Chapter:021

 穢れのみを焼く炎は、アンデッドをすべて昇華した後、ひとりでに消滅した。本当に穢れ以外には何も燃やさなかったようで、風化したアンデッドだった結晶の足元には焦げ跡すら残っていなかった。

「……い、今のが……?」

 掠れた声で、半ば独り言のように呟くと、隣でベルナが頷いた。

「ええ……。今のが獅炎しえんの昇華詠唱術……なんだけど」

 盛大な溜息を吐いて、彼女は続けた。

「使えるなんて思ってなかったから……詠唱句を唱えるのすら初めてだったのよ。術の発動がどういうものかも知らなかったし、正直……ほんと……あの子が…………炎に焼かれなくて……良かった……」

 震えた声で彼女は顔を手で覆い、その場で座り込んでしまった。最善の状態で事が終わったこと、自身の力が開花していたこと、それに気付いての安堵で、彼女はきっと腰が抜けてしまったのだろう。

 無理もない。それに、知っていたからとは言え、無茶をさせてしまった。その点については謝らなければ。

 俺は彼女に近付き、しゃがむ。

「無理を言って済まなかった。でも、おかげで助かった。ありがとう、ベルナ」

 顔を上げたベルナは、一瞬呆けた表情をしたが、すぐに顔を真っ赤にして再び俯いた。

「ば……バカー!」

 俯かれただけならまだしも、挙句の果てにそんなことを言われる始末だった。

「えっ……えぇ……?」

 思いがけない結果に情けない声しか出ない。顔を上げてほしくて詫びと礼を言ったのに、これではむしろ逆効果ではないか。というか、どうして急に真っ赤になるのか。

 どうしたらいいものかとおろおろしながら考えていると、町の方角から複数の足音が聞こえてきた。

 現れたのはイージオとエリー。どうやら二人ともひと仕事終えて来た様子だ。イージオは俺の方に、エリーはベルナの方にそれぞれ駆け寄る。

 と、現状を何か誤解して理解したイージオが、にやにやと腹の立つ顔で口を開いた。

「あ? アルー、女の子泣かした?」

「ちげーよ!」

 反射的に噛みつくようにイージオの言葉を遮った。しかし、なおもイージオはにやついた顔をやめない。やめろ、そんな顔をするな。誤解だし知っててにやにやしてるだろう、お前は。──と、言いたかったが。

「ってか……」

 大事なことを思い出し、俺は立ち上がり、走り出す。突然の行動にイージオは呆然としているが、構うものか。

 向かう先は、倒れている子供。

「おい、大丈夫か……?」

 近くで見ると、その子供はどうやら小さな男の子のようだった。

 ややあって、かすかなうめき声を上げて、男の子は目を覚ました。その際に大粒の涙が目から溢れたところを見る限り、気を失う前にそれなりに怖い思いをしたのだと思う。目覚めたことには安心したが、気を失う前に間に合わなかったことがどうにももどかしかった。

「大丈夫か?」

 改めてそう訊く。男の子はしばらく瞬きを繰り返していたが、そのうちに立ち上がり、自分の身体を見て回った後、笑顔で「うん!」と頷いた。多分、怪我はないか? という意味で解釈したのだろう。単純に無傷であることに頷いてくれたのだ。思いの外元気な状態に少し驚いたが、結果オーライという奴だ。そのままくしゃくしゃと頭を撫でると、少年は一層嬉しそうに笑った。俺も釣られて口元が緩む。

 と、こちらに駆け寄ってくる足音が聞こえた。振り返ると、ベルナだった。彼女も男の子の目線に自身を合わせるため、座るようにしてしゃがみ込んだ。

「だ……大丈夫?」

 全く同じ質問をされたにも関わらず、少年は再び笑顔で大きく頷いた。それに安心したベルナは、胸を撫で下ろして綻んだ。

 すると何を思ったのか、男の子が突然、ベルナに駆け寄った。彼女の質問に対し笑顔で頷いた直後から、しばらくじーっと彼女を見詰めていたが、それだけに留まらず、終いには胸に当てた彼女の手を握ったのだ。いつの間にかやって来ていたイージオやエリーも含め、全員がその行動に虚を突かれ、固まる。

