第04章 凍晴の弔い

Chapter:022

 いよいよ太陽の熱が冷たい風にかき消され、本格的に冬の到来を告げた今日この頃。

 ひと仕事終えた俺達は、三人揃って宿舎に向かっていた。

「ううー……寒ィ」

 震えながらぼやくイージオ。両手で腕をさすっているが、あまり効果はないと思う。

「これからもっと寒くなるぞ」

「うへぇ……二人ともなんでそんなけろっとしてんだよ」

 項垂うなだれて問い掛けてくるイージオに対し、俺とエリーは顔を見合わせた。

「そりゃ……」

「北の出身だからね」

「うー」

 平然と答える俺達に、唯一の南国出身者は口を尖らせた。

 宿舎への帰路につき、扉を開ける。その瞬間に「ああ」と、声がした。

「お前達、ご苦労だったな」

 立っていたのはルークスさんだった。

「寒かったろう、茶でも淹れよう」

「マジすか、やったー! 助かるぜルーさん!」

 肩にかけているストラを外しながら言う彼に、イージオが嬉々として声を上げた。

「え、そんな、悪いです……」

 エリーもさりげなく礼を言ったが、俺としては多忙な神父に手を煩わせるのもいかがなものかと思った。反射的にそう言うと、当の神父は頭を振った。

「遠慮は要らない、日頃の礼だと思えばいい。座って待ってろ」

 そ、そう言われてしまえば、返す言葉もない。

「じゃあ、お言葉に甘えて──」

 ルークスさんの厚意を受け取り、俺達は宿舎に設けられている共有スペース内に在る、テーブルを囲う形で配置されている椅子に腰掛けた。

 程なくして、温かい紅茶とパウンドケーキと共に、ルークスさんがやって来た。紅茶はそれぞれのカップに注がれ、ケーキはテーブルの中央に置かれた。

「そう言えば最近のアル、なんか調子いいよなー」

 用意されたフォークを使うことなく、手掴みでパウンドケーキを頬張りながら、唐突にイージオがそう切り出した。

「……それ、どういうことだ?」

 咀嚼していたケーキを呑み込み、俺は訝しむ。

「んー、なんつーか、戦闘中のキレが良いって感じ?」

「あ、私も気になってた」

 頷きながら、エリーが割って入る。

「氷の矢も生成が速くなって、堅さも以前より上がってるの。何か秘訣でもあるの?」

「い、いや、特に何も……」

 こちらを見て訊いてくるエリーに対し、意識などしたことのない俺はただ首を振る事しかできない。

「というか、エリーはいつの間に氷の強度とか調べていたんだ」

「えーとねぇ……結構初めのころからかな」

 逆に今度は俺が問うと、彼女はにこやかにそう言った。最初からということは、わざわざ関わることを避けていた頃から既に……ということなのだろうか。

「矢はともかく、弓まで氷なんて初めて見たから気になっちゃって……ごめんね」

 苦笑交じりに謝るエリー。申し訳ないとは思っているようだが、反省や後悔はしていないようだ。

「別に構いはしないが……見上げた知的好奇心だな……」

 半ば呆れ気味にそう言うと、彼女はえへへと笑った。当時に、カチャリと音がした。

「恐らく、今の季節と関係あるのだろう」

 口を開いたのはルークスさん。今聞こえた音は、彼がカップを置いたために鳴ったもののようだ。

「え、なに、どういう?」

 身を乗り出してイージオが問い掛ける。神父はそんなイージオを横目に見つつ続けた。

「別に難しい話ではない。水は温度が低いと凝固しやすくなるということだ」

「……ギョーコ?」

「液体が固まることだよ」

 瞬きを繰り返すイージオに、エリーがそっと教える。が、それだけでは理解し得ていないらしいイージオはなおも首をひねる。ルークスさんは続けた。

「水が固まって氷に変化するためには、温度の低い環境が必要になる。氷瓶ひょうへい属性の術を扱う場合は、氷を生成する際、周囲の空気を冷やして空気中の水分を氷に変換するが、気温の高い夏場に比べて、冬場はその変換に掛ける力が少なくて済む」

 そこまで言われて、ようやくイージオは理解が追い付いたようだ。なるほどと手を打ち、大きく頷く。

「あー、だから氷作るのが速くなったのか」

「そういうことになるな」

 俺も相槌を返す。意識はしていなかったが、言われてみれば夏頃に比べれば、矢の生成の時間は短縮されている気がする。核となるペンダントを使って弓を召喚することも、そういえば以前よりは手際が良いのかもしれない。

「また、変化に必要な力が少ないということは、生成に時間を掛けずに済む。その分、他のところに聖星力を当てることができ、その結果が矢の補強に繋がったのだろう」

「なるほど……」

 続くルークスさんの説明を、エリーも興味深そうに聞いていた。が、さすがにこれには相槌は打てなかった。

 矢の強度に関しては、正直時間以上に意識していなかったのだ。何せ普段は一撃必殺──というより、アンデッドは矢を一発きちんと命中させることができれば、自ずとたおせるのだ。夏場に特別力を込めていた記憶もなければ、ここ最近手を抜いていたつもりもない。

