第3話 魔法具店内にて

 定時を告げる鐘楼の音が、都市ベルグの街区を駆け巡った。

 石で舗装された道を歩くヒト、作業に従事する獣人、都市壁の外で狩りをする長耳族エルフが、一瞬顔を上げその音に反応する。

 やがてその音は、青く澄み切った空へと消えてゆく。


 雑多な種族の大人や子供。

 活気ある大通り。

 怪しげな裏路地。

 木製の住宅街。

 都市を囲む高い都市壁。

 さらにその向こうには、広大な森林が広がっていた。


 ここは森林地域が都市、ベルグ。

 雑多なヒト種、活気ある街区、豊かな森林に囲まれる、森林地域が要所だ。


***


 ――世界が六つに分かれる記述は、各地域・・に現存する最古の書籍に記されている。

 ヒト種と呼ばれる知性体は、その分かれた六つの地域に散らばった。


 舞う砂塵と蜃気楼に守られた秘境、砂漠地域に。

 海産と船による物流で栄える、海域に。

 遊牧の民族が暮らす、草原地域に。

 白銀しろがねに吹雪舞う、豪雪地域に。

 灼熱と溶岩、希少鉱物の産地、火山帯域に。


 ――そして。土木産業、建築技術が売りの、森林地域に。


 各地域には国があり、その国一番の魔法使いが王として君臨していた。


 六つの地域、その中の森林地域に、都市ベルグという町がある。

 起伏の少ないなだらかな山地の、訪れるものを迷わす森中に位置する都市だ。

 広域、円形に木々を刈り取りできた土地に、作られた街並み。

 森の中という立地とは裏腹に、都市ベルグは現地のヒト種が興す市で賑わっていた。


 その喧騒の絶えない街区の片隅に、ぽつんと佇む魔法具店。

 店先に掛けてある木製の看板には、森林地域の言語で『ツィリンダー魔法具店』という文字が。


 その店は、店主テイン・ツィリンダーが作る謹製の魔法具を提供している。

 高価な掘り出し物もあれば、役に立たないガラクタも交じっている、店主の趣味で売られる魔法具の数々。


 都市ベルグには、魔法具を作る者は珍しい。

 決して森林地域における魔法教育の水準が低いわけではないのだが、魔法陣の構築知識と、それを素材に刻む技術は別物で。

 それゆえこの店の主は、優れた技術力と魔法陣の知識を持った生粋の魔法具職人なのだ。


 ――そんな希少な魔法具だ、当然邪な心を持ち、狙う輩が存在した。


 魔法具店へと続く木扉の先。

 店内のカウンターには、漆黒の髪を持つ少年が一人ぽつりと座っている。


 黒で縁取られた、焦点の合わない白い目。

 仕立てが良いとは言えない、少し解れ、ダボついた灰色のローブ。

 足元には、履きつぶした茶色のブーツ。

 ぼうっと店内の一点にその白磁の双眸を向け続けていた彼は、不意に外につながる木製の扉に顔を動かす。

 目の見えない少年の耳は、店先の石畳を叩く微かな足音を拾っていた。


 (――お客さんだ。足音は……五? いや六人かな)


 彼は、父が作成した魔法具である『伝音でんおん器』を口元に当て、言葉を発する。


『父さん、お客さんだよ』


 魔法具店の裏手にある工房に籠り、新作魔法具の仕上げに着手していた店主は、耳元の『拾音じゅおん器』から聞こえる息子の声に顔を上げた。

 清涼感のある水色の着流しの懐から、漆黒の髪を持つ少年が持っていたものと同様の魔法具を取り出して、告げる。


『分かった。すぐに行くから対応していてくれ、ケルン』


 『伝音でんおん器』と『拾音じゅおん器』――火山帯域で取れた、特殊な魔黒曜まこくようという鉱石に魔法陣を彫り込んだ魔法具だ。

 それぞれの石に音を伝える機能と、音を拾う機能を持っている。


 『拾音じゅおん器』を耳に当てていたケルンに、父テインの声が届いた。彼は魔法具を懐へ仕舞いなおし、ひじ掛けのついた椅子から慎重に両足を地につけ、立ち上がる。


 客を出迎えようと、カウンターの前に出たところで、――――


「――おいガキィ!! 魔法具はどこだッ!!」


 ――バキィィッッ!!

