どうやら、夢じゃないらしい

 わたしにとって、ピィちゃんはペットのひと言ではすませられない存在だ。

 家族と呼ぶ人もいるってよく耳にするけど、それも違う。パパとママは、今でもピィちゃんのことを渋々認めているだけだし。


 わたしにとって、ピィちゃんは言葉では表現しきれないほど、大切な大切な存在だ。


 だから、ピィちゃんと出会った日のことは、大切な大切な思い出だ。




 ピィちゃんと出会ったのは、小学四年生の転校してすぐの頃。

 それまで暮らしていたアパートから、建て売りの分譲住宅への引っ越しは、市内――それも隣の学区――であっても、当時のわたしに劇的な変化をもたらした。

 何かで読んだけど、十歳になるあの頃は、ちょうど自我が芽生えたりかなにかで、プレ思春期とか呼ばれたりする難しい年頃だった。

 男女一組でくっつけられていた教室の机は、定規で橋が渡せる距離なのに、そう簡単には埋まらない。そのくせ、向こう側の男子が好意とかそういうんじゃなくても気になる。どうでもいいようなことで、相手を見下しあい、共感しあわなければ、すぐにイジられてイジメられる、狭くて厳しい環境――教室をサバイブしている年頃なのだ。


 そんな大変な時に、転校。


 劇的な変化は、いい方向に転がってくれなかった。

 転校生という肩書きが珍しかったのは、最初の一週間もなかった。

 すぐに、どこかのグループに属さなければならなかったけど、引っ越しを機にママがパートの時間を増やしたりで、学校の外も馴染むのに大変だった。

 休み時間をもともと好きだった読書に逃げるうちに、すっかり孤立してしまった。


 孤立したくて、孤立したわけじゃない。

 イジメられているわけじゃないし、嫌われているわけじゃない。それだけは、運がよかった。

 ただ、みんな子どもなりに忙しかっただけだと思う。


 正直、わたしはみじめだった。


 広くなったはいいけど誰もいない家に帰るのは、認めたくなかったけど寂しかった。


 ピィちゃんと出会ったのは、そんな惨めな毎日をなんとか消化していた十月の初め。台風のおかげで、休校になった日。

 昼前には台風も通り過ぎて、午後からは台風一過のきれいな青空が広がった風の強い日。

 二階の窓から、小さな庭のすみに黒いモジャモジャしたものが見えた。最初は黒いモップが風で飛んできたのかと。その時は思った。どういうわけか、いてもたってもいられなくなって、急いで庭に飛び出した。


 近づいてみると、黒いモジャモジャはモップにしては大きすぎた。

 高校生になった今でも、両手で抱える大きさだ。その頃のわたしにとって、それはもっと大きく見えたはずだ。

 風とは関係なく、怯えるように震えていた。

 生きていると直感したけど、不思議と怖くなかった。


『犬、なの?』


 バカみたいな質問だったかもしれないけど、それがピィちゃんにかけた一番最初の台詞。


『ピ、ピィ』


 弱々しい鳴き声が、黒いモジャモジャから、発せられているのだと、すぐに気が付かなかったけど、ちらりと見えた夜明け前の瑠璃色の瞳に、わたしは強く惹かれた。

 きれいなをしているのに、こんなに怯えている。

 守らなきゃって決めたんだ。


『あたし、田村凜子りんこっていうの。ピィちゃんって呼んでもいい? 風強いから、ウチの中に入れてあげる』


『ピィ、ピィピ』


 擦り寄ってきたピィちゃんは、嬉しそうだった。


 ペットなんて飼ったことないし、飼いたいとも思ったことない。そんなわたしが、ピィちゃんを飼いたいなんて言い出したんだ。その夜の我が家の荒れ模様といったら、台風よりもひどかった。

 わたしは、犬と言い張ってピィちゃんを抱きしめて離さなかった。

 犬はワンワン吠えるものだって、もちろん知ってたし、ピィちゃんが犬じゃないかって可能性を、『犬』と言い張ることで心の奥に追いやったんだ。

 守らなきゃいけなかったから。

 パパとママはわたしが『犬』だって言い張る前から、不思議なことにピィちゃんは『犬』だった。ワンワン吠えるあの『犬』だったんだ。


 もともと両親は、よくも悪くも親バカじゃなかった。

 それなりに不満もあったけど、学校行事には必ず来てくれるし、大型連休は一度はどこかに連れて行ってくれる。ただ塾とか習い事を強制したり、学校で何をしたとか、成績とか、うるさくないだけ。

