Chapter:007

 教会の裏で説教されている少年を見掛けてから数日後。

 日が暮れかけている頃、その日一日のやることを片付け、ちょうど教会に戻ろうとしている時だった。

 あの少年……ゼークトという名の少年が、町中を一直線に突っ走っていく姿を見付けた。

 気にせずに戻ろう。そう思ったのだが、何かが引っ掛かる。初めは立ち止まって、ただ目で追うだけだったが、最終的に身体が動き、その背中を追いかけることにした。

 山吹の明るい色が、服の主を占めるおかげで、彼は割と目立つ。それを頼りに後をつける──のだが、思いの外ペースが速かった。追い掛けるのがやっとで、下手をすれば見失うのではと危惧した程だ。

 どこへ行く気か。……いや、薄々は察している。察していたからこそ、もしかしたら追い掛けようと思ったのかも知れない。

 少年は何度かそこに向かったことがあるのか、迷う様子は全くない。時折、道とすら呼べない場所を進んで行くが、止まることを知らないように、ただただひたすらに進んでいく。しばらくしてようやく足が止まったと思えば、目的地はすぐそこにあったようだ。

 やはりそうか、と俺は眉をしかめた。

 追い掛けて行った先には、この町にしてみれば随分と規模が大きく、見るからに豪華な屋敷が建っていた。

 こんな馬鹿でかい屋敷ともなれば、主も随分なものだ。

 ここは少年の盗賊稼業の獲物であり、ルークスさんが言っていた相手……すなわち悪徳貴族の根城なのだろう。

 この屋敷が見掛け倒しでないのなら、確かに化けの皮をはがすことは一筋縄ではいかないと思う。

 俺と少年は、茂みの中で身を屈めながら、ある程度高い場所から屋敷を見下ろす形で固まっていた。

 正門らしき入り口には、柄の悪そうな見張りが偉そうに立っている。敢えてこういう奴らを雇っているのか、それともこういう奴らしか雇えない理由があるのか。いずれにせよこの家主が「良い貴族」ではないと、はっきり理解した。

 とは言え、俺に出来るのはその程度の情報処理までだった。日が暮れてしまった今、初見では全景の把握は難しい。夜の活動に慣れていないため、状況がいまいち掴めない。

 仮にこのままあの少年が侵入するとしても、さすがに中まで追い掛けようとも思わない。そもそも俺の本業は、盗賊の尾行でも手伝いでもないのだ。

 と、がさりと木々が揺れる音がした。しばらく考え込むようにじっとしていた少年が、動き出したのだ。走り出した方向から、裏手に回ったのだろうと推測する。数分も経たない内に、少年の気配は完全に消えた。

 音を立てないように、ゆっくりと立ち上がる。

 少年が走り去っていった先と、目標となる屋敷を見ながら、ふと考える。

 あいつが盗人として動く理由は、ただ物を盗むことではないのかも知れない──

 あくまで推測だが、ただ盗むだけが目的なら、真剣にはなるにせよ、もっと余裕がある気がするのだ。欺くには、それなりの精神力もとい余裕が必要だと俺は思う。

 しかし彼にはそれがない。どちらかと言えば使命感のような、やらなければならないような雰囲気があったのだ。

 まあ、だとして……俺が何かをするわけではないが。

 いずれにせよ、今は行動のほとんどが制限されてしまう。

 これ以上の詮索は出来ないと判断し、俺は一先ず教会に戻ることにした。



 翌日。

 周りを見ずにひたすら少年を追い掛けていたらしく、教会に戻るにも苦労したが、屋敷を探すことにも苦労した。方向など当然把握しておらず、朝っぱらに勢いよく飛び出して、見付けたのは昼過ぎという無計画ぶりである。

 豪華な屋敷があったのは、町の中心から随分離れ、閑散とした場所だった。位置的には目的がなければ訪れないであろう場所──逆に言えば、目的がある者だけが知り得る場所と考えるのが道理だ。そしてそうなれば、子供が行方不明になるというのも合点がいく。

 一体、子供たちを集めて何をするつもりなのか。

 いや。と、自分に言い聞かせ、雑念を振り払うようにかぶりを振る。目的の詮索は後回しだ。

 夜と同じく、高台から屋敷を見渡す。

 昼夜を問わず正門に見張りを設けているようだが、並ぶ面子が異なる。恐らく昼間は、どんな来客があっても問題ないようにと、ある程度品のある者を置いているのだろう。

 馬鹿正直に正面から乗り込む度胸も、来賓を装って忍び込む技量も持ち合わせていない俺は、昨日の少年が向かって行ったと思われる、屋敷の裏手を目指す。

 そもそもこんな高台から忍び込める場所があるのか。

「あ」

 思わず声を漏らす。

 あった。

 人ひとりが屈める程度の大きさの隙間が、木々の間にぽっかりと空いており、ここから飛び降りたらそのまま屋敷の裏口へ入れる場所が。

 あの後すぐに踵を返し、ここまで来なかったために、当然知る訳などないが、しかしまさか、こうもあからさまとは思わなかった。

 そういえば、あの迷いのなさ。追い掛けている道中でも感じていたが、やはり何度もここを訪れているのだろう。それ故に、こんな場所にこんな抜け道を作ることができ、それ故に、教会経由で相手にお尋ね者扱いされていた、ということか。

