Chapter:012

 お貴族サマのお屋敷は、地上は三階建てだが実際は地下を含む構造らしい。そのため二階には見張りがわんさか湧いて出てきたが、肝心の貴族は一人として現れなかった。賊の侵入に際して、雇った傭兵を下層に配置して、自分たちは上に逃げおおせているのだろう。自分さえ良ければという自己中心的考えが、行動の至る所に現れていることが、何とも滑稽こっけいで何とも腹立たしい。

 エリー達に代わっての囮、時間稼ぎ、敵となる傭兵の頭数減らし。最初に決めた役がそろそろ御免となりそうなこのタイミングで、俺と盗賊は、ついに悪徳貴族が隠れているであろう三階に上がった。やたら喋ったと思った以降、ずっとだんまりの盗賊をちらりと覗くと、その顔にはわずかに緊張が走っているように見えた。その表情で、俺の予想しているものの中で一番恐れているものが、現実になろうとしていることを悟った。今朝方イージオが言った、ろくなものではないそれをやろうとしていると。しかし悟ったところで、今それを止めるのは得策ではない。今止めても、無駄に敵を増やしかねない。俺は自分に強く言い聞かせ、或いは、止めなくても大丈夫である可能性をかすかに信じながら、心内でそのタイミングをじっと待つ。

 最上階となる三階は、存外下の階と造りの差はなかった。相も変わらず豪華な装飾品は見るが、下層で見慣れた分、これが貴族──主に悪徳なそれ──のステータスの基準なのだろうという程度のものだった。物の価値はまるでわからないが、有名無実なものが多い気がするのは、この屋敷の主がそういう人間故であると思わざるを得ない。

 広い廊下を歩くこと数分。視界の先に、明らかに今までと異なる造りの扉を見付けた。今まで幾度となく見た扉も、装飾品同様に豪華なものではあった。しかし、この扉には明らかに厳かな雰囲気や、気品のようなものを感じたのだ。

「……ここまであからさまだと笑えてくるな」

 俺は思わず声を漏らす。まさに主の部屋であると、扉が主張しているように見えた。

「すぐに飛び出すのか」

「さあな。向こうの出方次第だ」

 扉に手を掛ける盗賊に、小さな声で訊くと、同じように小さな声で応えた。その表情に余裕は欠片も見えない。ただ、少なくとも焦燥に集中が濁されているようにも見えない。まだ……まだ、平静を保っているのだろう。

「──終わらせる」

 固い決意を持った声でそう言い、盗賊は扉を開け放つ。

 直後──音もなく襲い掛かる傭兵達が、視界の端から現れた。しかし、俺も盗賊も、中に居るのが目当ての人間だけではないと想定していたため、驚くことはなかった。襲い掛かってきたのは二人。一人ずつを相手に──というより、扉を開いたタイミングで即対応し、俺達は互いに一言も発さず、また相手に声を出す暇も与えずに、俺は鳩尾みぞおち、盗賊は顔面に一発叩き込んで終了した。盗賊はもとより近距離戦での戦闘に向いているだろうから、大したことではないだろうが、俺も俺で多少なりとも対応はできる。これで剣でも握っていたらもう少し楽に事を運べたのかも知れない……などと、贅沢を言っている暇もないくせに、ありもしないことを思ってしまう。

 部屋の奥を見ると、明らかに俺達とは身分が異なる装いをした男が、大袈裟とも取れるほど動揺した顔で突っ立っていた。身なりは完全に貴族のそれだが、その表情に貴族の威厳も誇らしさも、まして悪徳と謳われるような狡猾な面影もまるで見えなかった。よもや配置していた傭兵が負けるとは思っていなかったようだ。よほど彼らに自信があったのだろう。結局その実力を見せつける暇はなかったが。

「な……何者だ、貴様ら……!」

 貴族の切迫した声が飛ぶ。中々に気合の入った声だが、実際の態度はとても弱腰で、隙あらば逃げようとしているのがありありと見て取れる。

 どうも、侵入者です。

 などとイージオならふざけて言いそうだなと思いつつ、どうしようかと次を考える。すると、隣に立つ盗賊の気配が突如として変わった。ぎょっとして本人を見ると、今まで以上に険しい顔で貴族を睨み付けていた。そのあまりの形相に、俺は思わず怯んんでしまった。

 が、その表情は一瞬で、盗賊は「は……」と小さく息を吐くと、これ見よがしにわらった。

「覚えてる訳ねぇよな。自分が好き好んでぶっ壊した町に住んでた、ただの餓鬼のことなんて」

 自嘲も甚だしい声色と口調。だが、それすらも一瞬だった。

「てめぇ、本当に救い様のないクズだな」

 今までにないレベルの冷めた声だった。盗賊が発したのは、冷静とか、集中とか、そういったものではなく、目の前の貴族への興が覚めたような、そんな声だった。或いは──存在そのものを否定したような。

