Chapter:020
ルークスさんから忌み子について話をしてもらってから、数日が経過した。
久しぶりに暖かく穏やかな今日、俺はこの間イージオと時間を潰していた広場に居た。
こんな日こそ外で……いや、特に何かをするわけでもないが、こういう天気の今日くらい、ひなたぼっこみたいなことをしてもいいのではないだろうか。むしろ、こういう日だからこそ、何も考えずのんびりしていたいものだ。
と、俺は本当に何も考えず、ベンチに横になり、半ば眠るように呆けていたため、不意に聞こえてきた足音が、かなり近い位置であったことに心底驚いた。
慌てて起き上がり振り向くと、そこには例の薄桃色の忌み子、ベルナデッタが立っていた。
「あ……」
誰もいないと思っていたのだろう。しまった──と、あからさまに焦った顔で、彼女は俺を凝視する。しかしすぐに走り去ろうとしたのか、即座に踵を返した。
「ま、待てって」
だが俺は、それを慌てて止めた。
呼び止められたことに少女はかなり驚いていたが、それでも立ち止まってくれた。
小柄で、華奢。下手に触れると壊れてしまうのではないかと錯覚してしまうのは、恐らく彼女が俺に向けてくる目にも原因がありそうだった。声を掛けられた驚きと、不安、前準備なしに人と関わることへの恐怖──かつて、この町に来たばかりの頃の俺と重なる気がした。
「あ……っと……」
呼び止めたのは、訊いておきたいことがあるからなのだが、いざ声を掛けて恐怖心を煽ってしまったとなると、普通に話を切り出すのも難しい。うまい言葉が出ず、結局言いよどむ。
「…………なに」
やがて、痺れを切らしたらしい少女が口を開いた。険のある声色に一瞬「何でもない」と身を引きそうになる。しかしせっかくのチャンスだ。
「怪我は、なかったか?」
いつぞや、高台で思わず手を引いてしまった時のことだ。少女は幸いにも滑り落ちたりしなかったが、思いの外強い力で引っ張った記憶がある。俺がしたことが原因で、何か怪我でもされていたらたまったものではない。だが、あれ以降俺はこの娘と会っていないために、その確認は今日この時までなかった。
少女は少女で、切り出された内容が意外だったのか何なのか、しばらく目を丸くしていた。その後、何故か急に顔が赤くなった彼女は、小さく頭を振った。
「な……ないわよ」
消え入りそうなほど小さい返答だったが、それで充分だった。
「そうか」
それなら良かった。俺は安堵の息を吐く。
さて、本題は別にある。今度は息を大きく吸い、口を開く。
「……君は、忌み子なんだって?」
打って変わった質問──いや、恐らく最初に想定していたであろう質問を受け、彼女は肩を震わせた。
「……だったら何よ」
それでも彼女は気丈にも、再び棘を含んだ声に変え、改めて俺に向き直る。
今度こそ、俺は完全に言葉を失ってしまった。俺が訊きたかったのは、この娘が忌み子であるか否かという、既に答えを知っていること。周りがそれを認知していて、この少女がどういった存在なのかと教えてくれている今でも、俺は、本人から忌み子であるという事実を聴きたかった。
だが、そうして聴くことが間違いだったのだと、彼女を見て思い知った。
気丈に見えた顔で、彼女は苦痛に耐えるかのように固く唇を噛んでいた。それはもう気丈とは言えない。強がりとも言えない。
考えてみれば当然だ。俺だって、自分の力が危ういものだと自覚しているが、いざ他人から、どういう形であれ、改めて言い聞かせられてしまえば、相当に苦しくなる。
しかも質問してしまった以上、何もないと言って立ち去れるような内容でもない。焦りと後悔でいっぱいの頭で、どうにか場を持たせる言葉を探す。
だが、先に動いたのは少女の方だった。
すうっと息を吸い込んだ音に、俺は顔を上げた。桃色の瞳が、俺を見つめ返す。
「誰かを傷付けてしまうくらいなら、初めから関わらない方が良いでしょ?」
それだけよ。と言わんばかりに、少女は今度こそ踵を返した。
俺は呆然と、小さな背中が更に小さくなり、消えてゆくのを見送る事しかできなかった。
今のは──忌み子としての生き方だろうか。忌み子だから、私はそう生きている。そう……生きるしかない。彼女の表情に、そんな思いが見えた気がした。
「でも、本当にそうなんだろうか……」
誰もいない広場で俺は、いない誰かに問い掛ける。
答えなんてあるはずもないのに。
アンデッド出現により、ルークスさんから施された感知聖星術が警鐘を鳴らしたのは、それからそう間もない頃だった。
「ちっ……」
俺は町を覆う外れの森の中を走りながら舌打ちした。
感知による反応は今回三つ。今までも複数の反応はなかった訳ではないし、そもそも俺もイージオもエリーも、一人である程度のアンデッドは討伐できる。最近はそれにゼークトも加わったおかげで、負担になる量もかなり減った。故に、別にそこが問題ではない。
問題なのは、最寄りの感知場所が、立ち去った少女が向かって行った方角であるということだ。彼女はほぼ間違いなく感知術を神父から施されてはいない。しかも忌み子であるということから、その強過ぎる力を上手く扱えない──と、思っている。そのためにもし遭遇しても、彼女はアンデッドと戦うことができないはずだ。
来るなら来るでもう少し早く来いよ!
