第4話 盗賊と少女

「――おい、盾になれぃ」


 氷針を前に、ゲリュドは仲間一人の体をその両の剛腕で引き寄せる。自らはしゃがみ込み、暴れ、喚き散らす盗賊団員を矢面に立たせた。

 粗末な人間の体の傘一つでは、打ち付ける雨によって手足が濡れてしまうのも道理。ゲリュドは心の内で悪態をつきながら、ある程度のダメージを覚悟した。

 ――背後で、今まで沈黙を保っていた最後の構成員が、「はぁ」と場にそぐわないため息を吐く。


「……おい巨漢、もっと身を屈めなさい」


 残った盗賊団構成員の一人。目深に被った黒外套がいとうのフードの奥から、掠れた女声が零れた。仕様がないといった声のトーンとは裏腹に、ぎらつく眼光で氷の針を見据える。

 傷だらけの両手を虚空に掲げると同時、幾重にもなる幾何文様――魔法陣が展開。

 ゲリュドの開いた背面をカバーするように、彼女もしゃがみ込んで針に備える。


「魔法壁か」


 展開する水色の魔法陣を見て、微かに眉を顰めたテインの呟きが漏れた。直後、


 ――豪雨が、二人を打ち付ける。


 肉盾から迸る真っ赤な血が、ゲリュドの体を染めていく。反面、魔法陣という巨大な傘を持つ黒外套の女は、一点の汚れさえその身に許さなかった。

 肉塊がズタズタに裂かれながらも、氷の針を体内で止め、ゲリュドを守る。

エイシャを守る魔法壁も、甲高い音と共に針を弾いていく。


「……お前ぇを拾ったのは大正解だったなぁ、エイシャ」


 ゲリュドは気分がいいとばかりに目を細め、背後の少女の名を呼んだ。



 ――森林地域には、森中に住人数百の集落が点在する。

 赤髪の少女、エイシャが住んでいた名もない集落は、当時魔物の襲撃にあっていた。


 鋼殻蟻シェルメタルアントという蟻型で、鉄剣を弾く、艶消しの黒く硬い装甲を持つ魔物。

 だがこの魔物は剣には強いが、魔法には弱い。

 とりわけ熱に弱く、火魔法で撃退できる弱い部類の魔物だった。


 小集落と言えど魔法と魔物の知識が無いわけではなく、弱点属性の魔法を扱う者も村には住んでいた。

 『守衛』と言われる――森林地域主都フォルロッジ召し抱えの宮廷魔術師団から派遣される、村の守護を一任された者が。


 その年は、近年稀に見る大飢饉だった。

 日照りが続き、穀物も育たない。その年の鋼殻蟻シェルメタルアントも集落の村人同様、飢餓状態である。

 魔物といえども多少の知性は備えているが、それは食欲に勝るものではない。

 反撃にあうともしれない――だが食料にはあり着ける。ヒト種の集落を襲うのには、こらえきれない食欲だけで充分であった。

 

 黒い波が村を飲み込むタイミングも悪い。

 集落で発生した強盗犯が、魔法盗賊団ゲリュド内部の者という情報を中央主都フォルロッジに伝えるために、守衛が村を離れていたのだ。


 黒い波は忽ち集落を飲み込み、蹂躙を始めた。空腹の鋼殻蟻シェルメタルアントにとって村人は格好の食物であったのだ。口からギ酸を吐き出し、強靭な顎で肉を裂く、黒い暴力。死肉は蟻の糧となり、体内の魔核を一層大きくする。


 エイシャは、当時よわい八と半年だった。

 鍬を持って自分の為に身を張った父と、自分を抱きしめたまま酸に侵され動かなくなった母。

 肉親と知り合いの成れ果て――夥しい程の遺骸の中で、呼吸を殺して震えていた。黒蟻が死肉を漁っていくのをぼうっと眺めながら、いつ自分がその毒牙にかかるか。それだけを考えて。


「ぃやだ、やだああああっ!!!!」


 ――死肉の海をかき分けて、黒い死神がエイシャに群がってくる。

 どうせ死んでしまう、分かっていながらも彼女は狂乱し、捕食に抵抗した。蟻の脚に生える何本もの棘が、彼女の体に無数の赤線を刻んでいく。


 ――ただただエイシャは怖かったのだ。

 誰一人生きていないであろう人の海の中で、文字どうり人知れず死んでいくことが。エイシャという名前を、誰一人覚えていないことが。死んでいった者たちの記憶を、世界中誰一人持っていなくなることが。