 一番固まってしまっていたのは、当然手を握られているベルナだが、彼女は声すら出さず、とにかく瞬きを繰り返すばかり。どのような対応をすればいいのか──も、きっと考えられていないのだろう。俺が当事者ならそうなる。

 やがて、男の子は小さな手で、更に力強く握るように、しかし結局その手に収まらなかったために手を置き、言った。

「おねえちゃんのて、あったかい。ゆめでぼくをまもってくれてた、おひさまとおんなじ」

「……ゆ、夢? お日さま?」

 首を傾げて、同じ言葉を返して尋ねるベルナ。男の子は頷いて答える。

「うん。ぼくね、さっきまでゆめをみてたの。あのね、ぼくね、すっごくこわかったんだ。でもね、おひさまがね、ぼくをね、まもってくれたの」

 お日さま。

 恐らくはベルナがずっとこの子を守っていた炎のことだろう。或いは、最後に発動した昇華詠唱術か。

「だからね、ぼく、こわかったけど、こわくなくなったんだよ。それって、おねえちゃんが、こわいのからぼくをまもってくれたからだよね?」

 その問いに、彼女はどう答えるべきか迷っているようだった。実際はその通りで、それを否定する理由はない。それでも言葉が見付からなかった少女は、どうにかして頷く他に方法がなかった。

 ただ、男の子にはそれで充分だったようで、彼はゆっくり頷いた後に何度目かの──しかし今度は、初めての満面の笑顔で続けた。


「おねえちゃん、ありがとう」


 その瞬間、ベルナの頬に、一筋の光を見た。そしてしゃがみ込んだまま、彼女は顔をうずめた。

 男の子も、エリーもイージオも面食らった表情のまま微動だにしなかったが、俺には彼女がそうした意味が何となくだがわかった。

 小さな命を救えた、力を制御できたのだという実感。何より「ありがとう」という感謝の言葉は、自身の存在を認めてもらったことの証明だ。

 彼女はきっと今、ようやく自分が何をしたのか知ったのだ。

 面食らっておろおろする三人を他所に、俺は誰にも気付かれないように、かすかに目を細めた。



 男の子を引き連れ、全員で町の中心に戻ると、早々にその子の両親と遭遇した。親子は互いに無事再会できた途端、安堵からか泣きじゃくってしまった。俺達はその様子すら微笑ましく思いながら見守った。

 一段落したところで、親御さんたちが俺、イージオ、エリーに礼を言いに寄って来た。しかし、俺達は揃って頭を振り、少し離れた場所で立っていたベルナを指して言った。この子を助けたのは彼女であると。

 もとよりこの町に暮らしているであろう彼らは、ベルナを見て笑顔を引きつらせた。しかし、当事者である男の子が、声を大にしてもう一度「おねえちゃん、ありがとう」とベルナに向けて言ったものだから、慌てて頭を下げた。当のベルナは困ったように笑っていたが、男の子はやはり満面の笑みだった。

「あ、あの……これはどういう……?」

 困惑気味に母親がそう問いかけてきた。

「さっきも言った通り、息子さんを助けたのは俺たちじゃなく、彼女です。彼女の力で、彼女が助けたんです」

 母親は瞠目しながら、俺たちとベルナ、そして父親と戯れる息子を順番に見る。

「あのね、ピンクのおねえちゃんがね、おひさまでね、ぼくをね、まもってくれたの!」

 嬉しそうに話す少年に、大人たちも徐々に引きつっていた顔を綻ばせる。俺たちの言ったことが、家族が言ったことが本当であるのだと理解した両親は、改めて子供を連れ、ベルナの前に立った。そして深々と頭を下げる。

