第4話☆ 遺体Ⅱ

 ☆

 聞き込みを終え――二人は車を署へと走らせていた。

 高校の同級生だという人間への聞き込みの成果は、ほぼ無に等しい。彼らは口をそろえてこう言う。『とても素晴らしい友人でした』――と。馬鹿の一つ覚えのように。RPGに登場するNPCモブのように。

 二日間、という日をうんざりしつつ、和正は煙草を付ける。隣に座る末島が顔を顰めた。

 渋々窓を開け、煙草の先を外に出す。冷たい風が、彼の短い髪を靡かせた。


 和正は目を閉じ、溜息と織り交ぜて煙を吐き出す。捜査会議からちょうど四十八時間。数十人にも及ぶ人間と顔を合わせ、被害者について問いかけたが、返ってくるのは茶を濁すような返事ばかり。そんな今の状況に、軽く焦燥感を感じながら、和正はまた煙草を吸う。

 ――もれなく作り出される静寂。車のエンジン音、和正の吐息のみが、鼓膜を震えさせる。


 が、その静寂は十秒足らずで破られた。

 二〇十八年二月二十二日、午前八時三十七分二十五秒。突如ジジッ、という、死にかけの蝉の如き音を、無線が鳴らした。矢継ぎ早に、低い男の声が聞こえてきた。

「――えー……東京都森継もりつぎ警察署前、一台の不審なバイクあり、と住民から通報。近くにいる捜査員は直行せよ」

 署から現在の地点はおよそ五百メートル。数分で着く位置だ。和正は無線機を空いている方の手で持つと、「了解」と、いつものように、不貞腐れたような声のトーンで答えた。

 その途端、運転席でハンドルを握っていた末島が「え」と不満気な声を漏らす。間髪入れずに、和正はそんな彼のことを見た。

 彼はびくり、と体をわざとらしい動作で震わせると、歯を食いしばり、前を向きなおし、車を走らせる。身勝手な奴。そんな愚痴を口内で唱えながら。

 

 ――その、というのは、百鬼夜行図や妖怪絵図に出てくるような、そんな不気味で奇怪な風体で、その場に佇んでいた。

 一見、遠目で見れば――それは、至って平均的な――ただ、『シートにヘルメットの乗せられたバイク』に見えただろう。だが――近づいてみた時、人はその異常さに気付く。

 ヘルメットの中には――が詰められていた。その、あるものというのは――人間の頭部である。髪を削がれ、目を見開き――こっちを見る、人間の。

 極めつけはその顔面だ。見開かれた目の下――ぽつぽつとした小さな穴が開いている。そしてその穴は線となり、『bike racer』という文字を作り出している。

 

 末島、及び和正が到着したとき、現場にはすでに数人の捜査員が集い、現場の鑑定や、証拠の収集などを行っていた。

 ――血の生臭い香りが、末島の鼻孔の中を通り抜けていく。

 そこでふと、末島は、現場の隅――ブロック塀の上に、スーツ姿の女性が居る、ということに気が付いた。容姿をまじまじと見た。そして――末島は、声なき悲鳴を上げた。

 その女性は――あまりにも――数日前に死んだ女性、『平野茜』に酷似していたのである。

 死者が蘇生するわけがない。平野茜に姉妹は居ない。他人の空似。そういうこともあるさ。末島が自分にそう言い聞かせ、気分を落ち着けた時、ふと、末島の頭に、ある疑問が浮かんだ。

