第4話 幼馴染

クガネは、物心ついたときからずっとタタラ、そしてイスズと共にいる。

タタラは普段のんびりとしているのに、手合わせを願って勝てた試しがなかった。クガネにとって、彼は越えるべき壁であり、同時に兄のような存在であった。


イスズは負けて悔しがるクガネをいつも慰めてくれる。何かの拍子に怪我をすると手当してくれ、申し訳なさそうに覗き込むタタラを叱ってくれる。怪我をすること自体は慣れっこなのだが、彼女がそうやって気をかけてくれるのが嬉しかった。


ミノリの住まいを出たタタラ達は、里の民たちが広場に向かうのに逆らって御山の方角へと向かった。

手合わせの場はいつも里の東、御山の裾野を少し登ったところにある場所である。鬱蒼とした森の中で、高木が倒れて出来たらしいその空間には日が射し込み、茂みの向こうに里を見通すことも出来る。三人の秘密の場所である。


クガネたち三人は、その場所に向けて斜面を登っていた。

先頭を行くのはタタラ、それに続いてイスズが登り、クガネは最後尾である。


「イスズ、暑くないのか」


ちらっと後ろを顧みたタタラが尋ねた。

イスズはいつも巫女装束を身につけている。カヤナの女は大体くるぶし丈の貫頭衣を着ているが、イスズはそれに加えて白衣を羽織って腰紐を締めているのだ。傍目に見ても暑そうだった。


「こうも動くとさすがに暑くなってきたわね」


そう言うと、イスズは羽織った白衣を歩きながら脱ぎ、腰紐とともに巻き込んでタタラに預けた。

タタラはそれを無言で受け取ると、小脇に抱えて言葉を継いだ。


「こんなの着てこなければいいんじゃないのか」

「そうですよ。わざわざこんな時まで巫女装束を着なくても」


クガネも口を挟むと、イスズは少し考えて言った。


「一応これでも次期ヒメミコだし」


ここで言葉を切り、少女はわざとらしく先を行く少年を見上げる。振り向き、そしてすぐに視線を逸らしたタタラに小さくため息をつきながら、イスズは続けた。


「それに、嫌じゃないわ。ふつうの人と違うっていうのは」

「女というのは、そういうものなのですか」


クガネはいまいち気持ちを量りかねたが、とりあえず言葉を返す。


「そっか」


それに続いて、タタラが振り向きもせずに返した言葉は、クガネ以上にいい加減なものであった。


先日までの長雨を吸い尽くすように、夏草が勢いよく背を伸ばしている。

ここまでの道中とは違って地面の乾いたこの広場は、里からも近く、かといって大人に出くわすこともない。彼らはここで共に剣を合わせ、力比べをし、虫を捕り、歌い、踊ったものだった。


タタラが手頃な落枝を拾い上げると、イスズが手を差し出す。イスズの白衣を返し、自身の腰から下げた木剣もその手に預けると、タタラは拾った枝木で数回素振りをして手に馴染ませた。


「これ、柄皮がずいぶん痛んでるわね。換え時じゃないの」

「ああ。鹿皮がないか母さんに聞いてみないと」


イスズは手近な倒木に腰掛けると、タタラの木剣を眺め、少し振ってみたりしている。

いつものことなのだが、少女の白い腕に太子の得物は似合わなくて、タタラには玩具の扱いを悩む赤子のように見えた。


「タタラ様、行きますよ」


いつの間にか棒きれを構えていたクガネが太子に声をかけた。その声を合図に、イスズも木剣をいじるのはやめて少年たちに向き直る。彼らの勝負を審判するのはイスズの役割だ。


「――では、始め!」


少女の澄んだ、しかし張りのある号令が山に響く。

両者ともにすぐには動かない。考え無しに先手を打っても容易に隙を作ることなど出来ない。クガネはよく学んでいた。


しばしのにらみ合いの後――、


「いきます」


そう言いおいて地面を蹴ったクガネが、体重の乗った一撃を叩き込む。タタラは手に持った枝木でクガネの一振りを押さえ、半身をわずかに引いた。

勢いを受け流されたクガネは、しかし前のめりになりながらも体勢を立て直し、即座にタタラに向き直った。


見守るイスズには、そのときクガネに隙が出来ていたように見えた。それなのにタタラは踏み出さず、緩慢にも見える動作で棒切れを構え直していた。打てなかったわけではないだろう。


無意識なのかもしれないが、タタラは手を抜いている。いつもそうだ。彼が本気になった場面など、イスズはほとんど見たことがなかった。


クガネはその後も盛んに打ち込んでいるが、どれもあと一歩のところでタタラには届かない。タタラの方はというと、自分からは一本も打たずにクガネの剣を払い続けている。


そんなタタラの表情は、十分に懸命に見える。苦戦しているようにも。

当たり前じゃない、本気を出していないのだから。


クガネは自身の剣がまったくタタラの体を捉えないことに苛立っていた。時たま相手の迎撃を抜けたように思えても、なぜか間一髪のところで弾かれる。いつもこうだ。ギリギリまではいけても、攻めきれない。


焦りから、クガネの打突が大振りになったそのとき、イスズの声が勝負の場に響いた。


「タタラ、しっかりしなさいよ!」


一瞬、タタラの意識が少女の方に向いた。

その間に振り下ろされたクガネの剣は、タタラが咄嗟に体をひねったことでそのあばらの辺りに向かい――その急所を強かに打った。


わずかに呻いたタタラはしゃがみ込む。何が起こったのか、当のクガネにもひと時はわからなかった。すぐにイスズが駆け寄り、それを見たクガネも我に返って構えた棒を下ろす。


「大丈夫ですか」

「ああ、……ついに負けちゃったね。強くなったな、クガネは」


タタラのその言葉で、クガネは状況の意味を思い出した。勝ったのだ。まぐれとは言え、ついにタタラに勝った。


「どこ打ったの、ちょっと見せなさい」


巫女として民の診療にも当たるイスズが、そう言って傷の様子を見ている間もクガネは勝利を噛みしめていた。枝木を手に、タタラに打ち掛かった瞬間を思い出し、反芻する。


「大丈夫そうね。丈夫で何より」


安心した様子でそう言って、患部をぽんっと叩くとイスズは立ち上がった。


「痛っ!」


クガネもタタラのもとに駆け寄る。


「立てますか」

「そのくらい冷やしとけば治るわよ。今日はクガネの勝ち。やったわね」


タタラが立ち上がるのにクガネが手を貸すと、本人に代わって返事をしたイスズは微笑み、クガネの頭を撫でた。そのこそばゆさに少年は目を細め、嬉しそうに頷く。


帰ったら父さんに自慢しよう。共に広場に住居を持つふたりと別れ、住まいに戻るまで、クガネは終始喜びに満ちていた。

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