Chapter:024

 イージオに追い付くこと数分、やがて最北端にある外れの森に到着した。エリーは聖星陣を描くためにと俺達の後方で立ち止まり、即時準備に取り掛かった。一方俺とイージオは、すぐさま登れそうな木を見付けて駆け上がる。恐らくほぼ同時にある程度まで登ったらしく、同じタイミングで異なるリアクションをした。

「ちっ……」

「うわぁ……」

 ゼークトがどこでどの程度のアンデッドを見たのかはわからない。しかし今、目の前に押し寄せてきている大量のアンデッドは、ゼークトの言うように、本当に町ひとつを呑み込みかねないくらいの数を有していた。一体どこからこんな数が現れたのか。

「というかこの数、昇華詠唱術で何とかなるのか……」

 いくら穢れに効果があるとはいっても、だ。幾百、幾千ものアンデッドを斃すには膨大な力の術を、膨大な範囲で発動しなければならない。

「何とかするための作戦だろ? エリーと自分の力を信じようぜ」

 イージオは、そう言ってしゃがみ込んだ。両の手を左の腰に持っていき、右手は腰に携えている藍色の剣の柄を、左手は剣を治めている鞘を握る。地平線の彼方まで続いていそうなアンデッドの大群を真っ直ぐに見つめながら、携えた剣を一気に抜き放つ。木漏れ日が反射して勇ましく輝く藍色の剣は、まるでイージオの強さを物語るかのようだった。

「じゃあ、援護よろしく。アル」

「……ああ」

 頼もしく笑うイージオに対し、俺はできる限り気丈に頷いた。それをが合図だったようで、返事を聞いたイージオは抜身の剣を一瞬で逆手に持ち変える。しかしきっさきは前に向けられたまま。

 呆気に取られた。確かにイージオは常識外れとも言える戦い方をするが、逆手持ちで戦うような剣技は身に着けていないはずだ。大体、鉾先ほこさきを前に向けていたら振り回せないだろう……と、どう援護すべきかを考えていると、唐突に奴は剣を握る右手を後ろに大きく引いた。まるで槍投げでもするかのよう──

 いや、まさしく槍投げだった。イージオは向かい来るアンデッドの最前列を歩く個体目掛けて、自らの剣を投げた。そして頼もしさから獰猛さに色を変えた笑みを見せたかと思えば、それを追い掛けるように飛び降りた。刹那、突き刺した剣によって浄化され、アンデッドだった結晶が砕ける乾いた音が響く。が、乾いた音は一度では止まず、その後も立て続けに鳴り響いた。いつの間にか大群の前に立つイージオは、宣言した通り憂さ晴らしでもするように嬉々として剣を振るっていたのだ。一撃で一個体を斃し次へ、斃したらまた次へ、次へ──瞬く間にそれを繰り返し、たった一人で果敢に楽しそうに戦っていた。

 トリッキーなその戦い方は、決して正攻法ではない。両手で持つでもなく、しっかり握りしめるでもなく、だが斬る時はきちんとした一閃を放つ。テンプレートな【剣術】には当てはまらないものの、奴の、剣の扱いに関する技量の高さがわかる。踊るそれと異なる剣舞を披露しながら、彼は死ぬことのできなかった屍を次々と薙ぎ斃していく。

 それでも相手は夥しいほどひしめくアンデッドの群れ。当然一人では対処が間に合わない。その分は俺が引き受ける。援護とはそういうことだ。右手でペンダントを弓に変え、左手で矢を生成する。弦に矢を掛け、引く。イージオの刃が届かなかった群れの端に狙いを定め放つと、矢は音もなく屍を貫き、地面に深く突き刺さった。須臾の間に冷気が屍を覆い、前方に迫り上げるようにやって来たアンデッド諸共凍らせることで、その歪な命にピリオドを打った。

 剣で、弓で、俺達はひたすらに穢れの塊を昇華していった。しかし、押し寄せるアンデッドは減るばかりか増えるような錯覚を覚えるほど次から次へと沸いてくる。やはり各個撃破では埒が明かないか。

 イージオがほぼ一撃で斃してはいるが、それ以上に数だ。一撃必殺とも言える剣技は見事だが、如何せん間に合っていない。しかも何か些細なミスをしでかした瞬間、あっという間にこの大群に呑み込まれてしまうのではないかとも思えてしまう。それほどまでに視界全体がアンデッドに覆われているのだ。必然的に俺の援護も意味を成しているのかわからないほど微々たる成果しか出していない。このままこの戦い方を続けていては、どれだけ足搔こうと頭数など減りはしないだろう。その内俺達二人でも賄えなくなるかもしれない。俺は眉をしかめた。いや、そうは言ってもやるしかない。退くという選択肢はない。

