第五章

ハロワールド 巡る円環 本部

ピィちゃんがぁああああ

 アルゴとペット泥棒が知り合いだということは、確定だ。


 壁や床を走る赤や青の光の数が多い。

 よく見れば、前の部屋よりも広い。天井が高いのは同じだけど。


 というか、ピィちゃんが見つかったって、どういうことだろう。


「えーっと……」


「おやおや、もっと喜んでくれると予測していたのだが、これは困惑、混乱といった感情だろうか」


 また、頭上からちょっとセクシーな王子さまボイスが降ってくる。


「え、えーっと、そのピィちゃんは、どこにいるんですか?」


 そうだ。見つかったって言うなら、取り戻しに行かないと。


「ハロー、ワールド」


 ラッキーワードを唱えるて、天井を飲みこむ暗闇を見上げる。


「それで、ピィちゃんはどこにいるの?」


「現在、ハロ隔絶空間で、ハロ順応ハロ式をほどこしているよ。まもなく既定値に達する。ハァハァ、しかし、久々に吾輩は、怒りという感情を学習できたのも、君のおかげだ。心から感謝するよ」


 ほとんど何を言っているのか、意味がわからない。というか、途中から、変態スイッチはいってる。


「君が探していた犬は、なぜかハロワールドの順応を拒んでいたみたいなんだよ。いやぁ、あの灰色の男グレイマンの言うことも聞かなかったとか、とても興味深いね。興奮するよ。ハァハァ……」


 なんか、ゾワゾワしてきた。

 生首でも目の前にあったら、ぶん投げているかもしれないくらい、生理的に無理な変態口調に耐えなきゃいけないなんて。いくら、セクシーな王子さまボイスでも――いや、だからこそキツい。


 自分たちには関係ないと決めつけたダルとピンポン玉アルゴ995号は、少し離れたところで仲良く愚痴っている。


「お前んとこのボス、あいかわらず何言ってるかわかんねーよな」


「わたくしも、あんな変態に作られたと思うと、恥ずかしくて恥ずかしくて……」


「わかるぜ。俺も、灰色の男グレイマンに憧れてハロ使いになたんだけどさ、巡る円環の実質的な指揮官があれだろ……」


 普段は仲が良くなくても、いつの間にあの二人は仲良くなったんだ、ってくらい愚痴が止まらなくなるのは、この奇妙なハロワールドでも同じらしい。


「ハァハァハァハァ……、それで、吾輩はせっかく生成したボディを破壊された腹いせに、彼の大事な犬を連れてきたのである。吾輩は、平和的な話し合いで解決しようとしたのだがね。なにしろ、彼はちょっと気難しいというか、変わり者だからね。ハァハァ、それにしても、あの犬は、素晴らしい!!」


 勇気出して、話をさえぎるんだハロー、ワールド

 このまま、変態アルゴに喋らせても、ピィちゃんに会えない気がしてきた。


「さすがだよ。彼が執着するわけだ。非常に、興味深い。ぜひ、解剖してみたいね。ハァハァハァハァ……」


 あ、もう無理ハロー、ワールド

 今、この変態、解剖って言った。解剖って。


「あのぉ! 話がよくわからないんですけど、ピィちゃんに会えるんですよね」


「ハァハァ、もちろんだとも。ちょうど、既定値に達したところだからね。ほら、喜びたまえ」


 床と壁を走っていた光が、わたしの足元に集まってくる。

 大いなる暈グレートハロ栄光の暈グローリーハロの目に優しい光じゃない鋭い光に、目を閉じる。


「ピ、ピィ」


 まだ半日しか離れ離れになっていなかったけど、懐かしすぎる鳴き声に泣きそうになる。


「会いたかったよ、ピィ、ちゃん?」


「ピィイ」


 わたしが知っているピィちゃんは、黒いモップに瑠璃色のつぶらな瞳の謎の生命体だ。


「ピィちゃん、だよね?」


「ピッ」


 目の前に現れたのは、黒いモップにはほど遠い姿をした生命体だ。


 四本の足でしっかり立って、モジャモジャしていた毛並みも短くなって、尻尾もちゃんと分かる。ピィちゃんを散歩に連れて行くと、見かけるイタリアン・グレーハウンドにそっくり。

