断章 【銀の瞳】
Fragment:001
「うーん……」
もう居なくなったのかな。いや、でも部屋を離れてから大して時間なんて経ってないし、歩いてるだけならそこまで遠くは……いやでも相手は
などと、ぐるぐる考えながら、イージオは教会敷地内を小走りで駆け回っていた。歩いている場所は屋内だが、中央の中庭へは吹き抜けのため、行こうと思えばそのまま歩いて行ける。ここは建物の端に沿って作られた廊下だ。
目の前に差し掛かった曲がり角で、小走りだったスピードを緩める。人の気配はないものの、下手に勢いをつけたまま誰かと接触でもしたら堪ったものではない。
「あ!」
しかし、イージオは曲がった瞬間に再び足を速めた。目的の人を見付けたのだ。
「おーい、ルーさーん!」
先を行く目的の人、ルークスはその声に振り返る。その顔が、先刻とまるで変わらないことに、イージオは幾分か心内で安堵した。ルークスはそのまま立ち止まり、イージオを待つ。
「どうした」
イージオが足を止めたタイミングで、ルークスが問う。イージオは大きく息を吐いた後に「いや……」と切り出した。
「さっきオレが訊いたことで気ィ悪くしてたら悪いと思って、謝りに来たんだけど……」
ばつが悪そうに頭を掻きながらそう言うと、ルークスは一瞬固まった。
「さっきの……? ああ、誰の受け売りかという話か」
しかしすぐに何のことか理解出来たらしく、彼は続けた。
「お前が謝ることではない。気にするな」
「マジで? 良かったー」
ルークスの回答に、イージオは脱力した。堅物神父と言えど人であることに変わりはないのだから、自分の発言が原因で気を損ねられてしまっては申し訳ない。しかし本人がそういうのであればと、今度こそ心から胸を撫でおろした。
「あ、じゃあさ、失礼ついでにもう一個訊いていい?」
「何だ」
ルークスの、質問に質問を返すこの形は、つまりは応じるという表れだ。なら遠慮する理由はない。
しかしイージオはその前に辺りを一瞥する。別に聞かれても困るものではないが、念のためだ。それに本人が喋りたがらないことを、敢えて知っていそうな第三者に訊こうというのだから、その本人が居てはこちらがいたたまれない。
誰もいないことを確認したうえで、イージオは改めて問うた。
「【銀の瞳】を持つ奴の力って、どういうものなんだ?」
銀の瞳──
かつて、まだプリモタウンに来る前に、ギルドのメンバーが情報屋ギルドの奴に訊いていた言葉。
結局そのメンバーも、情報屋から有益なことを教えてもらったわけではなさそうだったし、内容もよくはわからなかった。その中で、銀の眼を持つ者には何かがある──そうあいつは、あの情報屋は言っていた。気になるのは、すべてを知る者と謳いつつも、その具体的な内容については教えてくれなかったことだが、それについては情報に対する対価が足りないということで
何より正味な話として、イージオはその言葉すら忘れていたのだ。何せそのように謳われるということは、銀色の瞳という存在がそもそも希少であって、そんなものがそう簡単に自身の前に現れるなどと考えもしなかったのだ。
しかし、本物の【銀の瞳】を持つ者とこの町で出会ったことで、それを思い出した。
だからこそ話ができるなら訊いてみようと、最初こそはアルシド本人にいつか質問しようと思っていた。どんな力を持っているのか、どうやってその力を手に入れたのか、他にもたくさん。
ところがその話をするには、当の本人との距離はあまりにも遠過ぎた。
「アルが最初のころ、オレたちを突っぱねてたことと何か関係あんの?」
意図的であることは明確だった。確かにアルシドは人付き合いに関しては不器用で、イージオもしつこいと自覚できる程にまでしつこく絡まないと、きっとあの氷みたいな心を開かせることはできなかったと今でも思う。ただ、そこまでして他人との関りを拒むのには、何か理由があるはずだとすぐに気付いた。それでも、結局和解した現状でも本人に訊くことはできないままであるが。だからイージオは、訊く相手を変えたのだ。
