第6話 血狂い
「……無いわね、入り口」
鮮血と紫電が宙を染める中、リセリルカは眉根を寄せながら呟いた。
疾駆を止め、先ほど逆袈裟に薙いだ剣をもう一振いし、僅かに刀身に付いた血糊を落とす。
目を伏せながら、ちらと。彼女は自身の手で
極寒の中、軽装でいるかのごとく、リセリルカは自らを掻き抱く。
(――ああ、
剣を握る掌中には、肉と骨を断つ感触の残滓。
やがて、ぽたぽた、と。実際には汚れていないはずの両手が、赤黒い血液で染まっていき、滴り落ちる。
足元から生暖かい鉄分の香りが広がり、体に染みついていく様な。
血液は際限なく滴り続け、水嵩を増して。全身が、真っ赤に塗れてゆく。
深紅の血糊は、自身の身長よりも高く嵩み、深く、溺れて。
――狂気が、降りてくる。
ヒトを斬る度、リセリルカは全身が血で染まる感覚に襲われる。
彼女はそれがさも当たり前であるかの如く、にぃぃと口端を裂いた。幼い様相には似つかわしくない狂気の笑顔を浮かべる。
――ヒトを殺してでも、為さなければならない事があるのだから。
その為ならば、リセリルカは狂気に落ちることさえ、厭わない。
況してや、相手は盗賊。同情など、欠片もない。
幼少から、幾度も。騙して、殺して。最早、慣れてしまったのだろう。擦り切れてしまったのだろう。
感情の代わりに、狂気が滲みだすようになった。
もう、今では。穏やかに、狂えてしまう。
ただ、リセリルカの与り知らぬところで――心境とは裏腹に、知覚できないまま、彼女の両手はがたがたと震えていた。
***
リセリルカは、ぶんと頭を振り、思考を追い払ってから辺りをぐるりと一周見回す。
石の廃墟の最南端、都市ベルグを円形に囲う高い外壁が見える位置にまで、彼女は足を踏み入れていた。
石製の廃屋群はすでにまばらになっていて、より閑散さを増した古の街区が、枯れた大地を思わせる。
少し真上から傾いている、照り付ける太陽には影が差し始めた。
(読み違いかしら? 見渡した限りだと地下への入り口の様な物は見当たらないわね。……面倒だわ、土魔法で一帯を掘り起こしましょう)
リセリルカは手を掲げ、魔力を練り始めた。
その足元を囲うように白く輝く、幾何文様を幾重にも重ねた魔法陣が展開される。
編み上げた魔法、その名前を発声せんと、幼さを感じさせる小ぶりな唇を――開きかけたところで、彼女が体に纏う紫電がバチリと弾けた。
「あら?」
他人の魔力の存在を感知した己の魔法に、リセリルカは納得がいったような声を上げる。
リセリルカの雷魔法、『
一方、
足元で弾けた紫電はリセリルカに、誰かの魔法の存在を知らせた。
(どうやら地面に
盗賊団が地面に掛けていた幻魔法は、下級幻魔法に分類されるもの。媒介となる物体に魔法を掛けておき、その物体を見た者を幻魔法に掛ける術式だ。リセリルカの視界には、本来そこにあるべき地下通路への入り口が地面に偽装されて映っていた。
(中……いや、下級幻魔法。それにしても、幻魔法使いがいるなんて森林地域には珍しいわ。私の家臣に欲しいぐらいだけれど、盗賊団員じゃあダメね)
掛かっている魔法の等級を見極めたリセリルカは、その解除に着手し始める。
「『
弾けた紫電が指し示すほうに手を翳し、リセリルカは魔法名を唱えた。
――絡まった糸を解くように、白色の輝線が地面から何本も浮かび上がっては、消えていく。
幻魔法陣を構成する最後の輝線が解け切ったとき、隠された盗賊の塒へと向かう地下通路が露わになった。
ひゅる、と暗い地下へ続く通路から吹いて来た生ぬるい風が、リセリルカの頬を撫ぜる。
奥に無数の魔力の気配を感じ取ったリセリルカは、いっそ悍ましい程その幼い口を歪めた。
「さあ、いい加減幕を引きましょう。楽しい楽しい舞踏会に遅れてしまうわ」
リセリルカは言いつつ、階段状になっている通路の奥に手を翳し、『
(十、二十……二十余人程度。正確に分からないのは、壁か何かの向こうに居るから、かしら? ちょっとだけ、遊んであげましょう)
翳した手を下ろしたリセリルカは、風切り音と共に十字に剣を振るい、おもむろに後ろ手に引き絞った。
ぎぎっ、と可動域限界まで腕を引き、一瞬の静止。
紫電がリセリルカの体を跳ねまわり、眩い程の稲光を上げながら剣先へと収斂されていく。
「『
――収斂された光が、バチリと大きく弾けた。
全身に作った溜めを一気に開放。
裂帛と気合と共に地を割砕き、リセリルカは突貫を開始する。刺突の構えを取っていた彼女の姿が、刹那の間に掻き消えた。