「――っ!!」


 黒蟻の顎が、エイシャの眼前で大きく開かれる。暴れる自身の体とは裏腹、諦念を映すようにその瞼がゆっくりと閉じられた。


「な……に??」


 突如、何の脈略もなく火焔が巻きあがった。

 瞼の向こう側に感じる熱に、エイシャは目を見開く。その瞳に、火焔の如き赤い光が灯った。

 誰かの放った、指向性を持たない熱波が八方に広がり、黒蟻の艶消しの硬殻をひび割れさせていく。粗方鋼殻蟻シェルメタルアントを焼き尽くしたとき、大男が一人、現れた。

 口角を下品に上げ、彼の後ろに付き従う手下たちと共に、住人を失った家屋から金品を奪っていく。


 ゲリュド魔法盗賊団は、鋼殻蟻シェルメタルアントを利用して村人の掃討を行ったのだ。『集魔香しゅうまこう』――冒険者の間で使われる、魔物寄せの香を村の周囲に撒くことで蟻を誘導し、村を襲わせた。


 盗賊のおかげで集落は廃村と化し、両親も死んだ。だが、盗賊のおかげでエイシャは救われた。自分が知る者の、確かに生きていた記憶も。


 ――残ってしまったこの命、どう扱ったものだろうか?


 エイシャは金品を抱える盗賊の頭に向かい、同胞の血で全身を染めながら、傷だらけの全身を起こし、震える声で、言った。


「……あなたを、あなたを殺します」


***


「――あなたを殺すのは私です、言ったでしょう? 絶望の一瞬を選んで命を奪うと」


 盗賊の頭の呼びかけに、帰ってきたのは感情を押し殺した殺害宣告。エイシャは射殺すような流し目を、背後のゲリュドに送った。


「ハッ! ……もったいねぇなあ、あの盲目のガキもお前みたいな復讐鬼なったかもしれん――っと、」


 ――雨が晴れたようだぜ。

 そう言おうとしたゲリュドは、瞠目した。

 視線の先には、自分が持てる渾身の魔法が直撃したにもかかわらず、健在の失神した少年。

 身を包む灰色のローブは焼け焦げているものの、無防備に大きく呼吸をしている。

 その光景を見た瞬間、彼の盗賊の頭としての嗅覚が、猛烈に働いた。


(――加護か? いや、魔法を軽減する加護があっても、あの炎を受けて損害無しはあり得ねぇ。とすると、魔法具か? ……どちらにせよ、ありゃあ金になる)


「おい、エイシャ。あの小僧、盗るぞ」


「私に指図しないでくれますか、豚野郎」


 魔法壁を解いたエイシャが顔も向けずに返答。

 彼女は、ゲリュドとは異なる方向――テインの方に視線を向けていた。


 原因は、違和感だ。

 先刻、テインが見せた氷塊を打ち出す魔法、『氷飛礫アイスバレット』は人の頭を吹き飛ばすほどの威力を誇っていた。

 それに比べて、今の『氷針アイスピック』はゲリュドが盾にした、構成員一人殺すのがやっとの威力。

 人間一人を貫通し、ゲリュドに損害を負わせる威力もない。

 とても、息子を見捨てる所作までして放つ魔法ではないと思えたのだ。


 ――何か、何か妙だ。

 そこまで思考したところで、エイシャの耳に、図体に似合わない小声が届いた。


「エイシャ、『転移石』でねぐらまで飛ぶ。あの氷店主は面倒だぁ、小僧だけ攫って強請ゆするぞ」


「待ちなさい!!」


 ――言うが早いか、ゲリュドがケルンに向かって飛び出す。エイシャの制止など耳に入っていない。

 その動きに合わせて、テインが先ほどと同じ氷針を打ち出さんと手を掲げた。


 ゲリュドが、価値のある金品を前にすると正確な思考ができなくなることは、エイシャとて頭に入れていた。

 伊達に、盗賊として同じ時間を過ごしてはいない。

 それがいつの日か、致命的な判断ミスになることも。

 ただ、憎き同胞の敵にそれを指摘してどうしようというのか。

 そんな思いがエイシャの中に存在していた。


 ――でも、どうして。どうしてあの男に危機が迫るたびに私は、守ってしまうのか――


 矛盾を抱えた自分の心と行動。答えが出ないまま、エイシャは此処にいた。

 ――「あなたを殺すのは私だから」「一番の苦しみを受けるように、絶望の一瞬を選んで殺します」


 ――だから、ゲリュドを守る? 

 自分の敵が、他人に殺されないように……違うだろう?

 ――私はただ、孤独が怖かっただけ。盗賊だろうが何だろうが、一緒に居てくれる人が欲しかっただけ。誰もいなくなってしまって、すがるものがいるほど弱っていた私の心を、復讐心という体のいい殻で覆っていただけ――


 魔法を行使することができるヒト種は、思考速度が上昇する。

 剣の達人が、一瞬を何秒にも感じ取れるように。


 一瞬の内で、己の心情を考えたエイシャは、すぐにその思考を打ち捨てた。


「くそっ!!」


 店主の動きは何かおかしい、そう分かっていながらも、エイシャは氷針を防ぐために魔法壁を展開するしかない。

 多重構造の魔法陣の一部を分離、店主とゲリュドの射線上に割り込ませる。ややゲリュドに量が寄った氷雨が、両名に降り注いだ。


 ――やはり、軽すぎる!!


