第5話★ 動機A
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『切り裂きジャック』は、あの女のことを、よく覚えている。
傲慢で、ふしだらで、我儘で、醜い。そんな女のことを、覚えている。
出会いは、ふた月ほど前。
あの女は、妊娠した、という子供を堕胎するため、産婦人科にいた。詳しい事情は、傍観者である『切り裂きジャック』には解らなかった。だが、彼女が子供……を大事にしない『オロカモノ』だ、ということは、傍観者である『切り裂きジャック』にも解った。
まず、『切り裂きジャック』は子供を愛していた。無邪気で、無垢で、誰一人として傷つけない、そんな子供を、いや、子供を持つ家庭に、あこがれていた。それにはきっと、『切り裂きジャック』に子供がいない、ということも関係しているのだろう。
兎に角『切り裂きジャック』は子供が好きだった。だから、『オロカモノ』の中でも、子供を虐げるもの、子供を大切にしないものは、特に許せなかった。ニュースでそれらの報道が流れるたび、猛烈なまでの怒りに襲われた。
だから――子供を堕ろそうとした、あの女のことを、『切り裂きジャック』が許せなかったのも、当然のことといえるだろう。
あの女について、調べるのは容易だった。インターネットを利用すれば、幾らでもあの女の情報は出てきた。そして、女の同級生を名乗る人間に、同じ同級生を装ってSNSなどで接触すれば、あの女の個人情報などはいとも容易く入手できた。
女の暮らすマンション、実家、会社。それらの住所、および電話番号をすべて抑えた『切り裂きジャック』は、その日。酔い潰れ、電車の中で熟睡する女を拉致、監禁し、犯行に及んだ。
そこから、犯行を実行するまでに、そう時間は要らなかった。女が目を覚ますまでに、女を拘束、そして筋弛緩剤を注入した。あとは、女が目覚めるまで待ち、あとは、目覚めたタイミングでメスを片手に手術室へ入っていくのみである。
それらの計画を練る時、『切り裂きジャック』は、天にも昇る心地だった。世の中に害を与える寄生虫を、子供を大事にしない『オロカモノ』を、殺すことができる。
目を覚まし、『切り裂きジャック』が手術室に入ったときの、女の表情を、『切り裂きジャック』は今でも忘れることができない。
そのつけまつげだらけの目を大きく見開き、口を金魚のようにパクパクと開き、動きやしない体を無理やり動かそうとするその様子。それはあまりにも滑稽で、間抜けで、同時に、『切り裂きジャック』の加虐衝動を大きくそそることとなった。
そして、『切り裂きジャック』は麻薬を、彼女の体に注入した。麻薬はかつて、麻酔の代わりとして使われたことがある、『切り裂きジャック』は、それを知っていたのだ。
だが、麻薬だけを注入しては、麻酔として弱いかもしれない。そんな心配から、『切り裂きジャック』は、麻薬と麻酔、それらを混ぜ合わせた……特性の薬を、彼女に注入した。
彼女は、麻薬の副作用からか、死ぬまで笑っていた。その光景は、サーカスのピエロと、それを引き立たせるナイフ投げのよう。
彼女が死んだのち、切り裂きジャックは彼女の胸部に穴をあけ、そこに自分の髪の毛を入れた。髪の毛――といっても、一本まるごと、ではない。一センチにも満たない、わずかな毛先をを、数本ばかり入れたのみである。
そして、死体を、ビニール袋でくるみ、そのあとゴルフバッグに入れて、廃棄した。新宿三丁目の、薄暗く、かつ酒臭い路地裏。そこなら、遺体、および遺体を棄てる自分を目撃される心配がないだろう。そう踏んで、『切り裂きジャック』は遺体をそこに廃棄した。
ゴルフバッグは、近くの川に捨てた。ビニール袋は、切り刻んでプラスチックごみの日に出した。一見、この計画は、完璧なように思えた。
完璧なように、思えた。だが、完璧な機械、および人間がいないように、完璧な計画などない。『切り裂きジャック』の計画には、ただ一つの誤算があった。
ただ一つの誤算――それは、彼女の死体が、思ったよりも早く発見されてしまった、ということである。
『切り裂きジャック』としては、酒の臭さで死体から放たれる腐臭を、路地裏特有の薄暗さで、死体そのものを、誤魔化せる、予定だった。
だが、そこの路地裏には……、一人のホームレスが暮らしていた。『切り裂きジャック』が死体を棄てたその日、彼は日雇い労働を終え、その路地裏に帰って来た。そして、あの女の遺体を発見した。
そんなホームレス、ただ一つの幸運は、『切り裂きジャック』が遺体を廃棄したそのタイミングで、路地裏に帰ってこなかった、ということだ。彼がもし、『切り裂きジャック』が遺体を廃棄したときに路地裏に居たなれば……彼は、その場に捨てらるる二つ目の死体になっていただろう。『切り裂きジャック』の手によって。
されど、『切り裂きジャック』は、遺体が早く発見された、といって慌てることもなく別段狼狽することもなかった。ただ、自分の計画――『オロカモノ』殺戮計画に、暫し遅れが出たせいで、計画をもう一度練り直さねばならない、ということを、少しばかり、面倒くさく思った。
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