計画を実行した次第だ」

 つまり、念願叶ってという訳ではないにしろ、ウィンタルースにも発展の兆しが訪れるという訳か。

「……なるほど。あの、具体的にどこまでその計画は進んでるんですか」

「実はほぼほぼ最終段階まで進んでてな。最初は場所の開拓だったんだが、それはもう終わっていて、ある程度の居住区なんかも出来てきている」

「へえ」

 目をしばたかせていると、クレアさんは続けた。

「もう少ししたら、一般人及び職人たちを呼ぶことも出来る程度にまでことは進んでいるんだが、そこまで来たこのタイミングで、アンデッドやら魔物やらの発生が目に余るようになってきてな。君みたいに中距離以上の攻撃範囲を持つ者を探していたんだ」

「え? 居ないんですか」

「俺直属の部下には、な。かといって他所から人を割こうにもどうにも実力が心もとなくてな。そう思っていたところに、神父から君が力の克服をしたと聞いたから、それなら協力して貰おうと思ったんだ」

「それで俺を……」

「そういうことだ。引き受けてくれるかい? 食う場所も寝る場所も用意してあるし、相応の報酬も勿論出す。その点は安心してくれ」

 きっぱりと言い放ったクレアさんを見詰める。自信に満ちたような整った顔は、柔らかな言動とは異なり、有無を言わせない威圧感を感じる。恐らくここで断っても構わないのだろうが……構わないのだろうが、今は従っておいた方が良いと思わざるを得ない。それくらい彼は優しく、強い笑みを湛えていた。

「……わかりました。もう少しあなたに雇われたままにしておきます」

「はは。ありがとう、助かるよ」

 ふと、笑顔から威圧感が消えた気がした。

 直後、クレアさんは無遠慮に、盛大に、ソファーの背もたれにもたれかかった。

「はい、業務連絡しゅーりょー。さてここからはプライベートだ」

「え……?」

 あまりの切り替えに、反射的に声が漏れる。

 上体を起こしつつ、彼は無造作に頭を掻く。

「堅っ苦しいのは苦手なんだよ。君だってあんま得意じゃないだろ、顔引き攣ってたぞ」

 ぐうの音も出ない。顔に出たところで相手に気付かれるほど表情が変わるとは思っていなかったが、どうやらそうでもないらしい。いや、そうでもなくなった、のか。

「どうやら良い仲間に巡り合えたようだな。ただただ仏頂面だった一年前とは大違いだ」

「……それは……済みませんでした」

「いやいや、昔の君を責めてるわけじゃあない。単なる率直な感想さ」

 そうですか。と、返すと、クレアさんは柔らかに微笑んだ。

「神父は元気そうかい」

「元気……だと思います。あの人こそ、ずっと仏頂面ですが」

「あいつはあれがデフォルトだからなあ。元気そうなら何よりだ」

 確かめるように何度も頷くクレアさんを見て、俺は再び口を切る。

「神父……ルークスさんと言えば、初めの頃に、もう少し周りを頼ってみたらどうだ、と助言してくれましたよ」

「ほう」

 すると、口角を上げて話を聞いていたクレアさんが、不意にその顔から表情を消した。そして、俺から視線を外し、考えを整理するかの如く口元に手を置いた。

「へえ、あの穢れなき神父がそんなことを」

 しばらくして小さくそんなことを呟く。

「あの……何か?」

 堪らずそう問いと、クレアさんは瞬く間にまた微笑んだ。

「いや? 差し詰め、あいつなりの優しさと言ったところだろう。随分と君に気を許したもんだ」

「……そうですか」

 どこか皮肉めいた言葉だったが、クレアさんはそれ以上のことは言わなかった。

 その後は、主に俺のこの一年について色々と訊かれ、あれやこれやと答えていった。結局それなりの時間が経過し、突発的に始まったお茶会もどきは夕方を迎える前にお開きとなった。

 移動は明日だとのことで、明朝また来てくれという指示だけもらい、俺はトーレコンシリアを後にした。

 それからは、宿探しとちょっとした観光を兼ねて、あちこちをうろついてみた。央都を回ってみた感想としては、やはり物より人の多さに圧倒されてしまい、それ以外のことが目につかなかった。

 早々に宿を借り、思いの外疲れていたらしい身体を休めるため、布団に潜り込んだ俺は、知らぬ間に泥のように眠り込んでいた。かすかに残るあの町での思い出を、半ば夢のように思い出しながら。


 明朝。

 いつになく早く寝た俺は特に寝覚めが悪いこともなく、足早に宿を飛び出した。向かうのは当然、国家キヴィタス本部。

 塔を見詰めてそこを目指し、あと少しで入り口だと思ったその時、外れに一台の車が俺の眼に留まった。黒塗りでいかにも品のありそうなその車を凝視していると、不意にドアが開き、中から人が出て……いや、クレアさんだった。慌てて俺は入り口ではなく車に目標を変える。

「おはよう。よく眠れたか?」

「おはようございます。ええ、まあ。……というか、あの、移動って車なんですか」

「ああ、そういえば言い損ねてたな。そうだぜ、移動は国家キヴィタスの公用車を使う。さあ、乗ってくれ」

 そう言って彼は後部座席に乗るように促す。逆らう理由もない俺は、ドアノブに手を掛けて手前に引いた。問題なくドアは開き、乗り込もうと足を上げた瞬間──

「え」

 俺の思考は止まった。

 黒を基調とし、内部もほぼ黒に近い灰色が占める中、そこだけはまるで空間を切り取られたかのように異なる色彩を放っていた。

 白。いや、よく見ればそれはかすかに桃色で、顔を上げれば、鮮やかなピンクの瞳と眼が合う。

 公用車に乗っていたのは、昨日確かにプリモタウンで俺達を見送りしたはずの修道女、ベルナデッタ・ロセウスだった。

「…………え?」

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