 破砕音が、広いとは言えない店内に響き渡る。


 店中へと続く扉が、怒声と共に蹴破られたのだ。

 木扉が、音を立てて地に倒れる。

 普段聞くことが無いような怒声と音に、ケルンは眉を顰めた。


(……怖い。声のトーンが怒りのそれだ。それに多分、ドアが壊された)


 それでも彼らはお客様で、杜撰ずさんな対応をして父の顔に泥を塗るわけにはいけない。

 恐怖を押さえて、ケルンは言葉を続ける。


「――いらっしゃいませ、今父を呼んでおりますので」


 ――ケルンの言に対する先方の反応は、激的であった。

 だんっ、と、足音高く彼らの一人がケルンに近づいた。


 ツィリンダー魔法具店に訪れたのは、ケルンの予想どうり六人組。

 いずれも外套を目深に被り、腰にはそれぞれ獲物を帯びている。

 その中の一人、ひょろりとした高身長の男が眉を寄せ、ローブの襟を掴んで吊るし上げた。

 ケルンの体が浮き上がり、その少女のように華奢な首がギリギリと締まっていく。勢いそのままに、男はわめき散らす。


「舐めてんのかぁ? ああっ!? この恰好が客に見えるかよ!?」


 視界を持たないケルンの脳内は、混乱を極めた。

 急に襲って来た喉の圧迫感、痛み。状況を理解できないことへの、形容できない恐怖が心を苛む。


(――息ができないッ!! なんだ、何をされてるんだっっ!?)


「うぐぅっ……ッッ!! すっ、すみませんっ、俺は目が見えないんです!!」


 ケルンが締まる首から、か細い息を震わせてそう言い放つと、男は気色悪そうに顔を顰めた。ケルンのローブから手を放し、汚物を触ったかのように手を衣服で拭う。


「……チッ、てめえ欠損者、、、かよ!! クソが、呪い、、が移ったらどうすんだぁ!?」



 ――欠損者、欠損者欠損者欠損者欠損者欠損者欠損者欠損者欠損者ッッ!?

 そう言われた瞬間、ケルンは頭がカァッとなった。



 (俺はッ……いつもそう言われてきた。体の障害を嘲る、最大級の侮蔑だ。ただ目が見えないだけなのに、父さんと母さんに聞いても、俺の体は他人と違っていないはずのに、呪われている・・・・・・欠損者の体だ、とッ!! 体に障害があって、それが治らないものであれば、それは呪い・・だと。――何が、何が呪いだよッ!?)


「――俺の体は、呪われてなんかいないッ!! この目は生来の物だ!! 両親がくれたこの身を馬鹿にするのも大概にしろォ!!」


 ――非力な拳を、ギリリと握り締めた。

 胸の内の怒りに任せて、ケルンは目の前に居るであろう男に飛び掛かる。

 見えない暗闇の中は、健常者であれど、走れない。まして地面を見たことの無い全盲者は、走ることなどできようはずもなく。


 どてっ、と。

 無様に、格好悪く。

 勢いそのままに、ケルンは店内の床を舐めた。


「ひゃはははっ!! なんだコイツゥ?? 何もしてねえのにコケやがった、何にもないところでぇ!!」


 醜態は、嘲笑を買った。

 顔の見えない悪魔が、笑う、嗤う、嘲笑う。

 耐えきれない自分の情けなさが、ケルンの心を蝕んだ。


(――俺は、なんで……なんでこんなにも弱いんだっ。馬鹿にした奴をぶん殴ってやることさえ、できないのかよ!!)


 悔しくて、情けなくて。

 食いしばった歯を軋ませながら、涙腺から発露しようとする激情の雫を必死でせき止める。

 それでもどこかで、「仕方ない」と納得してしまっている自分がいた。


(……本当は分かってるんだよ、俺が何も出来ない無能って事ぐらい。ちょっと歩けば転げて、怪我をして。運動ができないから、学を付けようったって、本すら一人で読めない。……仕方ないじゃないか、健常者がする"努力"だって、俺は満足にできないんだから)