 伝わってくる手ごたえは、先ほどよりさらに弱い。それでいて、丁度ゲリュドを守る自分をその場に縫い止めようとするかの如く――自分の息子が連れて行かれるのを、待っているかのような。


 ゲリュドとケルンの距離差が、2メルトを切った。息子に迫られているというのに、店主に然したる動揺は見られない。どう見たって、異常だ。

 つまりそれは、予定調和だということ。

 ここまでの流れが、仕組まれていたということ。

 あの子供には、何か仕掛け・・・がされている。


「やはりそれが狙いですか!? お頭・・、転移は罠です!!」


 思わず出たエイシャの叫びは、氷針を弾く甲高い音にかき消された。

 数舜後、ゲリュドの手がケルンに触れる。


「ははは!! ようやく手の内だ。『転移パス・モーメント』」


 ゲリュドは、左手でケルンに触れ、右手で『転移石』を頭上に掲げた。転移の瞬間、テインに顔を向け、嫌らしく口角を上げる。

 ――俺の勝ちだぁ、と言わんばかりに。


「また会おうぜぃ、着流し野郎」


 厭味ったらしく放たれたその言葉に、テインは眉一つ動かさなかった。消えたゲリュドを追うそぶりなく、『氷針アイスピック』を打ち出し、エイシャの脚を止めながら眼前のカウンターを飛び越える。彼は氷雨を止ませないまま悠々と着流しの懐から脇差を抜き、エイシャに話しかけた。


「君は頭が回るようだな、頭目ゲリュド・・・・の右腕か何かか?」


 その言葉を受けて、エイシャは顔を顰める。


 ――確定した。

 この店主は、自分たちが何者であるかを知っている。

 当然、盗賊団が行う人身売買の噂も耳にしているはずだ。

 その上で、息子を当然のように手放した。

 つまり、救う手立てを用意しているということ。盗賊団の根城を突き止めることが可能ということ。いや、既に場所は割れているのかも知れない。


「やはり何かしらの罠ですか!!」


 エイシャは、片手のみで魔法陣の制御を行い、懐の『転移石』にもう片方の手を伸ばす。

 ――今ならば、今ならばまだ。

 塒に転移し、ゲリュドに伝えることができれば、間に合うかもしれない。

 どんななのかは予測できない。

 ただ、何が罠なのかは明白である。

 店主がわざと攫わせた、あの盲目の子供だ。


 エイシャは、片手で石を掲げんと手を伸ばす。


 ――瞬間、手に持った『転移石』のみが宙を舞った。


 テインは脇差を振り切った状態で、その冷たい目を油断なくエイシャに向けていた。数歩を駆ける瞬発力に、小さな石のみを狙う技量。浮かんだ疑問は、圧倒的な不可解。


「なんで、あなたほどの……いつでも、いつでも殺せたでしょうに」


 エイシャは、一瞬で自身の眼前にまで距離を詰めたテインに目を見開く。

 氷雨は止み、物理攻撃を無効化できないエイシャの魔法壁はもう意味を成さない。そしてこの距離では脇差の一振りで、首が飛ぶ。それが分かっているから、動けない。代わりに、エイシャの口をついて出たのは圧倒的な疑問だった。


「魔法盗賊団ゲリュドは、次期『都市台としだい』のお方が殲滅する」


 店主テイン・ツィリンダーが答えになっていない言葉を返す。直後、明るい少女の声が彼の着流しの内から響き渡った。


『盗賊団の場所が割れたわ!! テイン・ツィリンダー、上手くやったみたいね』


 『拾音じゅおん器』が拾ったのは、金声玉振の調べ。

 『都市台』と呼ばれる、都市長の座。その就任祝いが行われる舞踏会場へ向かう馬車の中、その身を豪奢なドレスで着飾って、絹糸が如き金色の髪を棚引かせた少女。彼女は『伝音でんおん器』を口に当て、顔を綻ばせた。

 馬車内の後部座席に無造作に放り置かれた、流麗な直剣をその華奢な手で抜刀する。刃が光を反射する銀の輝きを暫し眺めた彼女は、再び『伝音でんおん器』に向かい、言葉を発した。


『――それじゃ、出るわ。リセリルカ・ケーニッヒがよろしく言っていたと、貴方の伴侶に伝えて頂戴。……あ、『空間魔法の禁書』は主都魔法禁書館から持ち出さないで、捕まるわよ。とも忘れずに伝えておいてね』


 ――ぷつりと、『拾音じゅおん器』の環境音が途切れる音。


 それを聞き終えると、テインは抜いていた脇差を着流しの中に収めた。

 短くため息を吐きながら、混乱を極めるエイシャに背を向け、一言。


「俺の仕事は終わった、君は好きにしろ。戻って死ぬなり、逃げ延びるなり」


 そう言って、店内に回っていた火の手を、気温を下げて消化した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る