Chapter:019

「さて、そんな忌み子達も、いつまでもその力に悩まされている訳ではない。聖星力に混ざっている穢れは、特定の条件を満たすことで浄化が可能だ。しかも浄化が完了した場合は、二度と聖星力に穢れを伴うことはなく、持ち得る聖星力のすべての力を、暴走させることなく使役することが可能になる」

 閑話休題というように、一瞬の内に声色を戻した神父。

「その条件は【愛された喜びを知る】こと。もっと言えば、忌み子が【本当の愛】を知ること、それを経験することだ」

 俺達は目をしばたかせた。言いたいことはわかるが、どうにも飲み込めない。そんな俺達を見て、彼は返事も相槌も待たず切り出す。

「忌み子は、その名の通り忌むべき子と言われる。つまり忌むべき【子供】。ならば、忌み子を忌み子と最初に見做みなすのは……」

 ルークスさんが結論を言う前に、息を呑む声が部屋に響いた。正体はエリー。彼女は口に手を当て、とても悲しそうな、或いは苦しそうな顔をしていた。

「まさか……両親、ですか……?」

 その言葉に今度は俺とイージオ、そしてゼークトが息を呑み、目を瞠った。全員がルークスさんに向き直る。推測の真偽を確かめるために。

 穢れなき神父は、目を伏せて静かに頷いた。

「忌み子は、生まれてきた時点で忌むべき存在と認知される。そういった認知さえも女神の呪いの施しなのだろう。これは明確な理由がなくとも必ずされる。故に、虐待といった肉体的な怪我や、誹謗中傷のような精神的苦痛から己の身を護るために、結果、物心もつかない、或いは物心はあるにしても年端も行かないうちにその力を暴走させてしまい、本当に忌むべき存在となってしまうのがほとんどだ」

「そんな……」

 手を口に当てたまま、震えた声でエリーが呟いた。

「ベルナも同じだ。まだ、大きな被害を出すような暴走は起こしていないが、それでも故郷でもいわれのない非難をずっと受け続けていた。当然のことながら、彼女を守るものは誰一人としていなかったようだ」

 その場にいる誰も、何も言えなかった。

 あんまりだ……と思う。それはあまりにも、酷だ。

 忌み子という生まれ──ただそれだけで、ありもしない可能性に苦しんで蔑まれる。本人は何もしていないというのに。まして、初めにその目を向けてくるのが、自身を産み落とした両親などと……どれほど酷で、理不尽なことか。

「だが……いや、だからこそ、この条件なのだ」

 思わぬ事実を知ってしまい影を落とす俺達に、神父は良くも悪くも全く声色を変えず沈黙を破る。

「愛されない、忌むべき者として生まれ得てしまったからこそ、自らの存在を認められた、愛されたと実感することが出来れば、女神の呪いは解ける」

 それは確かに理に適うが、果たしてうまくいくものなのか。それすらままならず、自分が、或いは周りが耐え切れず、条件を満たす前に死んでしまった例も少なくないのではないだろうか。

 無意識に膝に置いていた拳を強く握る。

「だが容易いことではないかもしれないが、決して困難なことでもないのかもしれない」

 心を見透かされたような発言に、いつの間にか俯いていた顔を上げる。

「…………どういうことですか?」

「結論から言うと、ベルナはもう忌み子ではない」

「え……?」

 俺達は、揃って間の抜けた声を出す。

「ど、どういうことですか?」

 ついさっき俺が言った台詞を、一字一句間違えることなく今度はエリーが神父に返した。

「忌み子が【愛された喜びを知る】ことを、才能に目覚める意味を込めて【開花】と呼ぶんだが、ベルナはその開花が、ごく最近起こったようだ。本人は気付いていないみたいだがな」

