Chapter:004
少女の早急な手当のおかげで、あいつは大事に至らなかったようだった。気を失った原因は、襲って来たスクレットが持つ穢れの毒気に負けて、ということらしい。
強すぎる穢れは生命に害を及ぼす。一時的とはいえ、傷口を介してスクレットの穢れを大量にまとってしまったのだ。急な環境の変化に耐えられなくなることは大いにあり得る。むしろそれだけの穢れをまとっていながら、気を失うだけで事が済んだのだから、あいつの精神力は相当なものなのだろう。
心が弱ければ、人は簡単にアンデッドに成り果ててしまう。
とは言え、峠を越えたというだけで、まとってしまった穢れを浄化するために、しばらくは眠り続けることになるらしい。
これらはすべて、神父が教えてくれたことだ。
しかしそもそもの話、スクレットが存在すること自体がおかしいのだとエリーは首を傾げていた。
確かに俺自身、世界の中央より穢れが多少濃い、いわば辺境に暮らしていたが、黒い骨だけのアンデッドなど見掛けることはほとんどなかった。見たとしても片手で足りる程で、そんなものが世界の中心たる地方に生息していることがまずおかしいのだ。
俺もそれについては非常に気になったが、今は一緒に調べようなどと言える状態ではない。主に俺の精神的に。
そして神父と言えば、あいつが倒れた時、突如音もなく現れた。
状況が状況だったために、驚く暇もなかったが、あいつのことが一段落したタイミングで、やはり気なっていたのか、少女がそれとなく色々と訊いていた。
どうやって現れたのか、何故異変に気付いたのかというのは、プリモタウンに施した聖星術が関係しているそうだ。
神父は、この町に何重にも聖星術を施していると言っていた。初めに聞いた結界や、穢れの存在を感知するものだけでなく、他にもいくつか仕掛けているとのこと。
その中の瞬間移動系の聖星術を行使すれば、町の中ならどこからどこへでも瞬時に移動することが可能らしい。
それであいつを運んでも良かったのではと思ったが、どうやら神父専用らしいもので、他の人間を連れていくことは出来ないそうだ。
また、感知系の聖星術は、俺達へ効果を発揮しているもの以外にも、いくつか種類があるようだ。
そのひとつとして、穢れやアンデットではなく、俺達を標的としたものを施しているという。さすがに四六時中監視する類のものではないが、簡単に言えば『何かあった時』に発動して、場所や状況を簡単に教えてくれるものだと教えてくれた。
様々なことが功を奏し、結果的にみんな無事だったが、俺個人としては複雑だった。
下手に関わろうとせず、なるだけ一人で居るために距離を置いていたのに、まさか土壇場で助けられるとは思いもしなかった。それもあいつ──一番距離を置きたかったあいつに。
こんなことにならないようにと、露骨すぎるほどに距離を置いていたあいつに。
結果として、あいつが倒れて以降、会うことはしていない。
医者は最初と、意識が戻れば診に来るということで、しばらくの間、少女が様子を見ることになった。彼女は医療の知識を──本人曰く少し──持つらしく、その辺の聖星術も多少なら心得ているらしい。
ならばと思い、俺は提案した。代わりにアンデッドが現れた時、穢れがそれほど強くなければ、俺が一人で向かい、戦うと。
少女は黙って頷いてくれた。
何か言いたそうだったのを抑えていたのは、見なかったことにした。
俺は出来る限りあいつが眠る部屋に近寄らず、一人で居ることを選んだ。
彼女にも、あいつの様子見に専念してくれと、もっともらしい理由を押し付けて、極力会わないようにした。
この数日間、俺は一人でアンデッドを昇華していった。
ようやく叶った【一人】だが、気分は全く晴れない。
原因は、あまりにもはっきりしている。
あいつが俺を庇ったこと。
いや、あいつに守られたことだ。
しかし、気が晴れないのは劣等感のせいではない。