 でも、そのつぶらな瞳は、間違いない。


「ピィちゃぁあああああああああああああん」


 わたしの知ってるピィちゃんじゃないけど、ピィちゃんだ。


「ピィイイイイイイイイ」


 膝をついて、両手を広げるとピィちゃんが飛び込んできてくれた。


「会いたかったよぉ、ピィちゃん。大好きだよ。寂しくなかった? ひどいことされなかった? もぉ、ピィちゃぁあああああああん」


「ピィ」


 がっしり抱きしめて気がついたんだけど、ピィちゃん、ひんやりしている。それに、息してない。


 そういえば、黒モップの頃もひんやり気持ちよかった。息してるとかしてないとか、気にしてなかった。


「ピィ、ちゃん?」


「ピィ?」


 首を傾げるピィちゃんのつぶらな瞳は、間違いなくピィちゃんなのに。なんだろう、この不安は。やっぱり、姿が変わってしまったから。それとも、やっぱりピィちゃんじゃないの。


「ハァハァ、もっと喜んでくれたまえ!! 灰色の男グレイマンから聞いていたが、黒妖犬ブラックドッグの変身能力は素晴らしい。興奮するよ。君は、興奮しないのかい。ああ、慣れているんだね、わかるよ。わかるとも。なにしろ、君は死と不幸をもたらすという黒妖犬ブラックドッグを飼いならしたんだからね。灰色の男グレイマンですら、手を焼いていたというのに。実に素晴らしい!!」


 ぶらっくどっぐ?

 へんしんのうりょく?


「ピィイ」


 わたしが首をひねっていると、ピィちゃんがブルブル震えだした。


「ピ、ピィちゃんっ」


 痙攣していると思って強く抱きしめたら、ポフッと懐かしい抱き心地が……。


「ピィ!」


「ピィちゃんだぁあああああ」


 気がついたら、黒いモップのピィちゃんを抱きしめていた。

 そうだよ、これがピィちゃんだよ。ピィちゃんなんだよ。


「いやぁああああああ!! ピィちゃああああああん」


 もう、全力でモフるしかない。


「ピィ、ピィ……」


「ピィちゃん、そんな嬉しそうな声出されたら、ますます本気出してモフりたくなるじゃないかぁああ」


 モフモフモフモフ……


「リンのやつ、大丈夫か?」


「簡易バイタルチェックしましたけど、異常は特に……」


 モフモフモフモフ……


 トカゲ人間とピンポン玉が、なんか言ってるけどほっといて。


「素晴らしい、素晴らしすぎる変身能力!! ハァハァ……灰色の男グレイマンが長年探し求めるのも、理解できる」


 モフモフモフモフモフ……


 変態も何か言ってるけど、気にしない。

 いや、黒妖犬ブラックドッグとか、変身能力とか、死と不吉とか、気になることはあるけど、後回し。


「今は、本気でモフってあげるからね」


「ピ」


「ピィちゃん?」


 ズルリとピィちゃんは、わたしの腕の中から抜け出した。


「ピィ」


 ただならぬ気配がする。


 ピィちゃんのモジャモジャが、心なしか逆立っている。


 この感覚はいったい――そうだ、思い出した。

 ペット泥棒が公園に現れた時と同じだ。


「やれやれ、もう見つかってしまったか」


 まばたきした覚えはない。

 だから、本当に忽然と奴は現れた。


「……クラガリ」


 ピィちゃんの向こうに現れた灰色のマントの男。


 わたしにとってのペット泥棒。

 でももしかしたら、彼にとって、わたしがペット泥棒なんじゃないかって、その寂しそうな声を聞いて、なんとなく気がついたんだ。

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