出現のタイミングの悪さにそう叫ばずにはいられないが、言ったところで詮無きこと。
妙に長い数分間走り続けて、ようやく少女の後ろ姿を捉えた。
「に……」
逃げろと声を掛けようとして、やめる。彼女は、必死の表情で手を前に伸ばしていたのだ。まるで何かの力を前方に注ぐように。
少女のやや後ろにまで行き、足を止めると、その理由がはっきりとわかった。
先に居るのはアンデッド。感知術が教えてくれた通りだった。が、問題はその足元。どこから迷い込んだのか、小さな子供が倒れているのだ。アンデッド達は子供に狙いを定めており、少女はそのアンデッドの攻撃から子供を守るために、いつ暴走するともわからない不安の中で、それでも充分に扱えないと思っている聖星術を使役しているのだ。
彼女が子供を守ってくれている間に、俺がアンデッドを昇華させれば良い。
右手で首にぶら下げている結晶状のペンダントを握る。途端、どこからともなく紐が切れ支えを無くしたペンダントが完全に手に収まった。直後に光が溢れだし、それが形を変える。弾けるようにして光が消えた右手には、すべてが氷でできた弓があった。
そのまま今度は左手で矢を生成し、弦に当て、引く。刹那に狙いを定め、放つ。
矢は群れを成すアンデッドの端に居る一体の足に命中。瞬く間にその個体と周辺のアンデッドを巻き込んで凍結した。そして、砕けるようにして昇華。だがまだ、すべては昇華し切れない。
「え……!?」
弾かれた様に顔を上げた少女が、辺りを見渡す。初めは左右を、次いで後方に目を向け、俺と視線が重なった。
「あんた……! 何で……」
「それが仕事だ」
そう言って、俺はまた矢を放つ。端から少しずつ、しかし確実に頭数を減らすようにしているが、如何せん全力は出せない。
「くそ……」
俺は毒づいた。アンデットの昇華を優先してしまうと、聖星術が子供に当たりかねないのだ。それでは意味がない。子供をきちんと助けたうえで、アンデットを討伐しなければ。
しかしそんな都合の良い何かがあるのだろうか。アンデットだけを昇華させ、その他一切には全く影響を及ぼさないなどという、そんな何かが──
「──あ」
三度目に矢を放った瞬間、俺はそれを思い出した。あった。あるじゃないか、ここに。覚えてさえいれば。
いや、もう、そこに賭けるしかない。子供は気を失っているのか動けないし、まだそれなりに数が居るアンデットの中に入ってそれを撃破できる程、上手い戦い方を俺は、そして恐らく彼女も知らない。イージオやゼークトといった接近戦専門の奴が居ればとも思うが、最早それもないものねだりだ。
俺は意を決して息を吸い込んだ。
「ベルナ!」
子供を、どうにかして炎で守ろうとしていた少女は、再び前方に向き直っていたが、名を呼ばれたことで瞠目して俺を見た。だが、集中力は切れていないようで、目を向けていない今も、しっかりと力は発動している。
「ベルナ、昇華詠唱術は知ってるか!」
え? と、吐息混じりの疑問が飛ぶ。
「し、知ってるけど……まさか、あたしが!?」
「そうだ。頼む! 俺の聖星術では、あの子に怪我を負わせてしまう……でも、君なら! 君の昇華詠唱術なら! あの子を助けられる!」
「でも……! それは開花してたらの話でしょ! あたしは忌み子で、まだそんな……」
「大丈夫だ」
しっかり彼女の目を見て、俺はそう言った。
「大丈夫。君はもう、忌み嫌われる存在じゃない。だから……大丈夫」
それが最も彼女に伝わる方法だと思ったからだ。
少女は──ベルナは、様々な思いを乗せた目で俺を見つめ返していた。そのほとんどが、力への不安や恐怖といったものだった。しかし、その負の感情とは別に、純粋な疑問も見えた気がした。
本当に、あたしにできるの……? という。
俺は、ゆっくり頷いた。
再びベルナは目を瞠った。だが、前を向いて力いっぱい閉じた後、ゆっくりと開いた。俺はベルナの横に並ぶように立つ。
「…………わかった」
決意に満ちた声と瞳だった。それは、さっきまでの不安の一切が消え、その小さく華奢な身体に、本当に強大な力があることを思わせた。
「その言葉、信じるから」
ずっと前に突き付けられていた手を力強く握り、彼女は息を大きく吸う。
「風に鳴く葉、その歌を以て自らを信ずる勇気を与え給え──
その言の葉に、彼女の力たる炎が応えるかのように揺らめいた。
直後、アンデッドから子供を守るように宙に固定されていた炎が、重力の法則に従って地に落ちる。落ちた先には子供が居て、炎が直撃したその瞬間に俺達は背筋が凍ったが、何も起こらなかった。代わりに、落ちた炎がまるで水面で波打つ波紋のように落下地点から広がり、アンデッドに触れた瞬間──
群れを成すすべてのアンデッドに
俺達は、その儚くもどこか残酷とも思える光景を、ただ見守る事しかできなかった。
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