そもそも、俺とあいつは性格的な人種が全くと言っていいほど異なるタイプだと理解している。あいつに出来て俺に出来ないことは必ずあるだろうし、またその逆だって大いにあるだろう話なのだから、劣等感など持つ理由がない。
抱いているのは、罪悪感。
ただ、何故そこまで俺自身が罪悪感を持ってしまうのか、俺自身にもわからなかった。
人と関わることは、心を開くことは、誰かを思いやることは、とうの昔に辞めたはずなのに。
ぼんやりとそんなことを考えていた昼下がり。
教会に戻るのはどうにもしのびなく、俺は町を散策していた。
目的は暇つぶし。そのため、目に留まるものがあれば、その都度立ち止まってはまた歩くというのを、ただただ続けていた。
気付けば、汽車が停まる駅の広場にまでたどり着いたようで、見覚えのある光景が広がっていた。
中央に建つ噴水が、太陽の光を浴びて輝く。
多少は時間がつぶせるかと思い、俺は噴水の端に腰掛けた。水のせせらぎに耳を澄ませば、それだけで頭を空にすることが出来る気がした。
それから、どれくらい経っただろう。
「隣、良いか」
声が聞こえた方へ振り向くと、神父が立っていた。
唐突なことに驚いた俺は、反射的に逃げてしまおうかと思った。このタイミングで接触となると、話題は大体決まっている。
だが、神父の表情が、掛けて来た声が、いつもと違うような気がした。
「……どうぞ」
ややあって、何とかそれだけ応える。
神父は何も言わず、ひと一人分空けて腰掛けた。
すぐに本題へと行くのかと思いきや、訪れたのはしばしの沈黙。
が、やがて、神父がぽつりと切り出した。
「イージオには会ったか?」
やはりというか、思っていた通りの話題だった。
俺は素直にかぶりを振った。
「いえ、まだ……」
「会いたくないか」
どう答えるべきかと一瞬迷った。
会いたくないのもあるが、一番は会わせる顔がない。
というより会うべきでないのでは、というのがもっともな理由なのだ。
そのため神父の問いには、迷った末に首を横に振った。
「……いえ」
「そうか」
その声に、思わず顔を上げる。
やっぱり、何か違う。
神父はどこか遠くを見ながら続けた。
「状況はエリーに訊いた。お前にしては珍しいということもな。何でもそつなくこなすお前が、まさか立ち尽くしてしまうなんて驚いたとも言っていた」
耳が痛い話だ。今更ながら、神父と同じことを思う。何故反撃しなかったのか、何故動けなかったのかと。あの時の感覚は覚えているが、理由はさっぱりなのだ。
だが、神父は答えを待たなかった。
「思うところはきっとあるだろう。自分のことだと言っても、解らないことだってあるはずだ。そういうことは、あまり考えず口にしてしまった方が良いこともある」
「え……?」
「仲良くしろとは言わないが、仕事に支障は来すな。そう言っただろう」
そういえば初日に、釘を刺すごとくそんなことを言われたなと思う。
言葉だけなら叱られているともとれるが、声音は似合わない程に穏やかだった。
どうして、と思った直後には答えが出ていた。
これが神父なりの優しさなのだ。
神父に感じた違和感も、これなら理解出来る。
下手に介入せず、遠くから見守る。必要があるなら、最低限だけ手を貸す。
俺達が、最大限に自分を生かせるように、そっと背中を押してくれるのだ。
「もう少し頼ってもいいんじゃないか」
鮮やかな緑の瞳が、芯から俺を捉えて言った。
優しさ──だけではない、何か別の思いが含まれた眼。
反論は出来なかった。
「……はい」
俺は
応える形で頷き返した神父は、用事は済んだとばかりにそそくさと立ち上がった。
が、直後、思い出したかのように再び口を開いた。
「ただ、頼るなら私でなくあいつらを頼れ。私には答えられないことも、彼らなら何か知っているかも知れん。──ひとりは……しいからな」
今度こそ用は済んだらしく、何事もなかったかのように神父は歩き出した。最後は独り言のようで聞き取れなかったが、【あいつら】【彼ら】が誰を指すかは明確だった。
