Chapter:008

 まともにゼークトというあの少年と顔を合わせてからしばらくが経ち、初夏と言うには暑すぎる程、日差しが強くなってきた頃。

 町外れの子供がまた一人、行方を眩ませたと言う噂が流れてきた。

 今度の発信源はエリー。聞いたタイミングが朝食の時で、一緒に居合わせたイージオは目を丸くした後、またか。と小さく呟いた。

「これで四人目か?」

「お前が言っていたのが最後ならな」

 俺がそう言うと、イージオは腕を組んで唸った。

「あれ以来聞いてねーからなぁ……にしても、物騒な話だよな。大丈夫かよこの街」

 次いでエリーがうーんと唸り、ややあって口を開く。

「ルークスさんが放っておくとは思えないから、何かやるんじゃない?」

 それは間違いないだろう。あの人がこの事態を放置するとは思えない。あわよくば自称盗賊すら手駒にしようとするのだから、何か考えはあるだろう。あると信じたい。

「てかさ、人為的なんだろ? これって」

 腕を組んだまま、どちらにでもなくイージオが問い掛ける。こいつ、人為的って言葉、気に入ったな。

「今回も町外れの子供がって話になるならそうだろ。何せ四人目だ」

 俺が応えると、エリーもうんうんと相槌を返す。考えることは同じようだ。

「だよなー」

 イージオが顔をしかめる。

「じゃ、なーんか企んでる奴がいるってことなんだなぁ」

「目星は付いてる」

 俺の小さな、しかし確かな言葉に、イージオが「おおっ」と声を上げる。

「マジか」

「ただ、証拠がない」

「あー……」

 机に突っ伏す形で項垂うなだれるイージオ。いや、項垂れたいのは俺だ。

「てか、そんなの調べてんだな」

 沈黙もつかの間、イージオが突っ伏したまま、顔だけ俺の方に向けて問うてきた。

「…………まぁな」

「へー?」

 何を思ったのかにやにやと頬を緩ませる。

「何だよ」

「いやー?」

 にやにやとするだけで何も答えないイージオ。見れば、隣でエリーまで微笑ましそうにしているではないか。

 しかし、すぐにイージオの表情が曇る。

「でも、ホント物騒だよな。子供達もそうだけど、コソ泥も徘徊してんだろ? 治安悪くなる一方じゃねーの?」

 そのコソ泥もとい盗賊とやらは、神父が徘徊させているって言ったらどうなるのだろうか。

 俺が言葉を返す前に、エリーが口を開く。

「あ、お金持ちを狙う盗賊だっけ? まだ一般の被害はないって言ったてけど、それってやっぱり時間の問題なのかな」

 そうか、エリーは奴との面識はあるが、あれが盗賊の正体だとは知らないのか。

 ただ、まあ。

「盗賊の方は大丈夫だろう」

 そう言って、俺は立ち上がる。

「……大丈夫なの?」

「あの神父は、使えるものはすべて使うだろうからな。子供達のことを何とかするために、その盗賊も上手く使うんじゃないか」

「うわ、なにそれかっけー」

 イージオが引きつった笑顔でそう言った後、続ける。

「じゃ、俺達も治安回復に貢献しますか。アルも調べてんだろ、何か見付けたら教えるぜ」

「私も」

 合わせるようにエリーも手を振りそう言った。

「……ああ」

 俺はもう一度大きく頷き、二人に背を向けて食堂を出た。

 その後、外に出ていくのではなく、自室に戻る。

 本来ならさっさと教会の外に出るが、特に外に出る理由もなく、落ち着いて考え事をしたいと思ったからだ。

 机にでも向かえばいいものを、ベッドへと導かれるように向かい、そのままダイブ。が、しばらくして楽な仰向けになる。

 天井を見ながら、ぼんやりと考える。

 間違いなくあの貴族がこの件に関わっている。いかにも怪しい。そう分かっているのに証拠がない。どうにかして証明できないものだろうか。

 実にもどかしい。

「証拠……」

 かすかな声で呟く。何か、何かないものか。

 うーんと、呻き、寝返りを打つ。考えてみるものの、アイデアは中々浮かばない。

 ベッドに沈み込んで、どれくらい経ったのか。

 不意にドアを叩く音が聞こえた──ような気がした。一瞬戸惑ったが、試しに「はい」と応えてみる。

 どうやらそれは気のせいではなかったらしく、扉はゆっくりと開かれた。その先に居たのは、ルークスさん。

 深緑の目と合った瞬間、彼はこう言い放った。

「お前に客だ」

 ……客?

