文明の利器が役に立つ
はっきり言って、無理ゲーもいいところだ。
意外とまともに考えていたダルの話を聞いて、ちょっとやる気出したはいいけど、やっぱりさっぱりだった。
わたしと
急に眠ってしまったわたしのまぶたに垂らした小瓶の中身が、惚れ薬に間違いない。
それだけでも腹が立ったってのに、あいつは鼻で笑いながらこう言ったんだ。
――いかにも男を知らない小娘には、足りないくらいでちょうどいい。何人もの乙女の純潔を奪ってきた俺には、保険でしかないからな。
確かに男なんて知らないよ。
ちょっと憧れの中学のセンパイとかいたけど、ファーストラブもファーストキスもまだだよ。
そそそ、それなのに、なんでいきなり純潔を奪われなきゃいけないの。純潔を奪うってあれでしょ、あれ、エッチなことでしょ、セ、セック(以下省略)
あー、思い出しただけで腹が立つ。
イケメンだからって、どんだけだよ。
モテるからって、どれだけ女の大事な初体験を奪ってきたんだよ。
信じられない。
でも、わかったことがないわけじゃない。
マザーグース、紅茶から、わたしがイギリス人だと考えたのは、そんなに的外れじゃないと思う。
ただ、だからといって、名前の見当がつくわけがなかった。
女王さまとか、妖精もヒントになっているんだろうか。
「妖精の騎士、騎士……ランスロット?」
「ピッ」
「違うのかぁ」
なんとなくそれっぽい名前を言ってみたけど、ピィちゃんの判定は不正解だった。
「なぁ、なんでリンはそのモジャモジャが言ってることがわかるんだよ」
気味悪そうにダルが四本指の一本でピィちゃんを指差してくる。
「わたしはピィちゃんの飼い主なんだから、わかるの。……でも、なんとなくだけどね」
「ピィ」
ピィちゃん、本当に可愛いなぁ。
もう、モフモフしちゃうぞ。というか、しちゃってるぞ。
全力でモフっていると、
「わたくしひらめいたのですが、リンが思いついた名前を片っ端から言ってみるというのはどうでしょう?」
「うーん、なんか時間かかりそう」
「アルゴさまは、
アルゴがわたしに期待しすぎているような気がするけど、適当に名前をあげていけば、そのうち正解になるかもしれないし。
「じゃあ、ピィちゃん、今から適当に
「ピッピ」
まかせておけと、ピィちゃんは上下にズルンズルンする。本当に、ピィちゃんは癒やしだ。
「クーフーリン」
「ピッ」
「リチャード」
「ピッ」
「違うのかぁ。チャールズ」
「ピッ」
「アーサー」
「ピッ」
「ジョン」
「ピッ」
思いつくイギリス人ぽい名前をあげてみるけど、ピィちゃんの判定は「
貧乏ゆすりみたいに尻尾を小刻みに上下に振るダルと、ピィちゃんにかまってほしそうな
「もう無理。もう、思いつかない」
「ピィィ」
そんな悲しい声で鳴かないでおくれよ、ピィちゃん。
「マジかよ。アルゴのやつは、リンならわかるって言ってたんだろ」
「そうですけど……」
ダルと
「なんか喉渇いちゃった」
「俺も腹減った。……つか、もうすぐ夜じゃねぇかよ」
「へ?」
びっくりした。
もう夜なんだ。
真っ白い部屋には時計も窓がないから、時間の感覚がおかしくなってるみたい。
そもそも、
朝食しか食べていないのに、まったくお腹が空いていない。
せいぜい、半日くらいしかたっていないような気がする。
「めーし、めーし、めーし」
尻尾を振りながら、ダルは部屋の中にダイニングテーブルセットを用意し始めた。
「めーし、めーし、めーし食うぞぉ」
ダルのイケボだけどでたらめな歌を聞いていたら、なんだかお腹が空いてきた。
「ピィちゃん、わたしも何か食べるね」
「ピィ」
ずっと抱っこしていたピィちゃんを床に下ろして立ち上がる時に、ズボンのポケットにスマホが入っていることを思い出した。
「リンも早く食えよ。生成
「うん、ありがとう」
ダルは昨夜のように立ち食いで肉を手づかみでガツガツ食べている。
わたしは、オムライスを生成してみた。フワトロではなく、薄くしっかり焼かれた卵焼きのオムライス。
「いただきます」
美味しい。わたしが大好きな駅前の洋食屋さんの味だ。中学に入学してから行ってなかったけど、日本に戻ったら行ってみようかな。
半分くらい食べてるのに専念してから、ちょっと行儀悪いけどスマホの電源を入れてみる。
昨日は電源が入らなかったけど、あのアルゴが変なふうにイジってないか気になったんだ。
「あっ……」
「どうしたんだよ、リン」
電源が入った。
急いで残りのオムライスを食べて、ロックを解除する。
わたしが
「圏外、じゃない?!」
試しにSNSのアイコンをタップしてみると、表示された時刻までの投稿が出てきた。
それ以上は何度読みこんでも更新されない。
「もしかして、地球では時間が進んでいない?」
そういえば、帰還する時に、
ネット回線に繋がっているなら、
「リン、どうかしたんですか?」
「ごめん、静かにして。もしかしたら、わかるかもしれない」
「マジ?
「ビィ」
「静かにするです」
ピィちゃんと
いくつか検索に引っかかったウェブページをざっと読んでみると、【イギリス全土に伝わる不吉な妖精】【燃えるような赤い目に黒いモジャモジャの大きな犬の姿】【見た者は死ぬ】【無害なブラックドッグもいる?】などなど。
ピィちゃんが犬らしくない姿をしているのは、【変身能力】のせいかな。中には人間の姿になる
でも、
「ダメだ。次はどう検索すれば……あれ?」
ブラウザのタブがもう1つある。
いつもいらないタブは必ず閉じる癖があるけど、閉じ忘れたのかな。首を傾げながら、もう1つのタブを開いてみる。
「あ、これって……」
断言してもいい。
わたしはこんなウェブページ知らない。
そこには、スコットランドのバラッドが紹介されていた。
カーターホフという場所でバラを摘んだジャネットが、突然現れた青年を助ける物語。
青年は、幼いころに落馬して妖精の女王にさらわれていた。
カーターホフを通る乙女の純潔を奪っていた彼は、自分の子供を身ごもったジャネットに、地獄の生贄に選ばれたから助けてほしいとお願いした。
ハロウィンの夜に、十字路で待ち伏せしていた彼女が馬に乗った妖精の一行の中から彼を見つけ出して抱きしめる。怒った妖精の女王さまが、ジャネットの腕の中の彼を猛獣や燃えさかる炎に姿を変えるけど、彼女は朝までしっかり抱きしめて彼を勝ちとる。
そんな物語。
この物語の青年が
でも、アルゴが
「なにが、答えはわたしの手の中にあるよ。スマホの中って、言ってくれなきゃわからなかったかもしれないじゃない」
足元で丸くなっているピィちゃんを抱き上げて、しっかりと夜明け前の瑠璃色の
「タム・リン。ピィちゃん、
ブルブルとピィちゃんが震えだす。
「ピッ、ピィィィィィイイイイイイイイイイイイイ」
ピィちゃんの輪郭が解けて、わたしを飲みこんだ。
ダルと
意識も黒く塗りつぶされながら、ぼんやりと正解だったと確信した。
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