静寂が、気持ちを少しずつ落ち着かせていく。
春らしい温かな風が、柔らかに頬を撫ぜていく。
「──頼る、か」
ぽつりと呟いて、俺は目を伏せる。
反射的に頷いてしまった。
しかし、誰かを頼る方法など、とうの昔に忘れてしまった。
夕日で赤く染まりつつある町を歩きながら、口実に出来そうなフルーツだけはきちんと買った。しかし結局何も行動を起こせず、日が暮れるのを待つだけだった。更にそのまま色々と考え込んでいたら、眠るタイミングを失ってしまった。
真夜中になっても寝付けなかった俺は、無理やり眠ることを諦めて、少し寒い外に出た。
教会からさほど距離のない所に、ちょっとした高台があるのだ。昼間に行ってみた時は、遠くに在る世界の中心部を、かすかに見ることが出来るほどきれいな場所だった。夜なら何が見えるのだろうと思い、歩き出す。
世界の中心【レリクイアカプト地方】に位置すると言えど、ここは太陽が昇ると人が動き始め、沈むと床に就く。つまり自然と共に生きる町だ。おかげで夜はしっかり暗く、空に輝く星達を鮮明に見ることが出来る。
プリモタウンにやって来てから、今まで夜に寝付けないことはなかった。故に外を出歩くこともなかった。さすがに暗くて地平の遠くは見渡せないが、こんなきれいな星空を眺めることが出来るなら、たまの夜更かしも悪くないと思えた。
しばらく星をぼんやり眺めていると、かすかに足音が聞こえた気がした。日中に比べて圧倒的に静かな分、わずかな音でも聞こえてしまえば気にしてしまう。
背後から聞こえたその音に振り返ると、見えたのは少女だった。
「あ。アル」
こんばんはと丁寧にあいさつまでして、少女は笑顔で隣に立った。
ほのかに青を含んだ月明かりに照らされ、彼女の金の髪が輝く。
「眠れないの?」
首を傾げて尋ねられ、俺は無言で頷いた。
「そっか……私も同じ」
少女はそう言って微笑んだ。
「ここ、いいよね。空を遮るものが何もないから、どこまでだって見渡せて」
「……そうだな」
今度は少女が空を見ながら言ったために、解るように声に出して首肯した。
応えたのはそれだけで、しばらく無音の世界が広がる。
やがて、少女が口を開いた。
「アルは、星空が好き?」
唐突な質問。ややあって、俺は応える。
「嫌いじゃないな」
「じゃあ私達は?」
「え?」
間髪入れない切り返しと、思いもよらぬ問いかけに、思わず少女を見る。
「私やイージオは、嫌い?」
確認するように、もう一度投げかけられた質問。
微笑みは優しかったが、俺を射抜く碧い瞳は、随分と力強い。
下手に応えることが出来ず、俺は小さく首を横に振りながら力なく返した。
「…………わからない」
すると彼女の目から、圧力が消えた。
「そっか」
少女は目を伏せた。
「良かった。まだ嫌いじゃなくて」
はにかみながらそういう彼女の真意が読めず、首を傾げる。
彼女は、ふふ、と笑って続けた。
「嫌いって言われたらそこまでだけど、嫌いじゃないならまだ仲良くなれると思ったから」
「……なんでわざわざそんなことを」
余計に意図が読めなくなり、たまらず問う。
「イージオのことで、何か抱え込んでるんじゃないかなって思って。もしそうなら、気にすることないよって言いたかったの」
打てば響くような返事。そしてさりげない心遣い。彼女は続ける。
「イージオはきっと、こういうの気にする人じゃないよ。気にするとしたら、どうしてわざわざ距離を置こうとするか、じゃないかな」
「それは……」
言葉に詰まる。言えば済む話なのだ。他者と関わりたくないのだと。
しかし、続きは言えなかった。
「私は、アルはとても優しい人だと思うなー」
彼女の言葉に、戸惑ってしまったからだ。
「自分のことを守ってるようで、本当は周りをすごく見て、大事にしてる。だから、一人になりたいんじゃなくて、自分のせいで怪我させちゃった罪悪からイージオに会わせる顔がないって思って、会いたくないのかなって」
違う?
