イベリスのせい


   ~ 三月十四日(水)  七 ~


   イベリスの花言葉  こまやかな人情



 おばさんが東京に行ってしまったからでしょうか。

 ちょっとやさぐれて、手抜き料理になり始めたのは、藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、頭のてっぺんでお団子にして。

 そこに、イベリスのお花を活けてみたのですが。


 白い小花が集まって、まるで大きなお花のように咲くイベリスが。

 とってもバカ丸出しなのですが。


 当人が気に入っているので、まあ、良しとしましょうか。


 そんな、変わった感性の持ち主さんは。

 いつものようにYシャツをなびかせて。

 フライパンで目玉焼きを焼いているのですが。


 今日は包丁もまな板も見当たらず。

 フライパンの隣では、ヤカンがしゅんしゅん音を立てているのです。


 昨日の目玉焼き乗せコンビニ弁当に続いて、今日は目玉焼きのせカップラーメン。


 一気に手抜き感。


 ……そのうち俺の昼食は。

 懐かしの、目玉焼き一個に戻りそうなのです。



「手抜き、よくないですよ、教授」

「手抜き? 何を言っておるのかねロード君! あたし、これ大好き!」

「知ってますけど。カップのとんこつラーメンに激辛高菜をたっぷり乗せたやつ、最後の晩餐に食べたいっていつも言ってますしね」

「でも今日は、カップ焼きそばなの」

「はあ、そうですか」


 年がら年中、興が乗らないと言い始める巨匠、母ちゃんのせいで。

 食べ飽きているのですよ、コンビニで買える品。


 いつもみたいに、なんか作って下さいな。


 ……そう思ってみたけれど。

 ちょっと反省です。


 お湯を注ぐだけとはいえ、間違いなく据え膳。

 文句を言うなど、お門違いなのです。


 とは言いましても。

 隣の席に並んだ、手の込んだ品々に。

 どうにも目が行ってしまいます。


「おお、肉じゃがも美味い。やるじゃねえか姉ちゃん」

「ほんとですか? ふふっ、それならまた作ってきますね!」


 ……俺の周り。

 いよいよ大カオス空間。


 隣の席には、工事現場から昼休みの都度やってくる部外者が座り。

 その正面に、もっと無関係の人がニコニコとしているのですが。


「さすがに叱られると思うよ?」

「大丈夫。ちゃんと校内見学の許可は取ってあるから」


 そう言って、ひらひらと書類を見せる美穂さんなのですが。

 それ、絶対大丈夫じゃありませんから。


 美穂さんも。

 この、へんな学校も。

 絶対大丈夫じゃない。


「しかし、俺も反省しねえと。自炊するとは言ってもこれだけの品数を食うことねえからな」

「そういうものなんですか?」

「そりゃそうだ」


 興が乗った時の母ちゃんが作る晩御飯と同じくらいの品数ですが。

 これを滅多に食べることが無いなんて。

 親の元にいると、どれだけ恵まれているのかよく分かるのです。


「いかんな。これじゃお前らに自立しろなんて言えねえな」

「そんなことは無いと思いますけど」

「いや、いかに俺の人生が雑だったか痛いほどわかる」


 お兄さんは、そんなことを言いながらきんぴらを口に放り込んで目を丸くさせていますけど。


「うん、繊細な味だ。これもうめえ」

「そんなに喜んで下さるなら、もっと作ってくればよかったです」


 美穂さん、照れくさそうになさってますけど。

 料理はともかく、あなたは繊細なんてことないですからね?


 昨日、ころりとお兄さんの魅力にやられてしまったようですが。

 だからと言って、二駅先の学校からお昼休みに押し掛けて来るなんて。


 大胆を通り越して、ちょっと異常です。


 ……まあ、素敵な方ということは良く知っていますので。

 情熱的な人、というあたりを着地点にしておきましょうか。



 やれやれと、がっくり肩を落とす俺でしたが。

 正真正銘の変な子が。

 対抗心を剥き出しにし始めました。


「あたしも負けてられないの。繊細なお料理を作るの」

「カップ麺の時点で繊細の欠片も無いです」

「そんなこと無いの。見てるの」


 そう言いながら、ヤカンを手にした教授が。

 蓋にやさしく手を添えて、楚々とした振る舞いで、ラーメンにお湯を注ぎ始めましたけど。


「あっつ!」


 楚々と蓋に添えた手をぶんぶん振り回すことになりました。


「……繊細、台無しです」

「てやんでいちきしょうめなの」

「最悪です」


 細やかさの欠片もない教授がお湯を注いだカップ麺。

 それが俺の前に、楚々と差し出されましたけど。

 ……きっと、化学調味料ばりばりの大胆なお味なのでしょう。


 そして、蓋に書かれた時間を待つ間。

 教授が、先にお湯を注いでいた焼きそばから。

 お湯をカップへ注いでいるのですけれど。


「なにやってるのさ」

「このお湯に、ちょっぴり味付けすれば繊細なスープになると思うの」


 そんなことを言いながら、スープに何種類もの調味料をぶち込み始めましたけど。


 ほんと、君の繊細の定義ね。


「ではロード君! まずは繊細スープを味わうと良い!」


 教授がびしっと突き出してきたカップを渋い顔で見つめる俺を。

 お兄さんと美穂さんが苦笑いで見つめていますけど。


 でも、これを飲まないなんて選択肢は俺に無いわけで。

 観念しながら一口すすると。



 ……どういう訳か、繊細なお味なのです。



「美味い。……教授、たまーに神様が作った摂理をいい方に無視しますよね」

「そうだろうロード君! だからカップ麺も繊細に仕上がっているのだよ!」


 いや、こっちは無理です。

 だって背油の旨味がどうのこうのと、剥がした蓋に書いてありましたし。


 カップ麺にソースをまぜまぜしながら俺の顔色をうかがっていますけど。

 お湯の注ぎ方くらいでどうこうできるわけが……。


「ウソ!? こっちも繊細!」


 当然なのとか言いながら、メガネを押し上げるような仕草をしていますけど。

 なんか腹が立ちますが、この味は本物。

 何と言うか、素材の味がダイレクトに伝わるのです。


 ただ、やっぱり納得がいかず。

 底の方にスープが溜まっているのかもと思ってひっかきまわしてみたら。



 ……調味油なる文字が書かれた小袋が、二つもサルベージされました。



「教授、これは?」

「…………きっと、浮き身なの」

「沈んでます」


 やっぱり、手抜き料理でした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る