第05章 スイートピーが咲く時

Chapter:026

 おおよそ十平方メートル。その端には鋳鉄製ちゅうてつせいのベッドがひとつ。壁際には小さな書架と戸棚がしつらえてあり、部屋の中心には全体のバランスを整えるかのように配置されている揃いの椅子とテーブル。

 この、見慣れた宿舎の部屋を拝むのもこれで最後だな。と、そう、少しの名残惜しさを感じながら心内で呟いた。

 というのも先日、俺宛てに手紙が届いたのだ。差出人は、俺をここに導いた国家キヴィタスの幹部。内容は帰還要請で、アリエスの月に入るまでで構わないから、央都にある国家本部へ戻って来いというものだった。

 手紙をもらったのは、ちょうどアクワリウスの月からピスケスの月へ替わる頃だった。だが、ピスケスの月が終われば、次は期限のアリエスの月。悠長に構えていたら、ひと月なんてあっという間だ。俺はこの町でやりたかったことをやりつつ、少しずつ準備を進めていった。

 そして今日、ピスケスの月、最後の日。

 俺は、プリモタウンにやって来た時に持って来た荷物を抱え、一年間世話になった宿舎を後にした。

 外に出ると、少し大きな荷物を背負うイージオと、必要最低限の荷物を持つゼークトが立っていた。

 そう、今日この日──実はイージオが所属するギルドからも、戻って来いと言われていたそうなのだ。というより、元からプリモタウンへのギルドからの人材派遣期間は一年と決まっていたのだという。故にイージオはプリモタウンでのお役御免ということで、本拠地たるオトノウルプスへ帰ることになったのだが、夏の件でゼークトも同じギルドに入ることになった今、ゼークトも教会での住み込みを終了し、この町を出ることになったのだ。

「おーっす」

「よう」

「おう」

 片手を挙げ、お互いに挨拶を交わす。今では挨拶も会話も普通に交わすゼークトを見て俺は言った。

「お前、すっかり丸くなったな」

「今更邪険にする理由なんてねぇだろ」

「仰る通りで。そんでそれはアルもなー」

「……仰る通りで」

 したり顔で言うイージオに対し、反論できない俺は目を逸らしつつ頷く。反射的に目を逸らした先にはゼークトが居たのだが、ふと彼を見て思い立つ。結局あれはどうしたのかと。

「そういえばゼークト、プレゼントは開けたのか?」

 二人が揃って一瞬目を丸くして固まるが、すぐに合点がいったらしい。イージオは口角を上げるだけで「あー……」と小さく呟き、ゼークトは盛大に鼻を鳴らして答えた。

「家宝は一生家宝だ。開けねぇ」

「えー……」

「いや、開けてやれよ……」

 ふんぞり返るゼークトに、いつかの時は言わなかった言葉を口に出す。俺もイージオも完全に呆れていたが、しかし本人は断固としてその意地を曲げないらしく、ひたすら首を横に振るだけだった。

 男三人が揃って歩き出す。と、ほぼ同時にイージオが喋りだす。今までのこと、これからのこと、自分のこと、ギルドのこと、ギルドではない誰かのこと──内容は大抵他愛のないものだが、決して煩わしいものではない。俺は静かに聞いているだけだが、逐一反応を返す奴が居るからか、会話はどんどん弾んでいく。話のネタは、湯水が湧き続けるかのように留まることを知らないらしい。なおも続くそれを聞き流しながら、俺はよくそんなに口が回るなと思いつつ前方に目を向けた。

 しばらく歩くと、教会敷地の出入り口となる大きな門が見えた。そしてそこには、少し大きな荷物を抱えたエリーと、ベルナとルークスさんの姿があった。

 俺は国家キヴィタスから、イージオ及びゼークトはギルドから帰還命令を受けてこの町を出ることになったが、エリーは実はそうではない。そのため、彼女が荷物をまとめる理由は本来なら無いのだが、エリーもエリーで、俺達と同じタイミングで央都に行くと決めたらしい。訊けば、何やら調べたいことができたのだとか。

