Liftoff!

最終話 We have a liftoff.

「これが、星……」

「すごい……」


 空いっぱいに迫ってくる光の群れ。

 どれもがきらきらと輝いていて、ゆったりと地球の天井に漂っている。

 赤、黄、白、青。

 大きいもの、小さいもの。

 ほのかに揺らぐきらめきもあれば、力強いまたたきもある。

 手を伸ばせば掴めてしまえそうな気がした。

 それくらい、星空はすぐそばにあった。


 でも、本当の星はずっとずっと遠くにある。

 わたしたちが見ている光は何百年何千年の旅を経てここにやってきた光の粒たち。わたしたちの知らない場所で生まれて、とんでもない時間をかけてとんでもない距離を旅してきた。緑色の仮想世界なんてメじゃない、海底なんかとは比べ物にならない、どこまでも広がる世界が確かに存在している。


 ここから見える星々は、宇宙のほんの一部でしかない。

 いや、ほんの一部というのもはばかられるくらい宇宙は大きい。

 人間が知覚できるのは、わたしが知っているのは、その小さな小さな一部分だけ。

 わたしの脳みそに入る程度の、見渡す限りの星空。

 いつかベルといっしょに見られたらいいなと思って、覚えていた星空。


 太陽はない。太陽がないから月も惑星も輝けない。

 そんななかで、シリウスという星は全天でいちばん明るく輝く。

 だから、無数の光のなかからでもすぐに見つけることができた。


「ベル、見える? あそこにある明るい星が、シリウス」

「シリウスと、同じ色……」


 ほとんど真っ白に近くて、かすかにまたたいている。

 そんな星が、天頂と水平線のほぼ真ん中にいる。わたしの指先にいる。

 真っ白な星が確かに生きて輝いている。


「シリウスから右上にいったところに、三つの星が並んでいるのわかる?」


 空のなかでも目立つ三連星。これを中心とした8の字がオリオン座。


「うん、見つけた」

「真ん中がアルニラム。そこからもうちょっと右上にある水色の星が、ベルだよ」


 オリオン座の向かって右上、つまりオリオンの左肩がベラトリクス。

 ほとんど見上げるような高い場所にいた。


「ベルと同じ色」

「うん」


 ベラトリクスとベルの瞳を見比べて、思わずベルのほうに視線が釘付けになる。


「じゃあ、シリウスの近くにあるあのもやっとしたのは何? ずっと続いてるやつ」


 星明りに照らされながら、いちばん眩しかったのはベルの瞳かもしれない。わたしに太陽を見せてあげると言いながら、なんだかんだでベル自身が空を見てみたかったんじゃないのかと。そんな野暮なつっこみは捨て置いて、ベルの好奇心に答える。


「あれはね――」


 ミルキーウェイ。銀河系っていう円盤状の星の集まりがあって、それを内側から見ると一本の帯を空いっぱいに巡らせたようになる。大昔はミルクっていう白い液体があって、ぼんやりと光る星の帯をミルクに例えたの。


 シリウスから左にまっすぐ行くと、クエスチョンマークを裏返したような並びがある。ししの大鎌と呼ばれる並びの根元、明るい星がレグルス。

 さらに左に行ってぐるりと振り返ると、ちょっと暗いけど綺麗な四分円が見える。その先っぽがポラリス。昔の人に方角を教えてくれた大事な星。昔とは若干位置が変わっているだろうけれど、それでもポラリスが北という方角を教えてくれていることには変わりない。


 ポラリスはシリウスのほぼ真向いに位置していた。

 シリウスはちょうど南中を迎えているらしい。


 なんて運がいいんだろう。二分の一の確率で水平線より下に隠れていたかもしれないのに、いちばん見やすい時間にここに来れたんだから。

 幸運を噛みしめながら星を眺める。

 ベルに聞かれるがまま解説もしたりなんかして。


「あ……」


 ふと、ベルが手を伸ばしてコックピットの壁面に触れてしまった。

 当たり前だけど指がそれ以上進むことはなくて、星を動かすこともできなかった。


「なんだか、星に触れてるみたい」

「そうだね」


 心なしか空気が重たくなった。本当のところベルが触れているものははただの映像で、OLVISが捉えた光を忠実に、壁面に再現しているに過ぎない。


 本物の星空はここにはない。本物の星空はこのコックピットの向こうにある。いまの人類の科学力では肉眼で星を見ることはかなわない。地上で空を見上げることも、雲を追い払うこともできない。それが悔しかった。