「息子を助けていただき、本当に……本当にありがとうございました」

 その言葉に、ベルナが再び涙したのは言うまでもない。


 穏やかな昼下がり。

 あの親子とはあの後すぐに分かれた。最後の最後まで少年はベルナにお礼を言いまくり、終始笑顔を絶やさないまま、親御さんに手を引かれていた。本当に最後の方はベルナもようやく慣れてきたのか、優しい笑顔を向けていた。

 俺とイージオは、仲睦まじく話し込む女子二人を眺めながら、ぼんやりと教会敷地内の広場に在るベンチでひなたぼっこに勤しんでいた。

「本当に仲いいんだなー、あの二人」

「そうだな」

 いつだって朗らかな表情で喋るエリーと、時折つんけんしながらも楽しそうに会話を続けるベルナ。あれが彼女の自然体なのだろう。今ではもう、俺たちにすら怯える気配はない。

 ひとしきり話が済んだところで、少女たちはこちらを向いた。俺たちが首を傾げていると、エリーがイージオと名を呼んだ。その声に吸い込まれるように、イージオが立ち上がりエリーの許へ向かった。

 入れ替わるようにして、今度はベルナがこちらにやって来る。

 目の前に立つ少女は口を噤んでいたが、しばらくして唐突に息を吸い込んだ。

「その……あの時は悪かったわ。……ごめんなさい」

「え?」

 何のことか、一瞬わからず呆けた声が出た。しかしすぐに、森の高台で俺を突き落としたことだと気付き、俺は頭を振った。

「ああ、いや、気にするな。大丈夫だから」

「そ……そう……?」

「ああ」

 そう頷くと、ベルナは安堵の息を吐き、俺の隣に座った。新たな重みにベンチの木が軋むが、イージオの時と比べると随分と軽い。改めて本当に華奢だなと思い知らされた。

 しばしの沈黙。

 ふと、俺は少し先で楽しそうに話し込むイージオとエリーに目を向けたまま口を開く。

「そういえば俺もそう思ってた。誰かを傷付けてしまうくらいなら、初めから関わらない方が良いって」

 気配で、ベルナが俺を見たのがわかった。

「でも、無理に突き放したり、倦厭けんえんする必要はないんだって、あいつらに気付かされた。そうすれば、変に苦しむ必要も、気張る必要もないんだって」

「……その言い方、あんたも何かあるの?」

「──……多分、な」

「多分?」

「よくわからないんだ」

「なにそれ」

 太陽の熱を帯び、かすかに温かな風が頬を撫ぜる。

 俺は続けた。

「でも、そんなよくわからない何かを持っている俺にさえ、普通に接してくる奴らがいる。それが、あいつらなんだ」

「……もの好きね」

「自覚済みだとさ」

「ふふ、なにそれ」

 不意に出た笑い声に、今度は俺がベルナを見る。口元に手を当て、どこかお上品に笑うその様子は、誰が何と言おうと普通の少女だ。

 と、そのタイミングで、イージオとエリーが俺たちを呼んだ。

「おーい二人ともー! この後、飯行こうぜ飯ー! 腹減ったー!」

「ね、行こう! アル! ベルナ!」

 大きく手を振って呼ぶ二人を拒否する理由はない。俺は「はいはい」と頷き立ち上がる。

「じゃあ行こうか。ああなったら聞かないからさ」

 苦笑交じりに俺が言うと、ベルナはぽかんと口を開けるが、間もないうちにその顔を綻ばせる。

「わかったわよ」

 そう言ってベルナも立ち上がった。彼女の桃色の髪が、駆け足に合わせてゆらゆらと揺れる。向かう先で待っているのは、太陽の日差しを受けてきらきらと輝く、優しい黄色い花。

 ある小春の日、小さな町にもう一輪、ふわりと華やかであたたかい桃色の花が咲いた。

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