「それは……」
神父はかすかに目を丸くしたが、やがてぽつりと、しかし確かな声で言った。
「私からは何も言えない」
「…………へえ?」
返された言葉の意味を、イージオは反射的に勘ぐった。
「その言い方、何か思い当たる節はあるんだ?」
対してルークスは、瞬きをするだけで何も言わない。
口角を上げるだけの笑みを浮かべ、イージオは続ける。
「だって本当に何も知らないなら、何のことだって言うよな。それが敢えて、言えないときた。それって結論が出てないから、もしくはわかってるけど、話せるところまで理解が追い付いてないから話せることがないってことじゃねーの?」
それなら推論や可能性の話なんて要らない。浮かべていたかすかな一笑さえも消し、イージオは冷徹に言い放った。
「だったら、ルーさんが知ってる事実だけ教えてよ」
その物言いで、全く知らないなんて言わせない。それにあんたは、穢れなき神父である前に、あのギルドの一員だったはずだ。
あの──世界一の情報屋ギルド・シスマルシェの。
という、イージオの思惑が通じたのかはわからない。だが、穢れなき神父はため息を吐いて言った。
「まったく……お前のその鋭さは何処から来るんだ」
やれやれと言いたげに首を振るルークス。普段とは異なるイージオの気配に気圧されたのかと思ったが、特別そういう訳でもないようで、彼はおもむろに口を開いた。
「確かにお前の言う通り、アルが他人と距離を置いていたのは、アルが持つ力が原因だ。
本人はそのことを明言していないがな」
「え、じゃあ何でそう言い切れるんだよ?」
「アルをこの町に送り出した奴がそう言っていた。恐らくそいつは、アル本人からそうすると言われたのだろう」
「……アルはギルドとかには入ってないよな? 誰?」
「今回の件で、私が傭兵を連れて来て欲しいと依頼をした相手は
「へー……あっ」
相槌を打ちながら、イージオは思い出した。そういえば、今回自分がプリモタウンに行くことになったのは、もとはと言えば
本来ギルドと
「んーまあ、うちは
「
「つまり……アルは
「そういうことだ。……話を戻すが」
閑話休題というように、ルークスは少し間を空けて口を切った。
「アルはどうやら、その力が原因で何か事件を起こしてしまったようだ。それがきっかけで力のコントロールが利かず、暴走する可能性がある。その暴走に他者を巻き込まないために、親しくなるような存在を作らないようにと、人を遠ざけようとしていたようだ」
「暴走? 聖星力絡みの力なら、暴走なんかしないだろ?」
「本来は、だ。しかし何事にも例外は存在する」
それは忌み子だから、ということなのだろうか。いやでも、忌み子とは違う気がする。イージオは質問を重ねた。
「じゃあ事件って、どういう?」
「それは言えない」
即座に頭を振るルークス。しかしそれには明確な理由があるらしい。
「私も人に話せるほどきちんとしたことは知らない。だが、その事件はアルにとってトラウマと言っても過言ではない程のことだということは知っている。故に、私が軽々しく言えるものではない。その辺の事情は察してやってくれ」
「…………わかった」
本当は訊きたいところだが、そう言われてしまえば何も言えない。イージオは素直に頷いた。
とはいえ、言えないにしてもそういうことを知っているという事実が、この人をますます元情報屋だと思わざるを得ない。一体この人はどこからそんな
「ただ、そうだな。ひとつ言えるのは……」
ルークスはしばらく口を噤んでいたが、やがて静かにそう切り出した。
「アルの──銀の瞳を持つ者の力は、忌み子のそれとは違う、特別なものだ」
特別。
忌み子とは違う気がする。今しがた
「……違うって、何が違うんだよ?」
忌み子の力でないにしろ、何が異なるのかを明確にしてもらわなければわからない。ルークスは頷いて言葉を継ぐ。