「ねぇ、ベル。今日はここまでしか見せられないけれど、いつか必ず、本当の星空を肉眼で見せてあげる。OLVISの映像なんかじゃない、本当の星空を。わたしが艦長になって、人類を発展させて、空の下での生活を送れるようになれば、絶対に星空も見れるはずだから」


 わたしが生きていく理由、目的。


「そのために、頑張って生きるよ」


 そして誓う。

 右腕だけで、ベルを抱き寄せる。ベルの腕もきつくなる。


「ベル、あったかい」

「シリウスもあったかいよ」

「太陽なんかなくったって、世界はあったかいんだ」

「……うん」

「太陽なんかなくったって、世界は明るいんだ」

「うん」

「太陽なんかなくったって、世界は広いんだ」

「うん」

「人類は、太陽なんかなくったって生きていける。わたしたちは太陽のために生きてるんじゃない。自分たちの生きる目的を、自分たちで見つけるの」


 グリーンライトでもない、ブルーライトでもない、星空から降り注ぐ真っ白な光がわたしたちの間を静かに通り過ぎていく。星々のまたたきが聞こえてきそうだった。


「シリウスは、見つかったの?」

「うん。ベルのために生きたい。いいかな」

「じゃあわたしは、シリウスのために生きる」


 ふへへ、と、口元がだらしなくなるのを懸命にこらえる。


「ずっといっしょにいて」

「ずっといっしょにいられるの?」

「うん」

「シリウス、ずっといっしょにいてくれるの?」

「うん」


 灯が消えていくように、わたしたちの心は穏やかになった。

 笑ってはいないけれど笑っている、そんなやわらかい表情をベルは浮かべていた。


「ありがとう、シリウス」

「こちらこそ。ありがとう、ベル」


 わたしはすっかり満ち足りていた。気持ちを伝えて、いっしょに星も見て、やりたいことはすべて終えた。残りは宿題として未来にとっておこう。

 今日はこれでおしまい。次いつここに来られるのか、いつまた星を眺められるのか、それは科学の発展次第だけど、必ずまた、ベルといっしょにここに来よう。

 そんな決意が、わたしの糧になる。


「それじゃあ、帰ろっか」

「うん、帰ろう帰ろう。また怒られるかな」

「こってり絞られるかもね」

「懲罰房、いっしょだといいな」

「水没してなかったら、の話だけどね」

「そういえばアルマ大丈夫だったのかな。あんなにでかい奴が乗ってきて」


 他愛ない会話ですら、これまで以上に幸せだった。

 さて、帰ったらいろいろなことを説明しなくちゃいけない。

 艦長になることとか、艦長のパートナーのこととか。


「……あれ?」

「どうしたの、シリウス」


 GRIFFONの出力を抑えて高度を下げようとしたら、やけに操縦桿が重かった。動作への反映が極めて遅い。いくらなんでもレスポンスが悪すぎる。


 というより、動かない。

 視界が一瞬で暗黒に包まれた。

 生命維持のための最低限の光がパネルから漏れているだけ。


「まさか……」


 ふっと、体が軽くなる。


「エネルギー切れ!?」

「えぇ!?」


 コックピットのなかは無重量空間。

 対してオルキヌスの全身が不吉に軋んでいる。

 落下の空気抵抗で細かく振動している。


 天体観測に夢中になりすぎていたらしい。

 OLVIS、GRIFFONはフル稼働。

 戦闘中にレーザーを何発も撃ってたし、むしろよくもったほうだ。


「計算はしてたつもりなんだけど……」


 雲の最上部が高度一万メートルだとして、海面に叩きつけられるまで数十秒ほど。

 わたしたちの命のカウントダウンも数十秒。

 いくら八百気圧にも耐える丈夫な機体とはいえ、高度一万メートルから水面に叩き付けられれば一発でペシャンコだ。