「あん時あまりのことに国家キヴィタスが動いて即捕まったってのに、釈放されたらもう次か。後悔どころか反省もしないとは随分無謀じゃねぇか。それとも、今回は逃げられるとでも思ったのか。あの神父が居るこの町で」

 俺は目を瞠り、息を呑んだ。大半が疑問形だが、この形式では最早疑問とは言えない。それどころか、相手に一言すら言わせない物言いだ。徹底的に追い詰めるつもりか。言われ続ける貴族を見ながら、眉間にしわを寄せる。それで折れる程度なら、同じことをそうそう繰り返すとは思えない。

「ち、違う……これは、世のためであって……」

「な……」

「何が世のためだ」

 今まさに俺が言おうとした言葉を、見透かしたように代わりに吐く盗賊。

「そんなもん、人を人とすら思わねぇような奴らが言って良い台詞じゃねぇ……どうせ使うだけ使って、人の上で胡坐あぐらかきたいってだけだろ」

 歩き出す盗賊。その足はゆっくりだが、その速さが貴族への恐怖をより煽る。歩調に呼応するように、貴族も一歩、また一歩と後ずさる。時折かすかな悲鳴が上がるが、盗賊はまるで聞こえてなどいないように歩を進めていく。その右手に、自らの湾刀を力強く握り、貴族に矛先を向けながら。

「ひ、ひぃ……た、頼む、い……命だけは……」

「自尊心の塊であるお貴族サマが盗賊相手に命乞いとはな。だが……命を弄んだ奴に、今更乞う資格なんかねぇよ」

 冷めた声と表情で貴族を見下す盗賊は、ついに右手を振りかぶる。この時点で予感はほぼ確信になった。俺は、奴の死角になる位置で、いつでも動けるようにと、気付かれないように腰を浮かした。

「下らねぇ私欲で人を殺したその罪、死んで償ってもらう!」

 断罪の宣言に対し、命の危機、或いは終わりを予感したであろう貴族は、断末魔に似た叫びを上げる。しかし、突き付けられた刃が、貴族に触れることはなかった。

「てめぇ! 何を!!」

 いつの間にか冷静を欠いていた声で盗賊が吠えた。目の前に立ち塞がり、右手を掴む俺に向かって。力ずくで振り解こうと、盗賊はもの凄い力で腕を振り回してくる。しかし怯むわけにはいかない。この手を離せば、まず間違いなく盗賊は今度こそ貴族に斬りかかる。そうなれば盗賊は文字通り【手を汚し】、それはもう【取り返しのつかない】ことになってしまう。そんなことはさせまいと、俺は掴んだ右手に力を込め、確固たる決意を以って言い放つ。

「そんなことをしても誰も救われない。町の人たちも、家族も、お前自身も」

 侵入の時こいつは、まだ手を汚していないと言っていた。それが何の意味を指すか、賊稼業をしている身なのだから理解はしているだろう。つまりまだこの盗賊は、ゼークトという少年は、賊の名の通り窃盗は行ったにしろ、最もな汚れ仕事である【殺し】は行っていないと公言したのだ。それなら──そうであれば、まだ間に合う。

「うるせぇ……放せよ……」

 俯いた盗賊の顔は見えない。荒々しい息とともに聞こえたその声に、俺は抵抗の意を込め、盗賊の腕を掴む手に更に力を込めた。刹那、弾かれた様に盗賊の顔が上がった。

「放せ! 俺はこの瞬間のためにここまで来たんだ!」

 まさに鬼の形相。烈火の如く熱を帯びた橙色の三白眼が、容赦なく射抜いてくる。しかし俺は食い下がる。ここで引くわけにはいかない。止めると決めてここまで来たのだ。その意志に従って今こうして立っているのだ。

 棚にあった資料を読んだ時、俺は、現在もその傷が癒えていないものもいるのではないだろうかと思った。それは物だけでなく、人も然りだ。平穏を取り戻した町や、全く違う平和な土地に生活の場を移しても、未だに居もしない貴族への恐怖が拭い切れない者が居てもおかしくない。もしくは、かつて悪行を成し得た者たちに復讐を誓い、自らの手で制裁すると決めた者が居ても、特別不思議ではない。力を持つのであれば尚のことだ。そのような人も、恐怖する者達と同様に、当時の傷が癒えていないものなのだろう。

 そしてそれは、目の前に立つこの盗賊も同じなのだ。故郷を抜け、一人新しい世界に身を投じた現在に至るまで残る傷が、まだ彼の中にあり、それはそう簡単に癒せるものではなかったのだ。

