第8話 成人

祭殿を出たホトビたちは、すぐさま王の館にて意見を交わしていた。

彼らの訪れを見たヒヨミは水差しと椀を用意すると、畑を見てくると言って館を出て行った。


「我らは勝てるだろうか」


王の問いに、すぐさまカゴサカが大声を上げる。


「イツシナの奴らが何程のものか! このカゴサカ、モモソとかいう親殺しのもとに乗り込んで、成敗してくれましょうぞ!」


「親殺しというなら俺とて同じこと」


つぶやくようにホトビは言った。


「ホトビ王は民のために立たれたのです、イツシナの僭王などとは違います!」


慌ててカゴサカが訂正するが、ホトビは首を小さく横に振る。ホトビは、父王との戦いの末に即位したのであった。その戦いを共に乗り越えたのが、カゴサカたちである。


「イツシナは擁する里も多く、その技術も優れている。我が国の祭器も、いくらかはイツシナから買ったものだ」


ホトビの言葉に、カゴサカはうなった。しばらくうなった末に、ひとつの疑問が出たようだった。


「そんな優れた国で、どうして王が討たれたのでしょうか」


「かの國がなにか問題を抱えていたのではないか、ということか。……調べてみるしかないな」


すぐには、それ以上の対策は浮かびそうになかった。そのとき、ふと思い出したようにカゴサカが口を開く。


「そう言えば太子様は、まだ成人されぬのですか」


降って湧いた話題に面喰いながら、ホトビは息子を庇った。


「あやつはまだ十六だ。そう急ぐこともないだろうに」


「ですが、男手が増えるに越したことはありませんぞ。それに、ホトビ様が十六になられる頃は、早く一人前になりたいとばかりおっしゃっておられました」


身を乗り出すカゴサカを手振りで抑えながら、ホトビはどうにかカゴサカを落ち着かせる言葉を探した。

タタラと自分とを比べても仕方あるまい。あやつは自分とは違う。優しい子なのだ。内気なところはあるが、決して愚かではない。


「今と昔とでは状況が違うではないか。それにタタラとて無為に時を過ごしているわけではあるまい。里の様子など尋ねると民の暮らしをよく見ておる」


「もし仮にそうだとしても、それを何も活かしておられぬではありませんか。この際、太子様に成人していただいて、戦いに加わっていただくのが良いのではありませんか」


カゴサカの言い分は理解できる。太子が戦いに加われば、民も勇気づけられるだろう。それに、タタラ自身の剣の腕も頼りになるはずだ。しかし――。

炉の脇に積まれた薪の切れ端をしばし弄び、まだ火勢の残る炉に放り込むと、ホトビは意を決して言った。


「わかった、考えておこう。ヒヨミにも相談せねばならんし、成人の儀となればその準備もヒメミコに頼まねばならんから、今日のところは許しておくれ」


「お聞き入れいただき、ありがとうございます」


頭を下げるカゴサカにうなずきを返すと、ホトビはひとつため息をついた。

事態が事態だ。それが少しでもカヤナのためになるのなら、やむを得ぬことだった。

それより、ことの次第をヒヨミに説明することを思うと、茅那國王の気持ちは重く沈んだ。


「とりあえず、答えははぐらかしておこう。すぐに事を構えるのは避けたい」


カゴサカはうなずきホトビの館を後にした。


*  *  *


ホトビは息子の行動には口を出さず、どこに行くも何を学ぶも好きにさせている。しかし、初めからこの調子だったわけではない。

むしろ、彼はこれまで父親として過ごした期間のほとんどにおいて、一人息子に対して存分に教育を施さんとしてきたのである。


タタラが言葉を聴くようになると、ホトビはカヤナに伝わる昔話を語って聞かせ、時にはヤスナに大陸の歴史を教えさせた。さりとて、当時のタタラがそれらを理解していたかは定かではない。


タタラが歩けるようになると、ホトビは待ってましたと言わんばかりに、その日のうちに息子に木剣を握らせた。何かの拍子に館を訪ねたカゴサカに息子の相手をさせ、当時まだ子のなかったカゴサカを大いに困らせたことも一度や二度ではない。


夫があまりに熱心なので、逆にヒヨミはただそれを見守っていた。彼女の役割は、タタラが疲れた頃合いで休憩を勧め、太子の相手をさせられた族長たちを労うことであった。


父親のやり方が良かったのか、母親という逃げ場の存在が功を奏したのか、タタラは剣技と教養を身に付けて、太子として成長していった。


子供というのは、分別のつかぬうちは親に導かれ、育てられるものである。

現世に生まれ出でた子は、親の保護の下で世の理を学んでゆく。その過程は悦びに溢れている。日々は光に満ちている。

しかし、ある日彼らは気付く。自身の中に萌える新たな感情に。上位の者への反感、これまで甘受してきた理への疑問。

こうして、彼らは自らの尊厳へと手を伸ばす。こうして彼らは人と成る。


この変化は、親への反抗という形で現れ、親心を傷付けることが多々ある。タタラもこの例に漏れず、十二になった頃、突然父親に反抗した。具体的には、起きがけの息子を晴れやかな笑顔で剣の稽古に誘ったホトビに、たった一言「もう稽古なんてしない」と言い放った。


