第3話 合議

御山から湧き出たミヅマキの川は、山裾にこぶのように突き出た小高い丘に割かれて二本に分かれる。二本の川に北と東の二面をはさまれたこの丘の上に、タタラの暮らす里がある。


里の中心部、すなわち丘陵の頂上には円形の広場があり、ここでは集会や祭りが行われる。広場の縁には、王や巫女たちの住居といくつかの倉が立ち並び、その周囲を民の住居や食糧を納める高倉が幾重にも環状に取り巻く。


里の中心である広場を囲む王や巫女の住居は、どれも鉢を伏せたような形の茅葺きの掘立小屋であり、構えも民のそれと大きくは変わらない。


しかし、それらの建造物に囲まれた広場は、王の住居など比べものにもならないような、人々の目を引く巨大な建造物を中央に擁している。


それは茅葺きの二階建てで、床は太い柱で人の背丈の何倍もの高さに支えられている。ちょうど穀物を納める高倉をより高く、大きくしたような形で、その戸口は地面と真っ直ぐな階段で繋がれている。これは茅那國の祭政の場、祭殿である。


太子タタラが里の麓で昼寝に耽る頃、祭殿には茅那國の王と族長、里長たちが集まっていた。二階建ての祭殿の一階、その奥を貫く大黒柱の手前には、タタラの父、ホトビ王が胡座をかいている。その前に居並ぶのは十名ほどの族長たちと、茅那國を構成する五十を越す里をそれぞれ治める里長たちである。


「稲の成育状況ですが、先の長雨で懸念されていた病害は茅那全域において大きくなく、うまくやりくりすれば食糧は間に合いそうでございます。被害が比較的大きかったヤマセ、シギ、ウダの里に対しては、秋までに、余裕のある里から雑穀や米を融通するのがよろしいかと」


静かな口調で語るのは、ホトビ王の右腕である渡来人ヤスナである。眉間に刻まれた皺と白髪の目立つ薄灰の髪が特徴的な彼は、他の族長たちと異なり血脈で結ばれた一族を里に持つわけではない。しかし、その半生をかけて大陸で培った見識を活かして主に政務を担う彼は、里に居する渡来人たちを束ねる者として合議の一員と認められていた。


「そうか。ひとまず、安心ですな……」


そう言って安堵のため息をもらしたのは、ホトビ王の古くからの朋友であるカゴサカである。ホトビ王の下で主に軍務を預かるこの偉丈夫は、ホトビよりいくらか若く、クガネの父でもある。


「ホトビ様! 我らが里から米を拠出いたしましょう。困ったときはお互い様だ」


ところどころが跳ね上がった褐色の短い癖っ毛を揺らす彼女は、名をハツセという。ハシと呼ばれる里を治める女里長である。彼女もまた、ヤスナ、カゴサカと同じくホトビ王の盟友とも言える人物である。


友の言葉に対し、ホトビ王が口を開く。


「ハツセ、いつもありがたい。カヤナの里からもいくらか出そう」


ホトビ王の居する里の名も、國名と同じくカヤナと読む。それは國としての茅那が、カヤナの里を中心として形作られたものであることを示していた。


そのホトビの言葉の後、王に追従して複数の里長が援助を申し出た。援助を約束された里の長たちが頭を下げる。


「我らが王に大いなる感謝を申し上げます」


「感謝ならば、我らに実りをもたらした穀霊に、それを敢えて分かつと言う長たちに、そしてなにより、大地を耕す民たちに」


口々に感謝を述べる長たちを制してホトビは続けた。


「だが、まずは一安心だ。民の祈りが届いたのだろう。ヒメミコも随分がんばってくれた。労わねばな」


そこで、彼は少しの間をおいて、参加者たちの視線が集まってくるのを感じながら安堵の微笑を引っ込めた。


「話は変わるが、今日はもう一つ話さねばならぬことがある」


王の引き締まった表情に里長たちも居住まいを正す。


「実は、この茅那で鉄が採れるかもしれぬ」


一瞬の静寂の後、その言葉の意味を理解した者から順に人々は驚き、そして期待に満ちた声を上げた。


「なんと!」


「我らで鉄器が造れるようになるのですな」


「交易でも有利になるではないか!」


突然の吉報に族長と里長たちが喜び合う中、彼らの内でただ一人、事前に知らされていたヤスナだけは表情を崩さないまま、ゆっくりと口を開いた。


「茅那國内で鉄が採れるようになれば、農具を始め、様々な鉄器が自給できるようになります」


そこでいったん言葉を切り、一同を見回しながらヤスナはまた話し始めた。


「しかし、まだ鉄の原料が見つかっただけであって、安定した生産にはしばらく時間がかかります」


ヤスナの言葉に、加熱した場の空気は徐々に冷めていく。それを肌で感じながら、ヤスナは一瞬悩んだ様子を見せた後に付け加えた。


「大陸には、好事は無きに如かず、という言葉がございます。鉄は便利なものですが、使い方を誤らぬようにする必要がありましょう」


喜ばしいはずの話題での予想外に冷めた言葉に、誰かが身じろぎしたのだろう。床板の軋む鋭い音が沈黙を貫き、静寂の中に消えていった。しばしの間、誰もが俯きがちに沈黙を守る。


