第2話 巫女の務め、太子の務め

親から独立した子の住まいは、親の住居のすぐ近くに営まれるのが普通である。ミノリ親子の場合もその例に漏れず、その住まいはウサギ婆のものと並んで建っていた。


山菜の詰まった籠を下ろしてから向かうと、ミノリ一家の住む住居とは別に、そのすぐ脇に一回り小さい掘立小屋が建てられている。これは隠屋かくれやという。


月の物が降りている間、その女は生活を別にしなければならない。血は穢れを呼ぶとされているためである。そのために、仮の住処として建てるのが隠屋である。


タタラたちがやってくると、彼らに気付いたミノリの両親が、住居から顔を出した。


「偶然太子様たちにそこで会うてな。イスズ様に来ていただいた」


「わざわざそんな、申し訳ありません。ありがとうございます」


頭を下げる母親に笑顔で接しながら、イスズは隠屋に案内されていく。その言動は慣れたもので、恐縮する母親にこれも務めですから、などと語りかけながらミノリの様子を尋ねている。


ミノリの母はイナ、父はタカマロと名乗った。ミノリは月の物が来て以来ずっと腹痛や吐き気を訴えていたが、はじめのうちは、そういうものだと心配してはいなかったという。しかし、それがあまりに長く続くため、不安になっていたらしい。


イスズは他の者たちを外に残し、イナと二人で隠屋の戸口に垂らされた簾をくぐった。中には寝床がひとつ設けられており、クガネほどの歳の少女がそこで横になっていた。


「ミノリ、イスズ様が来てくださったよ」


母の言葉に身体を起こそうとするミノリを制して、イスズはそのすぐ脇に膝をついた。


「大丈夫、怖くないからね」


目の前の少女を安心させるように笑顔で接しながら、的確に身体の調子を尋ねていく。そして一通りミノリの話を聞くと一度立ち上がり、イナを外に出すと、戸口から外に頭だけ出して、今度はタタラだけを隠屋に呼び入れた。


ウサギやミノリの両親はそれで理解したが、このような場面に幾度か立ち会ったことがないクガネには、その意味するところが分からない様子だった。


「どうしてタタラ様だけなんですか」


イスズは立ち上がり、疑問を呈するクガネに優しい口調で答えた。


「いまから私はちょっと集中しないといけなくて。人が少ない方がいいの」


まだ納得していない様子だったが、彼女の言葉にクガネはしぶしぶ引き下がった。

タタラが隠屋に入ると、イスズは彼にひとつ頷いた。


「頼むわね」


「ああ」


彼女は、ミノリのもとに戻って声をかけると、いつも首に下げている首飾りを外して手に巻き付ける。そしてそれを擦り合わせてじゃらじゃらと鳴らしながら、朗々と唱え始めた。


「御山にましますトコタチよ

 大地うるおすミヅマキよ

 よろずしらしめす諸々の御霊よ

 吾が求めを聞こし召せ」


隠屋には、玉がぶつかり合う音と、イスズの声ばかりが響く。少年は少し離れたところに腰を据え、幼なじみの少女を見守り続けた。


どれほど経ったであろうか。イスズはいつ息継ぎをしているのかすらわからないほどに、一定の調子でまじないを唱え続けている。しかし、それは終盤に差し掛かっているようだった。


「禍事、罪、穢れあらば吾が器に依りて示し給へ」


その言葉の後、彼女は一瞬の間隙を置いてまた話し始める。しかし、その口調はこれまでと変わり、声色さえも慣れ親しんだ少女のものとは思えないほどに低く、掠れたものとなる。


そうなってからが、タタラの役割である。


「娘の穢れたるは血によるもの

 祓い清むれば生かしむべし」


イスズが発した言葉を口の中で繰り返し、記憶する。その間に、少女は体から何かを追い出すかのように長く細く息を吐き、タタラの方を振り返った。その表情にはいくらか疲れが見て取れる。


「どうだった?」


イスズに先ほど彼女が発した言葉をそのまま伝える。あのとき、少女は神霊の器となり、本人の意思とは関係なく神霊の声を伝えていた。それゆえ、彼女は、自身が発した言葉をまるきり覚えていないのだ、とタタラは聞かされている。


「きっと月の物の穢れが残っていたのね」


そうつぶやくと、不安げにイスズのことを見上げていたミノリに笑いかける。


「大丈夫、よくあることよ。私に任せて」


そう言うとイスズは立ち上がり、隠屋から出ていく。しかしタタラはそれには従わず、その場に留まって彼女が戻るのを待った。


*  *  *


イスズは戻ってくると、近所で採ってきたらしい栗の小枝を手に、ミノリのもとへ向かった。


「すぐ終わるからね」


横たわるミノリに微笑みかけると、イスズは枝を少女の腰の辺りに当て、小枝につく葉で塵を払うように、繰り返し優しく叩いていく。その後、全身も同じように祓い清める。栗の木には、穢れを取り除く力があると信じられているのである。


やがてその手を止めると、

「よくがんばったね。もう大丈夫よ、すぐに良くなるからね」

そう言ってミノリの頭を優しく撫でた。


それを終えると、小枝を持ったまま今度はタタラの方にやって来て、座ったまま待っていたタタラの前にかがみ込む。そしてミノリにしたのと同じように、彼女はタタラの身体に栗の葉で触れていった。


「これでよし、と。ありがとね」


念入りに祓を済ませたのちにそう言うと、彼女はこれもまたミノリにしたのと同じように、枝を持っていない方の手を持ち上げて、タタラの髪に触れた。


タタラが小さく避けると、少女は少し頬を膨らませる。


隠屋を出るイスズに続いてタタラも立ち上がろうとすると、タタラたちの様子を見ていたらしいミノリと目があった。その不思議そうな表情に、タタラはぎこちない笑顔を浮かべた。


「えっと、イスズが言うならきっと大丈夫だから」


少年は、それだけ言って隠屋を後にした。


イスズがミノリの両親に処置の終わったことを告げると、イナはその手を取って何度も頭を下げている。タカマロも、タタラが出てきたのを見ると感謝を口にした。


「太子様、ありがとうごぜえます」


「いえ、僕はなにも」


誠実そうなタカマロの表情に好感を覚えながら、タタラは事実を述べた。


イスズがイナに、隠屋をよく温めること、ミノリの床に敷かれた寝藁を取り替えることを言い置いてその場を離れると、代わりに近所の女たちがイナのもとに集まって彼女を労い、母の労苦を分かち合う。場に安心感が満ちて、様子を見に来ただけの人々も世間話を始める。


「そういえば、もうすぐ日盛りじゃな」


誰かが発した言葉でタタラも空を見上げると、真っ青な空に、太陽は天頂近くまで昇っていた。ウサギたちも野次馬たちも、その言葉で何かを思い出したように、連れ合って村の中心へと足を向ける。


「タタラは、行かなくて良いの?」


イスズから発せられたのは、些か遠慮がちな、相手の様子をうかがうような、少し掠れた細い声音の問いだった。


タタラは、彼女がいるのと反対の方角を見やりながら、一言だけ答えた。


「別にいいさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る