 取って付けたような最後の言葉に、エリーは元より大きなその空色の瞳を更に大きく開き、驚く。

「気付いていないのに開花するなんて……そんなことが、あるんですか?」

「忌み子という存在自体がそう多くない故に、何が典型的なのかは私にもわからん。しかし、前例があろうとなかろうと、起きた事実は変わらない」

 ルークスさんはどこまでも冷静だった。その空気に流されるように、驚嘆していたエリーも、徐々に落ち着きを取り戻していった。ルークスさんの言葉を受け、何度か反芻するように頷く。

「……因みにその条件だと相手が、忌み子を【愛する】人が必要ですよね。誰だったんですか? 私達が知り得る人なんでしょうか?」

 再度そう問うたエリーは完全に、いつもの優しく、それでいて落ち着いた少女に戻っていた。そんな彼女にルークスさんは頷いてこう続けた。

「知り得るも何も──エリー、お前がその【相手】だ」

 再び、俺達の思考が止まった。最早男たちは声を出すことすらなく、わからないという顔をして首を傾げることで精いっぱいだ。エリーも目を瞬かせているあたり、理解が追い付いていないようだった。それを受け、神父はゆっくりと口を開く。

「ベルナにとって真に愛されることとは、普通の人のように接してもらえることだったんだ。それをお前は無意識にやっていたのだろう。無意識だったからこそ、彼女もそれを受け入れた。故に呪いは解けた。もう、ベルナは忌み子ではない」

 エリーは何も言わなかった。しかしそれは、さっきみたく理解が追い付かないからではなく、納得したために反論する理由がないから、というように思えた。実際、本人の表情に、不承や疑問と言った表情はなかった。

 そういえばエリーが今朝、ベルナの元に行くと言った時、「どこにでもいるような普通の子だ」と笑っていた。

 エリーにとってベルナという少女は、ただ忌み子という肩書を背負っただけの同じ歳の女の子でしかないのだ。しかもエリーは、間違いなく忌み子という存在について詳細を知っている。にもかかわらず、ベルナを【普通】と言ったということは、恐らく彼女の中で【忌み子】などただの言葉で、それ以上でも以下でもないのだろう。

 それは正味、俺としてもあの少女に於いては同じで、小柄で華奢な普通の少女にしか思えなかった。忌み子などと言われても、実害を伴わなければ意味を成さないものだと思っている。結局は単に現実味がないだけなのだが。

「なら、彼女は普通の少女ということでいいんですか」

 結論を確認するために俺がそう訊くと、ルークスさんは首肯するために顔を上げたが、頷く前にその顔を横に振った。

「……いや。確かに忌み子ではないが、普通と言われるとどうだろうな。呪いが解け、持て余していた力を最大限に扱えるようになったということは、一般的な力を凌駕する力を、文字通り扱えるようになったということだ。それが普通かと言われると、一概にそうとは言い切れない」

「え、なんで」

 イージオが首を傾げた。

「では私はどうだ。私は忌み子ではない。だが、穢れの影響を受けない身体と力を持つ。能力の違いはあれど、忌み子もまた、強大な聖星力を持ち、私と遜色ない程の力や聖星術を扱うことが出来る。お前たちはこれを普通と言えるか?」

「う、それは……」

 そういわれると何も言えない。イージオも押し黙る。現に俺達は、ルークスさんを【穢れなき神父】と呼び、特別な人と認識している。そんな彼は続ける。

「つまりそういうことだ。簡単に言えば、批判が肯定になるだけだ。忌み子としては存在を認めてもらうだけで充分だろうがな」

「そんなら、開花したことで使えるようになる力が増えるんだから、普通の人にはできない何かが出来るようになるとか?」

 再び訊くイージオに、神父は頷く。

昇華詠唱術しょうかえいしょうじゅつというものが扱えるようになる」

「昇華……詠唱術」

 俺は眉をしかめる。初めて聞く単語だった。

「昇華詠唱術は聖星術のひとつだ。大前提として、聖星術には二つの発動パターンがあるが、昇華詠唱術これは名の通り発動方法は【詠唱句】だ」

 聖星術は、穢れを浄化することで発動させることが可能な、ある種の理を超えたもの、或いは、簡易的な奇跡だ。その発動方法は、ルークスさんが言ったように二種類に分けられる。