「おはよう、みんな」

「おはよ。わり、お待たせ」

 エリーとイージオが挨拶を交わす。苦笑して謝ったイージオに、エリーはううんと首を振った。

「大丈夫だよ、まだ時間あるし。それに」

 微笑んでそう言うエリーは、ルークスさんたちの方を見て続けた。

「お見送りの二人も来てくれたから」

 それを受けてベルナは顔を背けたが、ルークスさんは変わらなかった。俺達はエリーの隣に立つ。ルークスさんは俺達を一瞥したあと、改めてイージオに向き直った。

「そちらのギルドも人員が少ないなかで手を貸してくれたこと、本当に助かった。改めて礼を言う。カニスにもよろしく伝えておいてくれ」

「あいよっ。まあ、国家キヴィタスからってのは最初びっくりしたけど、ルーさん直々の頼みとあっちゃ、受けないわけにゃーいなかいってたいちょーも張り切ってたからさ。役に立てたなら良かったぜ」

「そうか」

 目を伏せたルークスさんは、そのまま今度は俺に身体を向ける。

「随分、角が取れたな」

「……こいつら相手に下手な拒絶は無意味ですから」

 隣で何やら話し込んでいる男二人と、その隣で楽しそうにしている少女二人を横目に見ながらそう言うと、ルークスさんは「そうだな」とかすかに口角を上げて頷いた。俺も頷き返すと、再びルークスさんが口を開いた。

「周りは、頼れるようになったか」

 今度は疑問形だった。いつかルークスさんに言われた、そして何度も頭の中で繰り返され、いつの間にか背中を押してくれていた言葉と今の質問が重なる。

「そう、ですね」

 春のあの日、夏のあの夜、秋のあの時、そして冬のあの瞬間──

「……少しだけですが、きっと」

 俺は真っ直ぐにルークスさんを見て答えた。そしてそれと、と続ける。

「それと、誰かと一緒に居るのも、悪くないと思えるようになりました」

 すると、ルークスさんは今まで見たことのないほどに目を丸くした。が、それも一瞬で。

 小さく頷いた彼は「そうか」と再び首肯した。今まで聞いたことのないほどに穏やかな声と、今まで見たことのないほどに優しい表情で。

 そんなルークスさんに呆気に取られていると、不意に一陣の風が吹いた。穏やかながらもどこか力強さを感じるそれは温かく、とても心地が良かった。風は上へ上へと舞い、自然と俺も空を仰ぐ。雲ひとつない晴天は、まるで俺達の門出を祝っているようにも思える。

 俺は、天を見上げたまま目を伏せた。

 ああ──春だ。



   ***



 車窓から外を見れば、黄金色のレンギョウやサクラソウが咲き乱れている。一年前と同じ風景の中、今度は世界の中心へまっすぐ伸びるレールを辿り汽車が走る。あの時と変わらない汽車の中、今は一人ではなく、仲間と呼べる者達と一緒に居る。端から見れば大した変化ではないのかもしれない。しかし俺にとっては大きな変化だ。しかし、それに気付いている仲間は多分そう居ないだろう。別に気付かなくて良い。ただ俺がそう感じているだけなのだから。

 世界の中心であるレリクイアカプト以外の地方へ行くためには、必ずと言っていいほど央都を経由しなければならない。一般人でも馬車を使えば、或いは相当権力を持つ者なら自動車を使えば、央都を通過せずとも地方を渡り歩くことはできなくもない。だが、かなりの範囲で悪路が続くし、何より一般人からしてしまえばわざわざ遅い馬を使って悪路を進んでいくより、速くてきちんとした道を進む方が良い。とはいえ、自動車は俺が乗ったことがないために、実際がどうかはわからないが。

「ねえ、オトノウルプスって確か商業と農業が盛んなところだよね」

 隣に座るエリーが、好奇心で目を輝かせてイージオに問うた。

 向かい合うイージオが笑って頷く。

「そうそう。大体どこの町行っても畑耕してるか商いやってるか、だな。辺境になればなるほど自給自足って感じだけど、困らない程度には作物もできるし」

「すごい! じゃあ、どこでも生活できちゃうんだ」

「あー、そうだなー、そう言われるとそうかも。貧富の差もほとんどない……つか、金持ちんなったら央都に出て行く奴が多いから、特別裕福な人間が居ないのかも。生活はしやすいぜ、人も活発で優しいのが多いしな」