 しかし──

「だとしても殺すな。そんなことをしても何も得られない。復讐を成し遂げたという達成感も、悪人を殺してやったいう誇らしさも」

 燃え盛る炎のような怒りが見える眼に、わずかに良心が残っている可能性を信じ、俺はその熱に負けじとその目を見詰める。

「何も得られない代わりに、残るのは人を殺したことへの後悔だけだ」

 言った直後、盗賊の堪忍袋の緒が切れたのを感じだ。せきを切ったように、怒りが言葉となって流れ込んだ。

「てめぇに……てめぇに何がわかる!! 故郷を脅かされたことのないてめぇに! 何が!!」

「故郷のことはわからない! だが命を奪うことの意味は知っている!!」

 はっとなって、息を呑んだ。

 堰を切ったのは俺も同じだと気付いた時には、もう口から言葉を出し切った後だった。我に返り、俺は自分が言った言葉の重大さを再認識する。だが、しまったと思った時にはもう遅かった。

「お、お前……」

 邪魔立てするなら俺も斬る勢いだったはずの盗賊に、既にその影はない。かすかに俺を呼んだ声にも、斬りかかろうとしていた右手にも、必要以上の力は掛かっていない。俺は静かにその手を放した。

 盗賊が呆然とするのも当然だ。こんなきれいごとを並べ立てる奴は、総じて満ち足りている者と大抵相場は決まっている。だが、俺はその限りではないと、俺が口を滑らせてしまった言葉で気付いたのだろう。

「まさか……」

 か細い声で、しかし、確実に俺の言葉の核心をつく発言が、盗賊から繰り出されようとした瞬間──

 背後で、どさりと何かが落ちる音がした。

 振り返ると、例の貴族が泡を吹いて気を失って倒れていた。そういえば、目の前の盗賊を止めることに必死だったために何も考えていなかったが、俺達が言い合いをしている間何もしなかったのは、叫んだあと、既に気を失ってでもいたのだろうか。

 図ったようなタイミングでの卒倒に俺達は呆気にとられ、固まっていると、廊下から段々と大きくなる足音が響いてきた。まずい──と思った直後。

「よっしゃー! 追い付い……あれ?」

 近付いてきた足音は部屋の前で止まり、入れ替わるようにして今度は少年の声が響く。その声は、飽きるほどに聞き慣れたものだった。

「イージオ……」

 傭兵が現れると思っていた俺は、想定外のことに呆けた声が漏れた。例に違わず、俺と向き合っていた盗賊も、同様にイージオを見詰めているため表情はわからないが、思いがけない人物の登場に動揺を隠せない様子であることはわかる。

「なーんだよー。追い付いたと思ったのに、もう終わってんじゃん」

 ちぇ、と口を尖らせるイージオは、汗だくになっていた。おまけに息も切れているようで、かなり急いで来たと見える。

「何だよ、加勢するつもりだったのか」

「そりゃそうだぜ。頼んだのは時間稼ぎだからな」

「そういやそうだったな。……状況は?」

 そう問うと、イージオは右手の親指を立ててにこやかに応えた。

「バッチリだ。仕掛けは解いたし、傭兵もみんな戦闘不能! 後はルーさんに今回のことを伝えれば完ペキよ」

 そうか。と返事をした瞬間、身体の力が一気に抜けた。安心したものだとはわかったが、思っていた以上に緊張でもしていたのだろう。今になって自分が何をしたのか、何を止めたのかを実感したらしい。途端に膝が笑いだした。それは盗賊も同じだったようで、盛大な溜息と共に床にへたり込んだかと思うと、同じように足を震わせていた。

 安全とわかると、俺も力が抜け、座り込んだ。すると、再び駆け足で近付いてくる足音を、今度は耳だけでなく、床からも聞き取ることが出来た。イージオが一人で先に来たのだから、恐らく……。

「あ、居た! ……あれ?」

 思っていた通り、鈴のような声と共に現れたのはエリー。こちらも違わず急いで来たようで、それなりの汗をかいているのが見て取れるが、周りの煌びやかな照明に、髪と汗が光を反射しているらしく随分と眩しい。同じ汗だくでも、印象がまるで違う。

「ああ、もう終わった」

 息を切らすエリーは、あっけらかんとしていたが、心なしか寂しそうに見えた。……二人とも、仕掛けを解いたら俺達と一緒に貴族をどうにかしようと思っていたのだろうか。確かに時間稼ぎとは言われたが、倒すなとは言われていないぞ。

 やれやれと俺は息を吐く。これでひと先ずは終了か。

 ちらりと、後ろで倒れている貴族に目をやる。目を閉じることなく白目をいたまま倒れているところを見ると、完全に失神したようである。これならしばらくは起きないだろう。

 次いで、盗賊を見ると、いつの間にかイージオとエリーに捕まっていた。エリーには、時折にこやかな顔で声を掛けられる程度だが、イージオにはとにかく話し掛けられているらしく、二人に対する表情があからさまに違っていた。しかしそれでも、侵入前のような警戒心が解けているのは、事が一段落着いたこと以外にも、何か良いものが起因している気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る