「はー、さっすがルーさん、よく知ってんなー」

 舌を巻くイージオだったが、当のルークスさんは否定するように小さく首を振った。

「大したことではない。ただの受け売りだ」

「へえ? 誰の?」

 すかさず尋ねるイージオ。直後、問われたルークスさんが、虚を突かれたかのように動きを止めた。

「…………そうだな」

 短い沈黙の後、口に運ぼうとしていたカップを置き、彼はおもむろに口を開いた。

「あの人は優しく、聡明で、芯があるのに何処か掴めない……そして──」

 そこまで──その言葉まで、ずっとイージオと会話をしていたルークスさんが、何の前触れもなく俺に目を向けた。しかし向けられた視線に言葉はなく、その意味を掴むことはできなかった。

 かすかに眉間にしわを寄せたその表情が、どこかとても苦しそうで、俺は言葉を失った。

「……ルーさん?」

 遠慮気味に呼ばれ、我に返るルーさん。俺もイージオの声で、現実に意識を引き戻された。

「どうかした?」

 再び首を傾げるイージオに、ルークスさんはもう一度頭を振り、答える。

「ああ……いや、アルと同じ氷瓶属性の知り合いが居たんだ。その人から聞いただけだ」

「ふーん?」

 それだけではなさそうだけどな、と、言いたげな顔でイージオは鼻を鳴らしたが、神父はそれ以上続けることはなかった。今しがた飲み損ねた紅茶を一気に飲み干し、さて、と立ち上がる。

「私は仕事に戻る。ゆっくりしていてくれて構わないから、代わりに後片付けは頼んだぞ」

「え! もう?」

 目を丸くするイージオだったが、当の神父は早々に歩き出す。

「あ、はい……わかりました」

 俺は辛うじてそれだけ返したが、返事がないために聞こえているのかもわからない。呆気に取られた俺達は、呆然と遠ざかる背中を眺めることしかできなかった。

「……何だかルークスさん、様子が変だったね」

 やがてドアの奥に姿が消えたタイミングで、ぽつりとエリーが切り出した。

「そう、だな」

「オレ……変なこと訊いちゃったかな」

 そう言ってイージオが小さくなる。確かにイージオが訊いたことが原因なのかもしれないが、かといって未然にそれを防ぐことも、具体的に何がいけなかったのかも、今の俺達にはわからない話だ。

「……さあな」

「うーん……」

 俺が頬杖を突きながら曖昧に返すと、奴は唸りながら机に突っ伏した。しかし、ものの数秒もしない内に顔を上げ、唐突に勢いよく立ち上がった。

「オレ、やっぱルーさんとこ行ってくる! あと頼むわ!」

「え? あ、おい」

 イージオは言いたいことだけ言って、ルークスさん以上に足早に、いや、最早走って飛び出していった。こっちのことなどお構いなく、勢い任せに消えていった。

 足音も消えた頃に、俺は盛大に溜息を吐いた。最近は鳴りを潜めていたが、そう言えばあいつはああやって他人を引っ掻き回すタイプだった。結構慣れたものかと思っていたが、久しぶりだとこうも面食らうことになろうとは。

「相変わらずイージオらしいね」

 同じことを思っていたのだろうか。エリーが微笑みながら言った。

「そうだな。本当に突飛な奴だ」

 そんな突飛な行動に、春先は救われたのだと思い返す。結果、失ったものもなく、むしろ得たものしかないが、それでも、罪悪感というか何というか、形容しがたい暗い、或いは黒い何かが今でも渦巻いていることは、言わないでおこう。

 と。

「そういえば、アルの聖星術の知識ってどれくらいなの?」

 不意にエリーがそう切り出して来たことで、今しがたのもやもやした考えがすべて吹き飛んでしまった。どう答えていいのかわからず、俺はひたすら瞬きを繰り返す。

「……え?」

「あ、ごめんね、急に。さっきアルの術が調子良いって話をしてたから、その続きというか、何というかと思ったんだけど……」

「…………ああ、なるほど」

 ルークスさんの様子や、それを追い掛けていったイージオに気を取られ、すっかり最初の話題を忘れていた。そうか、聖星術か。うーんと唸りながら、改めて俺の知識はどれくらいあるものなのかと考える。

「生まれながらに扱える属性が十二種と、人工属性と言われる絶無ぜつむの聖星術があること。発動は陣の詠唱の二つであること。あとは……昇華詠唱術の存在くらいかな」

 もっとも、昇華詠唱術については、この間襲えてもらったことで初めて知ったのだが。というより俺の場合、扱っている聖星術が一般的なものではないのだ。

「俺自身、矢の生成はテンプレートな陣や詠唱を使ってるわけじゃないから、世間的な知識はそんなに持ってないと思うぞ」

 あまり期待しない方が良いぞ、というニュアンスでそう答えたのだが、エリーにはそれで充分だったようだ。どうやら純粋に俺に知識量を測りたかったらしい。

「あ、じゃあ、今の聖星術の基盤を確立した人については何も知らない?」

「聖星術の確立を? ……聞いたことないな」

 人工属性というものが存在しているくらいなのだから、そういった人はいるのだろうと何となく見当はついていた。しかし、俺自身が本当に基本的な事しか知らないため、その名前を聞いたことはない。