 この女性は、一体どうしてこんなところへ居るのだろうか。その疑問を解決させるため、末島はその女性に近付き、出来る限り失礼のない言い方で「すいません」と声を掛けた。

 女性は不機嫌に眉間に皺を寄せ、うんざりとしたように溜息を吐くと、末島の方をむきなおした。切れ長の瞳に、末島の姿が映る。

「なん、でしょうか」

 そんな女性の声に、末島ははっ、とする。どうやら自分は、数分間ぼおっとしていたらしい。軽く咳ばらいをすると、末島は顔を上げた。

「――あの、どうしてここに? 警察官――では、ないですよね」

 女性は呆れたように眉を上げる。そして、他の捜査員たちに何十回もしたのであろう説明を、末島に行った。

「第一発見者です。落とし物をして……警察署に、紛失届を提出しようとして――これを見つけました」

 そう、短く――淡々と、抑制のない声で言うと、女性は末島から視線を外した。視線を伏せ、物憂げに自分の足を眺めている。

「失礼ですが――お名前は?」

 女性は視線を下に向けたままで「紅葉もみじです」と答える。それを素早く手帳にメモすると、末島は、次の質問を女性――もとい紅葉に投げかけた。

「ご職業は?」

「医療機器メーカーの営業です」

 へぇ、と末島は感嘆の声を漏らした。確かに、彼女は清潔感のある見た目をしている。筋は通っているだろう。

 そんな末島の態度に気を害したのか、彼女は眉を顰め、また大きく息を吐いた。

「ありがとうございました」

 彼女の逆鱗に触れる前に、一刻も早くここから離れればなるまい。末島はそう判断し、彼女に簡易的な礼を言い、その場から離れた。

 和正は、バイクのことをこれでもかというほどに見つめている。

「――どうしたんですか。和正さん」

 和正は、答えない。

 やむなく末島は和正の隣に並び、和正の見つめる位置に、自分も目をやった。だが、其処にあるのは黒光りするバイク、ただそれだけ。末島は首を傾げると、また和正のことを見た。そして、和正と視線を合わせた。びくり、と末島は和正から距離を置く。和正は不機嫌なのか、眉間に皺をよせ、こちらを睨んでいる。

 自分が何か気に触れるようなことをしただろうか。末島は必死に頭を巡らすも、答えは出ない――。困惑する末島に、和正はそっと声を上げる。

「これ……あの件と、同一人物の犯行――じゃねぇか」

 はいっ?! という間抜けな声を末島ば自然と出してしまう。

 和正は屈みこむと、タイヤの下敷きになっているを、手袋を付けた手でつかみ取った。――それ、というのは、あの捜査会議で鑑識の男が見せた『髪の毛』とそっくりな――『毛』だった。いや、そっくりというよりかは――全く同一のものだ、と言っても良いだろう。艶のある黒い髪。

 こくこく、と、末島は首を縦に振った。

 和正は近くで写真を撮る鑑識を呼び止め、その黒髪を渡す。その光景を見ながら――末島は、署の近くで事件が起こったから、今回は車の運転をしなくていいんだ――などと、どうでもいいことを安堵していた。

 

 捜査会議は、平野茜の時と特に変わったことは無い。被害者の名前を説明して、死因を説明して、現場で見つかったものを説明して。

 被害者は『黒沢腎』、三十八歳。バイク販売店でアルバイトをして生計を立てている男。死因は首――及び頸動脈を切られたことによる失血死で、首を切った道具はのこぎりの様な鋭利な刃物と思われる。

 現場で見つかった物は、二つ。

 まず一つ目は、和正の発見した髪の毛。なお、その髪の毛は和正の予想通り、一件目――即ち、『平野茜』の胃の中から発見された物と照合され、この事件は連続殺人事件と判断された。

 そして二つ目。マフラーの中に詰められていたという紙切れ。それには、『切り裂きジャック』と子供のようなたどたどしい字で書かれていた。らしい。末島はその実物を見ていない。至る所が蒸気、及び排ガスでよれていたので、科捜研が修復した結果、『切り裂きジャック』その数文字が現れたらしい。

 それらから、事件名は『都内連続猟奇殺人事件』から、『切り裂きジャック殺人事件』へと変化した。

 車を走らせつつ、末島は捜査会議で分かったことを自分の脳内で整理した。被害者のこと、証拠品のこと、死因のこと――。それ以外にもひとつ、捜査会議で判明したことがある。

 それは、前回の被害者、平野茜と、今回の被害者、黒沢腎に、ある一つの共通点がある――ということだ。

 それは、都内にある大学病院、『鱗状りんじょう大学病院』に、二人とも通院したことがある、ということだ。

 今、末島、及び和正が車を走らせているのもまた――鱗状大学病院、なのである。

 

