文明の利器が役に立つ

 はっきり言って、無理ゲーもいいところだ。


 意外とまともに考えていたダルの話を聞いて、ちょっとやる気出したはいいけど、やっぱりさっぱりだった。


 わたしと灰色の男グレイマンのやり取りの中にも手がかりがあるかもしれないって、ピンポン玉アルゴ995号立体映像ホログラムで再生してもらったけど、腹が立っただけだった。特に、今朝のソファーに押し倒されたところなんか、思わず叫んじゃったくらい腹が立った。


 急に眠ってしまったわたしのまぶたに垂らした小瓶の中身が、惚れ薬に間違いない。

 それだけでも腹が立ったってのに、あいつは鼻で笑いながらこう言ったんだ。


 ――いかにも男を知らない小娘には、足りないくらいでちょうどいい。何人もの乙女の純潔を奪ってきた俺には、保険でしかないからな。


 確かに男なんて知らないよ。

 ちょっと憧れの中学のセンパイとかいたけど、ファーストラブもファーストキスもまだだよ。

 そそそ、それなのに、なんでいきなり純潔を奪われなきゃいけないの。純潔を奪うってあれでしょ、あれ、エッチなことでしょ、セ、セック(以下省略)


 あー、思い出しただけで腹が立つ。

 イケメンだからって、どんだけだよ。

 モテるからって、どれだけ女の大事な初体験を奪ってきたんだよ。


 信じられない。


 でも、わかったことがないわけじゃない。


 灰色の男グレイマンが、英語圏の出身で、たぶんイギリス人。

 生首アルゴとお茶したときの紅茶は、彼が好きな飲み物だった。あの時は気がつかなかったけど、ローテーブルの横にティーセットをのせたワゴンがあったから、間違いない。


 マザーグース、紅茶から、わたしがイギリス人だと考えたのは、そんなに的外れじゃないと思う。

 ただ、だからといって、名前の見当がつくわけがなかった。


 女王さまとか、妖精もヒントになっているんだろうか。


「妖精の騎士、騎士……ランスロット?」


「ピッ」


「違うのかぁ」


 なんとなくそれっぽい名前を言ってみたけど、ピィちゃんの判定は不正解だった。


「なぁ、なんでリンはそのモジャモジャが言ってることがわかるんだよ」


 気味悪そうにダルが四本指の一本でピィちゃんを指差してくる。


「わたしはピィちゃんの飼い主なんだから、わかるの。……でも、なんとなくだけどね」


「ピィ」


 ピィちゃん、本当に可愛いなぁ。

 もう、モフモフしちゃうぞ。というか、しちゃってるぞ。


 全力でモフっていると、ピンポン玉アルゴ995号がスルッと近づいてきた。


「わたくしひらめいたのですが、リンが思いついた名前を片っ端から言ってみるというのはどうでしょう?」


「うーん、なんか時間かかりそう」


「アルゴさまは、灰色の男グレイマンの名前はリンの手の中にあると言ってます。適当に言ってみて、その黒妖犬ブラックドッグに判定してもらったほうが、ああでもないこうでもないって考えるより建設的です」


 ピンポン玉アルゴ995号の言うとおりかもしれない。

 アルゴがわたしに期待しすぎているような気がするけど、適当に名前をあげていけば、そのうち正解になるかもしれないし。


「じゃあ、ピィちゃん、今から適当に灰色の男グレイマンの名前ぽいの言っていくからね」


「ピッピ」


 まかせておけと、ピィちゃんは上下にズルンズルンする。本当に、ピィちゃんは癒やしだ。


「クーフーリン」


「ピッ」


「リチャード」


「ピッ」


「違うのかぁ。チャールズ」


「ピッ」


「アーサー」


「ピッ」


「ジョン」


「ピッ」


 思いつくイギリス人ぽい名前をあげてみるけど、ピィちゃんの判定は「ピッ不正解」が続く。


 貧乏ゆすりみたいに尻尾を小刻みに上下に振るダルと、ピィちゃんにかまってほしそうなピンポン玉アルゴ995号が見守ってくれているけど、すぐにわたしが思いつく名前はつきてしまった。