 首を振りながらそう言うと、エリーは頷いた。

「ドクター・バジルっていうんだよ。当時基本になっていた陣を使っての発動の仕組みを応用して、詠唱での発動を考案した人でもあるんだって」

「ドクター・バジル……バジル教授、か」

 聞いたことがなかった、有名らしいその名前を繰り返す。どうしても香辛料を思い出すが、まず間違いなく違うだろう。

「詠唱での発動の仕組みを考えたってのはすごいな。そのおかげで聖星術を全面的に戦闘で扱えるわけだもんな」

「そうだね、即時に使える聖星陣の術は、威力と危険性の少ない下級のものだけだもんね。逆に、詠唱術が普及したからこそ、下級だけにしたのかもだけど、結果的に聖星術の戦闘応用の幅は広がったね」

 エリーはいち術者でもあるが、身の丈ほどの杖棍棒を振り回すことで、物理的に戦うことも可能だ。しかし、それよりも圧倒的に聖星術の才が光っている。特に言の葉を詠う術に於いては。詠唱術もある程度の効果や威力などは決まっているが、陣術を比較した場合自由度は格段に上だ。その勝手を知っているからこそ、彼女は、ドクターが成し得たことの重大さがわかっているようだ。

「詠唱術と言えば、昇華詠唱術もバジル教授が考えたらしいよ」

 すごいよね、と微笑むエリー。俺も驚きを通り越して、相槌を打つことしかできない。

「ただ、今、その跡を継いで……というか、聖星術の研究をしているのは、国家キヴィタスのお偉いさんなんだって」

 不意に、表情を複雑そうな思いに変えて、彼女は言った。なんだか引っ掛かる物言いに俺は疑問を投げ掛ける。

「跡を継いで……ってことは、そのバジルって人はもう……?」

「うーん、その辺は曖昧なんだよね」

 曖昧?

 首を傾げていると、彼女は顎に手を添えて答える。

「そもそも、今の基盤が確立されたのって二十年くらい前なんだよね。でも、それより大分以前からドクター・バジルって名前は聖星術絡みの文献に乗ってたの。でも、十年くらい前からかな。いつの間にかその基盤を許にした新しい聖星陣が普及して、今の生活の必需品になってるけど、その協力者としてその名前は上がってないの」

「つまり、それだけ聖星術の研究をしていたのに、今の技術には何も提供していないとなると、大前提として提供できなかった……と? その理由が、既に存在していないから……?」

「……あくまで推測だけどね。訃報が流れたわけでもないみたいだし。でも、研究者って探求心や好奇心の塊みたいなものだから、そう簡単に自分が見つけた法則を他人に提供して傍観するだけ──みたいなのはできないと思う」

「…………なるほど」

 その辺りのことはよくわからないが、好奇心の塊であるエリーがそういうのであれば、それは間違っていないのだろう。世の中には、その好奇心を用いて、無から有を生み出せる人が本当に存在するのだな、と、現実味を帯びないにしろ思わざるを得ない。

 そういえば、ルークスさんがこの町に施しているという聖星術は、今まで見たことも聞いたこともないものだったな。町に結界を張るだとか、特定の存在を報せるだとか、あれば便利ではあるが、実用化が難しそうなものを完成させているのだ。仮にそれが、バジルというドクターの功績ではなく、ルークスさんのものだとしたら、それだけで彼もまた、充分にすごい存在だと思う。現に博識なエリーでさえ、ルークスさんの術については聞いたことしかなかったというのだ。一体どれだけの時間と努力をして、ここまでのことをやってのけたのやら。

 何が、あの穢れなき神父をそこまでさせたのやら。

 それこそ、かのドクターや、目の前に立つエリーのように、好奇心からそれを確立したのだろうか。一瞬そんな考えが頭をぎったが、すぐに違うと思った。聖星術の使役する時、そのような話をする時、彼はエリーのような楽しそうな表情を見せたことがない。それどころか、どこか寂しそうな、苦しそうな表情すら見せることもある。そんな顔をして扱うものに、果たして好奇心というもは該当するのだろうか。

 それにしても……。

 左手で、俺は俺の聖星術に於ける武器の核となるペンダントに触れる。氷のような冷たさを持つ結晶を、そっと握る。

 それにしてもルークスさんは、時々とても苦しそうな顔をする。その原因も、考えていることもわからないが、きっと何かあったのだろう。それを詮索するつもりはない、が。

「もう少し頼ってもいいんじゃないか」

 そういう本人は誰も頼らないなんて、何という皮肉か。俺はその言葉に、背中を押されたも同然だというのに。

 ルークスさんの様子が変わった時、俺を見詰めて発した言葉が脳裏を駆け巡る。

 ──優しく、聡明で、芯があるのに何処か掴めない……そして。


 あの人は寂しげな瞳で、俺に誰を──重ねていたんだろう。

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