 ひとつは【聖星陣】を使った場合。定められた陣を正しく書き記し、発動させるという意志を込めると術が発動する。この陣は、各聖星術ごとにきちんと定められているため、極端な話になると、禁忌とも呼べる強大な術でさえも、陣を知っていたら誰でも発動が可能ということになる。

 もうひとつが【詠唱句】を使った場合。目に見えるものではなく【言葉】と【聖星力】を力の依り代とすることで、陣を使わなくとも、発動させるという意志を込めると術が発動する。この詠唱句は【破棄】することが可能で発動までの時間を大幅に省略することも出来る。しかしその場合は、詠唱を行う時より遥かに聖星力を消費することになるというデメリットが存在する。下級と呼ぶ程度の術であれば、同というほどのものではないが、術が強力になればなる分、消費する聖星力はその量を増していく。

 これだけを聞くと、陣を使えば良いのではと思うが、実戦で陣を描いている余裕はない。また、実際のところ、一般的に規定の聖星陣が公にされているのは、最低限かつ危険を伴わない程度の威力しか持たない下級聖星術のみ。

 つまり、詠唱句と聖星力を媒体とする聖星術が基本となる現在、忌み子達は常に【暴走】の危険性を伴いながら術を使役しなければならないということになる。

 だが【開花】し、力の制御が可能になれば、その危険性もなくなり、更にはその昇華詠唱術というものも使うことが出来るということか。

 しかし、その術が何なのか、エリーはともかく俺達は知らない。それはルークスさんも心得ているようで、続きを切り出す。

「昇華詠唱術とは、穢れを極端に保有する存在……アンデッドや蛮族と言った、穢れに食われてしまった存在にのみ、絶大な効果を生み出す特殊な聖星術だ。人や動物といった穢れの少ないものに向けて発動しても影響がないため、非常にありがたい術になる」

「へー? でもそれ、そんなすごい聖星術なんすか?」

「ああ。まず、発動には上級聖星術の比にならない程の聖星力が必要になる。平均値の聖星力では到底発動は不可能だ。因みに穢れを持たず、かつ一般的な聖星力の上限より上をゆく私ですら、発動できるのは生まれながら扱い易い雷羴らいせんのみだ」

「へぇ……?」

「私は、自分の属性すら不発にもならなかったもん」

「えっ」

 頷きつつそう言ったエリーに、声を出して相槌を打っていたイージオだけでなく俺やゼークトも目を見開く。

 エリーは俺達の中でも随一の聖星力を有しているはずだ。故にアンデッド討伐の時は、基本的に後方で聖星術を用いて援護をしてもらっている。聖星力を立て続けに消費すると、疲労が蓄積し倒れることもあると言われているが、エリーがそんな状況になったところは見たことがない。

 そんな彼女ですら、全く発動できない……つまり生涯かけても使役出来ないということだ。

「そして効果だが、強い穢れに反応して浄化を行う。先程言ったように基本的に人間などの穢れをあまり持たない者には影響がない。アンデッドに襲われている者を救出する際も、アンデッドにのみ昇華作用を起こしを無傷で助けることが出来、また周辺の建物や植物なども強い穢れを持たない場合は、当たっても破損させることもない。簡単に言えばとんでもなく都合の良い聖星術ということだ」

 俺とイージオ、そしてゼークトが開いた口が塞がらなくなった。

「それは……確かにすげーわ……」

 ゼークトの独り言にただただ頷く。それしか言いようがない。

 本当にそんな術が使えるようになれば、力に翻弄され、自分も他人も意図せず傷付けていた忌み子が一転、誰も傷付けることなく人々をアンデッドから救うことが出来るようになるのだから。

「だが、それだけ特殊な術であるが故に、使役はほんの一握りの人間にしかできない。扱えるほどの聖星力を持つ者が極端に少ないのだ。現状それが可能であるとされているのは、その強大な力に穢れを持つがために悩み苦しんでしまう忌み子と、忌み子でないにもかかわらず彼らと同等の聖星力を保持してしまった私達【穢れなき神父】。それから──」