 思わず首を傾げる。

 この町に客と呼べるような関係を持つ人はいないはずだが。

 状況はいまいち解らなかったが、一先ず神父について行くことにする。

 後を付いて行きながら考えてみたり、その背中に声を掛けようかとも思った。しかし、結局行けば分かるという結論に至り、問い掛けることをやめた。

 居住区である建物の中、行ったことのない場所をひたすら進む。行き止まりかと思えば、その先には扉があり、ルークスさんは迷うことなくそれを開ける。

「あ……」

 思わず声を上げた。扉の先はどうやら教会本堂の裏手らしく、いつかルークスさんとあの少年を初めて見掛けた、あの場所だったのだ。

 しかし、目的地はここではないようだ。

「行くぞ」

 という声が、少し遠くから聞こえた。それで我に返り、慌ててまた後を追う。

 本堂を沿うように歩き続けていると、また扉があった。開かれた扉の中へ、吸い込まれるように進む。

 廊下らしき所をわずかに進んだ先で、ルークスさんが立ち止まり、そのまま右手でトントンとノックをした。かすかに「はい」という声が返る。それは聞いたことのない声で、女性と思しきものだった。ルークスさんは静かに扉を開ける。

「失礼します。──お前も来い」

 初めは中の人に、次いでは俺に掛けられた言葉。言われるままに入口まで進む。

 部屋はどうやら応接室のような場所で、中央の品のあるソファとテーブルに真っ先に目が行った。そして、そこに座る女性に。

 その女性は、ご婦人と言った雰囲気ではない、いわゆる町中に普通に生活しているような女性だった。

 どうしても【貧相】という言葉が当てはまってしまうこと以外は。

「彼が、話をしていた者です」

 俺を指しそういう神父。反射的に頭を下げると、女性は立ち上がって深々とお辞儀をした。

「……あの」

 話って何ですか。そうルークスさんに聞こうとした時。

「お願いです……どうか私の子供を、助けてください……!」

 なおも頭を下げ続けていた女性が、振り絞るような声で言った。

 今のではっきりした。

「子供たちが行方不明になっている件、ですか?」

 念のため訊くと、彼女は大きく頷く。

 ちらりとルークスさんを見ると、図ったように目が合った。

「調べてるんだろ?」

「……はい」

「なら聞くべきだ」

 私の子供、と言っている辺り、この人は今回の件における被害者のひとりなのだろう。貴重な情報源として、確かに話が聞けるなら聞くべきだろう。

 しかし、それならそうと先に言って貰えないだろうか。俺にだって準備があるのだ。主に心のだが。

 など、とても言える雰囲気ではない。

 状況を何とか飲み込んで、俺は頷く。

「俺自身も知らないことが多いので、知っていることを教えて貰えますか?」

「はい。すべてお伝えします。……ありがとうございます」

 女性の声は、既に震えていた。話が出来るのはそう長くないのかも知れない。

 ルークスさんの促しで、俺達は中央のソファに腰掛けた。ところが、促した本人は座らず少しだけ先を外す。

 喋りにかかるのは苦手だが、黙っているわけにもいかず、意を決して口を開く。

 初めに訊くべきは。

「では、今回の経緯を」

 お願いします、という前にひと息置いたら、俺が続ける前に頷き、口を開いた。

「……実は──」

 要約すると、内容はこうだ。

 街外れに暮らす彼女は、もともと貧しい生活をしていた。旦那は居ないそうだが、子を身篭り、以後は女手ひとつで育ててきたという。

 しかし、苦しい状況が続き、爪に火を灯すような生活だった。気付けば、子供に満足に食事を与えることすら難しくなりつつあった。

 そんなある日──事は数ヶ月前になる。