「忌み子が【開花】……つまり、力の制御ができるようにならなければ使用できない【昇華詠唱術】を、アルなら今でも扱える」
「えっ?」
素っ頓狂な声と共に、イージオは目を瞠る。
「……今は力のコントロールができてないんだよな? それでも?」
「そうだ。できていなくとも扱える。まずその時点で忌み子とは異なる。だが、忌み子の力と比較して具体的にどこがどう違うかというようなことは、そのすべてが判明している訳ではない。現状わかることもほんのひと握り程度だ」
つまり、ルーさんでもわからないことが多い……というより、今はこれ以上のことはわからないってことか。
「……なるほどねー」
イージオは、反芻するように数回首を立てに振った。
ふと差し込んだ日差しが、廊下を照らす。その光は冬が近い今日この頃にしてはいやに眩しく、あっという間に敷地を白と黒のコントラストに染め上げた。
「この際だ。私もひとつお前に訊きたいことがある」
「ん? なに?」
日差しと共に流れてきた風が、二人の小物と髪を揺らしていく。イージオは首を傾げ、質問を待った。
「今のところアルの力は安定しているが、未知な分、この先何が起こるかわからない。力の暴走はないかもしれないが、全くないとも言い切れない。そして万が一、力が暴走してしまった場合、お前ならどうする」
ルークスは無表情とはどこか違う、神妙ともとれる顔で続けた。
「特別な力を持つということは、それだけで深い業を背負うことになる。アルが今後どのような道に進むにしても、その先で必ず苛烈な運命を辿るだろう。その時お前は──お前たちは、アルの味方で居てやれるか?」
光を映さない深い緑が、ひたすら真っ直ぐイージオに向けられる。普段感情を出さず、淡々としているあの穢れなき神父が、自分に対してこうも真剣に何かを問いかけてくることが新鮮だった。
「なーに言ってんだよ」
だが、イージオとしては、何故わざわざそのようなことを訊いてくるのかと思わざるを得ない。本当に何を言っているのやら。そんなの答えなんて、訊かれる前から決まっている。
朗らかに笑い、イージオは自身の胸もとに拳を当てた。
「そんなの当たり前じゃん、アルは大事な仲間なんだから!」
いつの間にか日差しは穏やかさを取り戻し、まるでイージオの背中を押すかの如く、優しい光で包んだ。
その答えに……いや、恐らく答え方に、ルークスはかすかに瞠目したが、やがて眼を伏せて言った。
「……そうか。それなら良いんだ」
どこか安堵した雰囲気で、ルークスはそう締めくくった。その口元が、気持ち程度とはいえ上がっていることも、イージオは見逃さなかった。
穏やかになった二人を再び風が撫ぜる。しかし今回は日差しの効果がなく、思いの外冷たかった。不意打ちの寒さを、イージオは大きくくしゃみをしたことで実感した。その様子を見て、ルークスは言う。
「さすがに冷えるな……風邪を引く前に戻った方が良いぞ」
「へへ、そうするー。さんきゅールーさん」
鼻を啜りながらイージオは頷く。振り返りざまに礼を言うと「ああ」と、簡素な返事が来た。
ひらひらと手を振り、イージオは来た時同様に小走りで廊下を進んで行く。来た道を戻り、角を曲がったタイミングで、イージオは小走りから歩くことにその足を変えた。
ちょうど良い機会だし、思い切って何か知ってそうなルーさんに訊いてみたけど、結局、アルは何か特別ってことしかわかんなかったなあ。と、風で冷えた腕をいたわるように、ジャケットの上から両腕をさすりながら、ぼんやりと思う。
しばらく歩いて、イージオは右手を胸の高さに持っていく。
オレがアルにできること──
答えを確かに見付けたイージオは力強く拳を作り、決意の現れた笑顔で再び走り出した。
先に待つ仲間たちのもとに、早く帰るために。
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