言葉にはない問いかけが、彼女の表情から見て取れた。
俺は何も答えなかった。
見事なまでに見透かされていたために、返す言葉が見付からなかった。
「…………どうだろうな」
辛うじて出て来たのは、断定的なものではなかった。
確かに罪悪感はある。俺がしっかりしていれば、あいつが庇うことも、怪我をすることもなかった。きっと今日だって、我先にアンデッドに向かっていき、昇華という名の討伐を誰よりもこなしていただろう。
念願の一人なのに、まったく嬉しくない。
だが、そこに優しさがあるというのは、どうだろうか。
周りを見ているのも、巻き込みたくないからだ。今回のようなことが起こらないようにと、万が一起きたとしても、被害が俺だけで済むようにと、そう図っていただけだ。これは自分のためであって優しさなんかじゃない。
他者と関わりを持たないのは、巻き込みたくないから。
巻き込みたくないのは、巻き込んだら俺が辛くなるから。
それだけなのだ。
だから、俺はきちんとした答えを言えなかった。
同時に、今ここで、それを言わなければと強く思った。
そうしないと、彼女はきっとこれからも俺を優しい人だと言うだろう。
そう言い続けるだろう。
そんな意味のない嘘は、ない方がきっと良い。
俺はかぶりを振った。自分の言葉に。彼女の言葉に。
「いや。俺は優しくない。あんたが思うほど、出来た人間じゃない」
彼女は目を瞠ったが、それだけだった。
好機と思い、続ける。
「俺が他人と関わりたくないのは、ただの俺の独り善がりだ。こんな罪悪感を他人に持ちたくない。それだけの話だ。大事になんて思っていない。全部俺のためだ」
少女が首を傾げる。
「……罪悪感は、私も持ちたくないよ。でも持たない方法が、一人になる事っていうのは、私にはその……よくわからないかな」
教えて、とでも言うつもりか。
でも、そうだな。
こればかりは言わなければ伝わらないか。
「簡単な話だ」
その言葉とは裏腹に、切り出すのはとても難しかった。
俺は意を決して口を開いた。
「大事な人を失くしたんだ。俺のせいで」
ひゅっ、と、息を呑む声が聞こえた。
「大切な人が目の前で死んだ。誰のせいでもない、俺のせいで。だから、もう二度とそんな思いをしないように、俺は人を拒んだんだ。だから」
もう、放っておいてくれ。
最後は言葉にしなかった。言わずとも彼女ならわかるはずだ。
しかし──
「アルのせいじゃないよ。ううん、確かに責任はあるかもしれないけど、アルだけのせいじゃないよ」
返ってきたのは、予想だにしなかった言葉だった。
「その、大事な人を失くした時のことは、どういう状況かなんてわからないから、私は何も言えない。でも、イージオのことは違うよ。あれは、アルだけの責任じゃないよ」
吸い込まれそうなほどに深い碧の瞳が、真っ直ぐに俺を映す。
目が離せなかった。
同時に、言葉も返せなかった。
少女は続ける。
「気が抜けてたとか、油断してたとか、そういうのは誰にだってあるものだし、そもそも割って入らなくてもアルは無事だったかもしれない。そうなったら自業自得でしょ?」
「それは……そうかも知れないが」
「大丈夫だよ」
確かな物言いに、俺の言葉は遮られてしまった。
「だから、一度顔見せたらどうかな」
彼女はふわりと笑い、背中を押すようにそう言った。
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