 街外れの大きな屋敷を所有する貴族と遭遇したという。

 貴族は彼女を蔑むことをしなかった。彼女達の現状を哀れみ、慈悲の手を差し出しのだ。

 その慈悲とは、子を譲ってもらう代わりに金を出すというもの。

 だが、彼女は子供を愛し、大切に育ててきた母親。

 当然最初は断っていたが、引き渡してくれたら、子も自分も生活が一変する、悪いことではないはず、と言われてしまった。

 暫く断り続けていたが、他にも同様のことを言われた住民がいたとのことで詳細を聞くと、高額な謝礼で生活は豊かになり、また引き取られた子も、貧しさから解放されたのだそう。

 彼女の心は、大いに揺らいだ。

 大切な子をきちんとこの手で育てていこうと考えていたが、それで子供の幸せが遠いてしまうのだとしたら。

 この手から解き放つことで、子供の生活が幸せになるのなら。

 長い長い時間をかけて考えこんだ結果、子供の幸せを第一に考えて、最終的に貴族に引き渡してしまった……。

「子供を、売ったってことですか……」

 話を聞いている中で初めて出てきた言葉はそれだった。彼女は大きく頷いて、そのまま頭を垂れた。

「自業自得なのはわかっています。でも……それでも私は……」

 俯いて、全く動かないその姿を見つめながら、考える。

 ──子供の幸せを第一に考えて、か。

 何が子供にとって本当の幸せなのかなど、わからないようなものだ。

 母親は、豊かであることが幸せと考えた。しかし、実際それを考えるのは子供本人であって、彼女ではない。 

 ただそれも……本人に訊かないとわからない。

 訊かなければならない。

 そして訊くためには、一先ず助けなければならない。

「……取り敢えず、続きとしましょう」

 願いの可否はさておき、話を続ける。これは、俺ひとりで判断するべきではない。しかし訊ける事は訊くべきだ。

「その……取引はどうやったんですか。子供さんを引き渡したんですよね」

 女性の体がぴくりと跳ねた。が、少しして頷き、答える。

「……はい」

「覚えてますか?」

 答える意思があると見た俺は、畳み掛ける。

 しばらく考える素振りを見せたあと、女性は、再び口を開いた。

「…………お屋敷に、向かいました。子供には初め、遊びに行くと言った形にしていました。メイドさんと一緒に遊び始めて、その様子を眺めていました」

 彼女の目が、どこか遠い所を見詰める。見えているのは、戯れる子供だろうか。

「やがて……子供達が部屋を離れ、少し経った頃に……」

 そこで、言葉か止まる。

 刹那、ぐっとこらえたかのように唇を噛み締めた後、彼女は続けた。

「それが最後です。……その後はお金を渡されて、追い出されるようにお屋敷を飛び出しました。私が知っているのは……ここまでです」

 そう言い切り、女性は口を閉ざした。

「…………そう、ですか」

 何度か目をしばたかせ、少し離れた所に立つルークスさんに視線を移す。

 神父は神父で何かを考えているようで、口元に右手を当て、どこともつかない場所を見ていた。

 訊くべき事は聞いた。ここから先は、俺が何かを言うことではない。

 しかし、何か言うべきかと考えていると、ややあってルークスさんが沈黙を破った。

「わかりました。お引き受けしましょう」

 その言葉に、ここでようやく最初の「助けてください」を承諾したのだと気付く。女性も意図に気付いた途端、せきが切れたらしく、溢れる涙を抑えられなかったようだ。

 何度も何度もお礼を言いながら、ひたすらに頭を上下させるその姿は、かすかに記憶の彼方に残る母親を彷彿とさせた。

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