 それまで目を伏せて話し続けていたルークスさんが、おもむろに目を開いた。その深淵をも思わせる深い緑の瞳が、真っ直ぐ見詰めたのは──

「……え?」

 声にもならない吐息のような声しか出なかった。

 ルークスさんと目が合ったのは、俺だった。しかし、彼はその先は言わず、再び目を伏せて小さく首を振った。

「ともかく、使い手を選ぶような極めて特殊な術を、忌み子は【開花】したら扱えるようになる。だが、そこに至るまでには、自身にとっての真実の愛を見付けなければいけない。ベルナはそういう存在だった。だが今、彼女は彼女も知らぬ間にその愛を知り、それを受けた喜びを知ったと、そういうことだ」

 ルークスさんが口をつぐみ、応接室には何度目かの沈黙が降る。ややあって、ルークスさんが自身の腰元をまさぐったかと思うと、その手には懐中時計が握られていた。

「ふむ、大分話し込んでしまったな。さあ、そろそろお開きとしよう」

 告げられた時間は、確かに夜の深い時間だった。立ち上がった俺達は、長時間固定されていた身体を解すために、思い思いに伸びをする。途中何度かあくび、もしくはあくびを噛み殺す声があちこちから聞こえて来た。時間を自覚したタイミングで、一気に睡魔が襲ってきたのだろう。

 俺達はルークスさんにおやすみのあいさつをし、一斉に応接室を、そして裏口から教会を出た。そのまま宿舎に向かい、それぞれが部屋を目指して解散した。

 部屋に戻った俺は、そそくさと眠る準備を済ませて身体をベッドに沈めた。

 最後──ルークスさんが話を終える前、あの人は確かに俺を見た。昇華詠唱術を使える者として自らの二つ名をあげ、「それから」と言って、俺を見た。これがどういう意味なのか。

 単純に言えば、俺にはそれだけの聖星力があるということなのだろう。あの聖星術が十八番おはこともいえるエリーすら、発動で出来ない力を、俺が。

 ふと、俺はかつての自分を思い返していた。

 このプリモタウンに来た当初、俺は露骨にイージオやエリーを遠ざけていた。もう二度と大切な人を失わないために、大切な人を作らないようにしていたのだ。

 春のある日、俺は眠れないというエリーと町の高台で話をした。その時に俺は「俺のせいで大切な人を失った」と言った。あの言葉をエリーがどう受け取ったのかはわからない。ただ、きちんと伝えるべきであるならば、あの時の言葉は少し変わる。

 俺の力が暴走したせいで、大切な人を失ったのだ。

 一般的に聖星術を行使する場合、力が足りなければ暴走はしない──ルークスさんが、そう話した時、俺は目を瞠り、声を呑んだ。それに気付いていたのは向かい合っていたルークスさんだけだったが、あの人は何も言わなかった。

 なら、俺も忌み子なのだろうか。ベルナとは属性の異なる、氷瓶ひょうへいの忌み子なのだろうか。俺の聖星力には生まれながらにして女神の呪いとして穢れが混じっていて、それが原因で大切な人──両親に厄災を振り撒いてしまい、失ってしまったのだろうか。

「……いや、違う」

 無意識に声にして、俺はその考えを否定した。仮にその暴走が厄だったとしても、忌み子と俺では決定的に違う点がある。ルークスさんは言っていたではないか。忌み子を最も初めに忌み嫌うのは、自らを生んだ両親であると。

 俺は、両親に愛されていた。それは自惚れでもなく妄想でもなく事実だ。残っている記憶はかすかであれど、それは紛れもない事実。

 何せ俺の両親は、俺を庇って死んだのだから。

 つまり俺は、前提条件が異なるために、やはり忌み子でないということになる。

 ならば。


 暴走を起こし、両親を死に追いやってしまった俺の力は、一体何だというのだろうか。

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