 とはいえ、相手も相手だ。何度も侵入されているにも関わらず、裏口には誰も配置していないとは。学習していないのか、或いはわざとなのか。もしくは昼間はという話なのか。

 ……考えても答えは出ない。

 屋敷の全体を見渡すためにぐるりと一周回ってみたが、目ぼしいものは、裏口の抜け道以外、特になかった。

 で、あるならば問題はこの屋敷の中にある──はずだ。

 しかし、それは中に入る術を持ってから探す話だ。

 とにかく今は外堀から埋めていくのが最優先である。

 俺は踵を返し、プリモタウンの町中を目指した。

 この帰り道では大して迷うことがなく、時間を費やさずに戻ることが出来た。人の賑わいを感じて、思わず安堵の息をこぼす。

 石畳の町並みの中、程よく行き交う人々を合間を縫いながら歩いていると、見知った姿を見た。

 背中まで続き、風になびいて輝く金色の髪。

 エリーだ。

 見えたのは後ろ姿。立ち止まってるのかと思いつつ近付いてみると、すぐ先に別の人の姿があった。誰かと話をしているのか。

 目を瞠った。エリーの話し相手は、自称盗賊のあの少年だったのだ。

 どうやら俺に気付いたらしいエリーがこちらに向き直り、にこやかに手を挙げ、俺の名を呼ぶ。

「アル」

 刹那、少年の雰囲気が変わった気がした。……視線が痛い。

「よお」

 他愛のない挨拶を返し、気持ち距離を置き、エリーの隣に立つ。彼女の屈託のない笑顔は相変わらずだった。彼女は何やら荷物を抱えている。買い物帰りだろうか。

「そういえば朝から顔見てなかったけど、どうしたの?」

「あー……野暮用だよ」

「……そっか」

 追いかけていた奴が目の前にいる手前、そのまま答えることは出来ない。適当に返したがエリーはそれで良いらしく、首は傾げどそれ以上追求しなかった。

 横目に少年を見てみると、明らかに敵意を感じる顔をしていた。元々三白眼故に目付きはよろしくないのだろうが、今は表情が拍車を掛けてきている。

「あれ、知り合い?」

「え、いや」

 俺はルークスさん伝いで知っているが、そういえばまともに「会った」のはこれが初めてのはずだ。初めて見た時も、昨日も、俺の一方通行なのだから。

 というか、この敵意は知人に向けるものではないと思うが、何故今ので知り合いだと問うてくるのか。

「……エリーはどうして」

 下手に答えを探さず、質問で質問を逸らす。

「私は、落し物を拾ってもらって。ありがとう、ゼークトくん」

 上手く乗ってくれたおかげで、何とかその場を凌ぐ。エリーの言葉は、始めは俺に、礼は少年に向けられた。エリーが声を掛けた途端、再び雰囲気が変わる少年。今しがたの痛い視線は消え去り、見れば鼻の下が伸びている始末。

「い、いいって。あと、俺のことは呼び捨てでいいから」

 エリーに言葉を返す彼の声は、ルークスさんをクソ神父呼ばわりしていた奴と、同一とは思えないものだった。優しいとか、そういうのではなく、単純に歳相応の少年の声。

「うん、ありがとう、ゼークト」

 エリーはエリーで嬉しそうに微笑み、頷く。

「じゃあ私、行かなきゃいけない所あるから行くね」

「おう!」

 返事を返したのは少年。俺は片手を振るだけに留まる。

 エリーは最後ににこりと笑い、きれいな金の髪を揺らしながら走っていった。

 背中が小さくなり、もうここには戻ってこないことを確信すると、俺は改めて少年へと向き直った。

 と、鬼のような形相で睨み付けてくる少年に、思わず後ずさる。雰囲気が変わり過ぎだ。

 俺が何をしたというのだ。まさか尾行がバレたか?

「まさか、てめーもエリーちゃんのこと……」

「はあ?」

 突拍子もない台詞に、素っ頓狂な声が出る。

 が、すぐに何が言いたいのか察した。

 彼女と俺との態度の落差。加えて先程のあの表情。

 俺は盛大にかぶりを振った。

「んな訳あるか、エリーはただの仲間だ」

「譲らねぇぞ……!」

 聞けよ。

 駄目だ、何だこれ。まるで会話が成立しない。

「勝手にしろ、俺は関係ない」

 吐き捨てるように言ったが、これは本心だ。元より興味の無い話なうえに、馬に蹴られて死にたくはない。

 もっとも、彼女がその手のことをどう考えているのかは解らないが。

 いや、そうではなく。

「……それより」

 この好機を逃すまいと、俺は声色を変えて問う。

「お前、あの屋敷で何するつもりだ?」

「あ?」

 雰囲気の変化に気付いたのか、これ見よがしに少年の眉毛が吊り上がった。とぼけてごまかすつもりはないようだ。

 しかし──

「お前には関係ない」

 答えるつもりもないらしい。

 冷たく言い放った少年は、そのまま俺の横を通り抜けて行く。

 いやに冷たい雰囲気の中に、かすかな熱を感じた。

 捉えたのは瞳。橙色の、鋭く力強い瞳。

 その強い何かに気圧され、俺は動くことが出来なかった。

 ややあってようやく振り返るが、既にその背中は人混みの中に紛れてしまい、探すことは出来なかった。

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