「もう無理。もう、思いつかない」


「ピィィ」


 そんな悲しい声で鳴かないでおくれよ、ピィちゃん。


「マジかよ。アルゴのやつは、リンならわかるって言ってたんだろ」


「そうですけど……」


 ダルとピンポン玉アルゴ995号がガッカリしているけど、わたしだってガッカリしている。


「なんか喉渇いちゃった」


「俺も腹減った。……つか、もうすぐ夜じゃねぇかよ」


「へ?」


 びっくりした。

 もう夜なんだ。

 真っ白い部屋には時計も窓がないから、時間の感覚がおかしくなってるみたい。

 そもそも、ハロワールドと地球では時間の流れが同じなんだろうか。

 朝食しか食べていないのに、まったくお腹が空いていない。

 せいぜい、半日くらいしかたっていないような気がする。


「めーし、めーし、めーし」


 尻尾を振りながら、ダルは部屋の中にダイニングテーブルセットを用意し始めた。


 ハロ式って本当に便利だ。


「めーし、めーし、めーし食うぞぉ」


 ダルのイケボだけどでたらめな歌を聞いていたら、なんだかお腹が空いてきた。


「ピィちゃん、わたしも何か食べるね」


「ピィ」


 ずっと抱っこしていたピィちゃんを床に下ろして立ち上がる時に、ズボンのポケットにスマホが入っていることを思い出した。


「リンも早く食えよ。生成ハロ式用意してやったからよ」


「うん、ありがとう」


 ダルは昨夜のように立ち食いで肉を手づかみでガツガツ食べている。


 わたしは、オムライスを生成してみた。フワトロではなく、薄くしっかり焼かれた卵焼きのオムライス。


「いただきます」


 美味しい。わたしが大好きな駅前の洋食屋さんの味だ。中学に入学してから行ってなかったけど、日本に戻ったら行ってみようかな。


 半分くらい食べてるのに専念してから、ちょっと行儀悪いけどスマホの電源を入れてみる。

 昨日は電源が入らなかったけど、あのアルゴが変なふうにイジってないか気になったんだ。


「あっ……」


「どうしたんだよ、リン」


 電源が入った。

 急いで残りのオムライスを食べて、ロックを解除する。

 わたしが灰色の男グレイマンを追いかけて闇の暈ダークハロに落ちた時刻が、壁紙のピィちゃんの目の下に表示されている。


「圏外、じゃない?!」


 試しにSNSのアイコンをタップしてみると、表示された時刻までの投稿が出てきた。

 それ以上は何度読みこんでも更新されない。


「もしかして、地球では時間が進んでいない?」


 そういえば、帰還する時に、ハロワールドにやってきた時間に合わせるって言ってた気がする。


 ネット回線に繋がっているなら、黒妖犬ブラックドッグで検索すれば灰色の男グレイマンの手がかりが見つかるかもしれない。


「リン、どうかしたんですか?」


「ごめん、静かにして。もしかしたら、わかるかもしれない」


「マジ? 灰色の男グレイマンの名ま……」


「ビィ」


「静かにするです」


 ピィちゃんとピンポン玉アルゴ995号にダルを黙らせてもらっている間に、【ブラックドッグ】の検索に成功した。

 いくつか検索に引っかかったウェブページをざっと読んでみると、【イギリス全土に伝わる不吉な妖精】【燃えるような赤い目に黒いモジャモジャの大きな犬の姿】【見た者は死ぬ】【無害なブラックドッグもいる?】などなど。


 ピィちゃんが犬らしくない姿をしているのは、【変身能力】のせいかな。中には人間の姿になる黒妖犬ブラックドッグもいるらしい。ピィちゃんも人間に変身してくれればいいのに。


 でも、灰色の男グレイマンに直接つながる手がかりはなさそう。


「ダメだ。次はどう検索すれば……あれ?」


 ブラウザのタブがもう1つある。


 いつもいらないタブは必ず閉じる癖があるけど、閉じ忘れたのかな。首を傾げながら、もう1つのタブを開いてみる。


「あ、これって……」


 断言してもいい。

 わたしはこんなウェブページ知らない。


 そこには、スコットランドのバラッドが紹介されていた。



 カーターホフという場所でバラを摘んだジャネットが、突然現れた青年を助ける物語。

 青年は、幼いころに落馬して妖精の女王にさらわれていた。

 カーターホフを通る乙女の純潔を奪っていた彼は、自分の子供を身ごもったジャネットに、地獄の生贄に選ばれたから助けてほしいとお願いした。

 ハロウィンの夜に、十字路で待ち伏せしていた彼女が馬に乗った妖精の一行の中から彼を見つけ出して抱きしめる。怒った妖精の女王さまが、ジャネットの腕の中の彼を猛獣や燃えさかる炎に姿を変えるけど、彼女は朝までしっかり抱きしめて彼を勝ちとる。


 そんな物語。


 この物語の青年が灰色の男グレイマンだと確信するには、いろいろと情報が足りなすぎる。


 でも、アルゴが灰色の男グレイマンの正体を教えるために、このタブを残したとしか考えられない。


「なにが、答えはわたしの手の中にあるよ。スマホの中って、言ってくれなきゃわからなかったかもしれないじゃない」


 足元で丸くなっているピィちゃんを抱き上げて、しっかりと夜明け前の瑠璃色のを見つめて、ジャネットが助けた灰色の男グレイマンの名前を唱える。


「タム・リン。ピィちゃん、灰色の男グレイマンの名前は、タム・リンだね」


 ブルブルとピィちゃんが震えだす。


「ピッ、ピィィィィィイイイイイイイイイイイイイ」


 ピィちゃんの輪郭が解けて、わたしを飲みこんだ。


 ダルとピンポン玉アルゴ995号が何か叫んでいた気がするけど、わからない。


 意識も黒く塗りつぶされながら、ぼんやりと正解だったと確信した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る