 それぞれが受信したことのある科を訪ね、被害者についての情報を得る。それが、末島と和正に課せられた任務だった。


 末島は、ラヂオから流れてくるジャズ・ミュージックに耳を傾けた後、雨の打つ窓ガラスを見た。

 腎の遺体を発見した際――快晴だったはずの空は、十二時を回ったときから曇りだし、今、十四時には豪雨が降り注いでいた。いや、そんなことは問題ではない。

 問題は、ただ一つ――。ハンドルを握る手に力を籠め、末島は怯えつつ助手席に座る末島を見た。彼はまた、眉間に皺をよせ、顔を顰め、不機嫌に窓の外を眺めている。――まぁ、傍から見ればそう思うだろう。だが、末島は解っていた。彼、基和正が、尋常じゃないまでに苛立っている、ということを。

 人間は怒るとき、一体どうする? 顔を顰め、眉間に皺をよせるだろう。だが、それは時折和正を観察している末島にとっていつものことであり、普段と何ら変わらない、そんな表情を浮かべている。そのはずだった。

 末島はかち、かち、と歯を鳴らし、アクセルを踏んだ。

 今の和正の気配は、どこかいつもと違った、おかしなものがあった。殺気、憎悪、嫌悪、不快感――、人間が怒り狂うときに出す全ての感情を兼ね備えたような、そんな空気を、和正は出している。それが末島にとっては、恐ろしくってならなかった。

「……あの、和正さん」

 息を吸い、おずおずと声を出す。和正が、その切れ長の瞳で末島を見る。

「――病院に、何か嫌な思い出でもあるんですか」

 なぜそう思う。次の言葉を吐き出す間もなく、和正がそう問い掛けた。びくびくと怯えながら、末島は自論を口にする。

「あまり……楽しそうじゃないですから。いつも……それほど楽しそうでもないんですけど……鱗状病院に行く、この道中だけ……いつもに増して、楽しくなさそう……寧ろ、怒っているように感じられるんです」

 はっ、と、和正が鼻で笑った。その表情には、何処か嘲笑にもにた物が感じられる。

 末島は嗤われた、というショックで顔を赤らめつつ、視線を伏せる。

「別に――これといって特別な事情はねぇよ」

「ただ、ただちょっと妻を。あそこの病院で亡くしただけさ」

 あ。末島は慌てて口を噤む。聞いてはいけないことを聞いてしまった。言わせてはならないことを、言わせてしまった。自分の非常識を詫びようと、和正の方へ向き直そうとした。だが、やめた。

 それは何故か。何故なら、二人の目的地である、鱗状病院――それが、もう目前まで来ていたからである。


 鱗状病院にたどり着いた二人の対応をしてくれたのは、鱗状病院の二代目院長、『鱗状操』その人だった。

 彼女は、五十代後半という年齢を感じさせないほどの美しさ、そして華やかさを持ち合わせていた。

 黒い艶やかなショートカットの髪。細長いながらも妖艶な黒い瞳、異人のように高い鼻、そしてふっくらと赤い唇。

 彼女は客人用の高級感あふれるソファに二人を座らせ、自分はその向かい側にある一人用の椅子に腰掛けた。音もなく足を組み、そっと彼女はガラスづくりのテーブルに身を乗り出す。

「それで……本日はなんの御用ですか? 殺人事件についての捜査だ、とお聞きしたのですが」

 和正の機嫌が一向に良くなっていない、と踏んだ末島は、胸ポケットから二枚の写真を取り出し、テーブルの上に置いた。茜の写真と、腎の写真だ。

 操はそれを暫し食い入るように見つめていたが、置いたきり末島が何も言わない、というのを訝しく思ったのか、首を傾げ、顔を上げる。

「この二人について、何かご存知のことはありませんか」

 首を傾けたまま、操は答える。

「ええ、知っています――知っていますとも。茜ちゃんのことも……腎さんのことも――でも、それがどうした、っていうんですか……?」

 そう口にした途端、操の顔が曇った。不快感に歪められた、という訳でも、訝しんで眉間に皺をよせた、という訳でもない。嫌なことを思い出し、自然と表情が変化した、というのが一番正しいように見えた。

