第5話 稲妻の王女

 都市ベルグ中央通り。横幅3Mメルトはある、大型の馬車が悠々すれ違えるほどの道幅に、石畳のタイルで舗装された大通りだ。道沿いには、簡素な木製の出店が所狭しと並んでいる。八百屋に雑貨屋、食事処に服屋まで、様々な種類の店屋が客を呼び込もうと躍起になっていた。ぞれぞれの店の看板娘が、快活な声で呼び込みを行う。やがてその声は、通りを行き交う馬の蹄音つまおとに消えていく。


「エリー、ヅィーオ。一刻後に街区南の廃墟に馬車を付けて頂戴?」


 照り付ける正午の日差しが、金色の長髪に輝いて反射する。大通りを行く、馬二匹に引かれる一つの豪奢な馬車。その屋根に座ったリセリルカが、馬に乗る御者に声を掛けた。


「畏まりました、リセリルカ様」


 始めに返ってきたのは、静かに、けれどもぴしりと響く女声。


 首のあたりまでで切り揃えられた栗色の髪。白と黒を基調とした、婦人服ドレス前掛けエプロンが一体となった、『使用人メイド服』に身を包む、長身の麗人。整った顔立ちに、キッと細められた翡翠色の双眸が与えてくる尖った印象を、頭の上にちょこんと乗った頭飾りカチューシャが和らげている。エリーと呼ばれた女性は、少し誇らしげな表情を浮かべ、リセリルカを見返した。


「ご武運を。まあ、心配しては居りませんがね」


 エリーに続いて、年季の入った渋い男声がリセリルカの耳に届く。


 馬に揺られ音を立てる、無数の切創が刻まれた歴戦を思わせる鉄の胸当て。無造作に後ろで束ねられた伸びた白髪から、その男が初老であることが伺える。太い首、巌のような肉体。齢を感じさせる、苦労がにじみ出た皺の刻まれている顔つきとは裏腹に、鍛え抜かれた体は、未だその男が現役の剣士であることを雄弁に物語る。

 ヅィーオの言葉を受けて、リセリルカがくすりと笑いながら返した。


「あら心外ね。こんなにか弱い乙女が一人で、盗賊の根城に行くのよ?」


 ――何がか弱い・・・ですか。そう言わんばかりに、エリーとヅィーオは苦笑した。

 家臣であるヅィーオとエリーからおざなりなはなむけを受け取ったリセリルカは、今一度笑顔を見せてから魔力を練り、魔法を行使する。


「『青色の迅雷』」


 大通りに、小規模の雷鳴が轟いた。

青色の稲妻が、リセリルカの体を包み込み、その髪色は、金色から透き通るような青へと変化。バチバチと体全体に帯電する電気を脚に集中させ、馬車の天井を蹴り、出店の屋根に飛び移る。

 魔法の名の通り、青い迅雷と化したリセリルカは、街区のはずれに向かい屋根伝いに駆けていく。風を切って、馬の脚より速く悪路を駆け抜けていく彼女を、見上げる住人達の驚きの表情が見送った。

 屋根の平坦なものや、雨水のたまらない様傾斜の付いたもの。他国では物珍しい二階建ての平民住宅は、数多の建築様式を誇る都市ベルグの技術力の高さを伺わせる。流れていく家々を横目に見ながら、リセリルカは思考を始める。


(テイン・ツィリンダーの息子……ケルンだったかしら。彼が持っていた『伝音でんおん器』から聞こえて来た、盗賊どものねぐらの場所。地下ということと、廃墟ということは分かったけれど、具体的な場所は判明してないのよね……まあ、虱潰しに探していけばいいのだけど)


 並ぶ民家の内、煙突がある一件が、目まぐるしく変わる彼女の視線に留まった。あわや屋根を割砕こうかという勢いで片足を踏み込み、跳躍。青い輝線が、都市ベルグの上空を架けていく。


(……あら? 跳びすぎたわ)


 煙突天辺のわずかな足場に狙いを定めた彼女だったが、予想着地点が煙突を超えてしまった様子。リセリルカは空中で身を捩り、反転。片手に持った抜き身の直剣を煙突に引っ掛け、勢いを殺す。剣が体重で折れてしまわない様に、空いている片手を煙突の天辺にかけ、足を振り上げて華麗に上りきる。

 その金眸の眼下に広がるのは、一階建ての荒廃した石の街区。


 都市ベルグは、森林地域において最も敵国に近い都市である。今は停戦しているが、森林地域は草原地域と戦争をしていた時代があった。交通の便の為、各国の魔法技術の粋を集めて作られた、『転移ゲート』も封鎖。侵略し、される時代。都市ベルグは、その矢面に立たされた。木造の建築物は、耐久性に乏しかった。戦争ともなれば、主要都市を狙った長距離、高威力の魔法が届くこともあるのだ。

 ここで、白魔法と呼ばれる、対魔法の障壁を貼ることができる魔法がある。都市ベルグには、その防壁が張られていて、未だ破られたことはない・・・・・・・・・。だが、巨大な魔法同士が衝突する衝撃は、地鳴りの如く都市中を震撼させ、障壁に阻まれた魔法の残滓は、ベルグの外周及びその街並みに降り注いだ。そういった背景から、未だ人が寄り付かない石の廃墟がベルグには残っている。


(結構広いわ……あれが廃墟ね。足を使って駆け回るのは、時間がかかりすぎるか。盗賊がケルン・ツィリンダーの『伝音器』に感づかないとも限らないし、今回の騒動で根城の撤収を始めてないとも限らない。時間との闘い……根城の正確な場所を漏らしてくれる、愚か者がいてくれればいいのに――仕様がないわね)