 基本的には、わたしのやりたいようにさせてくれる両親。


 わたしのどこにあんな意地があったのかと、感心してしまうくらい、ピィちゃんを離さなかった。

 結局、うちの両親はわたしが学校に行っている間に、ピィちゃんを捨ててしまおうとしたらしい。

 ところが、だ。

 ピィちゃんは、かくれんぼが得意らしくて、わたしが学校に行っている間にいくら探しても、見つけられなかったらしい。


 気味悪いとわたしの前でも平気で言う両親が、ピィちゃんのことを黙認している理由わけを、中学生になったばかりの頃、ママが教えてくれた。


『引っ越してきたばかりの凜子、全然笑わなかったのに、その変な犬を拾ってから、明るくなったし、友だちもできたし……エサ代もかからないし、ママとパパが諦めるしかないじゃない』


 エサ代どころか、ピィちゃんはまったくお金がかからない。

 ペットフードをいろいろ試したりしたけど、ピィちゃんはまったく食べようとしなかった。

 その代わり、小さな庭の雑草を食べる。それから、家の中のゴから始まる暗黒生物も食べてくれる。電気代の掛からないお掃除ロボットよりも、ぴぃちゃんは優秀だった。

 フンやおしっこも、庭でしてくれているみたいだけど、すぐに土と同化してしまうからか、気にならない。


 本当は犬じゃないんじゃないかって、今でも不安になるけど、ピィちゃんにすり寄られるだけで、不安なんかどっかに行ってしまう。


 そんなピィちゃんが、あの灰色の男ペット泥棒に鳴きながら近づいていった。もしかしたらって考えないでもないけど、ペット泥棒は許せない。絶対に許さない。


 ピィちゃんは、わたしの大切な友だちなんだ。


 ―


 ――


 ―――


 ―――――


 ――――――


 はい、回想終了。


 てか、ここどこですか。

 異世界ってやつですか。


 わたし、ペット泥棒を追いかけてたはずなんですけど。

 あ、もしかして、あの真っ暗になった時、トラックに引かれて転生しちゃったとか。いやいやいやいやいやいやいや(以下省略)、あのせまい道じゃ、即死レベルのスピードでトラックとか無理だし。トラックじゃなくても、無理だし。


 現実逃避代わりに、大切な思い出に浸ったりしたけど、やっぱり現実だよね、これ。


 夢という可能性も考えてみたけど、多分ない。可能性がゼロってわけじゃないけど、ない。

 中学生の頃、自分の夢を自覚してコントロールできる明晰夢めいせきむってのに憧れて、いろいろ試してみたけど、一度も夢で夢を自覚することもできなかった。


 そんなわたしが、空は薄紅色で魚ぽいのが泳いでいるし、葉っぱが一枚もない曲がりくねった黒い木ぽいのとかに囲まれたシュルレアリスムな絵画のような夢で、夢だって自覚できるなんて、ない、と思う。


 なにより目の前にいる二人(?)が、奇妙なくせに、リアルで夢だとは思えない。


 その二人(?)は、トカゲ人間リザードマンぽいのと、妖精フェアリーぽいの小さいの。

 彼ら(?)は、何か会話しているようだけど、何を言っているのか全然わからない。

 そもそも、会話しているの、これ。

 トカゲ人間リザードマン(トカゲって鱗あったけ?)は、青白い爬虫類って顔の横に大きな口から、三つ又の真っ赤な舌をのぞかせながら、シューシューかすれた音を立ててるだけ。

 妖精フェアリーの方は、色ガラスか何かで体ができているみたいで、トカゲ人間リザードマンの肩に座って、風鈴みたいな音がしているだけ。体は小さいのにトカゲ人間リザードマンと同じ位のボリュームで会話(?)している。


 で、わたしは、白銀に輝く冷たい床にペタンと座りこんで、ただ眺めながら現実逃避回想とかしている。


 目を覚まして、もうどのくらいそうしていたか。

 ふいに時間の感覚がわからなくなっているような気がして、ようやくまずい状況だと、背筋を冷たいものが伝った。


「あ、あの……ひゃっ」


 いつまでも座りこんで眺めているわけにもいかない。そう思って、おそるおそる声を出すと、目の前の二人(?)はピタッと口を閉じて、こっちを見てきた。

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