その頃から、ホトビは息子に干渉するのを止めた。タタラが一人で郭の外に出かけるようになったのも、この頃からである。そして、今もタタラは村に出ている。

カゴサカとの会合を終えたホトビはしばし、息子の成長を振り返った。あの歳で反抗期を迎えたことを考えれば、もっと早くに成人させておいても良かったのかもしれない。そう思い到ったところで、ホトビは裏の畑へと出た。


ヒヨミは、今日の夕飯になるであろう野菜を収穫しているようだ。

彼女を刺激しないよう、斜め後ろからゆっくりと音をたてぬように近づく。


「ホトビ様、どうなさいましたか」


山で兎に忍び寄るが如く慎重に動いたにもかかわらず、早速気付かれた。出だしの文句も考え付かぬままに、ホトビは口を開く。


「いや、たいしたことではないのだが……話がある」


たいしたことなのだ。つまらぬことであれば、このような態度をとる必要はない。

初手を誤ったホトビは次善の策を探ったが、そこに生まれた沈黙はヒヨミによって呆気なく破られた。


「タタラのことですか?」


全てお見通しなのか。出鼻を挫かれた上に畳み掛けられたホトビ王は、ため息と共に緊張を解いた。言い換えれば、観念した。


「お前には敵わんな……その通りだ。そろそろタタラを、成人させようかと思う」


「どうしてそのように申し訳なさそうなのですか。別に私はそれを聞いて怒りはしませんよ」


「いや、その、まだ早いかと思ってな」


「少し寂しいのは事実ですが、それを喜ぶ程度の親心は持っているつもりです」


この言い方、やはり怒っているのではないだろうか。戦場で強敵に対した時より余程恐ろしい。そう。たとえば、山で唐突に熊と出くわしたかのような……。追い詰められれば追い詰められるほど、ホトビの頭は要らぬことを考えるようにできていた。


体を再度こわばらせながら益体もないことを考えている間も、ヒヨミは畑をいじってばかりいる。先程からヒヨミは視線を合わせてくれないのであった。


「その、なんだ。相談しようかと思ってきたのだが」


「怒ってないって言っているでしょう? 私は賛成です。族長方も安心させて差し上げないといけませんもの」


これは絶対に怒っている。そして、ホトビにはどうして良いかわからない。こうなると手が付けられなくなるのは昔からだ。わかっていることはただ一つ、自分がこれ以上何か言って、状況が改善した試しは一度もないということだ。


ホトビは取り敢えず、手近な切り株に座り、手を止めようとしないヒヨミを黙って眺めていることにした。

しばらくそうしていると、イスズはため息と共にホトビの隣にやって来た。どうやら、必要な収穫はずいぶん前に終えていたようだった。


「……採りすぎてしまいました」


「今晩は豪勢になりそうだな」


きっとヒヨミは、ホトビが気後れしたことに怒ったのだろう。素直に相談できないのは、信頼していないということだから。ヒヨミを眺める間に、ホトビはそう気づいていた。


「タタラは、成人しても上手くやれるだろうな」


「ええ、あなたと私の子ですもの。間違いありません」


その言葉だけで、この相談は解決した。じきにタタラも帰って来る。だが、ホトビはしばらくこうしていたい気がしていた。ヒヨミも座ったまま動かない。


「そういえば、今年は凶作になるようだ」


「そうですか……イサチも悩んでいるでしょうね……」


カヤナでは毎年決まって、全ての田の収穫を終えた頃に祭を行う。その目的は、その年の実りへの感謝と、翌年の豊作祈願である。この祭をもって、カヤナでは新年を迎える。


イサチ、すなわちこの國のヒメミコは責任感が強い。この凶作に責任を感じていてもおかしくはない

巫女は我らと神とを繋ぐ。我らの願いを神霊に伝えるのも、その役割の一つだ。しかし、その願いを聞き届けるかどうかは、神霊次第である。豊作の願いが叶わず、凶作になったからといってそれを苦に思うことはないのだ。


ホトビの脳裏に一瞬、父の顔が浮かんだ。祖父からカヤナの里長の地位を継ぐや否や、時に霊力を語り、時に武力を振るって周辺の村を傘下に組み入れていった。父は、よく言っていたものだ。成長を続けることこそが、最大の守りである、と。


そのやり方は強引に過ぎたかもしれぬが、事実として複数の村でまとまった方が、食糧も融通し合えるし交易も有利に進められている。


「父上ならおっしゃっただろうか。『ほれ見たことか、ちっぽけな土地しか持たぬからそんなことになる』などと、な」


「ホトビ様、あなただって抱え込んではいけませんよ。起きてしまったことは仕方ありません。出来ることをしてくだされば良いのです。民もきっと、それを望んでおりましょう」


ホトビの考えることは、ヒヨミにはすっかりお見通しのようだった。ホトビがそっと妻に寄り添うと、ヒヨミも夫に体をもたれさせる。二人は息子が帰るまでの間、そうして座っていた。

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