悍ましい程の速度の中、目巡るしくうねる地下通路を、リセリルカは地面、壁、天井と足場を変えての立体軌道で駆けていく。
その視界には凄まじい速度で、堅牢な作りの石の壁が迫っていた。
(――
リセリルカは、剣を握っていない左手に魔力を集約。
景色が霞む驀進の最中、彼女は石扉を見据えて二つ目の魔法を行使した。
「『
リセリルカの体躯の三倍ほどもある石扉に、赤錆色の魔法陣が浮かび上がる。
堅牢な石扉全体が錆び付いていくように色が広がり、ぼろぼろと綻びが生じた。
突貫の勢いそのまま、リセリルカは石扉に衝突――撃砕する。
***
「さっきお頭がガキ一人連れて帰って来たんだが、どこ行ってたか知ってるか? なんか疲れてるみたいでよ、聞いたらキレられちまった」
盗賊の塒の中、開けた小部屋で猫背の男が口を開く。
無造作に置かれた調度品の数々。その中で、椅子に腰かけながら木製のジョッキに並々注がれた安酒を煽る、若い男が反応した。
「あー? 確か魔法具店だったか。なんでも、闇市に流れてた良い品の出所が割れたとか言ってたな」
どすっと、若い男の隣の開いた椅子に猫背が腰掛ける。
猫背は懐から燻製肉を取り出し、
「うひゃ、数日はいいもん食えそうだな!」
「バカお前、魔法具って言やぁ
安酒を猫背の前にどんと差し出し、若い男は燻製肉を受け取る。
安酒と燻製肉、酒と肴。利害が一致したとばかりに両者は盗賊らしい下品な笑みを浮かべた。
「いやでもよ、金が入っても食い物や装備が良くなるだけで、
「お頭は足がつくのが大嫌いだからなぁ。ビビりすぎだと思うんだが」
「バカねぇあんたら、盗賊なんて足がついちゃあしまいだよ」
粗末な机に、新たな来客があった。
肌の露出の多い、煽情的な格好の女。その浅黒い肌を見せびらかすように、椅子に腰かけ足を組む。
頬杖をつき、しな垂れかかるその姿勢。
二人の男性盗賊団員は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「団長は誰よりも盗賊をやってんだよ。ありゃあ矜持を持ってるねぇ……少女性愛なのが残念だけど」
「少女性愛?」
女の言葉に、猫背がピクリと反応する。
「ほら、いつもそばに控えてるエイシャとかいう齢十くらいのガキがいるだろう? ありゃあ
「さあ? アンタは居なかったかもだが、二年前くらいにお頭が小さな村から拾って来たんだ。なんでも『金になる』って」
若い男は顎を指でなぞり、当時を思い出すように視線を土の天井に上げた。
「……闇市の人身売買に出す様子もないから、一時期その手の――お頭が少女趣味なんじゃねえかって噂出てたな」
そんな若い男の発言に、猫背は安酒をぐびりと煽って返す。
「俺はこないだ確信したぜ? お頭の『金になる』って意味。件のエイシャちゃんが使ってるところ見ちまったんだよ……」
――何を? という視線を二人から受けて得意げに猫背は答えた。
「白魔法をな――ッ!?」
猫背がそう発した瞬間、小部屋の石製の扉が爆砕した。
爆発音にも似た音を立てて崩れ落ちる扉に、思い思いに寛いでいた盗賊団員達が目を剥く。
「何だ!?」
石扉の一番近くに座っていた若い男が立ち上がり、腰の剣帯から伸びる柄に手をかけた。
バチリと弾ける紫電が、光源の少ない地下の小部屋を駆け抜ける。
錆色の破片が空中に舞う中、驚愕に見開かれた目が幼い侵入者に注がれた。
彼女は突貫の勢いそのままに、若い男に肉薄。
溜めた紫電と共に、引き絞った剣を開放した。
「――――――――――――ッ!!」
肉薄からの踏み込みで地面が放射状にひび割れ、陥没する。
突貫の勢いを余すことなく乗せた一撃が、若い男の鳩尾に吸い込まれた。
「ぁ?」
か細く、一言。
何かを残す猶予が与えられたのは、彼にとって僥倖だった。
貫かれた鳩尾の周りの肉は驀進の一撃と共にえぐり取られ、孔が残る。
「……遅いわね、吹き飛ぶことすら」
ぽつりと、若い男はその幼女の声を聞いたような気がした。
瞬間、自身の胴のみが悍ましい衝撃波と共に小部屋後ろの通路へ吹き飛ぶ。
目まぐるしく流れる景色の中、薄れゆく景色の中。
彼は、地面にうずくまっている黒髪の少年を見つけた。
「……だず……てぇ」
何を口走ったのか、もう分からない。
男の意識は、最後に見た少年の黒髪の如く暗い闇に沈んでいった。
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