「ご、ごめん、ベル。わたし、最後の最後にとんでもないこと……」

「ううん、いいよ。最期にシリウスといっしょなら」


 なんて照れ臭いこと言ってくれるけど、そんな場合じゃない。

 わたしの不注意のせいでベルは死んでしまう。

 せめて、せめてもう少し燃料に気を配っていれば。


 だめだ。考えろ。

 頑張って生きるって約束したんだから、生き残る方法を考えなくちゃ。

 何か、何か――。


「……あ」


 あった。そういえばあの日ベルに貰ったものが。

 ベルから貰った、一枚の黒曜鱗。


「ベル、これ。黒曜鱗! ――あっ」


 ポケットから取り出したら指からするりと抜けてしまった。

 あと海面まで十秒なのに……。


「任せて!」


 縛ってあった腕をするりと抜いて、操縦桿に足をかけてベルは跳躍。

 無重量状態のなか漂う黒曜鱗を捕まえると体を反転。

 壁を蹴った勢いでシートの裏に回り込む。

 そのまま壁面に拳を一発。一枚のパネルが外れて浮かんできた。

 次の瞬間にはもう、ベルの右腕は緊急用の燃料補給口に黒曜鱗を投げ入れていた。


 あと四秒。


 黒曜鱗が砕かれる音。次いで起動音。


「ベル!」


 わたしは手を伸ばす。


「シリウス!」


 一瞬遅れて、機体が大きく揺れた。

 二度三度とコックピットが掻き回されるなか、必死でベルと抱き合っていた。

 振り落とされたらひとたまりもない。

 ベルの肘か膝が脇腹を突いても痛みを我慢した。


 目が回って酔いそうになったころ、ようやく機体は安定した。


「シリウス、大丈夫?」

「ちょっと目が回ってるけど……。ベルは?」

「わたしなら大丈夫」

「よかった」


 いろんなところがじくじく痛むけれど、ひと安心。何とか助かった。


「またベルに助けられちゃったね」

「そんなことないよ。シリウスが黒曜鱗を持ってきてくれたから助かった、だけ、で……」

「どうしたの、ベル」

「シリウス、ずっとその服に入れっぱなしだったんじゃないよね、洗濯出した?」


 ベルは鼻をすんすんと鳴らす。

 わたしの私生活はどれだけ信頼されていないんだろうか……。


「大丈夫だよ。あのときの服はちゃんと洗濯に出したから」

「そ、そうなの?」


 こうまであからさまに驚かれると引っかかるものがあるけれど、まぁいいか。

 この服、艦長補佐に就任してから一回も着替えてないし……。


「シリウス、変わったんだね」


 そしてベルは優しい表情に変わる。


「うん、ちゃんと生きないといけないからね」

「その割にはいちばん大事なところで計算間違えてたけど?」

「あ、あはは……」

「もう、ドキドキして損しちゃった」

「ほんと。一気に疲れてきた」

「シリウスがそれ言う?」

「ごめんって」


 あぁ、なんだか最後の最後でしまらなかったなぁ。


「顔色は良くなっても、シリウスはシリウスだね。やっぱりわたしがいないと」

「そういうことそういうこと」


 全身から力が抜けて、操縦する気も起きなかった。

 お腹の底から湧いてくる笑いを我慢することもできなかった。

 ベルも笑っていた。


 そうだ。ベルに教えなきゃいけないことがまだまだたくさんあった。

 大人の食事の食べかた。フォークとナイフの握りかたからはじめて。

 それから、それから――


「ねぇ、ベル。あとで、ごはんいっしょに食べよっか」

「いいね、それ」


 わたしたちは、ずっと笑い続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君が為シリウスは輝く 多架橋衛 @yomo_ataru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