 ウインクしてそういうイージオ。実際オトノウルプス出身で、かつ活発で人の好い奴が目の前にいるとなると、そうなのだろうと思わざるを得ない。

「エリーも来る?」

「うーん、行ってみたいけどまた今度、かな。ちょっと取り急ぎ調べたいことがあるから」

「はは、エリーの好奇心にはかなわねーな」

 返事の代わりにエリーは眉をハの字にしてえへへと笑う。そんな様子を横目で眺めていたら、今度は俺の正面から声がした。

「お前は央都の……シュタットオーダーだったか」

 声の主はゼークト。見れば顔は窓の外を見ていたが、目線はしっかりとこちらを見据えていた。

「……ああ。俺がプリモタウンに行ったのは元々国家キヴィタスに一時的に雇われての依頼だったからな。任期満了だから報酬受け取りに帰って来いと」

 目を伏せて応えるとゼークトはそれで満足したのか鼻を鳴らした。しかし、代わりにその隣のイージオが食いついてきた。

「でもなんでまた本部に? 国家キヴィタス組織はギルドと違って世界中で連結してるっつーし、どこの地方でも依頼報酬はもらえるだろ? わざわざ本部までいかなくとも、故郷に帰るついでにウィンタルースの都市とかでもらえばいいんじゃ? エリーはそのつもりなんだろ?」

「……そうだね、そういえば」

 きょとんとしていたエリーだったが、イージオに訊かれ頷きながらそう答える。揃って首を傾げる二人に対し、続ける。

「民間にも今回の依頼が流れてるから、依頼完了の報告書を出せば確かにどこででも報酬はもらえるんだろう。だがさっきも言ったろ、俺は国家キヴィタスに雇われの身。しかも雇い主は幹部様だ。で、雇い主直々から戻ってこいって言われてるんだから、従わない訳にはいかないだろう」

「…………そりゃ確かにそうだ」

 最初にそう言って納得したのは、イージオでもエリーでもなく、窓の外を眺めていたゼークトだった。

 程なくして、汽車は央都に到着した。

 イージオとゼークト、そして見送りと称して俺とエリーもオトノウルプス行きの乗り場に向かう。発車には多少時間があるらしく、これ幸いと俺達はゆっくり歩いていくことにした。理由はきっと、名残惜しさ。少なくとも俺はそうだった。しかしどれだけゆっくり進もうと、同じ駅の中。気が付けば目的の場所で俺達は足を止めていた。

「じゃ、またな。アル、エリー」

「じゃあな」

 最後の最後、汽車に乗った二人がこちらを見て、それぞれ片手を挙げながら言った。

「うん。またね、二人とも」

 花のように笑って手を振るエリーの横で、俺も「ああ」と手を挙げた。

 別れの挨拶が終わるのを待っていたかのように、出発の汽笛が鳴り響く。それを合図に、乗り込んだ二人は嬉しそうに笑って車内へ消えていった。

 汽車を動かすための膨大な蒸気が、風となって吹き荒れる。小さくなる汽車を呆然と眺めていると、不意に視界に金色の線が混じった。その先には、なびくきれいな金の髪を抑えつつ、澄んだ碧い瞳をどこか寂しそうに揺らすエリーが居た。

 ついに、ゆっくりと汽車が走り出した。だが徐々に速度を上げたそれは、瞬く間に小さくなっていく。俺達は地平線の彼方に消えるまで見送った。

 風は、いつの間にか止んでいた。

 くるりと、エリーが俺に向き直る。揺れる髪はなおも眩しく思わず目を細めた。それがどう映ったのかはわからないが、彼女はいつもの優しい──だがやはりどこか寂しそうな笑顔で言った。

「それじゃあ、私達もお別れだね」

「……そうだな。エリーは大図書館に行くんだったか」

「うん。気になることができたから色々調べたいなって」

「本当に見上げた知的好奇心だ」

「ふふっ」

 一歩下がり、エリーは再び笑った。今度は屈託のない、満面の笑顔。

「じゃあ、またね。アル」

「ああ……じゃあな」

 エリーは最後に大きく頷くと、踵を返して歩き出した。柔らかな金がゆらゆらと揺れる。ほんの少しだけその背中を見送り、俺も華やかな金色に背を向け、歩き出す。

 名残惜しさは多少あったが、不思議と寂しくはない。多分それは、彼女となら、彼らとなら、どんなに離れていようとどこかで繋がっていると思えるからだろう。

 俺は、一人であっても独りではない。それを実感した今、ようやく最初の一歩を踏み出せた気がした。

 ここが出発点。

 人を拒むことを辞めた俺の、新しい──

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