いったいヤスナは何を心配しているのか。せっかくの慶事に水を差すような真似をして。各人のそんな思いが祭殿に満ちて、澱となって堆積していく。身に染み入ってくるようなその毒気を、ヤスナは無言で受け止めている。


そんな重苦しい空気を破ったのは、ホトビ王の打った柏手であった。皆の視線が上がったのを確認すると、王は笑顔で口を開いた。


「そうは言ってもめでたいことだ。もちろん使い方はしっかり考えねばならんが、今はまず喜ぼうではないか。さて皆、他に何か話したいことはあるか。……なければ、不作の里に対して倉を開く件、集会に諮りたい」


ホトビはそう言って立ち上がり、居並ぶ臣下たちの間を抜けて扉の前に立つ。臣下たちも座ったまま扉の方に向き直り、その様子を見守っている。


ホトビが戸を両手で押し開けると、開いた扉の隙間から、陽光と共に歓声が部屋へと流れ込んできた。眼下には里中の民が集まっている。彼らは、それぞれの一族の長より、日輪がもっとも高く昇る頃に祭殿の前に集まるよう伝えられていた。


彼らを見渡して、ホトビは口を開く。


「皆、よく集まってくれた。今日は、この里の米や雑穀を、他の里に分けて良いものか、尋ねたい。先日までの長雨で、ヤマセ、シギ、ウダの里では十分な食糧が採れなかった。彼ら兄弟を助けるため、余裕のある我らが里からも分配したいのだ。俺からは以上だ。さあ、話し合ってくれ。疑問があれば尋ねよ」


これはホトビ王の代になってより始められた慣習である。彼は、多くのことをできる限り民に直接伝え、諮るようにしていた。


茅那國では、その里の長と、里の民たちの代表である族長たちからなる合議で里の様々なことを決める。カヤナの里の場合、合議を構成するのは里長も兼ねるホトビ王と、カゴサカやヤスナといった族長たちである。国全体に関わることを話す場合は、そこに他の里の長たちも加えて話し合う。


しかし、ホトビ王は即位と共に、里の民すべてによる集会を開くことを決めた。族長たちだけで決めたことが、この集会で覆ったこともある。そんな時は、民の意見が十分に考慮されるように、ホトビ王は再度合議を開いて話し合った。


話し合いの様子を眺めているうち、ホトビは大勢が固まって来たのを感じた。


「さて、みんな、それぞれ結論は出ただろうか」


その言葉で、場が静まっていく。


「では、食糧の分配に賛成の者、声を上げよ」


数百に上る声が挙がる。大体の民は賛成のようだ。ホトビは内心安堵しながら、再度口を開く。


「反対の者、声を上げよ」


声を上げたのは十数人といったところだった。中でも強く反対していそうな者に理由を尋ねる。


「ナズナは、どうして反対なのだ。聞いても良いか」


「今年は良くとも来年どうなるかわからないからです。それに、もしかしたら今年ネズミが湧いて米がやられるかもしれませんし、余裕を持っておきたいのです」


その意見は誰もが胸に持っていたものなのだろう。多くの民が俯きがちになる。


「我が里から出す分は、倉半分ほどを考えている。それでも、皆が半年食っていける分が里に残る計算だ。むろん贅沢は出来んが、秋に収穫する分を併せれば十分な量になる。それに、我らが困ったときには、きっと他の里も助けてくれよう。……そのときは頼めるか?」


最後の一言は、祭殿の中に向けて放たれた言葉である。里長たちは王の言葉にうなずき合った。


「里長たちも頼まれてくれた。ナズナも、他の者も、お願いできないだろうか。いま言ったようにこれは一方的に我らが救うのではない。助け合いなのだ。隣で兄弟が飢えるのを見てはいられない」


「我らも飢えずに済むということならば……我らが王にお任せいたします」


その言葉で民たちは不安を飲んだようだった。それを見てホトビは民に礼を言い、祭殿に戻って里長たちに結果を報告した。

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