 だが、そんな操の様子にはめっぽう気付かず、末島は話を続ける。

「では――この二人が亡くなった、というのは?」

 表情を変化させないままで、操は首を横に振る。まぁ、それも当然だろう。『切り裂きジャック殺人事件』は、その猟奇的な事件内容から、報道規制が掛けられている。死体の状況はおろか、被害者の名前さえも伏せられている。

「――茜さんは二日前……そして、腎さんは今日――お亡くなりになってます」

 そう末島が告げた途端、操の表情に、驚愕の色が見えた。茜の死、というのが信じられないのだろう。目を丸くし、茜の写真と、末島の顔を交互に見比べている。

「――それで、それで……なんで、私の元へ? 私と茜ちゃんは、確かに交流がありました……でもっ、でも……それが、私と――なんの関係があるっていうんです?! 腎さんの件だって……もう終わったものでしょう?! なのに……なんで?! なんで――なん」

「落ち着いてください」

 操は、ヒステリックに、かつ衝動的に、けたたましく叫んだ。

 その瞳には、怒り、憎悪など、人間が怒ったときに感じる感情、それらが含まれている様にも見える。

 だから、末島は、彼女の言葉を遮ってまでして、彼女のことを落ち着かせたのだ。

 その言葉ではっとしたのであろう彼女は、真っ赤になった顔を掌で覆ってから、一、二度、声に出して深呼吸をする。

 それから数分間は、操の呼吸する音だけが響いた。末島も和正も、操に声を掛けられるほどの余裕はなかったのだ。

 

 それから、五、六分ほどが経過したとき、突如、操が顔を上げた。

 指と指のわずかな隙間から、二人のことをじっ、と覗いている。

「――落ち着き、ましたか」

 突如、和正が声を上げた。

 見ると、今までソファの上で踏ん反り返っていた筈の和正が、興味津々とでも言いたげな表情を浮かべながら、身を乗り出している。

 操は首を静かに縦に落とし、自分の顔を覆っていた手を膝の上に置いた。

「――それで――何故、私の元へ?」

 あ、はい。そんな間抜けな返事ののち、末島は警察手帳を取り出した。

「――えっと……、お亡くなりになった、茜さんと腎さんの接点が――実のところ、貴女だけ、なんですよ」

「二〇十七年、三月――茜さんは、貴方自身が診察を行う――産婦人科を受診している――そして、その後、最近まで貴方と交流していた」

 どうしてです、と和正が横から口をはさんだ。

 操はうんざりしたように顔を起こし、椅子から立ち上がる。そして、西側の壁際に置かれた棚に近づき、中にある藍色のクリアファイルを取り出した。

 踵を返し、パラパラとページをめくる。そして、ある一ページで目を止め、それらを和正、及び末島の二人に示した。その一ページ、というのは、『平野茜』のカルテがファイリングされたページ、である。

 上部に貼られた、平野茜の顔写真、その隣に綴られた平野茜の名前。その下――症状などの欄に何が書いてあるのか、というのは、ドイツ語で書かれているせいで解らなかったが、それが平野茜のカルテである、ということは一目瞭然いちもくりょうぜんであった。

 末島はおずおずと手を出し、ドイツ語でつづられた備考欄をその指でなぞった。

「……あの、ここ――なんて書いてあるんです」

 すいません、無学なもので。そう末島は付け足すと、操の顔を見上げた。

 ファイルを乱雑にテーブルの上に投げ置き、操は、ゆっくりと声を出す。

「茜ちゃん――いえ、平野茜さんは、堕胎の相談で……産婦人科に通っていたんです」

 和正が眉を顰めるのが分かった。末島は手を組み、「その子の父親は?」と食い下がる。

「……言って、良いのでしょうか?」

 躊躇する操。じれったい、とでも言いたげに和正が口を挟む。

「言ってください。こっちは殺人事件の捜査なんです」

 分かりました。と返事をし、操は大きく深呼吸をした。


「――茜さんが堕ろした子供の父親……それは……お父さん……だからです。茜さんを孕ませたのは……平野……元康さん……なんです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る