 俺は考えることを辞めた。今は目の前に集中しなければいけない。ひとまずエリーの準備ができるまで、俺達がアンデッドを引き留めなければならないのだ。最悪俺達をすり抜けても、プリモタウンは神父の結界に守られているが、そこまでいかれてしまったら、最善の状態で討伐することがかなわなくなる。そうなったら、何のためにエリーが聖星陣を描き、俺が昇華詠唱術を発動させるというのか。

 思考を停止したはずなのに、結局余計なことを考えつつ俺はひたすら矢を放つ。何度も何度もそれを繰り返し、やがて射た数もわからなくなった頃だった。

「アル!」

 甲高い声で我に返る。振り返るとそこにはエリーが立っていた。もう少し後ろ……町の方で陣を描いていたはずのエリーがここに来たということは、つまり。

「できたよ! 後は発動させるだけ!」

 その言葉に俺は大きく頷いた。

「わかった! 頼む!」

 そう木の上から叫び、エリーが陣の方へ走っていったことを確認した後、俺は再び前方を見る。数が減った気がしないアンデッドの中に紛れるイージオを確認し、最後に一発氷の矢をその周辺に射て、声を上げた。

「悪い! しばらく一人で耐えろ!」

「お! 準備できたってか!」

「みたいだ!」

「おっしゃ、任せろ!」

 その言葉を皮切りに勢いが増したイージオは、再び獰猛な、或いは心底楽しそうな笑みを浮かべて剣を振りかぶった。

 その様子を見届け、俺は木から飛び降りた。向かう先はエリーが走っていった方向。俺よりも小さく、しかし心強い味方である少女の姿は、少し走っただけですぐに捉えた。彼女はびっしりと絵とも模様とも言えない、何かとてつもなく複雑なものが描かれた聖星陣の外側に立ち、身の丈よりわずかに長い杖棍棒を頭の上で回していた。その後、杖を両手で握りしめたかと思うと、彼女はそのまま杖を陣が描かれた地面に突き刺した。

 刹那、大地に刻まれた聖星陣が、水魚すいぎょ属性を示す水色の光を帯びた。その光は広範囲で、上級の聖星術を発動させるためには、如何に大きく複雑な陣が必要っであるかを見せつけるようだった。

 聖星術は瞬く間もなく発動した。空気中の水分が目に見える液状と化し、陣の中心に集まっていく。が、その集合体がかなり大きい。描かれている聖星術が目測約七メートルほどなのだが、いつしか完成した球体の水の集合体も同様の大きさだった。恐らく、ほぼ間違いなくここら一体の空気中の水分を持っていったと思うが、冬の乾燥した空気でむしろこの大きさを生成するのに足りたのか心配になるほどだ。

 エリーの役目はこれで終わりなのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。突き立てた杖に意識を向け、彼女は祈るように目を瞑った。それに呼応するかのように陣が再び、そして球体の水の塊も水色に輝いた。次いで、ゆっくりと塊が天に向かって動き出した。周辺に在る樹々を若干濡らしつつ、形を変えないまま、それは生い茂る樹々の上まで行くと上昇を止めた。そして今度は前方、つまりはアンデッド達が向かってきている町の外へと動き出した。ここにきてようやく気付く。エリーがこの球体をアンデッドの頭上まで運んでいるのだと。そのうえで、俺が昇華詠唱術を発動させろというのだ。

「お願い!」

 そう叫ぶエリーに振り向けば、目はしっかりと開かれており、空とも海とも思える青が真っ直ぐに俺を射抜いた。ここからが作戦の真髄であると言わんばかりだった。俺は大きく頷いて、承諾の意を示す。

 俺は、再度手頃な木に駆け寄り、登った。清々しいほどに晴れ、その全身で太陽の光を浴びて眩しいほどに輝く水の球体を睨むように見詰め、左手で矢を生成し、それを弓の弦に引っ掛ける。その直後だった。

 気味の悪い生暖かさが、指先、手のひらを浸食していく。在るはずのないそれが、俺の手を赤く、紅く染めていく。独特のぬるりとした感覚が、背筋を冷やしていく。

 俺は反射的に瞬きをした。赤く紅いそれは、実際には存在しない。俺の手には何も着いていない。そもそもあるはずがない。しかしもう遅かった。しまった──そう思ったその時には、もう始まっていた。

 矢を握る左手が震える。弓を持つ右手の力が抜ける。不安定な木の幹で身体を支えている膝が笑う。中途半端に開かれた口では、震えによりかちかちと歯が勝手に音を立てる。痛いほど心臓が鳴り響く。樹々や葉を揺らす風の音が消える。代わりに何の音なのか、いや、音とも言えない、しかしけたたましく響く何かが鼓膜を叩く。