「――――でも」



 情けなさで俯きかけたその顔を、ケルンは歯を食いしばって嘲笑が響く方へと向けた。



 ――それでも、それでもケルンは、我慢ならない。許容できない。

 欠損者という侮辱は、一人では生きられないケルンを育ててくれた両親をも蔑ろにするからだ。

 認めてしまえば、自分は本当に生きる価値すらなくなってしまう。

 だから、無様でもなんでも、声を上げなければ。

 自分はまだ折れてないと、そうやってでしか、主張できないから。


「何も知らないくせに、見えないことがどれだけ怖いか分からないくせに、笑ってんじゃねぇ!!」


 今だけは情けなさを飲み込んで、ケルンは床に付いた手に力を込め、上体を起こす。歯を食いしばって、見えない恐怖から己を奮い立たせる。


「――うぐっ!?」


 どすっ、と鈍い音が、どこか遠いところでケルンの耳朶を打った。

 起き上がりかけたケルンの鳩尾に、剣の石突きが埋まっていた。

 肺の中の空気が、かすれた声と共に全て吐き出される。

 真っ黒に染まった視界では、意識を失うことすら知覚できない。

 思考の停止だけが、失神の証左だった。


「――小僧ぉ、もう黙ってろ。流石に哀れすぎる」


 六人の内、無精髭を生やした大男が抜刀した剣を帯に収める。

 意識を失ったケルンを見下し、吐き捨てた。


「ゲリュドのお頭、いいんですかい? 魔法具の在処を聞き出せてませんが」


 ケルンを笑ったひょろりとした男が、ゲリュドという名の頭に問うた。

 彼はつまらないことで意見してきた下っ端を、髭を撫でながら一睨み。


「言わねぇよ、こいつぁ」

「はぁぁ? こんな弱っちいガキですぜ?」

「何年も盗賊やってるせいで分かぁんだよ。生きようって欲がない奴ぁ無謀で、何も吐かねぇ。お前ぇに噛みついてきたのがいい証拠だ……ガキは人質に使える、背負ってけ」

「分かりましたよぉ……」


 高身長の男が嫌々ながらケルンに手を伸ばす。

 ケルンが体に纏うローブにその手が触れようとしたところで、ピタリと静止した。

 男が自身の手を見ると、伸ばした指の末端が、紫色に変色し始めている。


「なんだ……? 手がっ!?」


 ――異様な冷気が、店内を包み込んだ。

 店の裏手に繋がる石扉から、水色の着流しを着た、淡い緑髪の偉丈夫が顔を出す。

 店主テインは、怒りに燃える形相で六人を見据えると、先ずケルンに手を伸ばそうとしていたひょろ長い男に手を向けた。


「『氷飛礫アイスバレット』」


 魔法陣と共に氷塊が六つ、テインの前に顕現する。

 高音域の異音と共に、一つの氷塊が回転し、その体積を増した。

 氷が大きくなるにつれ、店内の温度もさらに下がっていく。

 氷塊の回転数と大きさの上限に達したのを感じ取ったテインは、容赦なく氷の弾丸を、――――


 ――――パキン、と。

 水たまりに張った薄氷が割れる様な儚い音と共に、射出した。


 店の床が凍り、足を束縛されて身動きができない男は、凍える息で最期の言葉を発する。


「お、お頭、助け――」


 ――ぐしゃぁぁぁぁっっ、と悍ましい炸裂音。


 氷塊は、狙いたがわず男の頭部に命中し、赤い血液を弾けさせた。

 飛び散った血が氷結し、男は人の胴体と赤い氷の華の頭という奇怪なオブジェと化す。

 それを見届けたテインは、凍える様な鋭利な瞳でならず者どもを見据え、口を開く。


「何者だ、貴様らは? どうやら息子が世話になったみたいだな」


 味方の無残な死に、絶句する乱暴者たち。

 立ち尽くす彼らの中、一歩踏み出して答えたのは、無精髭の大男、ゲリュド。

 下がり続ける店内の気温を物ともせず、不敵に口角を歪ませる。


「――何者だぁ? 見りゃ分かんだろうよぅ、盗賊だぁ!!」


 ゴウッと、気炎と共にゲリュドの周りに火柱が立った。

 残った四人を守る様に展開された火の結界が、迸る冷気を跳ねのけていく。

 それを見るや否や、ゲリュドの火の結界が完成しきらないうちに、テインは氷塊を全て射出。

 柱の間隙をすり抜けて、そのうち三つが標的に着弾せんと迫った。


「――がっ!?」「――うがぁ!?」


 ゲリュドの取り巻きの男二人が、それぞれ首と肩口を射抜かれて悶絶する。残り一つの氷塊は、火柱を顕現させているゲリュドの頭蓋へと飛翔した。

 視界の端に氷塊を捉えたゲリュドは、腰を切って直剣を抜刀。流れるような所作で上段へ構える。

 長い直剣の重さを感じさせない動きで、一瞬、静止。


「――シィッ!!」


 剣先一閃、氷塊を両断。

 振るわれた剣が、残像となって円弧を描く。

 鋭利な断面を見せながら、二つに割れた氷塊が店内の壁に音高く直撃した。剣を振り切った体勢のまま、巨漢の口角が嫌らしく上がる。


「『焼却フラッシュオーバー』!!」


 攻防の終息は、攻守の逆転。

 ゲリュドが火柱を展開したのは、味方を守るためだけではなく、次の攻撃への布石。

 紅蓮の柱が根元から倒れ、八方を焼き尽くしていく。

 その内の、火柱の一本。

 意図して放たれた火焔の暴力が、気を失い、倒れているケルンに向けて追いすがる。


「……守ってやらねぇとなぁ? 全く、いいお荷物だぜ、欠損者・・・はよぉ!?」


 ゲリュドは、剣先をテインに向け、目を見開いた。――気絶して動けない小僧を火柱から守る方法は、氷魔法を飛ばすか、自らが火焔の射線上に出て守るか。

 どちらの行動を先方が取ろうとも、攻めに出れるよう、備えて。


 ――だがテインが取った行動は、そのどちらでもなかった。


「『氷針アイスピック』」


 発句と共に氷で形作られた針が、ゲリュド達を囲むように、無数に配置された。氷の様な眼差しで、テインは残る四人を見据える。


 同時に、火柱があっけなくケルンを圧し潰した。


「――ははっ、見捨てやがった。……狂ってるな」


 ゲリュドの上がった口角が落ち、乾いた笑いが漏れる。

 テインは、その手を指揮棒の如く、無慈悲に、振り下ろす。


 ――直後、致死の氷雨が盗賊団の脳天から降り注いだ。

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