「『紫電纏繞しでんてんじょう』」


 リセリルカが纏う青色の電閃が、紫色を帯び始める。紫紺の輝線が木の枝の如く伸び始め、高音域の異音が弾けた。整えられた長髪が、金から青、さらに紫へとその色を変化させる。

 彼女が閉じた手を二、三度握りなおすと、それに合わせて纏う紫電も掌中で踊る。雷魔法を制御する感覚を呼び起こすように、リセリルカは一度、天に向かって手を掲げ、目を閉じる。


「『紫電波レーダー』」


 リセリルカの掲げた手から、円形の紫電が波のように広がっていく。同時に、風が凪ぐように体に纏う電気が鳴りを潜めた。何度も、同じ周期で紫の光を放った後、リセリルカは数舜停止。集中し、帰ってきた紫紺の電波を体で感じ取る。


(生体は2つ。電波は地下までは届かないけれども、盗賊の塒の入り口に見張りが居ないなんてあり得ないでしょう。――近い方から、ね)


 大まかな二つの生体の位置を、リセリルカは感じ取っていた。一つは、南一帯に放射状に広がる石の廃墟中央に。もう一つは、その廃墟からさらに南、都市ベルグの円形の外周壁付近にある、街区の最南端に。

 リセリルカは紫電を脚に集中させ、膝に溜めを作り、大きく跳躍した。彼女が身に着けていた白いタイツがバリバリと盛大に伝線する。それを気にするでもなく、手に持つ直剣を握り締め、前だけを向いて――跳躍したリセリルカの目が、標的を捉えた。

 彼女は空中で剣を上段に構え、紫電を刃に溜める。

 剣を振ると同時、対象を感電させることで動きを止め、剣による致命傷を与えるリセリルカの技が――標的に迫って、放電されようかというところでピタリとその動きを止めた。

 見開いた目を少し細め剣を下ろし、地面に着地。次いで身に纏っていた紫電を解除した。紫に染まっていたリセリルカの髪に、金色が戻っていく。


「どうしたの? こんな廃墟に一人でいるのは危ないわよ、貴方」


 跳躍したリセリルカの前に居たのは、ぼろぼろの身の丈に合っていない外套を着た、年端の行かない少年だった。凄まじい勢いで眼前に現れたリセリルカを警戒するように後ろに下がりつつ、彼は言葉を紡ぐ。


「……妹を探してる。一月前に、居なくなって」

「――そう。私は丁度、この周辺にある盗賊の根城を探していてね。もしかしたら其処に居るのかもしれないわ」

「本当か!?」


 リセリルカが返答にかぶせるように、彼は食い気味に返す。下がっていたその足が力強く数歩彼女に向けて踏み出された。彼のその縋るような視線を真っすぐに受けても、金色の瞳は揺らぐことはない。ただリセリルカは、ありうる事実を淡々と述べる。


「あまり、期待はしないことね。良くて闇市に流れたか、悪ければ死んでるわ。貴方、私と同じくらいの齢でしょう? 妹なんて、慰み者にすらならないでしょうし」

「そん、な……そんなぁ!!」


 声を震わせ、少年の膝から力が抜けた。――盗賊に喧嘩を吹っ掛けるなど、力のない子供には自殺行為以外の何物でもない。地面を見つめ、少年は己の無力を嘆くように拳を枯れた地面に打ち付ける。暫くそれを見つめた後、リセリルカは口を開いた。口元に憐憫れんびんの微笑を浮かべて。


「――私はもう行くわ、時間がないの……心配しないで。盗賊は殲滅するし、もし無関係の人がいるのなら全員助けるわ。弱者・・は、必ず私が守ってあげる――貴方も含めて、ね」

「僕は……僕はっ」


 彼の言葉の続きは、発されなかった。この場において、少年はどうしようもない弱者だったからだ。妹を助ける力がなく、随行しようがリセリルカの役に立つこともない。

 だが、彼は愚者ではなかった。無力を自覚し、何もできないことを悔いている。子供の駄々でなく、状況を理解した上での合理的判断だ。

 リセリルカは、再び紫電を纏う。少年の細い悔恨の声は、強者の彼女には届かない。届かなくてもいい。なぜなら王にとって、弱者とは守って当然の存在だから。少年の意地も、屈辱も、無念も、等しく、ひっくるめて、弱者のさえずり。

 リセリルカは、弱者で在る者に対して、身を張って守り、慈しむのみ。

 間違っても、同じ価値観を持ったりはしない。


 ――疾駆するリセリルカは、目的地を捉える。

 鉄の直剣に電撃を乗せつつ、己の体を紫に帯電させ、『紫電波レーダー』が示したもう一つの生体の場所へ。

 

 ゲリュド魔法盗賊団、その根城の見張りである一人の男は、大きな欠伸を一つした。

 灯台下暗し。巷を騒がせる盗賊団の根城が、都市内にあるなど誰が想像するだろか。それに、魔法で偽装工作された入り口に、見張りなど要らないのに、と。

 心の中で悪態を吐きながら、ぼうっといっそ清々しい青空を眺めていた。


 見張りの貧乏くじを引かされた団員は、眉を寄せた。

 バチッと地を這う紫紺の電鞭でんべんが、彼の視界の片隅を灼く。

 彼に与えられた任務――根城に近づくものがあれば、その接近を地下に居る盗賊組員に知らせること――それを最優先に果たそうと、慌てて笛状の魔法具を懐から取り出す。

 団員に敵襲を告げる警笛を口に運んだところで、その両目が驚愕に見開かれる。目と鼻の先に迫ったリセリルカから、知覚できない速度で紫電が走り、動きを強制的に停止させたのだ。


のろ過ぎよ、見張り位しっかりやりなさいな」


 ――刹那、直剣の銀色と紫紺の輝きが、警笛ごとその首を飛ばした。

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