 すべてを理解した瞬間、これは恐怖だと悟った。

 元々俺は【失うことが怖いと思う人】を作らないために、他人と深く関わることをやめた。

 だがあの二人は。イージオとエリーは──いや、二人だけではない。この町で深く関わることになった人達は皆、俺が口外したくない【何か】を察したうえで強い繋がりを持った。繋いだ縁を深くしていった。

 他人を遠ざけていたはずなのに、いつの間にか誰かと一緒に居る方が心地好くなっていた。それどころか、一人が寂しいと思う時まであった。知らぬ間に俺は、彼らが居ることが当たり前に、彼らと居ることが当然だと思っていたのだ。

 故に、間違えるのが怖い。暴走するのが怖い。誰かを傷付けてしまうのではないか、また人を殺してしまうのではないか、またこの手で大切な人を失ってしまうのではないか。かすかな、しかし確かとも言える可能性が怖い。恐怖が心を支配してしまえば、あとはもう早かった。

 在るはずのない生臭い鉄のにおいが、恐怖を煽り、思考力を奪っていく。

 息が上がる。力が抜ける。あの時の光景がフラッシュバックする。止めたくても止められない。嫌な汗が頬を伝う。その癖、震えはいつの間にか全身を襲い、狙いなどまるで定まらない。荒々しく呼吸を繰り返す喉は乾ききり声は出ない。こんな状態では、切り札とも言える昇華詠唱術はおろか、矢を射ることすらできない。

 しかし俺がやらねば。俺しかいないのだから、俺が何とかしなければいけないのだ。けれど怖い。誰も失いたくない。でも怖い。俺の力で誰かが死ぬのが。

 怖い、怖い。成す術なく人々がアンデッドに呑まれるのも、救いの力が逆に人々に死をもたらすかも知れないことも、すべてが怖い。怖くなってしまった。

 俺は苦しみを堪えるために唇を噛んだ。やるべきことはわかっている。それが俺にしかできないことだってわかってる。俺が、俺が成さねばいけないことだと、理性が必死に語りかけてくる。それでも本能が否定する。怖い、怖いと。俺の力が原因で失いたくない。何もしたくないと。

 ゆっくり──ゆっくりと俺は腕を下ろした。

「アル……!?」

 エリーの困惑した声が聞こえる。

「どうした!?」

 イージオの動揺した声が聞こえる。

 だが、俺には何もできなかった。何もできず、ただただ唇を噛みしめて目をきつく瞑り、痛みにも似た苦しみに、ただ突っ立って耐えるだけだった。

 どうしたらいい、何かできないのか。そう思うも、頭の中に響くのは否定ばかり。どうしようもない。何もできはしない。俺に誰かは救えない。誰も救えはしない。俺には──お前には過ぎたことだったのだ。

 乗り越えたと思っていた。大丈夫だと思っていた。もう俺は孤独ではない。独りではない。信じてくれる人がいる。支えてくれる仲間がいる。それは紛れもない事実で、確かな自信になっていた。なっていたはずだった。

 だがそれは俺が、お前が、そう過信していただけなのだ。

 どこからともなく内なる誰か、或いは俺か。誰ともつかない誰かが、現実を突きつけるように言葉を紡ぐ。恐怖以外のあらゆる思いが削がれた今、その声に最早抗うつもりはない。ああ、そうか。そうだ。俺には何もできない。何も救えない。何も……何ひとつとして。


 ──いいえ。


 ふと、別の鈴が鳴るようにきれいな声と共に、両肩に、誰かの手を感じた。

 ………………あなたは、誰……?

 声にならない声でそう訊ねると、右耳に優しい吐息の感触が訪れ、泣きたくなるほど優しい声が聞こえた。

 ──大丈夫。その力は誰も傷付けない。誰も殺さない。あなたと、あなたが守りたい大切な人達を守ってくれる。

 暖かくて、優しくて、儚い声だった。それはまるで凍てついた心を溶かすようで、冬の太陽のようで、夜を迎える直前の黄昏時のようで。

 恐怖は、いつの間にか消え失せていた。あれほどやかましかった心臓も、呼吸も、思考も、今は何もなく穏やかだ。俺は、導かれるように再び腕を上げ、真っ直ぐエリーが発動してくれた聖星術に狙いを定める。震えは、不安は、もうない。

 溜め込んでいた空気を吐き出し、すうっと大きく息を吸う。


「理から外れた者たちに、希望に満ち満ちた安らかなる眠りを与え給え──ひらけ、スノーフレーク」


 最善を尽くすために使うことになった昇華詠唱術を、かつて暴走させ、唯一無二の両親を殺めてしまった詠唱句ことばを、祈るように紡ぐ。力を帯びた氷の矢は、その祈りに応えるかの如く、水の塊に吸い込まれていった。

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